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【往復書簡】常に最強の自分を想像せよ。

壇珠さんの記事へのお返事です。

壇珠さん、おはようございます!!壇珠さんに何か言おうとすると、面白かったこととか、好きなこととか、とにかくポジティブなことを考える自分に一発で切り替わるスイッチが押されるから不思議です。小生、最近レザーのめちゃめちゃ可愛い鞄を買ったのですが、あまりにも可愛らしくて毎日毎日「お前は本当に可愛いなあ」と愛でています。毎日新鮮なのですが、好きなものを愛でていると、主体と客体の境界線が曖昧になり、本当に好きなものの中に自分がいる感覚になります。

こんなにも愛着を覚えられる自分に感動して、周囲の全てを俺の愛で満たしたくなります。身の回りのすべてを、鞄と同じレベルで愛せるもので満たしたくなります。愛を語れるものだけで満たしたくなります。逆に言えば、愛を語れないものは捨て去ることにしました。なんとなく買ったものや、間に合わせで買ったものを、問答無用で捨てていきます。断捨離のコツは、要らないものを捨てることではなく、好きを捨てることです。好きを捨てて、大好きだけを残すことだと思います。

人間も同じです。壇珠さんを知らない人から「壇珠さんってどんな人なのですか」と聞かれます。そんな時、私はあらゆる言葉を総動員して、壇珠さんを褒め称えます。よく、旦那が奥さんのことを「あいつはダメな女でね」みたいなけなし方をするのを見ますが、言語道断。あり得ない。身近な人間を悪く言うことは、自分自身に対する最大の冒涜。愛を語れない人間は要らない。愛を語れないなら、さっさと別れる。愛したものしか自分にはならない。愛を語れる人間で固めるのです。

思想も同じです。最近、禅の思想にはまっています。そんじょそこらの禅僧よりも、俺の方が禅僧なんじゃないのかとさえ思います。キリスト教とは異なり、禅は「愛が大事」とか言わないのが好きです。愛より善。善より純。純より空。空とは「なにもない状態」というのが原意で、インド数字ではゼロ(零)を意味します。物質的な存在は互いに関係し合いつつ変化しているから、現象としてはあっても、実体として、主体として、自性としては捉えるべきものがない、これを空と言います。この空性を体得すると、根源的主体を生きられるようになると言うのが、空観の極意です。

我々は、自らを風神雷神と名乗る狂人ですが、風神雷神と言う言葉こそが「根源的主体」を意味しているのだと思います。その点において、我々はすでに空観の極意を体得していたのであります。私は◯◯であるとか、肩書は要らない。私は◯◯であるの◯◯を取っ払って「私はある」と言った時に、立ち現れるものが空であり、根源的主体であり、風神雷神であります。自分も他人もない。空があるだけ。愛があるだけ。風神雷神がいるだけ。根源的主体(俺)今日も行きまーーーす!!

死にかけたとき、女は孤独に目覚め、生命力とつながり、生き延びることに執念を燃やし、日頃は隠れている強気が全開になる。極端に言うと、生きることしか頭にない状態になる。治ったら何をしようかとか、何を食べようかとか、そんなことばかり考える。生が鮮やかに浮き彫りになり、むしろ死が遠ざかる。しかし、男は「俺は喰らっちまった」というオーラを発し、孤独を悲しみ、己を憐れみ、日頃は隠れている弱気が全開になる。極端に言うと、死んじゃうかも知れないなどという考えが意に反して頭をよぎってしまう状態になる。優しくされたい欲求のリミッターが外れ、なんというか「可哀想な俺」というステータスになり、衰弱してへたってしまう。

私は今回そんな様子の夫を見て、この男女の違いは、どうにも仕方のないことなのだと思いました。宮本武蔵ならば死にかけたら洞窟にこもって五輪の書をしたためるのかもしれませんが、でも大抵の男は、よく笑い話にされるように、熱が出たら弱気が噴出するものなのだと思います。私は、それを見下して笑う気になれません。そのことを、他人事として見るというか、自分たち女とは違う、男という生物のことなのだと一線を引いて、自分とは関係の無いことなのだとは考えません。なぜなら、それは俺たち人類という生物の特徴だからです。男たちが普段強気でいてくれるから、女は普段フワフワしていられるし、女がいざとなったら強いから、男はいざというときにメタメタに倒れることができます。俺たちはそういう生物種です。だから、これは俺たち自身のことなのです。それを笑うというのは、自虐なのです。

男と女はお互いに陰陽のバランスを取って存在しています。これが俺たち人類の特徴です。だから、病の時に男が弱気になることを悪く言うやつは、人類のことを悪く言っているのです。女ってみんな感情的でバカだよな、などと言う男もそうです。自分で気がついていないが、そうして人類の悪口を言っているのです。つまりは、自分の悪口を言っているのです。私はこうしたことを、まったくの愚行だと思います。私は男が病気のときに弱気全開になり、孤独に打ちひしがれ、母の愛と女の優しさをもとめ、弱気を全開にして自分の弱みと思いっきり対峙すればいいと思います。一種の浄化です。反対に、女は子どもを産めるくらいに強いくせに、普段は弱み全開にして「こわーい」「できなーい」などと言って、消防士も土建工事も男にやらせておればいいのです。それが俺たち人類です。男と女は、お互い様なのです。

あっぱれであります!!まさに!!まさにであります!!人間嫌いの人間は、何を隠そう自分のことが嫌いなのだと思います!!人間を諦めると言うことは、自分を諦めることなのであります!!全部自分!!そんな君に禅の智慧を授けよう!!君はあれだろ!!根本的に人間(自分)を信用できていないのだろう!!だがな、信用できていないのは頭の話であって、体は全然違うんだよ!!道を歩く時に「私は歩くことができます」と頭で考えるか?!歩けることを信用するか?!しないだろう!!信用も何も普通に歩くだけだろう!!それで事故るか?!事故らないだろ!!事故る時って、頭が余計なことを考えている時だろう!!

それは君が性悪説に捉われているからだ!!人間は放っておくと何をしでかすかわからないから、管理をする必要があるという不信感が土台にあるから、あれこれ指示して、自我や執着を膨張させて、勝手に期待して勝手に裏切られて「これだから人間はあてにならない」と勝手に幻滅をして、勝手にストレスを溜め込んで勝手に病気になっているだけだろう!!よーく考えてみろ!!運転初心者は、歩行者を気にしたり標識を気にしたり、非常な困難ばかりを意識するだろう!!運転に熟達をした人は、極めて安楽な気持ちで運転をしながらも、決して規則を犯すことがないだろう!!

これが「とらわれない心」ってヤツなんだよ!!放っておいたら倫理的な価値を破壊することになるとか、そんな疑問が邪魔なんだよ!!逆なんだよ!!とらわれているヤツから事故るんだよ!!空の境地に達すれば、行いは自ずから善に合致するんだよ!!運転に熟達した人は、ルールを守る意識もないままルールを守り、ルールを守りながらもスムーズなドライブを楽しむことができるんだよ!!俺たちが狙っているのは、この境地なんだよ!!この境地を、金剛般若波羅蜜教では『まったくすばらしいこと』と呼んでいるんだよ!!

我らの生きるこの世には、やりたいことをやったり、言いたいことを言ったりしたら、自分が身勝手で嫌なやつだと知られてしまって、他人から嫌われるかも知れないなどと恐れている人がたくさんいますが、ハッキリ言えば頭がものすごく悪いのかなと思います。お前だけじゃないだろが。俺たちの本能は身勝手なんだよ。それが俺らだろうが。たいていの人の考えるやりたいことや言いたいことと言うのは、本当にやりたいことや言いたいことなのではなくて、他人のご機嫌を勝手に伺ってきて疲れたのでやめたいか、自分で処理できない不機嫌を人にぶつけることです。つまり、単なる身勝手です。

多くの人が、その己の単なる身勝手を、本当にやりたいこと、本当に言いたいこと、とても大切なものだと思っているのです。これは、愚の骨頂であります。俺たちすべての人間にはエゴがあり、状況によっては品行方正でいられなくなる可能性がある。犯罪者予備軍なのが地球人です。誰しもが、そういうところを備えたまま、理性を働かせて生きている。全員がそうなのです。だから、お前の一部が身勝手で嫌なやつであることなど、周知の事実なんだよ。身体を持った生物である以上、当然のことじゃないかよ。と思います。残念でした。お前は特別じゃねえの。そこに個性なんか無いんだよ。

みんな一律でそのような構造の生物であるのに「こんな身勝手なところがあるなんて、私っておかしいのかも!!」などと考えること自体が自意識過剰の極みなのです。そんなことは、いちいち誰かに暴言を吐いたりして「ほら、私って実はこんなに嫌なやつなんです!!」などと実演して見せなくたって、わかりきったことだろうがと思っちまうのです。で、それを人に見せたら嫌われるかもしれないなどと考えるのも浅はかで、たまたま嫌われなかったら、それはその相手も「身勝手さを人に見せるなんて、勇敢だわ」などと考えている頭の悪い人だっただけで、あとは嫌われて当たり前なのです。

壇珠さん、聞いてください。あたしゃ、年齢を重ねるほどに人間は丸くなるものだと思っていました。若かりし頃は苦手だなと思っていた人とも、年齢を重ねれば付き合っていけるように成熟するものなのだと思っていました。しかし、これは勘違いでした。お恥ずかしながら、小生、年々ストライクゾーンが狭くなってきております。思春期が終わりません。無理なものに「無理!」と思う速度が、年々加速しているのです。これは新型鬱病なんじゃないのかなと思います。好きな人といないと鬱になり、死にたくなってしまうのです。

新型鬱病の俺は、生きていくために嫌いな人といる時間を極力減らす必要がありました。嫌いな人といる時間を極力減らそうとすると、どうしたって嫌われるリスクが爆増します。しかし、生死に関わる問題なので「やむなし」と自分の意見を口にするようになったら、驚かれることは増えたのですが嫌われることは(自分が意識していないだけかもしれませんが)あまりなく、なんなら「正直な君に惹かれるから話をしたい」とまで言われるようになり、死ななかったばかりか、身勝手さが許されるニューワールドに突入いたしました。

なう、私は「嫌われるかどうか」の世界線で生きておりません。俺が俺でいることが愛だと言わんばかりの勢いで、思ったことをできるだけ精度の高い言葉に整えて、相手の懐に放ちます。見る人が見たら「なんて身勝手なヤツなんだ」と憤慨するのかもしれませんが、性格の悪い私は「お前だって自分がいい人だと思われたいからいい人の役割を演じているのだろう。俺の身勝手もお前の身勝手も同等だ」と思いますから平気です。新型鬱病の俺は、新型鬱病を改善する方向ではなく、新型鬱病を抱えたまま楽しく生きる道を模索する者であり、新型鬱病に磨きをかける者であります。

弱く、愚かで、下手くそで、つまんなく、不誠実でいるのはあまりに簡単だから、それじゃつまんねえんだよ。世の中のすべての人が「やらなきゃいけないことなんてないんだよ」「努力なんてしなくていいよ」「人生はただの暇つぶしなんだよ」「だから成長なんてしなくていいんだよ」などと諭してこようとも、俺は俺がやるべきだと設定したことをやるんだよ。なんでって、自分が格好いいと思うほうに近寄りたいからだよ。今の圭吾さんにとっての生きる喜びはなんですか。お聞かせいただければ幸いにございます。

ガッテン!!ご質問をありがとうございます!!最近の俺の喜びは「別府の山奥にある無料の混浴温泉に行ったら誰もいなくて開放感が最高だったこと」や「興津のすっぽん鍋が美味すぎて震えたこと」や「朝ランの後の水シャワー」などです。そしてもちろん、人に会うことであります。人に会うと言いましても、会っているのに会っていないなと感じることがあります。そんな時は肉薄をします。普通の人は聞かないようなことを聞き、相手のコアに迫ります。それによって気まずい雰囲気になったり、怒られたり泣かれたりすることも頻発しますが、関係ありません。俺に会いたいと言ったのが運の尽き。今夜、お前と濃厚接触。

ストックとしてのやりたいことはあまりないのですが、今、目の前にいるお前に会いたい。お前に肉薄したい。これまでで一番楽しかったことは何ですかと聞かれても「いまがそうなればいいと思っています」と言いながら突っ込む。やばそうな方向に突っ込む。面白くなりそうな方向に突っ込む。明日はない。今しかない。愛は肉薄。恋は撹拌。弾けて混ざる。今夜、お前と抱き合い心中。

あとはやっぱり「いい文章を書けたな」とか「いい曲を作れたな」と思った瞬間です。やっていることが報酬なので、今日は頑張ったから自分にご褒美だみたいな気持ちにはなりません。結果が報酬であり、名言と名曲がご褒美です。書きながら思ったのですが、私は「死にたがる自家発電のプロフェッショナル」なのかもしれません。不足感がなく、当然のことながら不安もありません。花開き花散る。それでいい。来たものにぶつかり、来たものと抱き合い心中をするのみであります。

圭吾さん、聞いてください!!あたしゃつい最近、友人に会って大変ショックなことを体験しました。その友人が、とてつもなく自尊心の低い発言をして、被害者ポジションに自ら浸かり、こちらを加害者にするのを目撃したのです。本人も気がついていないし、悪気など無いのもわかっているのですが、それでも私は心を許している相手からいきなり日本刀で斬りつけられたかのようなショックを受けました。思えばその人は出会ったときからずっとこのような人物だったが、これまでの自分は、それをまあよしとして、なんとも思わず許して付き合ってきてしまったのだ!!と気がついたのです。

きっとその内容を他の人に話したら、ほとんどの人は「どこが問題なの?」と言うことだろうと思います。私のことを、気難しい人間だと思う人も多いことでしょう。が、私はもうその次元にいることができなくなってしまったのです。なぜこうなったのかといえば、きっとここ数年の間に、私自身の自尊心がこれまで以上に高まっていたからだとしか言い様がありません。つまりはそれ以前の自分は、その友人と同じレベルで尊厳が低かったのだということです。これがあまりにも情けなくて己に腹が立ち、忸怩たる思いにメタメタに打ちのめされました。これまでの自分の人生の、誰かから軽んじられ、侮辱され、尊厳をないがしろにされ、自分がそれを当然のごとく受け入れてきてしまった無数の場面が走馬灯のように思い出され、過去の一切が許せないような気持ちになり、なんと実際に吐き気を催しました。

その人と別れた後は、まさに栄養を奪われたかのように、信じられないほどクタクタに疲れて、二日間ほどまともにルーティンがこなせない状態に陥りました。そのあと、そのまま肺炎に倒れたのです。圭吾さんのおっしゃるように、まさに文字通り、内臓にダメージを喰らったのだと思います。それで今回、あたしゃ自分に誓いました。次はない。二度と決して、自分にこんな思いはさせまいと。まさしく生まれ変わったような体験でした。

わかります!!わかりますとも!!自分にこんな思いをさせて、自分に謝罪したいこの気持ち!!言葉は悪いですが、ザコを相手にする時、いちいち説明をする必要はないのだと思います。心を鬼にして、否、すでに心は鬼になっているのだから「甘ったれるな」の一言で一発解決。相手がそれによって弱さの核爆弾を爆発させたとしても、無視。相手にしない。そのレベルで付き合わない。これは絶縁宣言ではない。ただ「いまのあなたとは友達になれない」と、事実を叩きつけただけ。

圭吾さん、友とは一体なんでしょうね。私は友という括りで付き合う人を、持つことができないのだと思います。圭吾さんのことは、風神雷神タッグであり、私にとって唯一無二の大変貴重な人です。私には他に一人、絵のことや詩のこと、芸術のこと、人生のことなどを、知的に情緒豊かに語り合うことのできるMさんという女性がいますが、その人のポジションもまた、私にとって唯一無二の特異なものです。それから、作家でありシンガーソングライターでもあり身体感覚研究家の大島ケンスケさんともよくお話をしますが、彼のポジションもまた、私にとって比類なき唯一無二のものです。

それぞれの人との交流は、その人としかあり得ないものです。だから、友なのかと聞かれると、友としての付き合いをしているのではなく、圭吾さんとの付き合いをしているのだし、それはMさんとも、ケンスケさんとも同じです。誰のことも、友という枠にくくることができない無二の関係性だというのが、正直な感覚です。だから友達づきあいとはなんぞやと思ってしまうのですが、少なくとも彼らとは、栄養を与え合う関係性だと言うことができると思います。

圭吾さんのおっしゃる、「人の心を無くす」というのは、尊厳の低いもの同士の傷のなめ合いに加担しないということだと思います。あたしゃも心の底から、それに賛成です。私も人の心を無くして、決してそこに肩入れせずに生きていきます。もう本当に、ダメ、絶対!!どうせ愛されないと思って拗ねて、他者と世の中が悪いのだと思っている人に、同情してはならない。自分は傷ついているんだから当然周りの人間は自分に愛を表わすべきだ、しないやつは心がない、などと思っている傲慢な人に、同調してはならない。

真の友とは、友なんていなかったと教えてくれる存在だと思います。真の友ができた時、私は「俺には友達がいる!俺には友達がいる!」と、静かな夜に一人で拳を握りしめながら、泣きました。得難いものを得た喜び。これは、得た者にしかわかりません。得た俺は「俺は得た」と咽び泣き、これまで友達と思っていたものは友達ではなかった、友達ごっこをしていただけだった、真の友ができたことにより、まやかしの友が粉砕された、友達とは、友達というカテゴライズを破壊するものなのだと、頭ではなく、体で感じたのでした。

おそらく、妻も旦那も男も女も、あらゆるカテゴライズは「それを粉砕するためにあるもの」なのだと思います。まやかしの人間関係は、友達なら(恋人なら)これくらいのことをしろとか、妻なら(旦那なら)これくらいのことをしろとか、男なら(女なら)これくらいのことをしろとか、テンプレ的な要求をするようになります。これが、いかにつまらないことか。テンプレートに固定しない。俺には壇珠さんがいる。壇珠さんが◯◯してくれるとかではなく、壇珠さんが◯◯してくれるの◯◯を取っ払って「壇珠さんがいる」という圧倒的な事実に力づけられ、励まされ、奮起し、生きて、死ぬ。これこそ、真の友だと思います。

圭吾さん、あたしゃ最近、今の自分がドーピングすべき最高の人物を見出したのです。それは、かのトム・クルーズ氏です。トム氏はあるインタビューで前妻のニコール・キッドマンについて聞かれたときに、「彼女はあなたの人生の愛でしたか」という質問に「どういう意味ですか」と聞き返し、「僕たちは子どもを一緒に育てました。私は彼女を愛しています。それは間違いありません」と答えました。そして「彼女に再婚して欲しいと思いますか」という質問には「はい。ニコールには幸せになって欲しいと思っています」と、インタビュアーの目を真っ直ぐに見つめて答えていました。

そのあと「彼女とは今も関係を保っていますか。親同士として、あるいはプロの俳優としての意見を交換したり…」という質問が出た途端、トムは間髪入れずに、迷いも躊躇もなく、きらめく真っ直ぐな目線をインタビュアーに向けて「あなたは今、ラインを越えた。自分でもわかっているはずだ」と注意しました。インタビュアーが「みんなが知りたいと思っていることを聞いているだけですよ」と言うと「ピーター(インタビュアーの名)、それを知りたいのは君自身だ。自分の好奇心には責任を持つべきだ。他人のせいにしてはいけない。これは私とあなたとの会話だ」と、これまでと同じように、きらめく目で真っ直ぐに相手を見て警告していました。

インタビュアーは往生際が悪く、「私はラインを越えたんですかね」と確認していましたが、トムは「その通りです」と、相変わらず真っ直ぐに透き通る視線を向けたまま答えてから、「自分自身に礼儀を取り戻して下さい」と言って、ピーターがトムにインタビューをするために必要なものを伝えていました。トムの視線はその終始、直線に進む光のように真っ直ぐでした。

トム!!格好よすぎるぜトム!!トムと同じ時代に生きられる喜び!!この喜びを噛み締める!!血と骨に変えて力強く生きる!!しかしながら、我は風神(雷神も可)。力強く生きるだけではなく、トムの魅力をかっさらう。トムのものは俺のもの。俺のものも俺のもの。我はトムなり。トムの魅力でさらに富む。富むクルーズで出発だ!!

トムに出会ったインタビュアーは、己の醜さを認めることから逃げてトムを責めるか、現実を受け入れてより素晴らしい自分に生まれ変わるか、ふたつにひとつ。またとないトムとの出会いを、無駄にはしない我ら風神雷神は、トムによって浮き彫りにされた己の未熟さを地獄の業火で焼き尽くし、より一層の強靭な釼となって生まれ変わる。

なあ、これを読んでいる君よ。俺たちは、君の心に語りかけているのだよ。またとない君の心に、君のコアの扉をトントントンとノックをしているのだよ。出てこいよと。君にもあるのだろうと。こんなんじゃ生きているとは言えないと叫ぶ、燻る炎の塊が。俺が神なら君も神。本当は、わかっているのだろう。自分には力があることを。裁量権は自分にあることを。それを愚痴ったり文句を垂れることではなく、最高の人生を実現させるために、最強の自分を生きるために使いたいと願っている心の声に、本当は気づいているのだろう。

だったら、やろうよ!!やれるよ!!なりたい自分になれるよ!!なれるよ!!なれるんだよ!!会おうよ!!せっかく会えたなら、会おうよ!!会えるよ!!根源的主体(俺)に、会えるよ!!トムが浮き彫りにしてくれた自分に会えるよ!!トムが神なら君も神なんだよ!!神が浮き彫りにしてくれた君も神なんだよ!!肉薄しようよ!!一歩踏み込もうよ!!踏み込めるよ!!リスク背負えるよ!!リスクを背負って、生き埋めにされた喜びを掘り起こそうよ!!掘るぜぇ〜!!掘って掘って掘りまくるぜぇ〜!!掘って掘って掘り合おうよ!!掘り合えるよ!!掘り合った先にトムがいるよ!!トムになれるよ!!一緒にトムろう!!富むクルーズに乗って出発をしようよ!!

真実は自我を粉砕する。私は◯◯である。そう、自らを規定して、規定したものによって苦しむ。私はある。あると言えばあるし、ないと言えばない。あるはないし、ないもない。それでよい。わからなくて結構。わからないまま平気で生きる。人との出会いは神との出会い。俺が神ならお前も神。卑屈な奴は卑屈の神。貧乏な奴は貧乏の神。手加減無用。容赦なし。それでこそフェア。上もければ下もない。花開き花咲く。その外に何があるというのか。問うことはいくら問うてもよい。それが人間に課せられた業である。それでよい。常に最強の自分を想像せよ。君には、俺たちがいる。あとは「お辞儀して左様なら」である。さあ往こう。羯諦。羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。ここに、智慧の完成の心が終わった。

【新型鬱病患者及び根源的主体による空前絶後の大宴会】「これが最後で構わナイト 〜俺たちに明日はない。俺たちにあるものは、この燃えたぎる熱情だけだ!!〜」企画・運営:(株)風神雷神

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坂爪圭吾 ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!

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