子役だった頃
こどもの頃、私はアイドルになりたかった。自分がわりかしかわいいなんてことはとっくにわかっていて、日々「アイドルになりたい!」と自信満々に吠えていた。「なれるよ!」とみんなが言ってくれ、母も「それなら事務所に入ろうね!」と働きかけてくれ、気づけば撮影スタジオで「もう少しニッコリ!」と男性カメラマンに宣材写真を撮られていた。そんなふうにあれよあれよと、当時7歳の私は、ホームページに40代〜60代の名脇役の写真がずらりと並ぶ俳優事務所に所属した。その事務所にアイドルはひとりもおらず、それどころか、子役も私含めふたりだけであった。だまされた。
しかしまんまとやられたと気がついたのは中学生に上がる頃で、「ここにいてもアイドルにはなれなくね?」とようやくわかったのだが、その頃にはもう演技の虜になっていた。今思うと、私はずいぶん子役らしからぬ子役だったと思う。なんせ所属したのが子役事務所ではなかったので、子役の教育係などいるはずもなく、特になにも教わらないままいきなりオーディションに放り込まれていたのだ。そういった意味で私は真の子役ではなく、オーディションで一緒になる本物の子役たちには毎回びっくりさせられた。すごくおもしろかった。私の先生はだれよりも、同世代の彼らだった。
たとえば自己紹介。日本のオーディションでは、一回につき3〜10人くらいをいっぺんに見ることがほとんどで、海外みたいに一対一のオーディションはごく稀である。おかげで私は、事務所からオーディションの作法を習わなくても、どうにか見よう見まねで乗り切ることができた。たいていの子役はまず、参上する。「劇団〇〇から参りました!」と言うのである。そして名前と年齢と、特技や好きな食べものを声高々に宣言し、「よろしくお願いします!」と素早く深く頭を下げる。初めて見たときは、とても信じられなかった。なにかの冗談かと思ったが、彼らは至って真剣であった。
私は参上するのはすこし恥ずかしかったので「〇〇事務所の紅甘です」と言い、特技と呼べるものもなかったから「好きな食べものは味のしみた大根です」と答えていた。自己紹介はかろうじてですます調だったが、言葉使いの教育も受けていないため、そのあとはずっとタメ口だった。退室するときもみんなは「ありがとうございました!」「おつかれさまです!」と一礼して出ていくのだが、私は「バイバーイ」「またねー」と笑顔で手を振っていた。
なかでも強烈に覚えているのは、あるテレビドラマのオーディション。とんでもなく大規模で、ものすごい数の子役が来ていた。一回につき20人くらいが誘導されて、それが次々と回転寿司のようにまわってゆくのだから、一日100人はくだらなかっただろう。何日間開催したのか不明だが、全部で500人くらいはいたのか、もっと多かった可能性もある。ともあれテレビ局のロビーに大量の子役とその親たちがごった返し、なかには地方から来たらしくスーツケースを引いている子もいた。初めてそんな光景を見て、私はとにかく圧倒された。その場の全員が役を取り合うライバルなわけだから、ただでさえ薄い空気がさらにずっしりと重く、目が合うとキッとにらみつけてくる子もいる。オリジナルグッズの販売スペースなんかもある、ピンクを基調とした華やかなロビーが子役の闘争心でピシピシと軋む音を立てており、隅の方では小学生女児の髪に櫛を通しながら「あなたなら絶対大丈夫。お母さんの娘なんだから」と呪詛を唱える母親の姿なんかもあった。すごかった。
そんなとてつもない緊張感の、ピリッと張り詰めた空間で、私と母はプリクラを撮った。その局オリジナルのプリクラ機が置いてあったのだ。せっかく来たんだから撮ろうと母が言って、キャッキャと待ち時間を過ごした。名前を呼ばれたら「いってくるねー」と手を振って、終わったら「たのしかったー」とスキップして戻り、どんなことをしたか話しながら帰った。帰り際のロビーで「うまくできなかった」としゃくりあげて泣いている子の姿を見れば、「なんで?」と思った。なんでそんなふうになってまで、この仕事を続けるのか、当時の私にはわからなかった。
思えば貴重な、のびのびとした子役時代を送っていたおかげで、私は大人になった今でも仕事先であんまり緊張しないでいられる。プレッシャーはもちろんあるけれど、それでも私にとって、そこはいつでも楽しい場所だから。教育しないでいてくれた事務所と両親に感謝である。まあ、中高生になるともっと競争が激化して、ぜんぜん楽しくないこともたくさん起きてくるのだけれど、少なくとも子役時代はいい思い出だ。いろいろあっても、演技はずっと変わらず大好き。ロビーで泣いてたあの子も、今は好きなことができてるといいな。
2025.4.14



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