第97話 夕食会にて、母と娘

 俺が家に帰ったら、すでに南のおじさんや山田さん、一条さんが集まっていた。一条さんは今日も一緒に帰ってくれるはずだと思っていたけど、急用があるということで先に家の車で帰って、ここで待ち合わせしていた。


「おかえり、英治。表彰おめでとう、本当に自慢の息子よ」

 母さんが笑って出迎えてくれる。兄さんも無言で微笑んでいた。周囲の大人たちと一条さんもそうだ。

 事件が起きてから、色を失っていたはずの世界が、いつのまにか事件前よりも鮮やかになっていた。


「ありがとう、母さん、兄さん、みんな。皆のおかげだよ」

 皆がいてくれたからこそ、俺はあきらめずに頑張ることができた。あの時、屋上で一条さんと出会えていなかったらと想像すると、この幸せな空間に出会えなかった。運命があの場所で変わったんだと自覚する。もう、死ぬ気なんてどこにもなかった。この温かい空間でずっと過ごしていきたい。この一瞬がずっと続けばいいのに。


「さぁ、ご飯にしましょう。今日は特別に貸し切りにしたのよ。英治の好きなもの、なんでも作っちゃうわ、お兄ちゃんが」

 その冗談に皆が笑い出した。


「そうだ、サトシも部活の後にこっち来るって言ってから」

 

「そうなのね。大好きなハンバーグたくさん作ってあげないと!」

 幼馴染の好きなものはもう把握しているとばかりに、母さんは言う。


 サトシから連絡があった。どうやらサトシは、近藤先輩が警察に連れていかれる姿を近くで見たようだ。これで少しは安心できる。もう、あの人には俺の人生に関わって欲しくはないから。母さんが、俺への暴行の件で被害届を出したと言っていた。今後は裁判などで、つらい体験を証言しなくちゃいけなくなる時もあるかもしれない。それを思うと少しだけ憂鬱だけど、逃げたくはない。


 あの人は、多くの人間の人生をめちゃくちゃにしたんだから。その責任は、取らないといけないと思う。


 だから、戦う。もっと前を向くために……

 楽しい夕食会のおかげで、カバンの中のスマホが何度も幸せな通知音を流していたことに気づくのは、もう少し先のことになった。


 ※


―一条愛視点―


 食事会の途中で、先輩のお母さんから、「ふたりきりで話をしたい」と呼びだされた。少しだけ緊張しながら、休憩室に入った。


「愛ちゃん、本当にありがとうね」

 いきなり深々と頭を下げられた。


「そんな……人命救助の件は、ほとんど英治センパイが……」


「そうじゃないの。実はさっき、英治がいじめや暴力の件で、自殺を考えていたかもしれないことが分かったって、学校から連絡があったの。たぶん、取り調べをしていく中で、誰かが供述したんでしょうね」

 ずきりと心が痛む。お母さんも私も、その証言をした人物に心当たりがあった。お互いに名前を出さないだけで。


 やっぱり、言ってはいけなかった。お母さんが悲しむことを先輩の意志に反して間接的にでも伝えてしまった。後悔が心に傷をつけていく。


「……」


「あの子のことを見ればわかるわ。今は絶対にそんなこと考えていないはずだって。たぶん、あの暴力事件の後、裏切りといじめも重なって、英治は限界だったのよね。その時、衝動的に……私たちも気づくことはできなかった。いえ、踏み込んではいけないと思って、踏み込むべき時に手を差し伸べることができなかったのよ。間違えてしまった。英治を救ってくれたのは、愛ちゃん、あなたよね。いじめられていたときも、あなたは英治の味方になってくれた。それだけでも、恩人なのに、命まで救ってくれたのなら、もう感謝してもしきれない。本当にありがとう」

 

「違う、助けてもらったのは私の方で……」

 お母さんは、私の方をまっすぐ見て、すべてわかっていると頷く。


「それでも、あなたがいてくれたから、英治の命は救われたのよ。あなたがいなければ、私たち家族は、一生後悔するところだった。あなたのおかげよ」

 そう言って、実の母のように優しく抱きしめてくれた。母が死んでから、こんな安心することはなかったかもしれない。


「私の方が救われたんです。英治センパイがいなければ、私もきっと押しつぶされていたと思うから」

 何も言わず抱きしめる力が強くなる。

 やっぱり、お母さんは気づいたんだ。私が死のうとしていたことにも。夏休み明け初日の奇妙な関係に。


「こんなことを言ったら、他の家の娘さんに失礼かもしれないよね。ごめんなさい。でも、やっぱり言わなくちゃいけないと思うの。英治のこともあったから。愛ちゃん、もう、あなたは私たちの家族みたいなものだからね。私は、あなたを本当の娘以上に愛しているわ。辛いことがあったりしたら、英治のことは抜きにして、私に甘えてね。あなたは、ひとりじゃないから。私は、あなたを失ったとしても、英治と同じように一生後悔するわ」

 その言葉を聞いて、我慢していた糸が切れてしまう。亡き母の面影を見つけて、私は、先輩のお母さんに力いっぱい抱き着いた。

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