『いい会社だよね』というCMが、社員の心を傷つけるとき
2025年12月16日。
アルプスアルパインから出された人事に関する「事後通知」を起点に、研究会の母体となる法人には、ご家族からの声が届くようになった。そして現在、私はモビリティ部門のある程度の社員と、直接つながるところまで来ている。
取材という言葉を使うのが正しいのかは分からない。ただ、現場から聞こえてくる声は、どれも切実だ。
その中で、ある連絡が届いた。
「テレビCMが、心に突き刺さります」
最初は、その意味が分からなかった。私はあまり、というより、ほとんどテレビを見ない。だが、話を聞くうちに、その言葉の重さが分かってきた。
リンクを貼るがCMの内容は、こうだ。※限定公開という記載あり。
https://www.youtube.com/watch?v=F5-dSHp1tXE
「シンジくん、アルプスアルパインの内定もらったの?」
「すごーい」
「いい会社だよね」
この「いい会社だよね」という一言が、今のモビリティ部門の社員、そしてその家族にとって、どれほど重く響くか。
このタイミングだからこそ、その言葉は祝福ではなく、刃のように刺さる。
ここに、制作側のコメントを引用する。
南琴奈さんコメント:
「このCMを見て「面白いな」と思っていただけたり、
「アルプスアルパインさんのことをもっと知りたい」と感じていただけたら、
とても嬉しいです。ぜひ、たくさん見てください。」
監督 羽鳥義人さんコメント:
今回のCMでも南さんはアルプスアルパインが何をしている会社か知らないようなので、いっそのことアルプスアルパインの業務内容を変えた方がいいような気がしてきました。
南さんのCMを撮影するのも3度目になります。その間に南さんの知名度はどんどん上がっているようです。嬉しいことです。ところで、アルプスアルパインの知名度は上がっているのでしょうか…?上がってますよね…?
正直に言えば、これは社員だけの問題ではない。
ある意味で、CMに出演している芸能人もまた、被害を被っていると言える。彼らは与えられた台本を演じているだけであり、その言葉が誰の心を傷つけるかまでは、知り得ない立場だからだ。
「ウチは今、人手不足です。特に、新卒が欲しくてCMに注力しているのだと思います」
これは、現場の社員から寄せられた率直な声である。
人材不足そのものは、どの企業にも起こりうる。しかし問題は、迎え入れる体制やプロセスに明確な疑問が残ったまま、「来てほしい」「いい会社だ」と発信を強めている点にある。
実際には、事後的に決定された配置や異動が存在し、それが企業の掲げるサステナビリティマネジメントと大きく乖離しているにもかかわらず、その点についての説明は、社内外いずれにもなされていない。
採用広報だけが前に出て、不都合なプロセスが語られないままであるならば、それは「期待」と「現実」の落差を拡大させる行為にほかならない。
しかし、問題はそれだけではない。
私は一つ前の記事で、「省人化」という言葉と、サステナビリティマネジメントとの“接続”について書いた。それに対して、こんな連絡をもらった。
「会社は接続せず、省人化を単体の話にするのでは?事後通知とそれは関係ないとして、逃げるのでは?」
一見すると、もっともらしく聞こえる意見だ。この意見はGRIを理解していないからこその意見だ。しかし、その社員に何ら問題はない。
接続しなければ、国際基準で問題になる。
だが、なぜこの意見が出てくるのか。その理由を掘り下げていくと、私は強い違和感を覚えた。
その社員自身は、自社がサステナビリティマネジメントを掲げていることを、全く知らなかった。
驚きは、それだけではない。
取材を続ける中で、私はさらに衝撃的な事実を知ることになる。
私とつながっている社員の部下も、上司も、「自社がサステナビリティマネジメントを行っていることを、私から初めて聞いた」というのだ。
ここで、一つの想定が浮かび上がる。
「12月16日時点で、決定側にいた人間ですら、サステナビリティマネジメントを十分に理解していなかったのではないか?」
もしそれが事実だとしたら。
今回の一連の動きは、「理念と現実の乖離」ではなく、「理念が共有されないまま進んだ意思決定」という、より根深い問題を示していることになる。
CMは「いい会社だよね」と語る。
一方で、現場では、その言葉を正面から受け止められない人たちがいる。
この断絶こそが、今、最も注視すべき点なのではないだろうか。
おわりに
今日は大晦日である。
一年の終わりに、人は「区切り」という言葉に救いを求める。
けれど、区切りは自動的に訪れるものではない。
見て見ぬふりをした問題は、年を越してもそのまま残る。
今年は、「サステナブル」「人を大事にする」「いい会社」という言葉が、
少なくともアルプスアルパインでは、これまで以上に軽やかに使われた一年だった。
その一方で、その言葉を真正面から受け取れず、心の中で立ち止まっている人たちが確かに存在している。
私は、その声を書き残しておきたかった。
年の瀬だからこそ、なかったことにしてはいけないと思ったからだ。
来年も、企業は理念を語り続けるだろう。
そして現場では、その理念が試される瞬間が、必ず訪れる。
そのときに必要なのは、「正しい言葉」ではなく、「言葉をどう扱ったか」という記憶なのだと思う。
静かに年を越したい。けれど、静かに忘れてはいけないこともある。
この文章が、年をまたいでも、どこかで誰かの思考を止めることができたなら、それで十分である。
2025年最終記事 白石由紀
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