第92話 母・一条愛vsボロボロの市議
こちらが土下座を続けても、誰も何も言わない。気持ちが悪い沈黙が心をむしばむ。
「何をやっているんですか、近藤さん?」
冷たい女性の声が刺すように、こちらに向けられる。
「ですから、謝罪を……」
「何度も言いましたよね。ここから出て行けって。大事な息子と亡くなった夫が残した大切な店を傷つけようとした人間を誰が許すと思いますか。そんなことをしても無駄です。被害届は絶対に撤回しません。いえ、さきほどの脅しの件も必ず届け出します。言いたいことがあるのなら、警察や裁判所でどうぞご勝手に言ってください。ただ、こちらは聞く義務はないですよね。次は法廷でお会いしましょう」
「どうか、どうか……お考え直しください」
何度も頭を床にぶつける。
頭がヒリヒリして、ほんのり血が流れている。
「見苦しいですよ。さきほど、南さんからすべて聞きました。あなたは、英治のために親身になって動いてくれていた校長先生と高柳先生を罵倒し、あんたのバカ息子に輝かしい未来があるとほざいていたようですよね。私の息子にだって輝かしい未来があるんですよ。バカにしないで。ビジネスの話? 言わせておけば、勝手なことを。こちらも、あんなたちのせいで傷ついた息子の評判のためにも、この戦いは絶対に引けません。あんたが破滅するまで、こっちは絶対に許さない」
その形相に声にならない悲鳴を上げてしまう。
「し、失礼しました」
そう言って、引き下がるしかできなかった。
9月なのに、外の風は身体が震えるほど寒かった。
自分の身体が勝手に震えているだけとは、思わずに……
目の前に黒塗りの高級車が止まった。中から息子が通っている高校の制服をきた女子生徒が登場する。そのミスマッチさが、逆に恐怖心をこちらに植え付けてくる。
「やはり、ここにいましたか。近藤さん」
知らない少女から、自分の名前を呼ばれる。この状況であれば、恐怖でしかない。
「なんで、俺の名前を……きみはいったい」
彼女は、年相応の笑顔を見せつつも、威圧したオーラを放っていた。
「一条愛と申します。おそらく、……の娘と言った方が、あなたには分かりやすいかもしれませんが」
彼女の父親の名前は、とんでもない大物だった。この業界にいれば、誰でも知っている。さきほどの南前市長や山田県議よりもはるかに上の……怪物の名前だ。血の気が引いていく。
どこかで聞いたことがあると思ったが、さっき、青野英治と一緒に人命救助で表彰されていた学生だ。つまり、青野家は彼女の父親とも関係があるということか。
「どういう……何の御用件でしょうか」
年下の少女に思わず敬語を使ってしまった。
「警告に。もしかしたら、間に合わなかったのかもしれませんが。あなたのことは調べさせていただきました。すべてを……ここまで言えば、ご理解いただけるでしょう。仮にあなたや息子さんがこれ以上、青野家の人々に危害や嫌がらせをしようものならどうなるか。それに、青野英治の名誉回復の邪魔をすることも、私は、それを絶対に許さない」
なんで、なんで、こうも大物があの家の後ろには控えているんだ!! ただの洋食屋だろ。
「あっ、あっ……ですが、息子の将来が……」
このままでは、息子はすべてを失う。いや、俺もだ。さっきの脅しの音声ファイルを警察に提出されたら、俺だって警察に……
「見苦しいですよ。あなたたちの行動の責任は、自分たちで償うべきです。すでに、こちらであなた方に関するニュースが明日の朝に報道されるという情報を得ております。おそらく、今回の息子さんに関する件とあなたが学校を脅そうとしたことでしょうね」
「なんで、なんで。早すぎる。学校側があの会話を隠れて録音していたのか? そんなことすれば、守秘義務違反じゃないか!! 子供の親をマスコミに売ったのか!?」
「校長室の隣の応接室に、たまたま記者さんが待機していたらしいですよ。私たちの人命救助を取材するために。あなたが大声で話したから、録音されてしまったのですよ、きっと。完全に自爆です。なるほど、守秘義務違反ですか。ならば、今回の報道は、青野英治の名誉回復のためには絶対に必要なことですから。学校を訴えることも、私への宣戦布告とみなします」
その瞬間。自分が完全に道化を演じさせられていたことを理解させられる。すべてのシナリオを描いていたのは、もしかすると目の前にいる少女なのかもしれない。目の前にいる少女は、本当に息子よりも年下なのか。こちらが疑心暗鬼になるほど、彼女から威圧感が放たれていた。
「うそだ、うそだ、うそだ」
地面に崩れ落ちて、悔し紛れに地面を両手で叩く。手から血がにじむが、感情の爆発は止められない。
「それでは。もう二度とお会いすることはないでしょう、近藤市議。私はこれから夕食の予定がありますので、失礼します」
彼女は、崩れ落ちている俺の横を通り過ぎて、キッチン青野へと向かっていく。その表情は、さきほどの冷徹なものから年頃の少女のそれに変わっていた。
※
―高柳視点―
放課後。サッカー部の事情確認を他の教師に任せて、俺はひとりの生徒を訪ねていた。理科実験教室で部活をしているはずだと確信していた。
本当だったらもっと早くその生徒と接触していなければいけなかったのだ。
ノックをする。「どうぞ」と言われて、中に入る。彼は、アルコールランプの準備をしていた。
「おう、遠藤。少し、話しできるか?」
やっとたどり着いた。救わなければいけなかったもう一人の生徒の元に。
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