やっぱりトヨタの全方位戦略は正しかった…欧米も中国も「EVシフト」を修正せざるを得なくなった切実な理由

■EUは「2035年エンジン車禁止」を撤回
最近、欧米諸国は電気自動車(EV)への移行政策を修正しつつある。欧州委員会は、2035年からエンジン車の新車販売を実質的に禁止する方針を撤回した。
米国のトランプ政権は、既に新車の燃費規制を大幅に緩和する方針を発表した。中国政府は、過剰生産問題もあり、5カ年計画(2026~30年)で電気自動車(EV)を戦略的新興産業から除外した。
こうしたEV政策修正の背景には、それぞれの国の自動車メーカーの業況悪化が顕著なことがある。特に、自然保護の観点からEVシフトを重視した、欧米諸国の自動車メーカーは総崩れ状態だ。
主要国政府は、自然環境の保護よりも、自動車産業を支援する方向に舵を切らざるを得なくなった。そうした政策修正は、わが国のメーカーにとっては重要な追い風になる。
■日本独自の“全方位型”が奏功した
トヨタ自動車などわが国の自動車メーカーは、これまでEVやハイブリッドカーなどフルラインナップで供給する、いわゆる“全方位型”事業戦略をとってきた。その戦略が、今回見事に奏功する結果になった。
特に、米国や中国などの主要市場で、環境性能の高さと航続距離が評価され、ハイブリッド車(HV)の需要は増加が顕著になっている。
わが国にとって、自動車産業は経済成長を牽引してきた最重要産業だ。産業の裾野は広い。この追い風が吹いている間を逃さず、わが国のメーカーは製造技術に磨きをかけると同時に、ソフトウェア分野などの実力を蓄積することは重要だ。
それを生かして、わが国経済の復活に向けた道筋をつけることに期待したいものだ。
■独フォルクスワーゲンが初の国内工場閉鎖
現在、欧州や米国の主要自動車メーカーの業況は、かなり厳しい状況にある。ドイツのフォルクスワーゲンは、一時、東部のドレスデン工場での生産を終了すると報じられた。同社にとって、国内工場の閉鎖は88年間の歴史の中で初だという。
ポルシェは車載用バッテリーの生産を断念し、EV事業計画を見直さざるを得なくなった。メルセデス・ベンツは米国でのEV販売を中止した。
米国では、12月に入って、フォードが大規模な構造改革案を出した。2027年12月期までに、EV事業のリストラ費用195億ドル(約3兆円)を計上する方針だ。
GMも、複数回にわたってEV事業のリストラを実施している。2023年には約5000人の従業員を削減した。今年10月には、EVや車載用バッテリーの工場で追加3300人を削減し、11月にも追加で1000人のリストラを実施したようだ。
そうした状況で、欧州連合(EU)は、2035年のエンジン車販売の原則禁止方針を撤回する案を発表した。
二酸化炭素の排出を削減して製造された鉄鋼製品(グリーン鉄鋼)の使用を条件に、2035年以降もエンジン車の販売継続を容認するようだ。
■ガソリン車を優遇するトランプ氏の狙い
主要国の経済にとって、自動車産業は経済を牽引してきた主力産業だ。自動車産業は、雇用や設備投資に与える影響が大きい。自動車メーカーの業況が悪化すると、失業率は上昇し景気停滞懸念が高まる。それは、欧州主要国の政治にも影響する。そのため、自動車業界や労働組合などからの圧力で、政治サイドとしてもEVシフト関連政策の実行を遅らせざるを得なくなった。
今年12月、トランプ大統領は、前政権の新車燃費規制の緩和を発表した。ガソリン車を優遇する方針は鮮明だ。トランプ氏は、EV重視の前政権の方針を撤回して自動車産業を支援し、支持率の引き上げを狙っているのだろう。
一方、中国では、自動車の生産が需要を上回り価格競争は激化した。自動車大手の比亜迪(BYD)の7~9月期決算は減収減益だった。そのため、中国政府は自動車メーカーに赤字での販売を禁止する方針を出した。

■EVはコスト、安全性、インフラに課題山積
欧州、米国、中国などがEVシフトを遅らせるのは、自然環境の保護よりも目先の経済を優先する必要があるからだろう。
世界にとって異常気象は重要な問題なはずだ。環境問題に対して、当初、欧州の動きは速かった。欧州委員会は、自動車のライフサイクルアセスメント(素材の調達、生産、利用、リサイクルと廃棄の過程で排出される二酸化炭素を評価するしくみ)を策定した。持続可能な経済運営に関するルールを策定し、世界のEVシフトを主導しようとした。
しかし、EV政策に課題は多かった。ドイツなどは財政悪化を食い止めるため、販売補助金を縮小しEV価格は上昇した。バッテリーの製造コストも高い。バッテリーの発火問題など安全性にも不安はある。航続距離も短い。充電インフラも少ない。ウクライナ戦争以降は天然ガス価格が上昇し、発電コストも上がった。
風況の変化で、再生可能エネルギー由来電力の供給不安も高まった。
■「自然保護より経済が優先」という本音
2025年まで、ドイツ経済は3年続けてマイナス成長に落ち込むと予想される。コストのかかるEV移行政策は、欧州経済の重石になるとみられる。欧州委員会は小型EVに関する新規格を策定する一方、一時的にEVシフトのルールを緩め、主要メーカーの業績回復を支援する方針のようだ。
米国でも、トランプ大統領は自動車の重要性に配慮し、ガソリン車に関する規制を緩和している。政策の修正(ファインチューニング)に対応し、米欧の大手メーカーは他社と提携してエンジン車と電動車の生産体制立て直しを急ぎ始めた。
ドイツでは、ベンツとBMWがエンジンの供給で協力を検討し始めた。BMWは、トヨタともエンジン供給などで提携している。日産とのアライアンス体制を縮小したルノーは、フォードとEVや商用車分野で業務提携を結んだ。
フォルクスワーゲンは、中国の上海汽車集団(上汽集団)などとの提携も拡充している。業績の立て直しに、欧米勢の全方位型戦略への回帰は急ピッチだ。
■日本が誇るハイブリッド車の製造技術
今後、世界の自動車産業は、自動車のソフト化やEV化など大きな変革が必要になるだろう。
そうした環境変化に対応するため、主要メーカーの合従連衡は世界的に増えるとみられる。
今回、EV化政策の修正で、わが国自動車メーカーの全方位型戦略の優位性が明確になった。それは、日本経済にとって大きなメリットだ。特に、ハイブリッド車の製造技術は、わが国自動車メーカーの業容拡大に極めて重要になるはずだ。
実際、フルHVと呼ばれる車の製造技術を確立できていない自動車、海外の大手メーカーは多い。フォルクスワーゲンは、わが国のメーカーのようなフルHVを製造する技術力を実装できていない。HV製造のハードルは高いといえる。
米国で、GMやフォードなどがリストラを実施する中、トヨタは着々とHVを含む電動車の供給体制を進めているようだ。経営体力の喪失が深刻な日産は、ホンダ三菱自動車と協業して米国での生産体制を再構築しようとしている。
中国でも、ハイブリッド車への需要は増加している。トヨタが海外企業の中でも、中国市場で善戦している一因は、HV製造技術の高さにあるとの指摘もある。東南アジア、アフリカ、南米などの新興国でもハイブリッド車への需要は増加するだろう。

■これからの自動車企業に不可欠な“存在”
当面の事業戦略として、わが国の自動車関連企業は、世界のHV需要をしっかりと取り込む体制を整備することが必要だ。その一方、EVやPHV、さらにはソフトウェア開発の強化に目を向けるべきだ。
世界の自動車業界では、今後、ソフトウェアの性能が自動車の機能や価値を規定するようになるだろう。ソフトウェア・ディファインド・ビークル(SDV)開発競争が激化している。さらに、自動車とAI搭載ロボットが結合し、自律走行可能なAIデバイスが登場する展開もありうる。課題は、わが国には米中のIT有力企業と互角に競争できる企業が見当たらないことだ。
国内の自動車メーカーは、サプライヤーと協力して全方位体制の戦略を拡充すべきだ。それに加え、世界の有力IT先端企業と提携し、SDVに必要なソフトウェア開発に注力する必要がある。そうした戦略を粛々と実行できる企業は、中・長期的にわが国経済の回復を支える重要なファクターになるはずだ。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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だから南極では誰も「白いTシャツ」を着ない…南極観測隊員が「色のついた服」しか持っていかない切実な事情

南極地域観測隊は昭和基地をベースに観測や研究を行う。そこではどのような生活を送っているのか。
第66次南極地域観測隊長を務めた原田尚美さんは「通信衛星回線が発展したことでSNSやYouTubeは不自由なく使えるようになった。一方、食材の調達は昔と変わらず最も悩ましい事案だ」という――。
※本稿は、原田尚美『南緯69度のチーム 南極地域観測隊』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。
■忘れ物をしても取りに戻れない絶海の大陸
命の危険と隣り合わせの観測、地吹雪の中で過酷な力仕事をこなす設営、毎日が予定通りにいかない南極での仕事を支えるのは日々の生活です。観測隊のそれぞれの目的を達成するためには生活の基盤をつくることが大切です。
昭和基地への燃料や食材、観測や建築資材、部品などあらゆる物資の補給は年に一度、南極観測船「しらせ」で観測隊が到着する機会のみです。従って、この時までは限られた物資と装備で1年間、やりくりすることになります。忘れても取りに戻ることはできませんし、壊れても新たに調達はできないため、現場で工夫しながらなんとかするしかありません。
忘れ物といえば、私の場合は、第60次隊の観測に参加した際、大事な日用品の忘れ物をしてしまいました。あらかじめ出港前に「しらせ」に搭載していた衣類コンテナにも、成田空港からオーストラリア・パースへの飛行機移動の際、スーツケースで持ってきた手持ちの荷物にも、アンダーウエアと靴下が一切入っていませんでした。
「しらせ」に到着したその日に気がつき、翌日、パース市内の衣料品店で購入しました。代わりの何かで代用できませんし、人から借りるわけにもいきませんので、南極への出発前に気がついて、本当に良かったと思いました。
今回は忘れることのないようにとアンダーウエアを最初に衣類コンテナに入れました。
■寒いのに火傷するワケ
当然ですが、医薬品も新たに調達することができないため、医療隊員はどんな怪我や病気が多いのかを事前に把握して、例年多く処方している医薬品を準備して持っていきます。
南極は、「白い砂漠」と呼ばれるほど、年間降水量が少ない土地です。昭和基地周辺も雪はそれなりに降りますが、雨が降ることはほとんどありません。従って、1年を通じて乾燥しきっています。さらに夏の期間は白夜ですので長時間の日射が加わり、寒くて晴れると一面真っ白い世界です。
そのためか、乾燥や日焼けによって皮膚や唇が荒れてあかぎれができる、火傷レベルの日焼けになる、さらに観測で長時間屋外にいると粘膜が乾くためか鼻血が出る、霜焼けなどの凍傷になる、雪目になるなど、皮膚科や眼科のカテゴリーの傷病に悩まされる隊員が多いようです。雪目とは雪眼炎ともいい、屋外や雪上でサングラスなしに長時間活動して室内に入ると何も見えなくなったり、両目の痛み、充血、眩しくて目が開けられなくなったりする症状が出ます。隊員たちは出発前の訓練や観測隊向けの打ち合わせでこれらを学び、保湿クリームやリップクリーム、目の乾燥を防ぐ目薬など、持っていくと良いものリストも配られます。
ところが、持ってきたクリームを塗っても効かない、何度も塗りかえしてすぐになくなってしまったなど、南極の乾燥具合は隊員たちの想像を超えています。その場合は医療隊員にワセリンを処方してもらったり、塗った薬剤が皮膚上でしばらく保持されるよう薄いゴム手袋をはめたりする工夫を凝らして生活しています。
■予測不能だったチョコレート人気
南極での生活において精神の安定に大事なのは、多くの隊員の楽しみである食事も同様です。
しかし食材は、最も予測が難しい調達品でもあります。
確実に必要なコメ、小麦などの炭水化物、肉、魚、卵などのタンパク質、野菜などの食物繊維・ビタミン食材など基礎になる食材はおおよそ例年を参考にしながら種類や量の調達が可能です。一方、隊員の嗜好品は毎年異なり、それによって調達する品も毎年変わります。調理隊員は越冬隊員にアンケートを取り嗜好品を調査し、好みの食材を調達します。
私が最初に観測隊に参加した34年前は、調理隊員は嗜好品として大量のお酒を購入していたことを覚えています。
第66次隊の調理隊員に聞いたところ、最近の隊員はお酒をあまり飲まないようで、代わりにノンアルコール飲料や炭酸飲料を好む傾向があるようです。時代とともに隊員たちの嗜好が変わってきているのだと感じます。
さらに、南極は気温や湿度などの環境が日本と大きく変わるためか、食の好みが変わってしまうことがあります。
私の場合、南極に来ると、普段以上にチョコレートが食べたくなりますし、同様にアイスクリームを無性に食べたくなるという隊員もいます。第65次越冬隊では、南極に来て嗜好が変わり甘いものを好む隊員が多かったためかチョコレート不足が発生したようです。このように、嗜好品は調理隊員泣かせの難しい調達品なのです。
■意外と快適な南極生活
かつて南極は、国内や海外の情報からも隔絶されていましたが、最近の通信衛星回線の劇的な発展により、テレビ番組もYouTubeも新聞・雑誌もデジタル版であればほぼリアルタイムで情報を入手することができます。
家族や友人・知人らとのSNSもつながります。国内と変わらない情報の入手は、隊員たちの精神を安定した状態に保つための大きな支えになっていると思います。
カメラやパソコンなども予備があると便利です。昭和基地周辺では、夏の期間は雪が解け地表が露出することから土埃が空気中に舞っています。土埃の中には鉱物の雲母など微小粒子が含まれていて、カメラのレンズやパソコンを屋外で剥き出しで使用していると、これらの微小粒子によってレンズや画面に傷がつくなどして故障することもあります。
第60次隊の際には、インターネット環境に制限がある「しらせ」艦内でネットワークから1カ月以上切り離されたくらしをしていたら、Office製品が使えなくなる現象に見舞われました。念のため持ち込んだもう1台のノートブック型PCに助けられました。
■今ある設備で工夫を凝らす
「限られた環境」という言葉で思い浮かぶのは、昭和基地ならではのくらしの環境についてです。今でこそ昭和基地には女性専用の洗面所、トイレ、風呂がありますが、私が初めて観測隊に参加した34年前は、私で女性隊員が2人目ということもあり「女性用」施設はなく、男性と共用していました。お風呂は時間制で女性が入る時間帯が決まっていました。
南極に来ると、男性と女性の性差を大変意識させられます。観測隊といえば、つい最近まで男性中心の組織でした。
このため、昭和基地にあるトイレ、風呂、洗濯&乾燥機など、女性用の生活施設の数が圧倒的に足りません。最近の女性隊員数の増加に施設の数が追いついていないのです。
このため、男性用小便器の使用を止めて、個室トイレの全てを男女共用のユニバーサルトイレとして使ったり、昭和基地にある女性用風呂は浴槽1つ、シャワーブース1つと1人ずつしか入れない大きさなので、男性隊員が使っている広いお風呂を月に一度開放してもらい、時間予約制で女性隊員も利用させてもらったりさまざまな工夫を重ねます。
■白い洋服を着る人がいないワケ
また、南極では節水生活を心がけることも大切です。週に1回の洗濯は、「中水」という雪解け水を濾過せずに使うので、白い洋服は洗濯のたびにだんだん茶色になっていきます。出発前にこの状況はあらかじめ伝えられているので、南極に持ち込む洋服は全て色のついたものが無難です。そして「そういうものだ」と覚悟が決まれば、隊員たちの順応は早く、この環境に慣れていきます。
ただ、「そういうものだ」は「我慢」と紙一重で、夏の活動の期間限定のくらし方であるからこそ、苦労は皆一緒なので乗り越えられるのだと思います。
2月1日の越冬交代式後は、越冬隊は居住棟の個室へ移り、夏隊・同行者は昭和基地近くに接岸している「しらせ」の部屋へ戻ります。それぞれ、夏の期間限定のくらし方から解放されて落ち着いたくらしになると、自分が「我慢」していたことに改めて気づきます。
そして人は都合よくできているもので、「限定されたくらし方」は、南極での経験の醍醐味となり、その大変さは記憶に残らず、皆で一緒に乗り越えた達成感や笑い話として記憶に残ります。夏の「限定されたくらし方」は、越冬期間中の隊員たちの笑いのネタとして心を和ませるものにもなっていきます。


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原田 尚美(はらだ・なおみ)

第66次南極地域観測隊長

東京大学大気海洋研究所附属国際・地域連携研究センター教授。専門は生物地球化学、古海洋学。東京大学大気海洋研究所教授。名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻博士後期課程満了。第33次南極地域観測隊夏隊において、史上2人目の女性隊員として参加。第60次では副隊長兼夏隊長を務め、3度目の南極となる第66次では女性初の隊長を務めた。

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(第66次南極地域観測隊長 原田 尚美)

「しぼりたての日本酒」が実は一番おいしい…日本酒業界の常識を世界に広める「すごい冷凍技術」の全貌

日本食ブームに合わせて、海外でも日本酒人気が広がっている。しかし、蔵元が「一番おいしい」という生酒を輸出することは難しいとされていた。
この問題を解決したのが、日本酒を急速に凍らせるという独自技術だった。酒ジャーナリストの葉石かおりさんが取材した――。
■時間とともにフレッシュさは失われていく
蔵元をはじめ、日本酒に携わる人には長年変わらぬ願いがある。それは「搾りたてのみずみずしい味を、そのまま飲んでほしい」ということだ。
しかし現実は厳しい。大きな壁となって立ちはだかるのが、輸送と温度管理だ。特に搾り立ての生酒を筆頭にフレッシュさが命の付加価値商品は、時間の経過とともに香りや味わいが変化しやすい。既存の冷蔵輸送では、どうしても限界があった。
結果として、本来もっと評価されるはずの日本酒が、国内外の市場に十分届き切れていないという課題が生じていた。
この課題に真正面から向き合い、突破口を開いたのが、株式会社TOMIN SAKE COMPANYが展開する急速冷凍技術「凍眠(とうみん)」である。
■できたての日本酒を「凍眠」させればいい
「凍眠」は、一般的な冷気による冷凍ではなく、マイナス30℃に冷却したエチルアルコールを用いて一気に凍結させる特殊技術を使う。そのスピードは、一般的な冷凍庫で凍らせた場合の約20倍。
開発元である株式会社テクニカンが国内外で特許を取得している。
「凍眠」と日本酒が出会ったことで生まれた「凍眠酒」は、今、日本酒の可能性をさらに大きく広げつつある。その中心にいるのが、TOMIN SAKE COMPANYで代表取締役を務める前川達郎さんだ。出会うべくして出会ったとも言える凍眠技術と日本酒。その秘話に迫る。
■老舗蔵元が感動した「冷凍カツオ」の味
前川さんが「凍眠」と日本酒の可能性を確信するに至った背景には、「南部美人」(岩手県二戸市)の蔵元・久慈浩介さんの強烈な体験がある。
仕事で高知を訪れていた久慈さんは、会食の際に食べたカツオのおいしさに感動。カツオの名産地なだけに生だろうと思っていたところ、それが凍眠技術によって冷凍されたものだと聞かされ、にわかには信じられなかった。
さらに驚いたのは、生のカツオと比較したところ、おいしさやフレッシュさがほぼ変わらなかったこと。その時に紹介されたのが、「凍眠」という技術だった。
探求心の強い久慈さんは、「この技術は日本酒にも生かせるのではないか?」と思い、蔵の生酒を前川さんの元へと送った。前川さんは当時の様子をこう語る。

「私は元々、日本酒が好きだったこともあり、久慈さんからのお話は渡りに船。蔵にうかがって、『凍眠』で凍らせた生酒をはじめとする日本酒を解凍し、試飲してみるとこれがもう“おいしい”の一言。半年前に搾って『凍眠』させたものと、搾り立ての味がまったく変わらなかったんです。久慈さんが盛岡にある岩手県工業技術センターで官能検査をしてもらったところ、それを裏付ける結果が出ました」
■生酒特有の「劣化臭」を抑えられた
その結果は、「酒の味は基本的に変わらない。むしろ、冷凍のほうが穏やかに感じる」というもの。冷凍特有の劣化を指摘する評価は一つもなかったという。また、解凍方法による違い、長期保存による味の変化も差異がないことが判明した。
この結果を受け、前川さんはさらに検証を行った。それは生酒特有の「生老香(なまひねか)」と言われる劣化臭“イソバレルアルデヒド”の数値である。生乾きの布を連想させる青臭い刺激臭を放つ劣化成分で、香りにくすみや重さを与える原因の1つ。生酒を冷蔵保存した場合、時間の経過とともにこうした劣化成分が増えやすい。
前川さんは「凍眠」で凍らせた日本酒と、冷蔵した日本酒に含まれるイソバレルアルデヒドの数値検査を独立行政法人酒類総合研究所に依頼した。

半年間保存した酒を比較すると、冷蔵保存ではイソバレルアルデヒドやイソアミルアルコール、アセトアルデヒド、酢酸エチルといった劣化成分が有意に増加していたのに対し、「凍眠」による冷凍保存では数値上の変動はほとんど見られず、品質が安定していたのだ。
■解凍しても搾り立てのおいしさをキープ
この結果は「凍眠技術を使えば、蔵で搾ったままのクオリティが保てる」ことを表す。前川さんは、「日本酒の流通を変えられる」と確信した。
こうした経緯を経て、久慈さんは世界で初めて日本酒に凍眠技術を導入。南部美人の蔵で搾り立ての生酒を瞬間冷凍した「スーパーフローズン」が誕生した。この実証こそが、前川さんが凍眠酒を事業として展開していく、大きな原動力となった。
ここで前川さんを新たな分野の展開へと奮い立たせた凍眠技術とは、どういうものなのか、日本酒を凍らせるのに向いている理由も含め、前川さんに解説してもらった。
「この技術を開発したのは、僕が籍を置いていた株式会社テクニカンの創業者である山田義夫社長です。意外かもしれませんが、山田さんは研究者や技術者ではありません。もともとは食肉の卸業者としてファミリーレストラン向けの冷凍肉を扱っていました」
約40年前、外食産業の拡大とともに冷凍肉の需要が急増する一方で、現場では冷凍庫のスペース不足や品質劣化といった課題が深刻化していた。従来の冷凍方法では限界がある。その問題意識から生まれたのが、「凍眠」だった。

参考記事:1.6億円の借金→30年後に大ヒット…冷凍食品の常識を覆した「凍眠」、“売らない営業”で道を拓いた社長の執念
■一気に熱を奪う液体の性質に着目
この技術の着想の原点について、前川さんはこう振り返る。
「山田社長は趣味でスキューバダイビングをされていて、外気温が18度なら快適でも、水温が18度だと強烈に冷たく感じることに着目。そこから、『気体よりも液体のほうが、はるかに熱を奪う力が強い』という原理に行き着いたそうです」
その発想から生まれたのが、氷点下でも凍らないエチルアルコール(濃度60%未満)を用いた液体冷却による急速冷凍という方法だった。液体は気体に比べて熱伝導率が高く、対象物から一気に熱を奪うことができる。この仕組みにより、通常2時間ほどかかっていた冷凍工程が、わずか6分で完了する。
凍結スピードの飛躍的な向上は、冷凍時間だけではない。品質にも大きな違いをもたらした。凍結に時間がかかると、内部に大きな氷結晶ができ、細胞が壊れてしまう。その結果、解凍時に水分や旨味を含んだドリップが流れ出る。
一方、「凍眠」は氷結晶が成長する前に凍結が終わるため、解凍してもドリップがほとんど出ない。この効果は、当初は想定外の「副産物」だったという。
■「素材の時間を止める」ことが可能に
「短時間で凍結できること以上に、解凍の際に品質が落ちない。

その点が『凍眠』の最も優れた点だと思います」と前川さんは語る。
実際、筆者も「凍眠」で凍らせた肉、刺身、こんにゃくゼリー、牛乳などを試食させてもらった。肉はもちろん、鮮度が命の刺身にはかなり驚いた。フレッシュそのものだったからだ。
また冷凍するとシャリシャリになってしまうこんにゃくゼリーは、解凍しても食感が変わらず。半年前に凍らせた牛乳は、分離することなく、品質をそのまま保っていた。「凍眠」はまさに「素材の時間を止める」という言葉がぴったりである。
「これまで凍結酒というものはありました。しかし一般的な冷凍では、凍結までに時間がかかるため、解凍時に香りが飛んだり、口当たりが薄くなったりしやすいという問題点がありました。一方、『凍眠』は液体によって一気に熱を奪うため、氷結晶が成長する前に凍結が完了します。そのため分子構造が壊れにくく、解凍しても成分の分離が起きにくいんです。解凍後も搾り立てと変わらない香りや味わいが保たれる理由は、ここにあります」
■電気代は業務用冷凍庫と大きく変わらない
だが、技術がどれほど優れていても、コストが高過ぎたら使ってもらうことは難しい。

前川さんは、「凍眠」と他の冷凍技術との違いを比較しながらこう語った。
「『凍眠』は窒素ガスの凍結より早いスピードで熱を奪い、高コストの窒素ガスより圧倒的に低コストで、窒素ガス冷凍のおよそ8分の1です。電気代も業務用冷凍庫と大きく変わらず、『凍眠』で凍結した後に冷凍庫で保管する運用であれば、コスト増にはつながりません」
また、「凍眠」の装置自体も高耐久のステンレス素材を使用し、20年以上の使用を想定した設計だ。海外展開を見据え、消耗品は現地で交換できるシンプルな構造にしている点も特徴の一つである。この素晴らしい技術を酒蔵に広めるため、前川さんは最初にレンタルという方式をとった。
「凍眠生酒を広げるには、まず『凍眠』という技術を知ってもらわないと始まらない。でも最初から『装置を買ってください』と言っても、誰もイメージが湧かないですよね」
■冷蔵で輸出するよりコストを抑えられる
前川さんは賛同してくれる蔵に声をかけ、まずはレンタルという形で使ってもらった。一定本数までは無償で試し、その後も少額で体験できる仕組みによって、凍眠酒を扱う酒蔵は徐々に増えていった。
途中、日本酒スタイリストの島田律子さんにコンサルタントとして参加してもらい、現在は島田さんセレクトによる約50の酒蔵が凍眠酒を帝国ホテル、イオングループなどで販売展開している。
そしてここ数年、前川さんが力を入れているのがシンガポールやオーストラリアをはじめとした海外展開である。試飲した方々の反応は「上々」と前川さん。
「海外における冷凍の物流は冷蔵よりも多いので、コストも抑えられます。酒蔵にとっては『凍眠』で凍らせた日本酒を、通常の冷凍庫で保管することで品質を維持することもできます。“搾り立てのおいしさを届けたい”という酒蔵の思いを形にできるのが『凍眠』という技術なんです」
■日本酒を「100点満点」のまま海外へ
前川さんは、「凍眠」を「単なる冷凍技術」とは捉えていない。日本酒という文化を最良の状態で世界へ展開する「文化を運ぶインフラ」だと考えている。日本酒は、米、水、土地、そして蔵人の思想が一本の瓶に詰まった文化そのもの。それを最高の状態で海外に届けることは、日本文化を伝えることに等しい。
南部美人の久慈浩介さんも「凍眠」に期待を込める。
「現代の醸造方法では、搾った瞬間の生酒が100点満点と言えます。時間がたてばたつほど風味が変わっていき、減点されていってしまう。しかし、『凍眠』ならフレッシュなまま凍らせて、時間を止めて運べる。酒蔵から遠く離れた海外まで、生酒が出るホースをつなぐのと同じことができるんです」
前川さんは、海外展開も踏まえ、今後は海外向けのサポートチームを構築することも視野に入れているという。また、国内の酒蔵向けに冷凍保管も代行。これによって、冷凍設備が整っていない酒蔵でも凍眠酒の販売数を増やすことができる。
初年度の売り上げは約5000万円。前川さんは、短期的な数字の拡大よりも、酒蔵とともに持続可能な形で市場を育てていくことを重視している。
「凍眠」は、単に日本酒を「冷凍する」ための技術ではない。蔵で生まれた瞬間の味わいを、時間や距離の制約から解き放つための仕組みだ。技術はあくまで手段であり、目的は日本酒の価値とおいしさを正しく届けること。その姿勢があるからこそ、凍眠は酒蔵の共感を集め、国内外へと広がっている。

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葉石 かおり(はいし・かおり)

酒ジャーナリスト・エッセイスト

1966年、東京都生まれ。日本大学文理学部独文学科卒業。「酒と健康」「酒と料理のペアリング」を核に各メディアで活動中。「飲酒寿命を延ばし、一生健康に酒を飲む」メソッドを説く。2015年、一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーションを柴田屋ホールディングスとともに設立し、国内外で日本酒の伝道師・SAKE EXPERTの育成を行う。現在、京都橘大学(通信)にて心理学を学ぶ大学生でもある。著書に『酒好き医師が教える最高の飲み方』『名医が教える飲酒の科学』(ともに日経BP)、『日本酒のおいしさのヒミツがよくわかる本』(シンコーミュージック)、『死んでも女性ホルモン減らさない!』(KADOKAWA)など多数。

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(酒ジャーナリスト・エッセイスト 葉石 かおり)

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