写真とAI
早速ですが、AIを使ってこちらの画像を生成してみました。
どうでしょう?自然な写真に見えるし、何より生成が一分もかからないほどのスピードでした。場所は京都を設定し、古民家風カフェでくつろいでいる女性を生成してもらいました。続いてはこちらも。
男性にしてみました。季節や服装を指定してみました。アングルや構図を変更するようなプロンプトではないため、一枚目の女性のカットと似たように生成することができます。
これは少し失敗した例。昔のコンデジ風ショットを生成したはずが、四人とも同じ人物になってしまった笑。まあでも、複数人の写真も簡単に、そして狙ったような画質やシチュエーションで出来上がってくるわけですね。
で、本題なのですが、AIの進化により簡単に、スピーディに自分の欲しい写真をつくることができる時代が訪れました。そんな時代のなかで写真を撮るという行為を捉えればいいのか、考えを整理したいと思います。
AIがここまで進化するよりも前、インスタやXによって、行ったこともない絶景や奇跡の瞬間は、PCやスマートフォンの画面で簡単に見れるような時代がありました。その写真に憧れて、自分も生で絶景を見てみたい、そこに立って自分のカメラで写真を撮ってみたいと思うようになりました。新しい撮影スポットや撮影手法がたくさんの人に広がるような状況です。SNSよって、自分の写真の腕も上がったといか、そもそも全体としての写真のクオリティは上がったのではと思います。その広がり方や訪れられた場所でのトラブルは付きものだったので、いくつかの炎上する事態を見てきて、ある種新しいマナーも身についた時代でもあったと思います。
それが今や、自分のカメラではないものの、自分の指を動かして、どこかで拾ってきたプロンプトを使ってAIに写真を生成させることができるようになりました。冬の雪景色や夜空の星の鮮明な写真を、暖かい自宅のリビングでつくることも数分で完結します。著作権やフェイク情報のような問題もありますが、それでも実際に立ち入るわけではないので、立ち入り禁止を無視したり盗撮呼ばわりされるようなトラブルには巻き込まれなくなりました。安全で、しかしクオリティの高い画像が指先の動きだけでモニターに映るという。
撮影の需要がこれから縮小していくことは止められないんじゃないか、自分もわざわざ重いカメラをバッグに入れて遠出することは無くなってしまうのではないかと、頭の片隅に思ってしまうことはあります。
そんな中、写真撮影という趣味はどんな楽しみ方があるのか。ここまで文章を連ねましたが、実は楽しみ方に迷いがあるわけではなく、答えはすでにあります。
自分が撮ってきた写真や映像を、自分がそこにいた記録として楽しむということです。昔の、自分が子供の頃の写真や、家族や友人と一緒に行って撮影してきたムービーを見ると、その時の記憶が思い出して楽しくなったり懐かしい感情が湧き上がることは、みなさん多いんじゃないかと思います。AIで出来上がった画像には、自分たちの体験や記憶は残されていません。そこが自分たちでカメラを構えて写真を撮るのと、AIの生成する画像の最大の違いだと思っています。
クオリティはAI生成の方が高いかもしれません。白飛びがなかったり、ピンボケしていなかったり、水平だったりと、人間が簡単にできないことも一瞬で実現されてしまいます。だけど、自分たちは写真を撮って、それを見返したときにその時の思い出が蘇ればいいんじゃないか、それが自らカメラを構えることの楽しさなのでは。
さいきん、正直AIによって綺麗な画像が用意されるなら自分でカメラ構える必要ないじゃんなんて、AIのクオリティに嫉妬していましたが、ここに整理した考えをもう一度読み返せば、また写真生活が楽しめるんじゃないかと思います。
この文章もそろそろ書き飽きてきたので、今日のところはこの辺で終わりにします。またAIに嫉妬したら続きでも書こうかな。


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