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映画『Black Box Diaries』について


ドキュメンタリー時評 第7回(2026年1月8日)

賛否分かれる激しい論争

 なんでこんなことになってしまったんだろう。残念でなりません。
伊藤詩織監督によるドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』(以下『BBD』)が去年暮れの12月12日に日本で公開されて以降、作品への賛否が分かれ、激しい論争が続いています。それも、これまで多くの政治・社会問題について意見が一致していた人たちが、『BBD』を巡っては分裂し、互いに強い言葉を投げかけるような状況になっています。私が親しみを感じていたり、その仕事に尊敬の念を抱いてきた人たち同士が対立する……もちろん議論をするのは良いけれど、もはや溝が埋まらないようにさえ見えます。実に残念です。そうした状況下で、意見を表明することに気が引ける面もありますが、長年ドキュメンタリー映像制作に携わってきた者として、私の考えを述べたいと思います。

 『BBD』が米国アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされ、伊藤詩織さんがロサンゼルスのレッドカーペットを歩いたのが、2025年3月2日(現地時間)。そのおよそ10日前の2月20日に、東京都内で予定されていた伊藤さんの記者会見がキャンセルとなり、伊藤さんは声明を発表しました。そこには「映像を使うことへの承諾が抜け落ちてしまった方々に、心よりお詫びします。最新バージョンでは、個人が特定できないように全て対処します。今後の海外上映についても、差し替えなどできる限り対応します」と記されていました。

 ここに書かれた「承諾が抜け落ちてしまった方々」とは、それ以前から指摘されていた「映像や音声について使用許諾がないまま、映画の中で映し出された人たち」を指すと思われます。具体的には、①伊藤さんと山口敬之氏を乗せてホテルまで運んだタクシー運転手②伊藤さんが山口敬之氏に連れ込まれた様子が映る防犯カメラ映像の所有者であるホテル③事件を捜査した警視庁の捜査官A氏④伊藤さんの裁判の代理人を務めた西廣陽子弁護士⑤伊藤さんの講演に参加したメディアで働く女性たちの一部
となります。
 私はこの時期に一連の報道を見聞きし、「何とか解決に向かってほしい」と願いました。その時に私が考えた「解決」とは、以下のようなものでした。

伊藤さんが言う“承諾が抜け落ちてしまった方々”と誠実に話し合い、その人たちが納得する形で映画を修正する。修正前の海外で流布しているバージョンはすべて取り下げ、観られないようにする。その上で、改めて修正したバージョンを『BBD』の完成版として、日本を含めた全世界で公開する。

 「公開するな」ではなく、「良い形で公開してほしい」という思いでした。なぜなら日本社会にとって非常に重要な問題を投げかけている作品であり、かつ、修正したとしても充分優れたドキュメンタリー映画になり得ると感じていたからです。しかし、残念ながらこれは実現しませんでした。いまも海外では修正前のバージョンが上映や配信されていますし、日本公開版も、タクシー運転手など一部解決に至った人もいたものの、少なくとも西廣陽子弁護士の理解は得られていません。

伊藤詩織さんと西廣陽子弁護士のこと

 「伝えていることの公益性、重要性を鑑みれば、一部の被写体の許諾は必要ない」という声も聞かれますが、私はそうは思いません。この問題が報じられた当初から私が気になっていたのが、西廣陽子弁護士のことです。他の人はどうでもいい、というつもりはもちろんありません。しかし西廣弁護士は、伊藤さんの協力者であり、裁判の伴走者でした。その人が、映画をこのまま公開しないでほしいと声を上げたにも関わらず、話し合いがなされず、公開に至ったことが理解に苦しみます。西廣さんは日本での公開前日に見解を発表し、「伊藤さんの映画は、重大な人権上の問題を孕んでいると言わざるを得ません」と指摘しています。
 年末に品川の劇場で日本公開版の『BBD』を観ました。西廣弁護士の顔にはすべてモザイクがかけられていました。私は悲しくなりました。西廣弁護士は、この作品にモザイク付きで登場すべき人でしょうか? 違うと思います。そしてそれは、伊藤さんも望んでいなかったはず。それが何より残念でならないのです。

 伊藤詩織さんには、これまで2度お会いしました。2回とも大勢の人が集まる場で、言葉を交わした時間は短かったのですが、礼儀正しく聡明な女性、という印象でした。面識を持つ前から、彼女が自らの性被害について実名顔出しで発信し、社会に大きな影響を与えたことに尊敬の念を抱いてきました。さらに、度重なる誹謗中傷を受けながら、安倍政権と近いジャーナリストである山口氏の犯罪行為を警察が握りつぶした疑惑を告発し、裁判を闘い、本を書き、声を上げ続けたことの尊さは、どれだけ讃えても足りないほどだと思っています。しかし、性被害サバイバーとしての伊藤さんと、ドキュメンタリー映画の監督としての伊藤さんは、分けて考えるべきだと思います。監督としての伊藤さんには、至らぬところがあったとしか言いようがありません。

ドキュメンタリーにおける被写体とのトラブル

 「ドキュメンタリーに被写体とのトラブルはつきもの」「ほかの監督たちにもそうしたトラブルはあったはず。偉そうに批判できるのか?」という声も聞きます。それはある意味ではその通りなのですが、私はトラブルの質が違う、というか『BBD』はかなり稀なケースだと思います。まず、トラブルの多くは公開(もしくは放送)後に起きます。作品を観た被写体が「取材を受けた時はこんな風に描かれるとは思わなかった」と、制作者にクレームを入れるパターンです。私自身は、これまで映画とテレビで合計50本ほどドキュメンタリーの監督(ディレクター)を務めてきましたが、そうしたケースは1本を除いてありませんでした。(私に言わないだけで、内容に不満を抱いた被写体の方もいらしたかもしれませんが)
 例外的な1本は、映画『香川1区』(2022)です。この作品の中の表現を巡って、私は2025年6月に自民党の平井卓也議員に名誉棄損で訴えられました。これについては後述します。

 『BBD』は、公開前からトラブルになっていました。それも「こんなにたくさんあるのか」という数の多さです。一般的にドキュメンタリーの監督は、こうしたことにとても敏感です。公開後や放送後にトラブルが起きないよう、事前に被写体への丁寧な許可取りをしたうえで、編集時には「映っている人が観客や視聴者にどう思われるか」を慎重に検討します。私が多く制作してきた人物ドキュメンタリーでは、被写体の「負の側面」を描くこともありました。そういうシーンがあったほうが、人間の多面性を表現できますし、プラスの面がより浮かび上がると考えるからです。ところがそうした表現に、トラブルの種が潜むことがあります。
 例えば私の映画初監督作である『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』(2007)では、宴会での唐十郎さんの泥酔シーンを使いました。そこには酔った唐さんが劇団員を罵倒する場面も含まれます。唐組の宴会は、演劇界の鬼才とその人を慕う劇団員たちのコミュニケーションのいち断面であり、唐組の芝居作りに欠かせないシーンだと考えたからです。ところが映画公開前の試写で観た唐さんは、激怒しました。こんな場面をスクリーンを通して多くの人に観られたくない、と。唐さんのあまりの剣幕に、私は震え上がりながらそのシーンの意図を説明し、理解してもらえるよう努めました。すぐには納得してもらえず、時間をかけて話し合い、泥酔シーンを少し短くすることで何とか合意に至りました。しかし唐さんの機嫌は直りませんでした。ところが公開後に映画が評判になり(ぴあ初日満足度ランキング1位、日本映画批評家大賞ドキュメンタリー賞を受賞)、唐さんのもとにも観た人からの好意的な感想が届くと、評価はガラッと変わり、私のことを認めてくれるようになりました。

ドキュメンタリー監督の葛藤

 人物ドキュメンタリーの場合、経験上、被写体が手放しで喜んだときは観た人の評価は高くない、ということがよくあります。被写体にとって「撮られたくない。見せたくない」という場面を含んでこそ、その人の人物像が浮かび上がり、作品の厚みが増す、ということなのです。そんな狙いを持って撮ることを指して、「ドキュメンタリーの作り手は性格が悪い」という言い方をされることもあります。その指摘は甘んじて受けますが、「性格が悪いと言われようが、作品が面白ければそれでいい」と開き直っているわけではありません。被写体への影響と作品の見応えのバランス、そして取材した事実との間で、常に葛藤があります。

 こうした演出も含め、ドキュメンタリーの監督は、被写体との関係性に常に頭を悩ませています。映画やテレビ番組が人の目に触れ、最も大きな影響を受けるのは監督ではなく作品に映っている人、つまり被写体です。ところがその被写体が「どう見えるか」を決めるのは監督です。時にはその人の人生を左右することだってあり得ます。良い方向にならいいけれど、悪い方向に導くこともあります。だからこそ、びくびくしながら慎重に慎重に、作業を進めます。『BBD』における伊藤さんには、そのような恐れや慎重さが不足していたのではないかと思わざるを得ません。

 同業のドキュメンタリー監督では、ヤンヨンヒさんと想田和弘さんが『BBD』について書かれていた記事に、大いに納得しました。お二人とも私と同世代で、多くの経験を積まれている作家です。監督の持つエゴと加害性、権力性に触れ、自戒を込めながら慎重過ぎるほど慎重に表現することの重要性を説く姿勢に、感銘を受けました。ドキュメンタリーの監督がみな同じ意見ではありませんが、お二人の記事は「我が意を得たり」と膝を打ちたくなるような内容でした。ぜひ読んでみてください。
映画『Black Box Diaries』で伊藤詩織さんが向き合うべきこと。 – ページ 2 – 集英社新書プラス
https://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2025/04/03/news-181/

許諾を必要としない公益性とは

 さて、私の監督作『香川1区』が平井卓也さんに名誉棄損で訴えられた件ですが、裁判の争点となっているのは「平井卓也さんを映したシーン」ではありません。政治資金規正法違反の疑惑を報じた4分強の場面です。そこでの表現が名誉毀損にあたるかどうかを、裁判で争っています。
映画の中には平井さんを映したシーンはたくさん出てきますが、その中にはインタビューを申し込んで許諾を得て撮影したものもあれば、街頭演説の様子を特に許諾はなく映した場面もあります。それらのシーンの描き方については、平井さんは何も言ってきていません。政治家は公人中の公人ですから、その活動を報じることには当然公益性があります。とはいえ私は「相手が政治家ならどう描いても構わない」などと言うつもりはありません。その場面がファクトに基づき、公益性が十分あると判断したときに、政治家にとって都合が悪いことであっても伝える意味があると考えます。

 『BBD』の日本での公開がはじまった3日後の12月15日に、伊藤詩織さんとプロデューサーのエリック・ニアリさん、ハナ・アクヴィリンさんが日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見を開きました。ここで司会者が、『BBD』を擁護する形で「(原発事故を起こした)東京電力を取材する際に、許諾は必要ない」という主旨の発言をしました。これは当たり前です。政治家の疑惑を報じることも同じことです。しかし『BBD』をめぐる被写体とのトラブルは、その性質がまったく違います。この司会者の発言は、明らかに問題のすり替えです。

周囲の「プロ」たちの責任

 さて、『BBD』をめぐるトラブルについて、あまり指摘されていないことについて言及したいと思います。それは「周りのプロたちはいったい何をしていたんだ!」ということです。
 伊藤さんが素人だとは言いませんが、ドキュメンタリー制作のキャリアが少ないことは明らかです。10年15年とテレビや映画で放送や上映を重ねていれば、それなりに「痛い目」に遭います。失敗を重ねながら、「ここまでは大丈夫」「これをやったら危ない」というラインを体得します。(ちなみに許諾の問題は、それ以前の初歩の初歩の話ですが)
テレビならば10分の特集VTRなど、尺の短いものからはじまって(短くても作るのは大変なのですが)、その都度キャリアのあるプロデューサーや先輩スタッフから厳しい指摘を受けながら、自らの足らざるところを学んでいきます。この場合のキャリアとは、制作のキャリアであると同時にトラブル経験のキャリアでもあります。被写体や視聴者の感想(時には厳しい批判)も、ディレクターが腕を磨く糧になります。
 伊藤さんにとって『BBD』は、初の長編作品です。そのうえ客観視が難しいセルフドキュメンタリーであり、性被害のサバイバーが自らの体験を監督として伝えるという、前代未聞の映画です。政権と警察の闇にも切り込んでいます。極めて難しいドキュメンタリーだと思います。こんな時に重要なのは、監督を支え、クオリティチェックの役割も果たすプロデューサーの存在です。
 私は『BBD』について「もし自分が監督だったら」という想像はできません。なぜなら性被害サバイバーの身に自分を重ねることはできないから。しかし「もし自分がプロデューサーだったら」ということは想像できます。私ならばトラブルを解決するべく全力で動いたと思います。伊藤さんが西廣弁護士との約束を破ったことで、直接話がしにくいのならば、代わって話し合いの機会を持ち、頭を下げて、なんとか上映できるような解決策を探ったでしょう。仮にそれが監督にとって受け入れがたい修正であったとしても、今度は監督を説得し、被写体が納得する形での上映の方法を取ったと思います。
 『BBD』のプロデューサーは、前述の会見に臨んだエリック・ニアリさんとハナ・アクヴィリンさんです。会見での発言を聞いて、そうした考えはまったくなかったことがわかり、がっかりしました(だからこそ今の状態で上映を強行したのでしょう)。お二人は日本語が堪能ではない、日本の状況をあまりご存知ない、という事情もあったかも知れませんが、それは免責の理由にはなりません。

 そしてこの作品には日本の「プロ」も関わっています。それは製作と配給に名を連ねるスターサンズです。製作とは企画にベットし出資をすること、配給とは作品を広げていく(映画館などに売っていく)仕事です。いまのところスターサンズは、今回のトラブルについて何も言及していません。これはあまりにも無責任です。企画のスタート時点で出資を決めた当時の代表である河村光庸さんが亡くなったという事情はあるのでしょう。しかし会社としては企画を引き継いでいて、スターサンズの現在の代表やスタッフが「エグゼクティブ・プロデューサー」や「共同プロデューサー」として映画にクレジットされているのです。実際の制作上のプロデューサーはエリックさんとハナさんだったとしても、製作・配給という重要な立場で、いったい何をしていたのか。ただ傍観していただけなのか。私が普段仕事をご一緒している配給会社ならば、こんなことはあり得ません。制作にタッチしていなくても、「配給を引き受けた時点で責任が生じる」と、トラブルが起きたときは制作者と同様かそれ以上に、極めて誠実に問題に向き合ってくれます。ですので、スターサンズの「だんまり」が不思議でなりません。

捜査官A氏の扱いの難しさ

 私が今回の件でもっとも悩ましいと感じたのは、警視庁の捜査官A氏のシーンです。これはすべて隠し撮り(録り)です。隠し撮り(録り)が許されるのは、政治家の不正や犯罪の証拠がその方法によってしか得られない場合、ということが原則です。性暴力の被害者である伊藤さんにとって、警察の内部情報をつかむために隠し撮り(録り)をすることは理解できます。しかしそれを映画として公開するのはまた別の話です。公開するに当たって考えなければいけないのが、公益性と被写体の人権のバランスです。警察は公権力ですから、捜査官A氏は完全な私人とは言えません。とはいえ彼は組織の一員で、捜査の決定権はありません。上層部の決定に従うしかない立場です。山口敬之氏の逮捕状を握りつぶす判断をA氏がしたわけではなく、むしろその決定に疑問を持ったからこそ、伊藤さんに内部情報を伝えたと思われます。伊藤さんも、A氏に感謝の意を表明しています。しかしA氏は、伊藤さんに親切な声を掛けながら、不適切な言葉も投げかけます。その言葉は伊藤さんに衝撃を与え、映画を観る者もA氏への不信感を募らせる結果となります。こうしたA氏の二面性も含め、監督が映画で使いたいという気持ちはわかります。しかしA氏の人権についてどう考えればいいのか、非常に複雑です。彼のことは、すでに伊藤さんの書籍「Black Box」でも記されていて、警察の内部ではA氏は特定されているはずです。伊藤さんは、モザイクもかけて音声も変えているので、A氏は警察以外の人には特定されない、と述べています。
 しかし警察内部での彼の立場は微妙でしょう。映画の最後に、A氏は今も警視庁に勤務している旨がクレジットされていましたが、その立場が実際のところどうなのかはわかりません。私は伊藤さんが書籍や映画でA氏のことを伝えたことで、彼の人生を変えた可能性があると考えます。一人の人間の人生を変えることを背負った上で映画を公開する覚悟が、伊藤さんにはあったのでしょうか。仮にあったのだとしたら、警察という組織全体に対する憤りや不信感が、個人の人権への配慮を上回った、ということなのかも知れません。いずれにせよ私には、もやもやした思いが残りました。
 
 ところで隠し撮り(録り)の件ですが、『BBD』では捜査官A以外にも使われています。西廣弁護士との電話の会話もそうです。これは西廣さんにとってショックだったと思います。繰り返しますが、「記録として残す」ことと「映画で公開する」ことは、まったく違うのですから。

映画作品としての強みと弱点

 さて、最後に映画作品として私がどう観たか、考えを述べたいと思います。これは、非常に良くできていると思いました。ドラマティックかつエモーショナル。構成と編集が実に巧みで、観客は伊藤さんに感情移入し、心を揺さぶられるでしょう。伊藤さんの心象風景を映し出したイメージ映像もとても効果的でした。作品のストーリー作りに関しては、編集を担当した山崎エマさんの力が大きかったのだろうと思います。山崎さんは『甲子園 フィールド・オブ・ドリームス』や『小学校 それは小さな社会』などのドキュメンタリー映画を監督した作り手で、『小学校』は短縮版が去年のアカデミー賞の短編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされています。ベテランの編集者であり、監督としての経験も豊富です。
 さらに映画の日本公開後に知ったのですが、この作品には海外での受賞作を多く手掛けてきた人たちが、アドバイザーとして参加していたとのこと。確かに「編集コンサルタント」という私には初耳のクレジットの人もいて、『BBD』が海外で評価を得るためにチームとして制作作業を進めたことがうかがえます。
 
 私がこの作品の強みでもあり、同時に弱点でもあると感じたのは、「セルフドキュメンタリー」であることです(ちなみに「1人称」という形式はありますが、セルフとは違います)。伊藤さんは監督でありながら、メインの被写体です。『BBD』は、その名の通りDiaries、つまり「伊藤さんの映像日記」ということです。だからこそ描けたものと、描けていないものがあると思います。伊藤さんの主観で描いたこの映画、私はストーリー展開がうますぎると感じました。一例をあげると、伊藤さんとホテルのドアマンの電話のシーンです。これは映画のクライマックスとも言っていい場面で、ドアマンが裁判で実名を出して証言を使って構わないことを伝え、伊藤さんが感極まって涙を流すシーンです。観る者の胸を打つ、非常に感動的な映像で、伊藤さんもドアマンのことを「ヒーロー」と語っています。事件の民事裁判の詳細を知らない人が観たら、ドアマンの証言が決め手になって伊藤さんが裁判に勝ったと思うでしょう。しかしそうではないことが、既に報道で指摘されています。そうした事実は映画では語られません。
 私は想像します。この映画を、伊藤さんを被写体にして別の監督が作っていたら、と。作品はまったく違ったもの…もっと引いた視点の映画になっていたでしょう。仮にそうだとしても、伊藤さんが受けた数々の理不尽な出来事や、それによって浮かび上がる日本社会の多くの問題点は、十分伝えることができただろうと思います。ないものねだりですが、その形で観てみたかったと思ってしまいました。

 『BBD』は、あまりにも多くの問題を提起しました。伊藤さんも含め、それによって傷ついた人が出てしまっていることが、残念でなりません。せめてもの希望として、私はこの論争がドキュメンタリーの未来に実りをもたらすことを願っています。


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コメント

1
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mayu

仲間割れは残念ですね…。 望月記者も詩織さんも応援していたので、誰を信じればいいのかよく分かりません。 詩織さんが望月記者の言う通り「演技性パーソナリティ」なのかもしれないし、弁護士が依頼人を支配する「怖い人」なのかもしれません。 映画は、先日観てきました。 シェラトンホテ…

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