第107話 母の罪悪感&美雪と屋上

―美雪母視点―


 看護師さんにほぼ無理やりベッドに戻される。いつの間にか美雪はいなくなっていた。


 絶対に安静ですよ。

 そうきつく言い渡されたが、ここでじっとしていることなんてできるわけがない。


 私がどこで育てかたを間違えてしまったんだろう。英治君に、私と同じような苦しみを味合わせてしまったことへの罪悪感がずっと心を縛り付けている。


 私が青野さんの優しさに甘えすぎていたことがいけないんだと思う。

 女手一つで、美雪を育てるために、私は仕事を頑張った。青野さんは、それに理解を示してくれて、美雪のことを実の娘のように可愛がってくれた。


 私が仕事で留守の間に、美雪が寂しくないようにいろんなサポートをしてくれた。それがどんなにありがたかったか、言葉にはできない。身寄りもなく、家族2人だけの私たちにそんな手を差し伸べてくれる人たちへの感謝を忘れるわけがない。


 そんな優しさに甘えてしまった。常に言葉にしていたはずなのに、美雪にもきちんとそれを伝えるようにしていたつもりなのに。


「英治君のことは大事にしなさい」

「青野さんのお母さんは、私たちにとっても恩人なんだからね」


 それが重荷になってしまったんだろうか。心の中で、英治君になら美雪を任せることができると安心していた。あの人とは違う包容力と優しさを持っている彼なら、美雪のことを絶対に幸せにしてくれる。彼が幼馴染で本当に良かった。幸せな未来は約束されている。その幸せな未来は、たしかに、そこに存在していた。


 もしかしたら、言えなかっただけでそれに反発心が生まれていたのかもしれない。


 自分の人生のレールがずっと続いていることに……


 結局、美雪は自分の父親に似た男を選んでしまった。なんという運命の皮肉なのだろう。


 せめて、謝罪だけはしたい。でも、それが向こうにとっては迷惑になるかもしれない。今まであんなに近くに入れてくれていた人たちの家が、とてつもなく遠くにあるように感じる。


 涙がゆっくりと流れていき、布団を汚していく。



 ※


―美雪視点―


 私は病室を逃げ出した。本当の絶望に気づいていなかった。自分は甘えた考えだった。お母さんをあんなに傷つけてしまった。それがどうしようもなく怖かった。


 英治のことを思い出す。英治のお母さんのことも思い出す。2人は、私にとっても恩人だったはずなのに……それを忘れて、恩を仇で返した結果になった。どうして、こうも自分は愚かなのだろう。大事なことを忘れてしまうのだろう。一時の恋愛の炎に身を焦がされて、すべてを捨ててしまった。


 あの時、近藤先輩に殴られて倒れたエイジに寄り添えたら少しは、気持ちは軽くなったんだろうか。


 違う。そうじゃない。そもそも、浮気なんかしなければ……火遊びなんて言葉でごまかさずに、自分の一番大事なものを手放そうとしなければ、こうはならなかったと思う。


 想像しなかったといえば嘘になる。英治とこのままずっと添い遂げる未来を。それはとても温かくて、優しい未来だったはずなのに。


「どうして、こんなにバカなんだろう」

 自己嫌悪と罪悪感。そして、英治やお母さんを巻き込んでしまったことへの申し訳なさ。大好きだった人を、死の寸前まで精神的に追い込んだ事実。


 お母さんに言われて、罪の重さを自覚する。

 もう、自分なんて死んじゃえばいい。もう、学校に居場所がない。英治やお母さんの信頼も失ってしまった。友達もみんないなくなった。


 あとに残されているのは、罪の意識と消えない自己嫌悪。


 一度家に帰って、制服に着替えた。そして、外に出る。


 いつの間にか学校に足が向かってしまった。ここは楽しい思いでしかない。通学路もそうだ。英治と一緒に毎日笑いながら、通った思い出が今では心を傷つける凶器になっている。


 もう終わりにしよう。

 裏口に回って、学校の中に忍び込む。まだ、授業中だから、廊下には誰もいない。謹慎中だから、ここに入ってはいけないはずなのに、そんなことはどうでもよかった。


 せめて、最期は楽しかった思い出の場所を見ながら、終わりたい。

 開いていなかったらあきらめよう。違う場所に移動すればいい。

 屋上に続く階段をしずかに登る。


 なぜか、屋上の扉は開いていた。普通なら施錠されているはずなのに。

 青い空が広がっている。その美しさすら自分にとっては断罪の象徴だと思う。


 しかし、そこには先客がいた。

 私が知っている人だ。


 手放してしまったものを、すべて持っている人がゆっくりとこちらに振りかえる。

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