ネガティブ・ケイパビリティが求められる時代 確信への抵抗と対話を
いま問い直したい「時代のことば」
小川公代×谷川嘉浩対談「ネガティブ・ケイパビリティ」
「答えを急がず立ち止まる力」「不確かさや疑いのなかにいられる能力」「わかった気にならない『宙づり』の状態」などとされる「ネガティブ・ケイパビリティ」というキーワード。もとは200年前に英国の詩人が手紙につづったものだそうです。それがいま、社会の課題を照らし出す言葉として注目されています。
なぜ、その力が現代に求められているのか――。
文芸雑誌「群像」で「ネガティヴ・ケイパビリティ考」を連載する英文学者の小川公代さんと、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』の共著がある哲学者の谷川嘉浩さんが語り合いました。
2026年の世界はどんな方向に進むのでしょう。社会課題は山積する中、いまあらためて問い直したい、立ち止まって一緒に考えたい「時代のことば」を、対談で掘り下げます。
■ネガティブ・ケイパビリティとは?
【小川公代】 自分と異なる経験をしてきた他者やまだよく知らない他者に対して、一方的にジャッジメンタル(過度に批判的な見解を持つこと)にならないためには、自分たちの認知のゆがみに自覚的になった上で、外界から入ってくる情報や刺激に対して感じる自分のモヤモヤやイライラに対峙(たいじ)しなければならないと思います。
しかし、身体感覚を伴う経験が希薄になるSNSなどでは、自分の不随意的な反応や欲望に意識的になることは、難しいのではないでしょうか。日頃のストレスを発散するためにも、ときに他者に対して攻撃的になったり、ひどい場合には誹謗(ひぼう)中傷したりすることが起こりやすい。現代社会には、「わかっている」気になってジャッジして、論破や差別、暴力を行使する方法論がはびこっています。
だからこそ、性急に「わかった気になる」ことを回避しながら、考え続けるネガティブ・ケイパビリティが求められているのでしょう。
【谷川嘉浩】 ひとことで言うと、「結論を急がない姿勢」のことですよね。つまり、謎や不可解な物事、問題に直面したときに、安易に解決や納得などに回収しないスタンスがあるかどうか。
以前、この言葉をめぐる英語の論文を調べたとき、日本だけでなく世界的に使用頻度が上がっている様を体感できました。
特に、「教育」「看護・医療」「ビジネス」のリーダーシップなどの領域での言及が多かった。それらの領域では、データを集めて何かを決断したり、“正解”としてこうすればいいというノウハウが蓄積されたりしている。ただ、結局は個別具体的なケースごとに状況や関係が全然違うので、現場では参考程度にしか使えないことも多い。先の三つの領域は、ケースごとに対応が変わる部分があり、自他の感情や価値観、不安といった不確定要素が絡まってくる活動です。安易に決着がつけられないなかで判断や決断をしなければならない領域だから、ネガティブ・ケイパビリティの重要性がかえってはっきり見える。「わかる」ことが多い分、「わからない」ことの重要性に敏感な人が多いのかもしれません。
ここにテクノロジーという論点を付け加えることもできるでしょう。説明がすぐには付けがたい事柄に対峙して、わからないままにとどめておく姿勢を持つことは大切だけれど、SNSをはじめとする情報環境やテクノロジーがこの力を奪い続けているところもある。
どんどんスワイプして情報を流し見したり、パッと思いついた感情を手早く全世界に届けたりする世界に浸っていると、立ち止まったり、感情を寝かせたり、体験や想像を反芻(はんすう)したりすることは難しい。
ネガティブ・ケイパビリティは、こういう忙しい世界で、別の道を模索する姿勢でもあると思います。
【小川】 元々は英文学者で詩人のジョン・キーツが200年前に記した言葉です。私が研究するロマン主義文学の思想を支える根幹にある考え方と言ってもいいくらいインパクトがあった。
ただ、実はキーツは「これがネガティブ・ケイパビリティだ」と大々的に提唱したわけではないんです。
シェークスピアの劇を見たあと、1817年に弟に宛てて書いた手紙のなかで、“being in uncertainties, mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason.”、つまり「いら立ちを抱えながらも、事実や理由をせっかちに追い求めることなく、不確実性、神秘、疑念の中にいられること」ができる能力を表現した。「留保する力がないと傑作は生まれない」と、最初は文学論のような文脈で出てきたのです。
これが答えだと言ってしまわ…