日本での「明諭琉球国勅」への歪曲解釈に中国人学者が反論

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中国東北部大連市の旅順博物館で公開中の明朝崇禎帝による琉球国王冊封の勅諭が、中日の双方で注目を集めています。

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中国東北部大連市の旅順博物館で公開中の明朝崇禎帝による琉球国王冊封の勅諭が、中日の双方で注目を集めています。

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沖縄地元紙の「八重山日報」は21日、公式サイトで「明諭琉球国勅」について、長崎純心大学の石井望准教授による、「勅書は日本が琉球を統治していた事実を明の皇帝が正式に認めた内容だ」との主張を紹介する記事を発表しました。石井氏は勅書にある「堵安」の2文字を「『安堵』と同じ意味で、領地が安泰であることを意味する」と解釈し、「1609年に薩摩が琉球を併合したものの、すぐに『堵安(とあん)』することができたとたたえた」との見方を示したと報じました。


これに対し、中国社会科学院日本研究所の孫家珅助理研究員は、これを「歪曲解釈」であると論じ、その不正確さを批判しました。孫氏によれば、勅書にある「堵安」とは、琉球国王が薩摩に侵略された後も領土を守り、民を安んじ、明朝に対する藩属国としての義務を維持し、国内秩序の安定を回復させたことを表彰したものであり、薩摩による支配を承認するものではありません。孫氏は「勅書の主旨は琉球国王を冊封し宗藩(冊封体系下の宗主国と藩属国)関係を再確認することにあり、第三者による武力支配を承認するものではなかった」と反論しました。


また、孫氏は勅書の原文にある「念爾父紹膺国統,作鎮海邦,率職輸誠,慎終如始,中遭鄰侮,旋致堵安,克綏提封,迄于没世」の部分を、「なんじの父君は、国の正統を受け継ぎ、海の辺境にある国を鎮守し、職責に忠実で、忠誠を尽くし、終始一貫して慎み深かった。その間には隣国より侵略と侮辱を受けられたが、速やかに動乱を平定し、領土を安定させ、亡くなるまでその務めを果たされた」と現代語訳で解釈しました。


孫氏はまた、「琉球が外交で明清の年号を用いていたなど、当時の中国との宗藩関係は証明するまでもないものだった」と述べました。さらに、儒教思想に基づく道徳を説き、江戸時代の日本でも広く使われた教本である「六諭衍義」について、「琉球経由で日本に伝わった」と指摘し、琉球王国が歴史上、文化と貿易のハブとしての役割を担っていたことも強調しました。(提供/CRI

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