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追え!
モーニングダイレクト便
朝の時間帯に乗り換えなしで学校や病院まで直達できる系統「モーニングダイレクト便」。通勤・通学・通院者の利便向上を目的として開発された系統で、平成9年(1997年)2月16日改正より爆発的に拡大。朝にしか見ることのできない珍しい系統の数々は眼も楽しませてくれます。
最終修正:令和8年1月8日 (1)
乗ってしまえば都心部で降りず乗り換えなしで目的地まで行けるダイレクト便の拡充は、利便性向上のための取り組みとして、もちろん乗る側にとっても嬉しい施策でしたが、会社側にとっては、バスへの顧客囲い込み・電車や他社バスからの切り離し──という戦略もあってのことだったのかも知れませんね。
もともと、複数の系統同士を連続して運行する取り組みは、たとえば松任→香林坊と香林坊→金沢学院大、光が丘住宅→香林坊と香林坊→金沢学院大、上新庄→香林坊と香林坊→金商高校前などで運用として実施され、定期券利用者については下車せずそのまま乗り続けることができるようにしていたのではないかと想像されるところです。
▲2つの系統を合わせた特異な方向幕
平成元年(1989年)11月30日、市内中心部にあった尾山台高等学校が上安原へ移転するにあたり、鳴和→尾山台高校という通学便が新設。また、平成7年(1995年)9月1日に金大附属小学校の移転とともに大野港・桂町→金附自衛隊前の便が登場し、これらがダイレクト便の草分けとなりました。
本格的に「モーニングダイレクト」として施策化するのは平成9年(1997年)2月16日改正でのことで、このとき、小立野台地に点在する学校や病院へのアクセス向上を目的として上荒屋線、額住宅線、四十万線、金石線、大野線の5路線6系統で小立野方面の便が新設。いずれも、それまでは兼六園下または香林坊での乗り換えなければ、小立野方面へは行けなかった路線ばかりでした。
また、同じ改正では松島から中心部を経由しての工業試験場ゆき(安原線)というものも新設されています。
こうした系統が拡充された理由として、このころの北鉄が、じつはピンチに陥っていたという状況が背景にあるでしょう。バブル崩壊からの長引く平成不況によって、利用客の落ち込みは際立ち、50周年記念の祝賀ムードから暗転、経営は危機的状況に置かれていました。こうしたなかで、旧来の常識を捨て、なりふり構わず乗客本位の利便性向上に奔走し、バス復権をつかみ取る必要があったのだろうと思料されます。
“結節路線”という新しい秘策が編み出された平成10年(1998年)3月15日の大改正でも、四十万・光が丘地区から学院大方面や鳴和、また金石方面から鳴和への充実が図られました。鳴和がクローズアップされた理由は、「星稜」の二文字でしょう。広域から生徒を集める私立であり、そしてJRバスを利用して通学している生徒も多いエリアでした。そこへ打って出たのでした。
平成11年(1999年)3月14日には、その流れが加速。鳴和以遠に「星稜高校」バス停が新設され、それまで鳴和発着で運行されていた便の延伸も含めて安原線、四十万金石線、上荒屋線、松任線、錦町粟崎線の5路線が一挙に乗り入れ、同時にJR東金沢駅と星稜高校を結ぶシャトル形式のダイレクト系統(石引線)まで新設されました。
モーニングダイレクトのみならず、平成15年(2003年)9月16日からは石引線、上荒屋線、四十万線で下校時間にあわせた“イブニングダイレクト便”も開始されています。
平成11年(1999年)12月1日には上荒屋線、野々市線において、金大附属小・中学校および二水高校、泉丘高校にも対応した泉が丘経由のダイレクト便が開始され、平成12年(2000年)3月26日からは三馬大野線、安原線でも同様の経路で運行が拡充されました。
また、この平成12年(2000年)3月26日からは、花里線、鈴見線、額住宅線、平和町線(大豆田経由)の計4路線において県立中央病院へのダイレクト便が開始。通院・お見舞いの利用者にあわせて病院の受付開始時間に運行されたもので、ノンステップバスが使用され、バリアフリー化に努められました。いまでは石川県庁へのダイレクト便として発展していますね。
これらの系統は金沢西高校、市立工業高校の生徒や駅西合同庁舎職員の需要にも応えることができ、意外なスマッシュヒットとなりました。
「鉄道ピクトリアル」平成13年(2001年)5月号に『北陸地方ローカル私鉄の視点 北陸鉄道の輸送を語る』と題して当時の水野北鉄社長と大東文化大学経営学部の今城教授との対談が組まれています。
そのなかで水野社長は、
『金沢は学生の多い町ですが、学校が郊外に移っていますので、通学ルートが都市を横切るケースが増えています。 バス路線は都心から放射状に広がっていますが、通学の際にいちいち都心でバスを乗換えるのは気の毒ですので、朝の通学時に2路線を直結して運行するモーニング・ダイレクトというサービスを拡充しています。ロング路線にはなりますが、これで乗換えのわずらわしさが解消されるだけでなく、運賃面でも定期外の負担が軽減されますので、拡充に力を入れているところです』
と発言されていました。
そして──平成15年(2003年)1月6日には石川県庁の駅西移転にあわせ、各地から金沢駅西口を経て県庁前・中央病院間を乗り換えなしでつなぐバス「シティライナー」が開始。中央病院への4路線に加えて、安原線、野々市線、千代野線、四十万金石線、医王山線、田中医大線や新設路線の柳橋・県庁線が乗り換えなしで運行されるようになりました。
県庁マンの職場移転による激変緩和にも役立ったと思われる、こうした通勤ダイレクト便の手厚い運行の素地には、学校や病院へのダイレクト便運行の経験と、その成功体験がたしかに息づいていたのではないでしょうか。
そんなダイレクト便ですが、近年は乗務員不足や働き方改革などの影響もあって、廃止される便も散見されるようになってきています……。
時代は刻々と変化しています。が、先人たちが苦悩しながら編み出してきたダイレクト便を、ほろびゆく文化と見送るのは、あまりにも悲しい。あのころの北鉄に熱狂してきた私は、そのように強く思うのです。
それでは、古今東西、百花繚乱のダイレクト便を行き先別に見ていきましょう。
金沢大学医学類というよりは、北陸学院中学・高等学校、金沢商業高校への対応という面があり、ダイレクト便が拡充されていた当時、これらの比較的、都心部に近い位置にある学校への通学生は、香林坊で乗り換えるにしても、辰巳丘、東高まで向かう生徒ですでに混雑しており、乗れない&降りられないということになりがち。こうしたトラブルを救済する系統として開発されたのだろうと思われます。
平成9年(1997年)2月16日改正で額住宅駅→泉野三丁目→小立野大学病院前(現:石引広見)間のダイレクト便として登場しています。当初は泉野三丁目経由で、路線番号も[30]番を名乗っていました。平成9年(1997年)4月5日より泉野三丁目経由のまま始発地が下森島に延伸。さらに平成10年(1998年)3月15日改正で有松経由に変更され、[31]番となりました。
平成28年(2016年)7月3日の金沢大学附属病院新ロータリー完成にあわせ、金沢大学付属病院へ延伸されています。
令和4年(2022年)4月1日改正で野々市市役所経由に変更され、額住宅駅は通らなくなりましたが、なんらかの要望があったのでしょうか、令和4年(2022年)7月16日よりこのダイレクト便のみ額住宅駅へポケット状に立ち寄るようになりました。
▲額住宅前駅
この系統はもともとはモーニングダイレクト便だったのですが、兼六園下モータープールの廃止によって、もともと兼六園下・金沢城発着だった便の大半が金沢大学附属病院発着に。レギュラー系統に変容しました。
平成9年(1997年)2月16日改正で上荒屋西→小立野大学病院前(現:石引広見)間で朝に片道3本が新設され、北陸学院中学・高校などへの通学に対応されました。
平成28年(2016年)7月3日より「金沢大学附属病院」ゆきに。令和5年(2023年)4月1日改正で復路の便も含めて運行が拡大され、いまではダイレクト便という扱いとは云えなくなりました。
▲雪の石川門を見ながら
平成9年(1997年)2月16日、[33]四十万線の四十万→兼六園下→小立野大学病院前間のダイレクト便として運行を開始。四十万線がほくてつバス(株)へ移管される平成16年(2004年)4月25日改正で廃止されました。
平成16年(2004年)4月25日改正で、それまで運行されていた山島台四丁目→久安大橋→金沢駅ゆきの[急行]便が山島台四丁目→錦丘高校前→小立野大学病院ゆきの普通便に変更される形で登場。実質的に四十万→小立野大学病院前へのダイレクト便の後継となりました。もはや辰口線という原型を留めていませんが、ほくてつバス(株)担当のため、これでも辰口線という扱いとなっていました。
この便は北部営業所が担当し、小松空港線用の特急バス車両によって運行されていました。山環が開通する前のことですから、柳橋からの早朝の長距離回送は大変だったことでしょう。
平成20年(2008年)4月27日改正で廃止されています。
▲当時使用されていた車両
平成9年(1997年)2月16日より、朝に運行されていた大野港発香林坊ゆき[快速]便が、そのまま小立野大学病院前(現:石引広見)まで延伸され、大野港→小立野大学病院間のダイレクト快速へと成長しました。金石街道の畝田→中橋間が快速運行となっており、畝田、藤江、中央市場口、中橋の順で停車します。
その後、遅くとも平成12年(2000年)3月26日改正までに始発地が大野に変更されています。
平成28年(2016年)7月3日の金沢大学附属病院新ロータリー完成にあわせ、金沢大学付属病院へ延伸されました。
▲過去の車両
(写真ご提供:ぽんさん)*転載はご遠慮ください
平成9年(1997年)2月16日改正で、金石→兼六園下→錦町の[快速]便として運行を開始。北陸学院中学・高校、金沢商業、金大工学部方面へ乗り換えなしでの快適な通学を可能にしました。
平成20年(2008年)4月27日改正で如来寺前ゆきとして短縮されました。
ちなみに、この[快速]は、そのあと田井町まで一区間だけ回送し、そこから田井町発金沢大学ゆきに変身する行路となっているようです。非常に合理的ですね。
平成9年(1997年)2月16日改正で金石→兼六園下→小立野大学病院(現:石引広見)間で運行を開始。この便は当初は金石線のダイレクト便として誕生したのですが、平成13年(2001年)3月4日改正で北鉄金沢中央バス(株)へ管理委託され、このときから金石始発でありながら、金中委託であるために三馬大野線の派生系統扱いとなりました。
平成21年(2009年)5月31日に如来寺前まで延伸の上、北鉄金沢中央バス(株)へ正式に移管。金中担当であるために、こんどは畝田住宅線扱いとなりました。ともに同じ金石発如来寺前ゆきでありながら、[快速]は本体、普通便は金沢バスという関係は、このときからのものです。
ただ、このさき北鉄金沢バス(株)が北鉄本体に吸収合併することが決まっていますので、それにより、このようないびつな路線帰属関係は解消され、今後、ふつうに金石線の派生系統として納まるのではないでしょうか。
平成11年(1999年)3月14日改正で、神野町→入江→富本町→香林坊→錦町ゆきのモーニングダイレクト便として新設。北陸学院中学・高校、金沢商業、金大工学部方面へ乗り換えなしでの快適な通学を供しました。安原線ながら、路線番号は[10]番としていました。
平成23年(2011年)4月1日改正で小立野ゆきに短縮されています。「小立野ゆき」といえば、「小立野」を行き先としていても、実際には大学病院前(現:石引広見)終点として運行されるのがセオリーでしたが、この便については錦町ゆきを短縮して設定された経緯からか、終点は本当に大通り沿いの「小立野」となっていました。
しかし、そんな意固地にさえ思える運行にも終わりが来て、令和5年(2023年)4月1日改正で、ついに「金沢大学附属病院ゆき」に改められました。
なお、この系統は実際には西割出始発で[54]上安原ゆきとして運行後、そのままラケット循環を経て、エンドレス運行で復路が金沢大学附属病院ゆきになるという形になっています。従って、運賃表示器の右画面には、往路の上安原ゆきを運行している時点で「終点 金沢大学附属病院」と表示されています。有効な定期券の場合、西割出や上諸江より、上安原のラケットへぐるっと回ってきてから広坂・21世紀美術館以遠へ乗ることができそうな気がしますが、さて?!(めいわくなことはやめましょう)
平成11年(1999年)3月14日改正で、みどり二丁目→米丸学校前→新神田→香林坊→錦町間で運行を開始。やはり[10]番として運行されました。こちらは小立野どまりになることなく錦町ゆきで継続した末、平成27年(2015年)3月14日改正で、なんと東部車庫まで延伸され、金沢東高校、辰巳丘高校への通学にも便利な系統となりました。
しかし、令和5年(2023年)4月1日改正で廃止されてしまいました。
▲錦町にあった降車専用ポール
平成10年(1998年)3月15日、四十万線のダイレクト便として四十万→有松→泉野一丁目→寺町一丁目→天徳院前→辰巳丘高校間で新設。平成16年(2004年)4月25日改正で四十万線はほくてつバス(株)へ移管されていますが、この系統はほくてつバス(株)北部営業所東部駐在車両により運行されました。もちろん、のちには北部営業所南部支所へ移管されています。
平成20年(2008年)4月27日改正で能美市の「宮竹」を始発地として延伸され、路線の帰属も辰口線に変更。宮竹→四十万→有松→泉野一丁目→寺町一丁目→天徳院前→辰巳丘高校として運行されました。
平成29年(2017年)4月1日改正で緑が丘十丁目始発に変更され、宮竹は経由しなくなっています。その後、宮竹への運行そのものが廃止になっていますね。
この系統は来る令和8年(2026年)3月改正で廃止されることが発表されています。これにより、泉が丘の図書館前のりばに停まる便は皆無になります。
平成8年(1996年)2月12日改正で誕生したダイレクト便で、市立病院線の猿丸神社前から分岐、天徳院前、錦町経由で辰巳丘高校まで走る通学便です。はじめ額地区から平和町市立病院への通院路線であった市立病院線を一躍、通学路線へと変貌させるキッカケになった系統でした。
なお、市立病院線は令和5年(2023年)4月1日改正で金沢大学→鶴寿園の便が廃止されたことにより、もともとレギュラー系統だった四十万→金大の便も実質的にモーニングダイレクト便と化しています。
▲石引2丁目は通過します
平成11年(1999年)3月14日改正で今町→橋場町→小立野→辰巳丘高校間のダイレクト便として開始。石引線の派生系統ではありましたが、行き先表示においては路線番号ナシでの運行。行き先表示が方向幕の時代は、茶色ではなく10番台の配色である「緑地白字」の方向幕となっていました。ただし案内放送においては「83番」とコールされていました。
平成27年(2015年)3月14日改正で東部車庫ゆきに変更され、金沢東高校への通学にも利用できるようになりました。あわせて、学期休み期間も運休ではなくなっています。
が、令和2年(2020年)4月1日改正で廃止されました。今町では津幡方向の停留所から出発し、バイパスの高架下でUターンして森本方面へ向かうという、かつての[87]今町始発便の伝統的な発車方法をとる最後の一本でした。
▲今町を発車する辰巳丘高校ゆき
金沢学院大、金沢東高校(現:金沢学院大学附属高校)へのダイレクト便は、金沢学院スクールバス(貸切チャーターバス)の充実もあって、いまはまったく運行されていません。
平成10年(1998年)3月15日の大改正で光が丘住宅→泉が丘→泉野四丁目→寺町一丁目→猿丸神社前→花里住宅→金沢学院大という特異な経路で新設。しかし、わずか1年後、平成11年(1999年)3月14日改正で廃止されました。非常に短命に終わりはしましたが、トライ&エラーの積極的な取り組みでなんでもやってみようという意気込みも強く感じられた系統でした。
平成10年(1998年)3月15日、四十万→有松→泉野一丁目→寺町一丁目→猿丸神社前→花里住宅→金沢東高校という経路で新設。額住宅線のほうと同じコンセプトですが、こちらは猿丸神社前から[快速]とし、赤坂、花里住宅、永安町、金沢東高校の順に停車する独特の便となっていました、
金沢東高校スクールバスの発足により、平成16年(2004年)4月25日改正で廃止されました。
この方面ではもともと、松任→香林坊で存在していた便の香林坊到着時刻と錦町A線に存在した香林坊発学院大ゆきの香林坊出発時刻が同一で、双方の便が学期休み運休であることも一致したことから、実際には松任→学院大間の通し運行とし、定期券利用者については下車せずそのまま乗り続けることができるようにしていたのではないかと想像されるところです。
平成9年(1997年)2月16日より松任→香林坊→小立野→金沢学院大のモーニングダイレクト便として正式に公表されました。しかし、その後の活躍は長くはなく、遅くとも平成12年(2000年)3月26日までに姿を消しています。
▲ダイレクト便本格開始前の異様な方向幕
鳴和地区にある金沢星稜大学・星稜高校および県立桜丘高校へのダイレクト便として各地からの運行が健在です。なお、金沢星稜大学・星稜高校バス停は定期券の制度上では鳴和と運賃同扱いになっており、鳴和で乗り降りできる定期券であれば金沢星稜大学・星稜高校でも乗り降りできますが、これはもともと鳴和ゆきだったものを延長した経緯からです。
平成16年(2004年)8月30日からは御所新橋の開通により、桜丘高校前も経由するようになっています(東金沢駅からのシャトル便を除く)。
平成11年(1999年)3月14日改正で「星稜高校」(現:金沢星稜大学・星稜高校)停留所が新設され、この年4月の新学期より、朝の通学時間帯に東金沢→星稜高校間のみを運行するシャトル便的なダイレクト系統として開業しました。
東金沢駅から徒歩で通学していた生徒のバス利用を見込んだものと思われ、23枚綴り3,000円(1回あたり120円)という割引率の非常に高い「東金沢駅~星稜高校間特定区間回数券」も発行されました。
星稜シャトル便は金沢地区全路線でもっとも短い系統となり、整理券は無発行扱い、また途中停留所の小坂西にも停車しないため、案内放送は始発地で行き先も告げずに開口一番いきなり『つぎは終点、金沢星稜大学・星稜高校、星稜高校でございます。どなた様も、お忘れ物のないよう……』とコールするユニークなものとなりました。
平成15年(2003年)9月16日からは、JR東金沢駅の移転により需要が見込めるようになったためでしょうか、夕方に下校便も追加され、両方向とも運行する系統となっています。一方、平成16年(2004年)11月30日を最後に東金沢駅~星稜高校間の特定区間回数券の販売は終了となり、平成17年(2005年)3月31日をもって利用も終了となりました。
令和3年(2021年)4月1日改正で廃止されています。当初は複数の便が設定されていたものでしたが、平成20年(2008年)3月15日にJRバスが100円運賃で参入してきてからは、1往復のみの運行に縮小されていました。
▲東金沢に停車するシャトル便
平成11年(1999年)3月14日改正で[73]快速医大病院線のダイレクト便として、医大病院前→上諸江→金沢駅西口→武蔵ヶ辻→彦三→鳴和間で開業。この年4月の新学期から「星稜高校」へ乗り入れを開始しました。なお、[73]快速医大病院線とはいえ、はじめからすべて普通便としての運行でした。
平成16年(2004年)8月30日より桜丘高校前経由に変更されています。これはほかの星稜ダイレクト便ともども一斉に行われたもので、御所新橋の開通により実施されたものです。
令和4年(2022年)4月1日改正で金沢駅東通り・金沢駅東口・神宮寺経由に変更。金沢駅より[82]番のルートで星稜まで向かうコース取りになりました。
▲医大病院に停車する星稜高校ゆき
平成10年(1998年)3月15日に南部車庫→香林坊→彦三→鳴和というダイレクト便として運行を開始。平成11年(1999年)4月の新学期より「星稜高校」へ乗り入れ、南部車庫→香林坊→彦三→星稜高校として運行を開始しています。
平成15年(2003年)9月16日からはイブニングダイレクト便もスタートし、下校時刻にあわせて星稜高校発の[33]南部車庫ゆきが運行されるようになりました。
平成16年(2004年)8月30日からは桜丘高校前も経由するようになっています。
平成10年(1998年)3月15日改正で金石→武蔵ヶ辻→彦三→鳴和のダイレクト便として発足し、平成11年(1999年)4月の新学期より金石→武蔵ヶ辻→彦三→星稜高校となりました。平成16年(2004年)8月30日からは桜丘高校前経由に変更されています。
平成21年(2009年)5月31日より月~金ダイヤに限って北鉄金沢中央バス(株)が担当するようになり、金中担当であるために、なんと畝田住宅線の派生系統という形になりました。ただし土曜日については北陸鉄道(株)金沢営業所担当で温存されたため、まったく同じ系統なのに月~金ダイヤか土曜ダイヤかによって路線名が異なるという、珍妙な例となりました。
今後、北鉄金沢バス(株)が北鉄本体に吸収合併となったあとは、ふつうに四十万金石線の派生系統として統一されるのではないかと思われます。
▲金石バスターミナル
平成29年(2017年)4月1日改正で、かねてから金石→金沢星稜大学・星稜高校ゆきモーニングダイレクト便の続行便として臨時運行されていた便が本便として運行されるようになりました。本格運行化により、もとからの便より時間をずらして発車するようになり、また経路もアレンジされ、六枚交差点を左折して金沢駅、神宮寺経由という、鳴和・増泉線のようなコースで運行されるようになりました。
平成11年(1999年)3月14日に松任線のダイレクト便として南松任→武蔵ヶ辻→彦三→鳴和間でスタート。この年4月の新学期より「星稜高校」停留所への乗り入れが開始されました。
平成14年(2002年)1月8日から千代野ニュータウン始発に変更され、千代野線に帰属する系統に変更。平成16年(2004年)8月30日からは桜丘高校前経由に変更されています。
令和7年(2025年)3月15日改正で廃止となりました。IRいしかわ鉄道(株)西松任駅の開駅によって、直接、東金沢駅まで移動できるようになったことが大きく影響していそうです。電車に任せられるところは電車に。乗務員不足時代には、そのような考え方の変化も必要なのでしょう。
▲千代野ニュータウン
平成11年(1999年)4月の新学期から、従来、鳴和ゆきだった便が延伸され、上荒屋西→保古町→武蔵ヶ辻→彦三→星稜高校のモーニングダイレクト便として運行を開始。平成15年(2003年)9月16日からはイブニングダイレクト便もスタートし、下校時刻にあわせて星稜高校発の[50]上荒屋西ゆきが新設されました。
このように、当初はダイレクト便だったのですが、平成16年(2004年)8月30日の御所新橋開通により日中にもごく普通に運行されるようになり、従来は上荒屋西発鳴和台ゆきだった便のうち、月~金11本、土日祝6本が金沢星稜大学・星稜高校ゆきに、鳴和台発上荒屋西ゆきだった便のうち、月~金9本、土日祝8本が金沢星稜大学・星稜高校始発に振り替えられました。この時点で、もはやレギュラー便といって等しい存在となっていました。
平成18年(2006年)2月25日からの御所ニュータウン乗り入れにより、ふたたび朝夕中心の運行へ戻っていますが、依然として日中の運行も継続されています。
▲金沢星稜大学・星稜高校バス停
平成11年(1999年)4月の新学期より、従来、鳴和ゆきだった便が延伸され、キリンビール工場→やすらぎ→保古町→武蔵ヶ辻→星稜高校のモーニングダイレクト便として運行が開始されました。当初は保古町経由でした。平成16年(2004年)8月30日からは桜丘高校前への通学にも対応されています。
平成19年(2007年)4月29日改正で押野陸橋を経由しての有松経由に変更され、同時に[55]番という路線番号へ変更されました。星稜出身の元大リーガー・松井秀喜さんの背番号だった「55」を名乗る星稜高校ゆきの誕生でした。
平成22年(2010年)9月1日より、キリンビール工場への運行廃止に伴って、やすらぎホーム前始発に変更。その後、平成31年(2019年)4月1日改正で廃止となりました。
平成11年(1999年)3月14日改正で、神野町→上安原→入江→富本町→香林坊→彦三→鳴和のモーニングダイレクト便が設定され、この年4月の新学期より、「星稜高校」へ乗り入れました。平成16年(2004年)8月30日からはほかの星稜ダイレクト便同様に桜丘高校前経由に変更され、桜丘高校への通学にも対応されました。
この系統は厳密にはダイレクト便ではなく、学校を通り抜ける形での運行ですが、 平成16年(2004年)8月30日の御所新橋開通とともに、[82]鳴和・増泉線の平日朝夕(土曜日は昼)の登下校時に金沢星稜大学・星稜高校・桜丘高校経由便が両方向で新設されました。
鉄道石川線沿線から乗り換えて通学するという利用もあると聞いたことがあります。
▲かがやく星々よ……
平成7年(1995年)9月1日、かつて広坂にあった金沢大学附属小学校が現在地へ移転したことにより運行を開始。90年代末から急増してゆくモーニングダイレクト便のなかでも最初期の導入でした。
この便は[63]番と同様のコースで中橋まで進んだあと、六枚町から金沢駅東口へ入り、なんと当時は平和町方面ののりばであった10番標識に平然と停車したあと、素知らぬ顔で平和町線と同じルート(本町経由)を運行。そこからは限りなく[20]平和町線に似通った系統として金附へ向かっていました。
令和3年(2021年)4月1日改正で廃止されています。
▲金大附属学校自衛隊前バス停
平成7年(1995年)9月1日、大野港始発便とともに運行を開始していますが、こちらの桂町始発便は金沢駅は経由しない便となっていました。平成21年(2009年)5月31日改正で廃止されています。
平成12年(2000年)3月26日改正で、大野→香林坊→有松→泉が丘→市総合体育館前→二水高校前→金附自衛隊前という経路で登場。大野方面からはすでに寺町経由のダイレクト便が運行されていましたが、それに付け加える形で、さらに充実することとなりました。なお、学期休み期間の明ける同年4月6日から運行開始となっています。
終点となっている金附小中学校のみならず、泉丘高校、二水高校への通学にも便利な便となっています。
▲大清
大野→二水→金附自衛隊前間ダイレクト便は盛況により金石始発の続行便が臨時増発されていましたが、これが平成26年(2014年)4月1日改正で本便化されたものです。金石地区からの通学生が増加しているのかも知れませんね。
金石を大野始発便の1分前に出発し、[快速]便として運行。片町までは各停ですが、片町の次はいきなり市総合体育館前までスキップし、あとは二水高校前、金附自衛隊前の順で運行します。
平成11年(1999年)12月1日、金大附属小・中・高校などへの通学に対応して、野々市車庫(現:押野三丁目)→伏見橋→有松→泉が丘→市総合体育館前→二水高校前→金大附属学校自衛隊前間で運行が開始されました。伏見橋より横川交差点を直進し、有松経由で運行。泉丘高校、また二水高校への通学にも便利な通学系統となっています。
平成12年(2000年)3月26日改正で野々市駅始発に延伸されています(学期休み期間明けの4月6日から運行開始)。野々市駅からは当時の[46]番のルートを選び、押野中央から伏見橋にかけては野々市車庫、西野々市、東野々市、押野ととてつもなく大きく迂回するコースをたどるため、直線距離ではバス停ひとつ分のところを17分もかけて運行する奇抜な系統となりました。
したがって、押野中央で一旦下車し、伏見橋(県道市内方向)から同じバスに再度乗ることが簡単にできてしまいそうです。
野々市駅で整理券を取り、かつICaをタッチし、押野中央で現金で下車、徒歩で伏見橋へ移動し、ICaにはタッチせずに乗車、そして下車時に野々市駅でタッチされたICaを使って降りると……。ICaには乗車地、降車地、利用時刻の利用履歴が残りますので、押野中央~伏見橋間でのアリバイが成立してしまいます。(めいわくなことはやめましょう)
▲複雑な経路のダイレクト便
平成23年(2011年)12月1日より、冬季の通学ダイレクト便として学期休み期間を除く冬季(12月~2月)の月~金のみ、野々市駅~太平寺~野々市消防署前(現:白山町)~菅原小学校前~金沢工業大学~錦丘高校前~円光寺~泉丘高校前~二水高校前~金附自衛隊前という経路の便が運行を開始しました。
金附のみならず、二水、泉丘、錦丘の通学にも対応した広域ダイレクト便でした。車内放送では「野々市横断ダイレクト便」と案内されていました。
野々市線とほとんど関連性のない経路にもかかわらず、なぜか野々市線の派生系統となっていたのですが、この便は平成22年(2010年)12月1日~翌平成23年(2011年)3月24日までの間、期間限定の交通実験便として運行された「実験線」が本格運行化されたものです。
野々市駅発が1本、金附発が2本で、学校ダイレクト便の帰り便は設定がないことが多いなか、帰り便が2本も用意されているのが特徴でした。
しかし、折からの運転士不足の影響により、令和4年(2022年)12月1日~令和5年(2022年)2月28日にかけての運行は中止に。それ以降、運行されることはなく、正式に廃止となってしまいました。
▲野々市駅に到着した野々市横断ダイレクト便
平成11年(1999年)12月1日、上荒屋西→西金三丁目→西金沢駅→泉新町→有松→泉が丘→市総合体育館前→二水高校前→金大附属学校自衛隊前という奇抜な経路でスタート。西金三丁目より先は廃止された[53]西金沢経由便の西金三丁目→(太郎田踏切)→西金沢間という経路を辿るもので、廃止区間の復活ということができました。道幅が狭い上に踏切が2か所もあり、渋滞が著しい区間ということもあって、当初は中型バスによる運行となっていました。
現在は大型バスによる運行となっています。
▲かつて使われていた方向幕
平成12年(2000年)3月26日改正で新設。学期休み期間の明ける同年4月6日から運行開始となりました。
みどり二丁目→新神田→増泉→泉本町→西泉→泉新町→有松→泉が丘→市総合体育館前→二水高校前→金大附属学校自衛隊前ゆきという奇抜なルートで、増泉から先のコースは、かつて存在した[55]西泉平和町線をほうふつとさせます。
▲西泉-Aはこの便だけが停車します
この系統は令和7年(2025年)3月15日で新設されたばかりの新しいモーニングダイレクト便で、“上荒屋へ行かない上荒屋線”です。柳橋→彦三→香林坊→広小路→金大附属学校自衛隊前という経路で運行されます。
柳橋から金附へは、もともと[83]石引線が運行されているのですが、これに加えて、新たに彦三・香林坊経由のダイレクト便として登場しました。武蔵ヶ辻・近江町市場からは、それまで“三密”対策として7時30分頃に武蔵始発で差し込まれていた金附自衛隊前ゆき臨時増発便と似通ったダイヤで運行されており、実質的にその発展形という格好になりそうです。
当初、「シティライナー」は香林坊・武蔵ヶ辻・金沢駅西口という都心軸を経由して県庁へ至るという定義であったため、これら各地からの県庁ダイレクト便も「シティライナー便」と称され、車内放送でもそのようにコールされていましたが、いまは野町駅~県庁方面の電車接続便だけを「シティライナー」とする方針に転換されたことから、そのようには呼ばれなくなっています。
いずれの系統も、県庁前ゆき、金沢西高校ゆきは[06]番、県庁前経由中央病院ゆきは[07]番として運行されます。
平成15年(2003年)1月6日、新県庁アクセスに対応して、東部車庫→橋場町→金沢駅西口→県庁前間および錦町(マンション前)→橋場町→金沢駅西口→県庁前間のダイレクト便が新設されました。当時の[11]番は金沢駅西口発着の路線だったため、ほかの路線からの県庁乗り入れ便と異なり、金沢駅では往路・復路とも金沢駅西口のみ経由。金沢駅西口~武蔵ヶ辻間は六枚町経由としていました。
その後、遅くとも平成18年(2006年)頃までに、県庁前→東部車庫および県庁前→錦町のイブニングダイレクト便のみの運行となりました(往路は犀川線の上辰巳→県庁前に集約)。また、その後、県庁前→錦町間の便はいち早く廃止となっています。
平成20年(2008年)12月21日改正で[11]番が金沢駅東口発着に戻されたのにあわせ、金沢駅西口から金沢駅東通り・金沢駅東口・リファーレ前経由に、つまりほかのイブニングダイレクト便と同様の経路になりました。
平成31年(2019年)4月1日改正で廃止されています。なお、この系統では、なぜか県庁前発車時の行き先案内で『東部車庫ゆき、普通便です』とコールされていました。はじめ「シティライナー便」とコールしていたものの、香林坊を通らないためシティライナーの定義を満たしていないということで、「普通便」に修正したのではないでしょうか。
▲県庁ダイレクトが華やかだったころ
平成15年(2003年)1月6日より、駒帰~東部車庫~橋場町~金沢駅西口~県庁前間のダイレクト便として新設。1往復の運行で、当初はなんと駒帰発着でした。当時の[16]番は金沢駅西口発着の路線だったため、[11]番のダイレクト便と同様に、金沢駅では往路・復路とも金沢駅西口のみ経由していました。
平成20年(2008年)12月21日改正で[16]番が金沢駅東口発着に戻されたのにあわせ、県庁前→上辰巳の便は金沢駅西口より金沢駅東通り・金沢駅東口・リファーレ前経由となりました。
平成22年(2010年)4月1日改正で往復ともに上辰巳発着に短縮されています。いまでは駒帰へのバス運行そのものが消えてしまいましたね。
なお、来る令和8年(2026年)3月改正で東部車庫~上辰巳間が廃止されることになっていますので、この系統にも動きが出るものと思料されます。
金沢駅では県庁前ゆき、湯谷原ゆきともに金沢駅西口と東口の両方を経由していましたが、平成15年(2003年)3月10日から県庁前ゆきについては金沢駅東口への立ち寄りをやめ、六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更され、ラッシュ時の遅延対策が図られています。
令和4年(2022年)4月1日改正で太陽が丘ニュータウン発着に短縮され、これが最後の姿となり、令和5年(2023年)4月1日改正で廃止となっています。
平成12年(2000年)3月26日、東部車庫→本多町→金沢駅西口→中央病院(映寿会病院)のモーニングダイレクト便として新設。まだ石川県庁が移転する前の開始であり、県立中央病院の受付時間前に到着することで診察や見舞い客などの利便性を高める狙いで設定されたものだったようです。
そして平成15年(2003年)1月6日に県庁が移転。中央病院ゆきのモーニングダイレクト便が「県庁前」へ乗り入れ、また新たに東部車庫→本多町→金沢駅東口→金沢駅西口→県庁前どまりの便も開設。夕方と夜間には県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→本多町→東部車庫のイブニングダイレクト便も新設されました。
平成15年(2003年)3月10日から、県庁前ゆきについては金沢駅東口への立ち寄りをやめ、六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更。ラッシュ時の遅延対策が図られています。
令和6年(2024年)3月16日改正で夕方の県庁前からのイブニングダイレクト便が廃止され、県庁前ゆきおよび中央病院(映寿会病院)ゆきのモーニングダイレクトのみとなりました。
▲県庁バス広場
平成15年(2003年)1月6日、松任CCZ温泉・千代野ニュータウン~有松~香林坊~金沢駅東口~金沢駅西口~県庁前・中央病院間のダイレクト便として新設。当初、県庁ダイレクト便のなかではもっとも手厚い運行となっており、複数便が運行され、夕方の県庁前発には松任CCZ温泉ゆきがあったり、また中央病院→県庁前→金沢駅→千代野ニュータウンという便や、県庁前を22:50発という準深夜に出発する千代野ニュータウンゆきまで設定されていました。
当初、県庁前ゆきについても金沢駅では東口・西口の両方に停車していたものの、平成15年(2003年)3月10日より六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更されています。
平成19年(2007年)4月29日改正で海幹経由の新ルートに一本化される形で、千代野線の有松経由でのダイレクト便は全便が廃止されました。
平成19年(2007年)4月29日改正で千代野~県庁前間のダイレクト便が海側幹線経由に変更され、初の海幹走行路線が誕生しました。
経路は県庁前~市立工業高校東口~金沢西高校~みどり中央~尾山台高校(現:金沢龍谷高校)~矢木~やすらぎホーム前~宮永市~新田~松任~茶屋一丁目~北安田南~千代野東一丁目~(各停)~千代野ニュータウンで、県庁前ゆき1本、千代野ゆきは2本の1.5往復体制。松任方面から西高、市立工、尾山への通学にも便利な便となっていました。
また、普通便扱いとはなっていたのですが、経路上にある藤江北、上安原、宮永には停車せず、少し快速便的な色彩も帯びていました。金沢西高校を出たあといきなりみどり中央というのも面白かったですね。
ほくてつバス(株)北部営業所南部支所が担当し、当初は特急バスタイプの車両(24-391号車)が用意され、豪華な通学・通勤が供されていました。
▲まさかの特急車両登用
なお、特急車による運用は長く続いたわけではなく、平成20年(2008年)12月21日改正で一般路線車による運行に切り替えられました。
平成28年(2016年)4月1日改正で本体の南部支所へ移管されたあと、平成30年(2018年)4月1日改正で朝の県庁前ゆき片道のみに変更され、夕方に存在していた県庁前発千代野ゆきのイブニングダイレクト便は2本とも廃止に。そして平成31年(2019年)4月1日改正でとうとう全廃となってしまいました。
これにより、県庁移転時より連綿と続いてきた千代野~県庁間のダイレクト便は全て姿を消しました。
かつては準深夜帯にまで設定されたこともあった県庁ダイレクトの終焉……。ニュータウン完成時に入居したマイホーム世代が次第にリタイヤしていき、かつてのような旺盛な通勤需要が減退したためという側面も否定できないでしょう。
▲晩年は本体担当に
平成15年(2003年)1月6日改正で、それまで稲荷→有松→金沢駅間で運行されていた[急行]が県庁前まで延伸され、県庁への急行モーニングダイレクト便として運行されるようになりました。片道のみの設定でした。
この[急行]はパーク&バスライドシステム「Kパーク」に特化した通称“Kパーク急行”を発祥としており、[特急]便ですら停車していた有松を通過するという、珍しい速達便でした。停車停留所は稲荷、太平寺、野々市中央、横宮、泉一丁目、広小路、片町~(各停)~県庁前としていました。
県庁前ゆきは平成15年(2003年)3月10日より六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更されています。
平成26年(2014年)4月1日より停車停留所はそのままで[快速]に格下げ。平成28年(2016年)4月1日改正で普通便に変更され、令和3年(2021年)4月1日改正で廃止となりました。これにより、野々市市内から県庁へのダイレクト便は皆無となりました。
▲始発地だった稲荷バス停
平成15年(2003年)1月6日、千代野ニュータウン→北安田→上荒屋西→新神田→大豆田→金沢駅西口→県庁前という奇抜なコースで登場。千代野ニュータウン始発にもかかわらず上荒屋線として、ほくてつバス(株)北部営業所が担当していました。海側幹線もない時代に、早朝の千代野までの回送は大変だったことでしょう。
なお、この系統は片道のみの運行となっていました。復路については[57]黒田線の本便を利用して欲しいということだったのでしょう。
北安田~上荒屋西間は無停車で、県道186号・倉部成線を北上(めぐーるの成五区、北成区)し、竹松交差点を右折、旧[55]キリンビール系統のルートを通り、やすらぎホーム付近から上荒屋西へ向かうコース取りだった可能性がありそうです。
平成19年(2007年)4月29日改正で廃止されました。
▲上荒屋線ダイレクト便の方向幕
平成15年(2003年)1月6日、野々市車庫~東野々市~西泉~香林坊~金沢駅東口~金沢駅西口~県庁前間のダイレクト便として、1往復体制で運行を開始しています。
平成15年(2003年)3月10日より県庁前ゆきは六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更されています。
平成24年(2012年)4月1日より、往路・復路ともに野々市市役所発着に変更。平成31年(2019年)4月1日改正で廃止されました。
平成15年(2003年)1月6日、旭町→兼六園下→本多町→新竪→富本町→金沢駅西口→県庁前および県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→富本町→新竪→本多町→兼六園下→旭町→金沢大学(角間キャンパス)の系統として1往復が運行されました。
平成20年(2008年)4月27日改正で往路・復路ともに廃止されています。いまでは新竪経由の[91]旭町線そのものが鬼籍に入りましたね……。
▲シェルターもあった新竪町
平成12年(2000年)3月26日、田上住宅→鈴見台二丁目→金沢駅西口→中央病院(映寿会病院)のモーニングダイレクト便として開設されました。当初は通院・お見舞いの利用者にあわせ病院の受付開始前に到着することができる病院ダイレクトでした。
平成15年(2003年)1月6日より新県庁移転にあわせて県庁前を経由するようになり、また夕方には県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→鈴見台二丁目→田上住宅のイブニングダイレクト便も新設されています。
平成18年(2006年)4月29日からは、朝の中央病院ゆきモーニングダイレクト便が[06]金沢西高校ゆきに一新され、通学にも便利な系統へ発展しました。県庁前からは工業試験場口、金沢西高校の順で運行し、藤江北は通りません。
平成20年(2008年)12月21日改正で往路・復路とも朝霧台発着として延伸されています。
令和6年(2024年)3月16日改正で夕方の県庁前からのイブニングダイレクト便は廃止されました。
▲金沢西高校ゆき
平成12年(2000年)3月26日より、病院へのダイレクト便として朝に金大附属学校自衛隊前→広小路→新神田→大豆田→金沢駅西口→中央病院(映寿会病院)、および夕方に工業試験場→中央病院→映寿会病院→金沢駅西口→大豆田→新神田→広小路→金大附属学校自衛隊前のダイレクト便が新設されました。金附発着ですが、通学には関係していません。
このうち朝の中央病院ゆきは公務員宿舎のある平和町から新神田合同庁舎への通勤需要にも対応したダイレクト便です。当初は[64]番の路線番号を掲出して運行されていました。
平成15年(2003年)1月6日より県庁前にも停車するようになりました。ただ、工業試験場から金附自衛隊前ゆきのイブニングダイレクト便については、この改正時点では県庁バス広場へは乗り入れず、50m道路上のポール(能登方面からの金沢駅方向が停車していたのりば)での乗車扱いとなっていました。
平成15年(2003年)4月27日改正で夕方の工業試験場→金附自衛隊前便が金沢西高校、市立工業高校東口経由に変更されるとともに、県庁前ののりばもターミナル内へ変更されています。
▲工試
平成23年(2011年)4月1日改正で、金沢駅西口を朝8:13に出る新神田経由の金大附属学校自衛隊前ゆきというものが登場しました。厳密にはダイレクト便ではありませんが、ダイレクト便のコースを逆に走る区間便的な異色系統でした。
これは朝の時間帯に金沢駅西口から新神田合同庁舎へのアクセス強化が要望されたことにより設定されたものでしたが、平成24年(2012年)4月1日改正で、わずか1年で廃止となっています。要望によって新設されたにもかかわらず、実際に運行してみるとほとんど利用者がいなかったようで、要望はしても実際に乗らないことには意味がないということを明示する、皮肉な結果となりました。
▲金大附属学校自衛隊前
平成12年(2000年)3月26日、光が丘住宅→金沢国際ホテル→泉野三丁目→金沢駅西口→中央病院(映寿会病院)の[快速]として新設。当初は県立中央病院・映寿会病院への通院の利便を図った病院ダイレクト便としての誕生で、このころは[64]番という路線番号での運行となっていました。
平成15年(2003年)1月6日より県庁前経由に変更され[07]番に。光が丘住宅→金沢国際ホテル→泉野三丁目→金沢駅西口→県庁前→中央病院(映寿会病院)の[快速]となり、また県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→泉野三丁目→金沢国際ホテル→光が丘住宅のイブニングダイレクト便(各停)も設定されました。
令和3年(2021年)4月1日改正で金沢国際ホテル経由の県庁ダイレクト便は全廃され、光が丘口経由の系統に統一されています。
▲光が丘住宅には停車停留所一覧も掲出
平成15年(2003年)1月6日、石川県庁の移転により光が丘住宅~光が丘口~泉野三丁目~金沢駅東口~金沢駅西口~県庁前間のダイレクト便として両方向で運行を開始。[06]県庁前ゆきは[快速]、光が丘住宅ゆきは各停となっていました。
県庁ダイレクト便は、当初は県庁前ゆきについても金沢駅では東口・西口の両方に停車していましたが、ラッシュ時ということもあり遅延の原因となったためか、平成15年(2003年)3月10日より六枚町経由で金沢駅西口のみの停車に変更されています。
令和3年(2021年)4月1日改正で金沢国際ホテル経由の県庁ダイレクト便が全廃されるにあたり、[快速06]県庁前ゆきは[快速07]中央病院ゆきに変更の上、2便体制となりました。このとき、イブニングダイレクト便も光が丘口経由光が丘住宅ゆきの2便となりましたが、こちらはのちに1本のみに減便されています。
▲夜の光が丘住宅……
平成15年(2003年)1月6日、四十万金石線で朝夕に県庁前経由便というものが新設され、厳密にはダイレクト便ではなく通り抜ける形ながら、ダイレクト便同様の機能を持つ系統として双方向で運行が開始されました。
運行は朝に南四十万二丁目→寺地→金沢駅西口→県庁前→松村→金石と、夕方に金石→松村→県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→寺地→南部車庫というもので、南四十万二丁目発のほうは当初は2本設定されていました。
平成21年(2009年)5月31日改正で夕方の金石→県庁前→南部車庫の便が廃止され、朝の南四十万二丁目→県庁前→金石の便も1本のみに減便されています。また、令和2年(2020年)4月1日改正で中四十万~南四十万二丁目間が廃止となったため、始発地が南部車庫に変更されました。
この系統は令和8年(2026年)3月改正で廃止されることが、すでに発表されています。
▲南部基地
平成15年(2003年)1月6日より、みずき四丁目~木越住宅~田中口~金沢社会保険病院~金沢駅西口~県庁前間で運行が開始されています。モーニング、イブニングともに設定されていましたが、残念ながら利用は限られており、おもにプチラビットによる運行となっていました。
平成22年(2010年)4月1日改正で廃止されました。
▲このようなプチがダイレクト便にも使用されていました
平成15年(2003年)1月6日、柳橋→神宮寺→金沢駅西口→県庁前および工業試験場→県庁前→金沢駅西口→金沢駅東口→神宮寺→柳橋間の新路線として運行を開始。鳴和・増泉線に酷似したルートながら、北鉄金沢中央バス(株)による運行となったために「柳橋・県庁線」という独立した路線としてスタートしました。
通称「やなけん」と呼ばれ、県庁前ゆきは路線番号なし、柳橋ゆきは鳴増と番号をあわせて[82]番として運行されていました。
平成18年(2006年)4月29日からは夕方の柳橋ゆきが無量寺町バス停近くにあった「消費生活支援センター」始発として延伸されています。
朝の県庁前方向は金沢駅東口を経由せず、中島大橋の次は金沢駅東通り、金沢駅西口の順での運行。晩年は金沢駅東通りの金沢駅西口方向のりばに停車する唯一の便となっていました。
令和2年(2020年)4月1日改正で、あえなく往復とも廃止となりました。なお、この改正では消費生活支援センターバス停そのものも廃止されています。
▲消費生活
平成9年(1997年)2月16日改正で、松島→入江→富本町→香林坊→金沢駅西口→工業試験場と、まるでコの字を描くような変わったコース取りのダイレクト便として運行を開始。モーニングダイレクト便としては初期の開設でした。おそらく、金沢西高校への通学の便宜を図った系統だったものと推測されます。
平成22年(2010年)4月1日改正で廃止となっています。
▲[64]番ならぬ[54]番
平成24年(2012年)4月1日改正で、野町駅→香林坊→金沢駅西口→県庁前→金沢西高校→工業試験場間で運行が開始されました。路線番号は[04]番であり、畝田住宅へ行かないにもかかわらず畝田住宅線の派生系統となっていました。畝田住宅線は、こんなのばっかりですね。
この系統はもともとは香林坊始発だった便を野町駅始発に変更したもので、香林坊アトリオ裏のりばの廃止により待機場所を失ったため、苦肉の策として野町駅待機に変更。回送を兼ねて野町駅から営業するようになったという経緯を含んでいます。
令和3年(2021年)4月1日改正で鉄道石川線の運行本数削減が行われるに際し、廃止されています。
この系統は正確には「モーニングダイレクト便」ではなく、もともとは日中も普通に両方向で運行されていたレギュラー系統だったものが縮小を繰り返した末、いまでは実質的にモーニングダイレクト便そのもののような運行形態に成り果ててしまったものです。
平成12年(2000年)3月26日に新設された当初は、本津幡~円光寺が月~金5往復、日祝4.5往復と、新太田→円光寺の区間便が月~金のみ片道1本という体制でした。が、平成16年(2004年)4月25日時点ですでに本津幡~円光寺は月~金のみ1往復となり、平成26年(2014年)4月1日改正で新太田→円光寺の便が本津幡駅始発に延伸されたものの、令和2年(2020年)4月1日改正で、もとから本津幡駅発だったほうの便が消滅。令和5年(2023年)4月1日改正で円光寺発本津幡駅ゆきが廃止され、完全なモーニングダイレクト便に変貌しました。
▲反対方向の便も近年まで存在しました
松任中奥線は千代野ニュータウンから複数の学校の最寄り停留所を経由し、香林坊で終点となる複数学校対応の通学ダイレクト路線です。朝に金沢方面へ走り、夕に松任方面に戻るダイヤとなっています。
平成10年(1998年)3月15日の大改正で開業。金沢市近郊の市町を経由しながら複数の学校の最寄りバス停に停車しつつ、市内中心部を目指すという異色のダイレクト便で、このような路線は北陸鉄道(株)としても初の試みだったということです。
高校は松任、明倫、錦丘、泉丘、二水、金附、遊学館、県工の8校、また金沢工業大学、金附小・中学校の通学にも対応しており、つごう11校も経由しているため、運行経路は非常に複雑です。
▲石川線の踏切を渡るシーンも……
令和3年(2021年)4月1日改正では松任方面の路線が日中30分ヘッドに減便、かつてのKパーク急行の末裔であった[06]稲荷→県庁前のモーニングダイレクト便も廃止と淋しい話題が目立ちましたが……、その一方、千代野線で通勤・通学時間帯のみの新系統[49]番が登場しました。
千代野ニュータウンから相木団地を経て太平寺より野々市小学校前、菅原小学校前、金沢工業大学、錦丘高校前、泉丘高校前などを経由するもので、しかも泉野三丁目経由で金沢駅方面へそのまま運行。千代野線と野々市円光寺線をミックスしたような非常に意欲的で斬新な経路となっています。復路便も設定されており、新時代のダイレクト便といえるでしょう。
相木エリアにも乗り入れ
白山麓から金沢市南郊の高校へ結ぶもので、もともと中宮線で運行されていた白山一里野~国道157号線経由~鶴来駅間の「特別便」を延伸する形で、遅くとも平成9年(1997年)12月1日までに開設。はじめは白山一里野~白山中宮~瀬女~黄門橋~鶴来駅~工業大学前~錦丘高校前間というものでした。
まだ加賀白山バス(株)が金沢地区に進出する前ということもあって、金沢市内で唯一の白山バス乗り入れ路線となっており、非常に珍しい存在でした。当時の停留所の時刻欄には、わざわざ「加賀白山バス」と記載されていたほどです。
当初は鶴来駅前以降の停車停留所が鶴来警察署前、明倫高校前、工業大学前、錦丘高校前のみにしぼられており、しかもこの間、錦丘高校前ゆきは降車のみ、白山一里野ゆきは乗車のみのクローズドアとしていた模様です。
また、はじめは往路・復路ともに黄門橋(国道157号線)経由で運行されていましたが、遅くとも平成18年(2006年)12月1日までに錦丘高校前方向のみ白山下・釜清水・上野・瀬木野経由に変更され、往路と復路で経路が異なる路線に変化しました。
平成19年(2007年)4月1日、白山麓の路線再編により起終点が瀬女までに短縮されましたが、尾口・吉野谷・河内地区から下宿なしで金沢の高校へ通うことを可能にしたホットラインとして活躍が続きます。
▲鉄道金名線の役目も負います
尾山台高校は現在の「金沢龍谷高校」です。もとは市中心部の尾山町にあったのですが、平成元年(1989年)12月に上安原町へ移転。これを機に通学便が整備されるようになりました。千代野から運行されていた海幹経由の県庁ダイレクト便も、その機能を兼ね備えたものでした。しかし、同校では学校側でスクールバスを多数運行させており、いまでは北鉄バスのダイレクト便は皆無となっています。
平成元年(1989年)11月30日、私立尾山台高校の郊外移転に対応し、その通学便として鳴和→橋場町→兼六園下→香林坊→新神田→みどり一丁目→尾山台高校間の便が新設されました。安原線にもかかわらず、当初は柳橋営業所が担当していたそうです。モーニングダイレクト便の嚆矢といえる系統でした。
平成13年(2001年)3月4日より北鉄金沢中央バス(株)へ管理委託されたのち、平成14年(2002年)4月1日改正で廃止されました。
▲尾山台高校
この系統は、モーニングダイレクト便というものが生まれるはるか以前の昭和55年(1980年)1月に、平和町→新神田→松島間の直通便として新設されました。平成元年(1989年)版の北陸鉄道バス運賃表(タリフ)では「安原C線」と記載されていました。
昭和55年(1980年)1月14日に新神田バス停近くに「金沢第二地方合同庁舎」(現在の新神田合同庁舎)がオープンしていますので、平和町にある公務員宿舎からの通勤に便利な系統として設定されたものだったのかも知れません。なお、古くは新神田→平和町の復路便も設定されていました。
平成7年(1995年)2月より尾山台高校まで延伸され、平和町・寺町から尾山台高校への通学路線として進化しました。が、遅くとも平成12年(2000年)3月26日までにみどり二丁目ゆきに変更。謎のダイレクト便として長らく残っていましたが、令和5年(2023年)4月1日改正で廃止されました。
▲いまの龍谷高校はスクールバスが四通八達
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