工藤公康
工藤 公康(くどう きみやす、1963年5月5日 - )は、愛知県名古屋市昭和区(現:天白区)出身(同県豊明市出身とする文献もある。後述)の元プロ野球選手(投手、左投左打)[注 1][1][2]、野球解説者・野球評論家。
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 愛知県名古屋市昭和区(現:天白区) |
| 生年月日 | 1963年5月5日(62歳) |
| 身長 体重 |
176 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1981年 ドラフト6位 |
| 初出場 | 1982年4月10日 |
| 最終出場 | 2010年8月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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監督歴 | |
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野球殿堂(日本) | |
| 選出年 | 2016年 |
| 得票率 | 76.6%(337票中258票) |
| 選出方法 | プレーヤー表彰 |
| 工藤公康 | |
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| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2025年10月24日 - |
| 登録者数 | 約2.17万人 |
| 総再生回数 | 約12万回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2025年10月30日時点。 | |
現役時代は1982年から2010年まで29年間にわたり、投手としてNPBの西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ(巨人)、横浜ベイスターズの4球団でプレーし、通算635試合登板、224勝142敗3セーブ、2859奪三振、防御率3.45の成績を残した[3]。この間、最優秀防御率4回、最多奪三振2回、NPB最多タイ記録となる最高勝率4回を獲得したほか、最優秀選手 (MVP) を2回(1993年・1999年)受賞、ベストナイン・ゴールデングラブ賞にも各3回選出された[4]。
また1982年から1994年までの西武時代にはエース投手として活躍、11回のパシフィック・リーグ優勝、8回の日本シリーズ優勝に貢献し、1986年と1987年には2年連続で日本シリーズMVPを受賞、1987年には正力松太郎賞も受賞している[3]。ダイエーでも1999年にパ・リーグ優勝と日本シリーズ優勝、巨人でも2000年・2002年のセントラル・リーグ優勝と日本シリーズ優勝に貢献した[5]。日本シリーズ出場年数は王貞治と並ぶNPB最多タイ記録の14年であり、3球団で日本シリーズの勝利投手になったNPB史上唯一の投手である[3]。また西武・ダイエー・巨人の3球団で11回にわたり日本シリーズを制覇したことから優勝請負人と呼ばれ[5][6]、日本シリーズ通算最多奪三振(102奪三振)記録も保持している[7]。
2010年に西武の後身である埼玉西武ライオンズに復帰するも、1年で戦力外通告を受け、2011年は無所属のまま現役続行を目指すが、獲得球団はなく、同年12月に現役引退を表明した。2012年から2014年の3年間は野球解説者・野球評論家として活動し、2015年から2021年まではダイエーの後身である福岡ソフトバンクホークスの監督(第21代)として指揮を執っていた[8][9]。監督としては2020年までにソフトバンクを3度のパ・リーグ優勝[10]、5度の日本一(日本シリーズ優勝)に導いている[11]。また監督時代には正力松太郎賞を4回受賞しており(2015年・2018年・2019年・2020年)、現役時代と通算して同賞を5回受賞したことになる[3]。監督退任後は再び野球解説者・野球評論家として活動している。
愛称は「カリメロ」[12]。2男3女の父で[13]、長男は俳優の工藤阿須加[14]、長女はプロゴルファーの工藤遥加[15]。