映画『ひゃくえむ。』を受け入れられないから売れてほしい
はじめに
映画『ひゃくえむ。』は素晴らしい映画です。
原作を読んでいなければ、または原作に気持ちの悪い思い入れなどがなければ、最初から最後まで楽しめると思います。
全体的にテンポ感が良く、音楽が良く、絵が良いです。本当にキャラクターが生きてるんじゃないかと思えるほどリアルに動きます。
原作既読者には一概には薦められませんが、もし原作を観ていないのであれば是非この映画を観てほしいと思います。私は受け入れられなかったけど、売れてほしいから。
このnoteでは原作、映画、どちらもガンガンネタバレします。
未視聴の方は是非先に観てみてください。
小学生編
運動会
では早速本題に入ります。
『ひゃくえむ。』は熱と才能と矜持の物語です。
映画では全て切り捨てていました。
例えば、アッサリと言い切るナレーションや、ウダウダ言い続けるモノローグ、または取り繕えない内面、そういったものが原作の特徴です。
ですが映画ではキャラクターはセリフのみしか発さず、特徴的な内面描写は削られていました。
魚豊作品のナレーションはかなりクセがあり特徴的なので、万人受けのため削ったのか、映画を分かりやすくするため削ったのか。いずれにせよ削られたこと自体には理解できます。
ですが、湧き上がる熱、枯渇していく才能、それでも捨てられない矜持、そういったメインテーマに関わってくる描写まで削らないでほしかった。理解はできるが納得はできない。
具体例を言うと、原作第1話の小宮が運動会で金メダルを目指すシーン。
原作だといじめられっ子の小宮はレース中に転倒してしまって笑い者になるけど、それがトガシの「ブチカマせ小宮くんッ!!」に繋がっていく。
ここで初めて、才能しかなかったトガシが熱を手に入れて、熱はあるのに才能がなかった小宮が矜持を取り戻すため走った。
転けた後に“バカにされた”からこそ、小宮が走り切った後どのように世界が変わったかを身を以て実感できた。でも、映画ではそのバカにされる描写だけが削られていました。映画化に伴い表現を柔らかくするために子供同士の確執を失くしたんだろうが、ここは消してほしくなかったです。
このシーンはただ小宮が可哀想なだけでなく、小宮が変わるための大事な契機でした。闇が深いからこそ光が強くなるのに、闇がぼやけていたら光も眩しくならない。なぁなぁで人付き合いをしているトガシがうっかり同級生を殴ってしまったのが小宮の衝撃でノーカンになってるっていうのも無かったことになっていて残念でした。
こんなにしっかり殴ってるのに。
仁神の小学校訪問
映画ではトガシと仁神が対談してましたが、原作では仁神がトガシたちの小学校に来て陸上を教えてくれたりしてました。
ここには、『仁神は小学生相手にもヤケに礼儀正しくて、それでいてちゃんと年上らしく振る舞える出来た人間である。』という描写が出てきます。
これが後の引きこもりのギャップに繋がるので、まさかただの対談に変更になるとは思いませんでした。
映画では仁神がトガシに負けそうになったシーンも追加されましたが、この時点の仁神のやるべきことはトガシの才能探知ではなく、小宮への余計な発破だと思います。
仁神はここで小宮に適当をほざいた責任を感じなければならないのに、そもそも適当をほざいたことそのものが無くなっていて、なんで、なんでそこを削らなきゃいけなかったんですか。
仁神は、可哀想なキャラクターです。熱心な父親に徹底的に教育され、陸上漬けの生活を送りながらも、圧倒的な才能と理不尽な現実の前に敗れていました。なのに、小宮という化け物を生んでしまったのも仁神でした。
仁神は、小宮に「君はまだ納得していない」という一言で焚き付けておいて、「仮に栄光を掴めたとしても一瞬だ、君は走るのを辞めた方がいい」と、仮に栄光を掴めた後の話をします。
仁神としてはここで小宮を止めたかったのに、小宮は栄光の一瞬のためなら人生を捧げられると覚悟を決めてしまいます。
こんなにも思い通りにいかない、仁神は本当に可哀想な男です。
また、仁神の小学校訪問では仁神に質問できる時間もありました。
このシーンは、陸上オタクだと自分を誤魔化して、仁神には楽しく質問できていた小宮が、のちに本気で陸上をやるために財津相手に苦しみながら答えを得ようとしていた対比にも繋がります。
財津への討論を残すのなら、小宮が仁神に質問するシーンは省略するべきではないと思いますが、尺の都合でしょうか。なら仕方ない。
「いる音」
才能の上に胡座をかいていたトガシは、小宮と本気の100m走をして、初めて自身の才能の限界点に触れます。原作は、ここの演出が秀逸でした。
『ひゃくえむ。』の音の表現は基本的にどれも良いのですが、中でもこの「いる音」が一番素晴らしいと思います。キチンと音を聴きながら走るトガシ、そこに聴こえてくる異常な雑音。
映画も音に拘って作られていることはよく伝わってきます。しかしトガシの心情が語られないので、その音を聴いて何を考えているのか?どう焦ってるのか?が一切伝わってきません。
あのトガシが、100m誰よりも速く走れば物事は全て解決すると豪語するトガシが、初めて限界を知るのに!
いくら映画の音の質が高くても、トガシが自身の走りに「これ マズくね?」と感じてることは、言葉にしないと伝わらないでしょう。
気持ちとしては、ナミの「助けて」やロビンの「生きたい」のセリフがカットされて、ただボロボロ泣いてるところだけを観てるみたいな感じです。もったいな。
個人的には小宮の幻覚に苦しめられるトガシも見たかったのですが、映画版トガシはやけに爽やかだったので観られませんでした。ですが松坂桃李にそんな変な男を演じさせるわけにはいかないと言われたら納得するので、これは勝手に納得しておこうと思います。
トガシの変化
そんな小学校生活を経て、トガシは中学、高校へと上がっていきます。
小宮との本気レースを経て自身の限界に気づき、才能で食い繋いでいる自覚をしながら歳を重ねます。才能に依存したトガシは、もう陸上抜きでは生きられなくなります。
この緊迫感が、モノローグがあってようやく成立するのがトガシというキャラクター像だと思うのですが、ここは綺麗に省略されました。ぬるっと小学校から高校に上がっていきます。なぜこんなに魚豊の言語化を全て省くのか分かりません。『ひゃくえむ。』という作品が損なわれませんか?
喋らなくても見てるだけでヤバい小宮の異常性はともかく、ヘラヘラしながらも内心激焦りしており、それでいてガンギマっているトガシはヘラヘラだけ見せられても異常性が伝わってきません。映画は異常性を排除したいんでしょうか?トガシから異常性を排除したら面白みのない爽やかスカし根性男なのに。
体育祭編
いくらトロフィーにタバコの吸い殻を入れたりパシらせたり人のタオルで牛乳拭いたりするカスだからって、アメフト部の存在自体がなくなると思いませんでした。いや、アメフト部が居なくなることは別にいいのですが、それに伴って体育祭編が丸々なくなることについては納得できません。
トガシがアメフト部の体験でチームで支え合う心強さを知る…が、それでも陸上をやるんだ!と、決意する一連の流れについても、まぁ尺の都合で圧縮されるなら分かりますが、体育祭編丸々?がなくなる?
体育祭編は才能と矜持という『ひゃくえむ。』のメインテーマにかかってくる大事な話です。
部員の葵、貞弘、仁神が矜持を取り戻す話です。
1万歩譲って、尺の都合で体育祭編を大幅カットするとしても、なぜか部員の貞弘先輩が椎名スズメに変更されてることは何事ですか?製作陣が貞弘先輩を知らないなら仕方ないけど、背景にガッツリ映り込んでるんだから知ってますよね?なんでスズメちゃんが陸上部にいる?顔が可愛いからですか?貞弘先輩は顔が可愛くないからリストラされましたか?これってルッキズムに入りますか?
椎名スズメ
私は椎名スズメが『ひゃくえむ。』で3番目に好きです。1番は仁神(可哀想だから)で2番はトガシ(ガンギマってるから)。
誰よりも陸上が好きだった(アオイ談)のに、勝てないからという理由で中学で陸上を辞めます。嘲笑ではなく、本気で「私は走るのそんなに好きになれなかったから」と言います。
浅草葵のように、勝てるまで続けられるほどの陸上への気持ちは保てなかったという意味です。
そんな彼女ですが、体育祭編の勝ち負けについてアメフト部が自分たちに有利に動こうとしていた時に、彼女だけは公平にジャッジを下しました。
“勝てないから諦めた”というありふれた、普通の彼女ですが、「アメフト部が勝ってたよ」とホラをつかず空気に飲まれず「陸上部の方が早かった」と言うから、この矜持がかっこよくて大好きでした。
なのに劇場版では高校でも陸上部に居ました。
彼女の諦観は仁神に繋がります、彼女の陸上への執着は浅草葵に繋がります、その繋がりを全部無に返して椎名スズメを陸上部に属させる意図とは?分かりません。貞弘先輩は陸上部を中学で諦めた女に席を取られたんですか?スズメが陸上を諦めた覚悟は?誘ってくれた人が辞めていくのを目の当たりにするアオイのツラさは?
それらを無かったことにして、スズメを貞弘先輩の代打にすれば、映画が売れるんですか?映画が売れるのなら、良かったです。
「これは距離だ」
貞弘先輩はアメフト部にパシられている弱気な眼鏡で、正直リストラされたのも何となく分かります。ですが、そんな彼にもトガシの熱に当てられて反旗を翻すシーンがあります。
これはトガシの「100mだけ誰よりも速ければ全部解決する」に通じてきます。速ければ触れられない、殴ることすらできない、速い人間は暴力に屈しない、それを体現するのが彼です。
キャラクターデザインは普通で、冴えない映画映えしないオタク萌えも多分無い、でも芯は通っているキャラなので、まぁ魚豊作品のファンにはウケるでしょうが、万人受けは分かりませんからね。リストラも理解できます。ですが納得できない。魚豊作品の重要な要素を担う彼が、陸上部の一員だった彼がリストラされるなんて信じられない。
体育祭編をやらないにしても、せめて貞弘先輩が一緒に走ってくれたらこんなに怒っていなかったかもしれない。よりによって貞弘先輩とスズメをチェンジされたショックは今後擦り続けるでしょう。スズメは陸上部を辞めたからこそ輝いた、貞弘先輩は陸上部を続けたからこそ輝いた、なぜここを反対にしたんだ…。
才能の象徴だった柏木
柏木は原作では仁神を圧倒し追い込みましたが、例に漏れずリストラされました。
正直性格が悪いので尺の都合があれば真っ先にカットされるキャラではあると思いますが、仁神が「諦め」のきっかけになったキャラなので、『ひゃくえむ。』をやるなら略さないでほしかったなと願望があります。
才能が描かれる『ひゃくえむ。』において、珍しく彼は努力すらしない本物の天才として登場していました。
才能があるからと言って陸上に向き合う義務はないし、逆に向き合ったからと言って才能と同等の力を得られるわけではない、その理不尽さを突き付けるキャラでもあります。
仁神を打ち負かした柏木は、サラッとアメフト部に行きました。これまでのキャラのように陸上を諦めたとかではなく、『学校評価的にそっちの方がいいから』という理由でです。
小宮を化け物に仕立て上げた仁神が、陸上に一切の執着がない男にアッサリと負け、陸上を諦める理由になってしまった。それだけで柏木の価値はあると思います。柏木に追いつけない仁神をスクリーンで観るのが夢でした。夢に終わりました。
平子先生
平子先生はさすがに…リストラされても仕方ないんじゃないかなぁ…?と思うかもしれませんが、他の生徒たちとは違い、教師である平子先生までもがトガシの熱に浮かされたというのはかなり魅力ある要素だと思ってました。
だから気弱な平子先生も当たり前のように省かれて、いやアメフト部が居ないなら平子先生の詳しい描写がないのも当然ですが、省くなら省くでもうちょっと気が弱そうな雰囲気にしてくれたら良かったのに、という気持ちは募りました。これはだいぶワガママかもしれません。あ〜エンディングで農業やってる平子先生観たかったな〜〜。
「だが きっと尊厳はある」
磨いていたトロフィーにタバコの吸い殻入れられたアオイ、パシられていた貞弘先輩、後輩がくれたタオルを汚された仁神、良いように懐柔されかけたトガシ、それぞれがそれぞれの矜持を取り戻し、アメフト部に報復するためのセリフです。
これは、体育祭は公式大会じゃない、記録なんかない、成績にも影響しない、客観的に見たら価値はない、それでも俺たちは…というセリフです。
これは、尊厳を奪われたからこそ出てくるセリフです。映画のように、ただ諦めて引きこもっていた男が廃部寸前の部活を継続させるために走るのなら、それは尊厳なんかありません。
陸上部がバカにされ、見下され、それでも諦めなかったから体育祭で尊厳をかけて戦うんです。
セリフだけ原作から引用していましたが、前後の文脈が全く違います。同じように使うなら、映画の陸上部も学校での地位が低くあるべきですが、廃部寸前という事実だけで悪い噂や評判などはありませんでした。柏木やアメフト部の存在がない、そんな世界でただ人数が足りないだけの部活のどこに尊厳があるんですか。
原作の本当に良いところだけちょい掴みして取っていくのやめてほしい。取るなら全部取ってほしい。
「アップして」
アオイは体育祭で、同じ中学出身の男(トモくん)を相手にして走ります。
男(トモくん)から手を抜いて陸上部の顔を立てることを提案されますが、それに対してアオイは宣戦布告をします。
このシーンが本当に痺れます。
アオイはヘラヘラしていて、ゆるい人間だったので、ここでピシッと張り詰めた空気になるのが堪りません。なのにこのシーンは映画ではありませんでした。何故?この後のヘアピンで前髪を止めるシーンはありました。原作の本当に良いところだけちょい掴みして取っていくのやめれるか?
「俺の執念はここまでだ」
体育祭では映画のリレーと同じく仁神がアンカーを努めますが、一度諦めた人間は何度でも諦めるという父親の言葉通り諦めます。
ですが、仁神はその諦めすらも利用して走ります。
仁神の執念と諦めについては『ひゃくえむ。』の中でもかなり重要なのではないかと思いますが、丸々カットされていて、何でカットされているのか分かりません。私はこの体育祭編のラストが『ひゃくえむ。』で一番面白いと思っているし、一番好きです。
あまりにも面白くて美しいので、『ひゃくえむ。』の単行本は体育祭編が終わる3巻までしか買っていません。電子も上下巻も買ってるので全然その先も読んでるんですけど、やっぱり体育祭編が至高だと思っています。
あんなに可哀想だった仁神が、その可哀想を土台に返り咲いたという構図がすごく良い。これを、これをスクリーンで観るために、私は今日を有給にしました。グッズ付きムビチケも買いました。なのに何故、何故、なんで『ひゃくえむ。』で一番面白いシーンを描かないと判断ができたのか、製作陣にとっての『ひゃくえむ。』とは何なのか、インタビューなどを読めば考えも変わるかもしれませんが私はお出しされたこれに酷くショックを受けています。
小宮へのイジメ
小宮はコミュニケーションが苦手です。
フワフワとしているトガシだからこそ小宮とも普通に話せていましたが、基本友達は居ません。そしてそれがコンプレックスでした。
陸上部で成績を出し始めてからは部員とも仲良くできていましたが、小宮の異常な執着による走りで徐々に周囲から嫉妬され、虐められ、孤立していきます。
そこで小宮は完全に吹っ切れ、走ることで全部を解決しようとします。これが化け物である小宮の完全体です。
だから陸上部内でのイジメも小宮を完全体にするには必要な要素でした。小宮の異常性はトガシにより生まれ、仁神により育ち、経田により完全体にされたのに、映画で沿っているのはトガシにより走る喜びを抱いたことだけでした。
才能は化け物だが思考が俗っぽいトガシ、才能は普通だが思考が化け物である小宮、この二人からなる物語が『ひゃくえむ。』なので、小宮の化け物さを下方修正されてしまうと物語のインパクトがやはり薄れます。ここを、小宮が異常なことを最大限に強調しているのが観たかったのに!イジメもパシリもない、映画用に取り繕った平和な青春劇しか観られなかった!
私は才能と熱と矜持で為されている『ひゃくえむ。』を観たかったです。才能ある化け物が現実に直面し右往左往しながら乗り越えていくところが観たかったのに!叶いませんでした。でもそれは、この映画を売れる映画にするためですよね?
そのための仕方がない調整なんですよね?観たかったものが観られなかったことには、理由があるんですよね?
最後に
魚豊作品の好きなところは、普通の中に紛れてる異常性です。映画版は、小宮が2時間かけて通学しているという異常描写がほんの少し追加されながらも、ただ普通が貫かれてるだけの作品でした。正直に言うと怒りで頭が沸騰するかと思いました。
『ひゃくえむ。』の熱も矜持も才能も捨てて売るための作品に仕上げてきたのだから、本当に、心から売れてほしいと思います。切り捨てられた描写たちは切り捨てられて正解だったのだと、原作に固執している異常者は何も分かっていない素人だと証明してほしいです。間違っているのは私だと。
こんなにしっかりと作り込まれている作品に、文句ばっかりで申し訳ないです。こんな気持ちで映画を観終わることになるなんて思いませんでした。
でも、好きなものの好きなところ全部抜きを見たらどうすればいいんでしょうか?しかもそれが凄く作り込まれていて、陸上部を辞めたはずの子が辞めてなくて、明確に天才によって折られた神童が曖昧に引きこもっていて、イジメられて変わった子がイジメられてなくて、そもそも居なくて、そもそも体育祭なんてなかったら…。
あまりの怒りに、上映時間内に1人でポップコーン通常サイズ全部食べ切りました。観終わってすぐに8000字のこんなnoteも書きました。今は怒りよりも喪失感の方が強いです。ここまで失われるのなら、ここまで損なわれるのなら、こんなに楽しみにするんじゃなかった。期待するんじゃなかった。
あと主題からは逸れますが、記憶が正しければ財津の最後のセリフが「極上の10秒を味わえ」から「極上の10秒を“味わってください”」になってましたよね?冷静に観られてなかったのであまり正確じゃないんですが、財津は尊大なキャラクターなので「味わえ」のままが良かったです。それと『ひゃくえむ。』における「凄い」の一言にはちゃんと意味があるので、小学校編で小宮がトガシに「凄い」と言うところでしっかり泣いたんですが、肝心のシーンが消されていてせっかくの映画オリジナルシーンに価値が生まれなかったのも残念でした。
あとアオイはトガシに走ってもらうお願いをした時はクラウチングじゃなくスターティングスタートで良いっていう謎の謙虚さがあって…止まらないのでここまでにしておきます。
原作を読んでいなければ諸々気にならなかったのに、きちんと全てを享受できないことが悔しいです。
こんなnoteを書いてますが、私は『ひゃくえむ。』が大好きです。魚豊が単行本が出なくて自費出版をするとツイートしていたのを忘れません。まだ学生だったのに漫画アプリに課金してまで、リアルタイムで追っていた時の高揚感を忘れません。
キャラクターが動いている嬉しさや走りの力強さは間違いなく魅力的だから、そのうち映画を映画版として受け入れられるように、私の心が広くなれば良いなと思います。本当に、売れてください。
売れたお金で作り直せとかそんな失礼なことは言わないので、特典映像的な感じで新規に体育祭編作ってください。よろしくお願いします。
皆さん、私の納得と体育祭編映像化のために、映画『ひゃくえむ。』を観てください。よろしくお願いします。
2025/09/21 13:30 追記
Twitterで、skさん(@shu06573761)に「貞弘とスズメのメンバーチェンジは実際の男女混合リレーのルールを適用させたから」という見解を教えていただいて、かなり腑に落ちたのでここにも共有しておきます。
男女混合リレー(実際のルールで、男2✕女2と決まっている)にしたかったからだと思います
— sk (@shu06573761) September 21, 2025
男だけだと、三人の見た目あれなので、青春感かなり弱まり、入部過程や試合がもっとシビアかつ長い話になる、また、男性一人追加必要で、浅倉さんの使い方難しくなるからかなと。顔かわいいは同意です
高→
あと冷静になって読み返したら原作のURL貼ってないことに気づいたので、貼っておきます。
紙で発行されている上下巻でも読めますが、もし電子に課金することに抵抗がなければマガポケがオススメです。連載当時のアオリが残っているので、凄くアツいです。
完結後のインタビューも一緒に載せておきます。
「チ。」や「FACT」の前にこれが書かれたということを念頭に置いて読んでみてください。
最後に当時のツイートを共有して、このnoteを終わりたいと思います。
ひゃくえむ。の単行本は出ないそうです
— 魚豊 「チ。地球の運動について」「ようこそ!FACTへ」「ひゃくえむ」 (@uotouoto) March 12, 2019
この決断は結構覆らないっぽいので、ゆくゆく紙の本は自費出版したいと思います。
覆りました!単行本出ます!
— 魚豊 「チ。地球の運動について」「ようこそ!FACTへ」「ひゃくえむ」 (@uotouoto) March 26, 2019
数週間前、単行本化しないと公表した後からデータに動きがあったらしく、担当者が関係各所に掛け合った結果、単行本を出していただけることになりまた!
一度出ないと決定したものが覆るのは前例が余りないらしいので、読者の皆様にはマジ感謝です
ひゃくえむ。本体表紙(カバー外した状態)はこんな感じでデザインしてもらってました pic.twitter.com/b7bsrTqIAn
— 魚豊 「チ。地球の運動について」「ようこそ!FACTへ」「ひゃくえむ」 (@uotouoto) October 10, 2019
それと、ひゃくえむ。作中3回、見開きドデカタイトルが出る時があるのですが、
— 魚豊 「チ。地球の運動について」「ようこそ!FACTへ」「ひゃくえむ」 (@uotouoto) October 13, 2019
小学生編は背中合わせ。
高校は対峙。
社会人は同じ方向を向いてる。
といった感じで、その時の関係性を象徴した感じを出せてればいいなと pic.twitter.com/zS2r7AYKHk



ぅぅぅぅぅぅぅこのnoteを拝読したおかげで荒ぶる気持ちが少し落ち着いてきました…助かりました…!投稿してくださり本当にありがとうございます…!!!!! 私は昨日、原作を初めて読み、完読し、自分の人生のバイブルにしたいと思った漫画作品に初めて出会って涙を流し、興奮冷めやらぬ中ルンルン…
コメントありがとうございます。 そうなんですよね、映画が『ひゃくえむ。』の入り口になる方も絶対多いから、映画への感謝の気持ちは忘れたくないんですよね…! 個人的には、映画のPVを観た方は映画→原作のルートが多いと思ってたので、popoさんのように原作から読んでくださる方がいるのが少し意…
はじめまして。私も体育祭編の全カットにびっくりしました。色々事情があるんでしょうけど…アオイちゃんがトロフィー磨くとことか、尊厳踏み躙られるとことか、トロフィーで殴りつけるんじゃないか、とハラハラしたら次のページで箱にしまってるシーンとか(本音と建前かな)、貞広くんの件、仁神さん…
コメントありがとうございます。 ほんとに動きは良くて、アニメーションでしかできない演出ばかりで、単純に凄かったですね。ひゃくえむの作品にはあまり気軽に「凄い」という言葉を使いたくありませんが、音とアニメーション技術に関してはほんとに凄かった。 凄かった分、尊厳の描写が削られた未練…
魚豊作品が好きで、その中でひゃくえむ。は読んだけどそこまでハマってませんでした。ただ映画でなんとなく四人で部活存続やったー!貞弘も先生もいないけどやったー!なんかトガシが爽やかスポーツマンで、やったー!みたいなノリで途中で「これ魚豊作品じゃなくて邦画スポーツものやりたいんだな。ロ…
コメントありがとうございます。 私も観ている時の気持ちは完全にそれでした。男女混合のルール(男2女2)で貞弘を出せなかったとしても、先生が陸上部の熱のおかげで変われたところぐらいはやってくれても良かったんじゃない?と、冷静になった今でも思ってます…。 無い部分ばかりが目についた自分…
こんばんは。たまたまこちらの記事を見つけて拝見させていただきました。僕は2ヶ月程前にマガポケで「ひゃくえむ」という作品を知って、こんな熱い漫画があったのかと感動していました。そして今日映画を見てきました。映画を見て率直に思った感想は「全然違う作品じゃん」でした。モヤモヤする気持ち…
コメントありがとうございます。 そう言ってくださると、「ひゃくえむ。」の熱に浮かされていたのが自分だけではなかったと安心できます。 今回初めて映画を観て悔し涙を流してしまったので、私も原作を読み返して記憶を上書きしていこうと思います…。 お互いツラいですが、乗り切りましょう…!