第98話 父親代わりの兄
―一条愛視点―
先輩のお母さんに抱きしめられて、幸せな気持ちがこみあげる。
母が亡くなる前までは、家族仲は良かったと思う。私は、今、自分が失ってしまったものをまた手に入れることができた。善意から与えられる愛の温もりと安心感に、不安が溶けていく。
先輩は、このお母さんや亡くなったお父さんに愛されて育ったから、あんなにやさしいんだと思う。私のことを、自分自身の危険すら超えて助けてくれた。
いつも、私に感謝してくれるけど、それはただのお返し。命を懸けて、この幸せな場所を教えてくれた彼に、こちらこそ何度、感謝を伝えても伝えきることはない。
「愛ちゃん。今まで、頑張ったね。あなたが頑張ってくれたから、今があるのよ。お願いだから、甘えて」
その言葉を聞いて、自分の中の気持ちが爆発した。お母さんの服を汚してしまうほど、素直に感情をぶつけて、赤ちゃんのように泣きじゃくる。たぶん、部屋に帰ってから、恥ずかしくなるはずなのに。止めることはできなかった。
大好き。
こんな温かい世界があることを教えてくれた先輩に対しての気持ちはさらに大きくなる。
※
―エイジ視点―
「おい、英治。サトシ君のハンバーグできたぞ。大好きなデミグラスソースに目玉焼きも載せておいたから、取りに来てくれ」
兄さんがキッチンから叫ぶ。母さんは一条さんと話があるらしい。だから、俺がご飯を運んでいた。
サトシ用の大盛ご飯と巨大なハンバーグ。キッチンは幸せなデミグラスソースの香りに包まれている。俺たち兄弟にとっては父さんの香りだ。
このデミグラスソースは、父さんが創業の時に作ったものを、継ぎ足しているものだ。うちの看板メニューたちの基本的な味付けにもなる。この香りは、父さんの誇りを、兄が継いでくれた大事な家族の思い出のようなもの。
兄さんは、父さんが突然、亡くなって悲嘆にくれていた俺と母さんにこう宣言した。
「俺は、まだまだ、未熟だけど。英治が大学を卒業するまでは、俺は兄貴じゃなくて、英治の父親になる。父さんほど立派に務めることはできないかもしれないけど、弟が一人前になるまでは絶対に養ってみせる。だから、母さん。俺にキッチン青野を継がせてくれ」
そう言って、二代目店主になってからは、まだ若い20代の貴重な時間を、店と家族のためにつぎこんでくれている。休憩時間にみる海外ドラマくらいしか楽しみがないんじゃないかと思うくらいには。
俺が今の高校に入学した時、兄さんは自分のこと以上に喜んでくれた。
本当に感謝してもしきれないくらいの恩がある。
「英治、すごかったな。天国の父さんも絶対に喜んでいるよ。近藤とかいうバカなやつらは、お返しでこちらが殴ってやりたいけど、母さんに止められているんだ。俺が、もう少ししっかりしていれば、お前をもっと守ってやれたのに。ごめんな」
俺はそんな言葉をすぐに否定する。
「違うよ。兄さんは、本当に俺のために働いてくれているし。感謝しかない。いつもありがとう。兄さんがいなかったら、俺はたぶんダメになってた」
その言葉を聞いて、恥ずかしそうに目をそらす兄は、少し涙ぐんでいた。
「そっか。今日のデミグラスソースは自信作だ。お前も食べてみろ。きっと父さんも見ていてくれるからさ」
継ぎ足しのたれやソースは、だいたい3カ月で中身は入れ替わってしまうらしい。だから、父さんが作ったソースは、もう残っていないはずなのに、香りからは父さんの温もりを感じることができた。
サトシと自分のハンバーグを持って、テーブルに戻る。
「お、今日も旨そうだな。そういえば、英治。さっきからお前のスマホ鳴りっぱなしだぞ。通知来てるんじゃないか?」
そういえば、見ていなかったなと思って、カバンから取り出して起動する。
そこには、小説サイトのアプリからの大量の通知が来ていた。
数百件の感想。週間ランキングの順位上昇のお知らせ。そして、運営からの通知。
どん底だったはずの自分の人生が、今までとは別の方向に開いていく。そんな予感が心の中で生まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます