第23話 子供として親に甘えること

 俺は、保健室にお世話になる。明日からは先生たちが補習を行ってくれるそうだが、さすがに今日は調整が間に合わなかったらしい。正直、ここまで学校側が寄り添ってくれるとは思わなかったから、なんだか夢を見ているような気分だ。


 さすがに保健室に日中ずっといるのは、厳しいな。

 暇だし、身体は元気なのにベッドを借りてしまっているのは、申し訳ない気もする。


「青野君、大変だったわね。体調は大丈夫?」

 三井先生が、様子を見に来てくれた。


「はい、ありがとうございます」


「よかった。でも、身体は大丈夫でも、大変な目にあったんだから無理しちゃダメよ。心は、疲れているんだからね」

 さっきから優しい言葉をかけられてばかりだ。なんとなく、申し訳ない気分になる。


「先生たちにしっかり守られている感じで、安心感有りますね」


「そう? でも、高柳先生が一番頑張ってくれているから、それだけでもおぼえておいてね」


「はい」


「さすがに保健室で7時間も過ごすのは暇でしょ? 気晴らしに図書室で本でも借りてきてあげましょうか? 特別に、許可はもらっているのよ」

 正直、何もしないと負の気分に押しつぶされそうになる。何かしていたい。


「いいんですか?」


「ええ、でもあんまり大っぴらにしないでね。さすがに目立つと怒られちゃうから」

 優しそうな笑顔で、いたずらをしかけようとしている三井先生のギャップに思わず笑ってしまった。


「もちろんです」


「じゃあ、私と青野君。ふたりだけの秘密ってことで」

 この保健室が過ごしやすい環境になっていくのが分かった。

 

 ※


 三井先生は、いくつかの小説を借りてきてくれた。最近、ベストセラーになっている人気の本中心に。去年の本屋店員コンテストで上位に入った一般文芸、マンガの神様と言われた巨匠の名作医療マンガ、各分野の第一人者に話を聞いて書かれたインタビュー本などなど。


 落ち込んでいるはずの俺を気遣って、あまり重すぎない内容の本を選んでくれたみたいだ。どちらかと言えば、ヒューマンドラマみたいな内容が多いな。


 比較的に、本を読むのは早いので、午前中だけで文芸を読破する。なかなか高校生にとって1000円を超える単行本を買うのはハードルが高いので、読みたかった本をこういう形で読めるのは正直ありがたかった。


「あら、もう読んじゃったの? 早いわね。ちょっと休憩にする? お茶でも淹れようか」

 職員室に書類を取りに行った先生は、帰ってきたら俺の様子を見て、微笑ほほえんだ。


「いいんですか?」


「特別よ。緑茶でいいかな? 私コーヒー飲めないから、おいてないのよね」


「ありがとうございます」

 いかにも、仕事ができる風の三井先生の意外な面を知ってしまった。

 香りがいい。ティーバッグの箱を見ると、かなり高級な緑茶のように見えた。


 かなりリラックスしたことで、思わず自分から口を開いてしまった。


「先生はどうして、教師になろうと思ったんですか?」


 その言葉に、彼女は「ふふ」と笑う。


「教員免許を取ったのは、正直に言っちゃえば保険みたいなものだったのよ。大学で資格を取っておきたいなって思ってね。特にやりたいこともなかったから、地元の大学の教育学部に入って、資格を取ったみたいな感じ」

 ずいぶん、正直だなと思った。俺の表情を見て、彼女は笑う。


「本当は教え子に言うべきじゃないのかもしれないけどね。まぁ、2人だけの場だから正直に答えちゃうわ」


「じゃあ、大学卒業してすぐに教師に?」


「ううん、実は一般企業に就職して、5年前に転職したのよ」


「えっ、それは意外ですね。三井先生は、ずっと学校の先生なのかと」


「まぁ、大学で何となくなりたいなと思ったんだけど、一回あきらめちゃったのよ」

 彼女は少しだけ憂いの表情を見せた。これ以上は突っ込んではいけないのかもしれないと思い、俺も一度、言葉を止める。


「大丈夫よ。言えないわけじゃないの。ある意味、私は逃げたのよ。教育実習も楽しかったし、周囲も私は教師に向いていると言ってくれていたんだけどね。怖くなったの」


「怖い?」

 三井先生は、生徒間でも人気がある。多くの生徒から常に相談を受けているとも聞く。


「そう。怖かったの。教師って、一言で子供の将来を簡単に変えてしまうことができるほど責任重大なのよ。それに気づいてしまって、怖くなってしまったの」


「じゃあ、今も怖いんですか?」

 かなり失礼な言葉だ。でも、聞いてみたくなった。


「うん。怖いよ。青野君は今一番大事な時期だから余計にね。でも、ちょっとだけ自分のことを話したくなってしまったの。聞いてくれる?」


「はい」

 彼女は、俺の目をまっすぐに見て語りだす。


「実はね、前職で人間関係に悩んでいて。心がボロボロだったのよ。私が就職したのは、体育会系の企業だったのもあって、言葉を選んで言えば、ちょっと昔ながらの体質で……」

 俺はうなずいた。小説の世界でもよく描かれる場所だから。古い体質の企業と言えば、ハラスメントがあったりして、大変だと聞く。今の俺と同じ環境だったのかもしれない。


「その古い体質で、心も身体も限界だったの。でも、私は頑張ろうとすることしかできなかった。頑張れば頑張るほど、心はすり減って、どんどん限界に近づいてしまうの。でも、誰にも相談もできなくてね。ひとりで、追い詰められていった」

 きっと俺もそうなるはずだった。一条さんやサトシ、高柳先生が気づいてくれなかったら、今でも無理して授業を受けて嫌がらせに耐えて……


「最終的に過労で、病院に運ばれて、目覚めたら母が私の横で泣いててね。ごめんね、ごめんね。ずっと気づいてあげることもできなくてごめんねって。私、当時は一人暮らししていたから、たまに電話で話すくらいで、お母さんが私の異常に気づくのなんて難しいはずなのにね」

 先生の話のはずなのに、どうしても自分のことのように聞こえてしまう。


「母に『ごめんね』と言ったら、どうして相談してくれなかったの。一生後悔するところだったのよと怒られたわ。子供が辛い時に、相談してくれないって、親にしても辛いのよ。一生後悔するくらいなら、迷惑くらいいくらでもかけてよって何度も言われちゃった。それで、今に至るみたいな、ね」

 俺は思わず、目がしらを布団に押し付けた。俺の情けない姿を見ながら、先生は聖母のように「大丈夫よ。私たちがついてるからね」と何度も言ってくれた。

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