日記:20251005「冷笑主義者や現実主義者、レム・コールハース」
インターネットには冷笑主義者ないし現実主義者気取りがはぴこっているらしい。どうしてそんな連中がはぴこっているのだろう。たしかにそういうのがかっこよくみえるときもある。「所詮は現実なんて」みたいな。斜にかまえた態度。評論家気取り、分析屋気取り、皮肉屋気取り、自称頭脳派、自称理論派……そういうひとはいる。
真面目なはなしをすると自分はそういうひともそんなにきらいではない。ただ、そういうななめにかまえた態度で格好付くのは頭のいいひとだけだともおもう。頭がわるくてそれだとたえがたいものがある。馬鹿の武器は情熱や愛嬌や素直さくらいしかないわけで。性格悪いうえにかしこぶる馬鹿なんて欠点に欠点をかさねているようなものだ。
レム・コールハースという建築家がいる。このひとは建築家のなかでもとびぬけてシニカルでありリアリストである。まちがいなく天才だ。自分も影響をうけている。彼は自ら研究機関を組織して都市を徹底的に分析したうえで建築を設計する。彼の目は、建築家の高尚な理念をはるかにうわまわる都市の力学をとらえる。
ル・コルビジェなんかもそうだけど志のたかい建築家には「自分が社会を作るんだ、都市を作るんだ、世界を作るんだ」という気概がある。だけど実際の建築家は都市の力学、さらには資本主義経済の論理にふりまわされてばかりだったりする。
都市は、建築家の高邁な理念ではなくひとびとの欲望──都市開発にかかわり大儲けしようとするひとびとの錯乱した欲望によりうみだされている。社会をうみだしているのは理念ではなく、計画でもなく、むしろそういったものではとらえにくいちぐはぐな人間の欲望というわけだ。レム・コールハースは『錯乱のニューヨーク』という著作をとおしてそのことを暴露した。あるいはそうした視点から都市をえがいた。
だからといいレム・コールハースはふてくされてなにもしなかったわけではない。「建築家にできることなんてなにもない」とあきらめたわけでもない。「所詮は現実なんて」と格好付けてそれでおしまいではないし、悟ったふりをして気取ってただけではない。それだけならどこにでもいる凡人だろう。別に凡人もわるくはないが。
レム・コールハースはたんなる傍観者ではなく行動主義者だった。彼は現実にひれふすことなく現実を研究する。冷徹に現実を分析しながらも、実社会に直接関与して都市を破壊的に変革していこうとする。しかもその建築もかっこいい。彼のうみだすものはすべてが新しく挑戦的で実験的だ。
建築家としてはもちろん、思想家としてもレム・コールハースは卓越した人物だろう。彼の著作物は文学作品としてみてもおもしろい。というかどうしてレム・コールハースについてかたっているのだろう。全く日記ではないなこれ。これはなんなんだろう。わからない。とりあえずぼくは情熱と愛嬌と素直さを武器に、ななめにかまえ、たてにかまえ、よこにかまえ、世にはぴこっていこうとおもう。


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