これはスゴい質問。もしかすると、そもそもこの質問者さんの問いの意味が分かる人と分からない人がいるのではないかと疑っていますが、皆さん、いかがでしょうか?
私は最初、この問いの意味が呑み込めませんでした。より正確にいうと、質問者さんの前提がどこにあるのかが分かりませんでした。しかし、その晩、寝ながら考えてみて、少しずつ分かってきました。さらに数日おいてみると、問い自体が熟成してきて、文字論の重要な問題につながっていきそうな予感すらしてきました。
そこで、改めて読者の皆さんにお尋ねしたいのですが、この質問者さんの疑問は、初見でスッと理解できましたでしょうか、あるいは不思議な問いだなという印象を抱かれましたでしょうか。
私は不思議な問いだなと思ったタイプなのですが、一晩寝た後の分析によれば、私自身が抱いていた前提と、そこから導かれる思考は次のようなものでした。
日本語の漢字は本質的に「表語文字」であり、付随的に発音を表わしはするけれど、表音機能はあくまでオマケである。一方、仮名は本質的に「表音文字」であり、聴いた音をとりあえず書き留めるという目的では、漢字よりも段違いに優れている。ところが、英語では漢字と仮名のような文字種の区別はなく、アルファベット26文字を1文字以上組み合わせて「スペリング」なるものを綴るという1種類の表記法があるのみである。アルファベットは仮名と同様に典型的な「表音文字」であるから、聴いた音をとりあえず書き留めるという目的には優れているはずだ。それなのに、質問者さんは、英語では「音は分かるが綴りが分からないときは、どう対処しているのですか」と問うている。上記の前提をもつ私の立場からの答えは「正書法に則った正しいスペリングでなくともかまわないから、強引にそれらしくアルファベットで綴ればよい、それだけだ」となる。一方、質問者さんの前提はどのようなものなのでしょうか。私が事後に分析したところによれば、おそらく次のようなものではないかと考えられます。
日本語では、先に漢字での書き方を学習していない限り、聞き取った語を漢字で表記することはできない。しかし、そのような場合に便利な文字があり、それが仮名である。仮名は比較的少数の文字からなる文字セットで、それだけ最初に学んでおけば、その後はどんな語でも音を聞き取って、そのまま仮名書きで文字に落とし込むことができる。ところが、英語では、アルファベットを組み合わせたスペリングという1種類の表記法しかない。これは、先にスペリングを学習してない限り、聞き取った語を「正しく」表記することができない点で、漢字に似ている。英語には、仮名に相当するものがないから、このような場合にさぞかし不便なのではないか。以上の2つの前提を対比的に図示すると次のようになるでしょうか。
①回答者の前提 --- 日英語の表記で用いられる「文字」に関する前提
表音文字(音をとりあえず書き留めたいときに便利):
日本語では「仮名」,英語では「アルファベット」
表語文字(音を書き留めるのは相対的に苦手):
日本語では「漢字」,英語では「なし」
②質問者さんの前提 --- 日英語の表記で用いられる「文字遣い」に関する前提
表音的な文字遣い(音をとりあえず書き留めたいときに便利):
日本語では「仮名遣い」,英語では「なし」
表語的な文字遣い(音を書き留めるのは相対的に苦手;正書法が定まっている):
日本語では「漢字遣い」,英語では「アルファベットによるスペリング」
2つの前提の決定的な違いは、①が「仮名」と「アルファベット」に共通点を見出しているのに対して、②は「漢字」と「アルファベット」に共通点を見出している点にあります。また、①が「文字」そのものの特徴についての前提であるのに対して、②は「文字遣い」という文字の運用規則・規範についての前提であるのも重要な違いです。
いずれに前提に立つかによって1つの問題がまったく異なるものに見えてくる例として、今回の問いは、今や私にとって非常にエキサイティングな問いへと化しました。
質問者さんが抱いていなかったのは、アルファベットが本質的に表音文字であり、正しいスペリングが分からないときにでも対応できる文字、いな、まさにそのようなときにこそ本領を発揮する文字であるという認識です。例えば "name" の正しいスペリングが分からなかったとしても、アルファベット26文字さえ書けるのであれば、とりあえず "neim" などと綴っておけば、少なくとも自分自身には十分に用を足すでしょう。
一方、回答者が抱いていなかったのは、アルファベットを組み合わせたスペリングが、正書法や規範をもつ点で、むしろ漢字と似た振る舞いを示すという認識です。例えば「鬱」という難しい漢字を先に学習しておかないと決して正しく書けないように、melancholy という英単語も先にこの綴字を学習しておかないと決して正しく綴ることができないのです。
適当に綴っておけば当面の用は足せるという回答者と、正しく綴ることを目指している質問者との間で、ゴールに差があるのですね。この差は、文字とは何か、文字の役割は何か、文字を学ぶとは何か、文字を教えるとは何か、文字の正しさとは何か、などの文字論をめぐる様々な議論の出発点となります。
私がこの問答に関心を抱くようになったのには、もう1つ理由があります。上記では、回答者として「仮名」と「アルファベット」に共通点を見出す前提に立っていることを主張しましたが、実は私は持論として「漢字はスペリングである」という説を展開してきた経緯があるのです。つまり、私自身が、むしろ質問者さんが抱いているらしい前提に近いことを主張してきたのです。ただし、そのアングルはかなり異なっています。
「漢字=スペリング」説について、ここで長々と説明することはできませんが、骨子のみ述べておきます。アルファベットという表音文字を組み合わせたスペリングという1つの固まった形は、現代英語においてはもはや音を介さずとも語を直接表わす点で表語文字的な機能を強く持っています。つまり役割が漢字に近いのです。ここでは分かりやすくするために敢えて極端な例を挙げますが、英語の略記である viz. を見て英語使用者は "namely" と読み解きます。これは漢字の「流石」を「さすが」と読むのと構造的に非常によく似ています。英語は表音文字をベースにしながらも、歴史の中で「漢字のような運用」を発達させてきた言語だと考えています。
関心のある方は、私の Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」より「#606. 英語のスペリングは漢字である」をお聴きいただき、そこから張られているリンク先の記事もお読みいただければと思います。
いずれにせよ、質問者さんと私は、アプローチこそ異なりますが「スペリングと漢字を似たもの同士として捉える」という点において、実は深い部分で共鳴しているのかもしれないのです。