「べらぼう」のチーフ演出として、これまでも瀬川の花嫁道中、松平武元の死など、物語が大きく変化する局面で演出を担当してきた大原拓。平賀源内の壮絶な悲劇を描いた第16回「さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)」の演出意図や収録現場の様子について伺いました。
☞【大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」見逃し配信はNHKプラスで】※別タブで開きます
“適当”を見事に表現した安田 顕のすごさ
第16回の要となる(平賀)源内ですが、まず、その人物像を固めていったいきさつからお話ししますと、天才というパブリックイメージをどう表現すれば物語がおもしろくなるのか、脚本家の森下(佳子)さんとたくさん話し合いました。その中で、何か1つキャラクター付けしようということになり、“早口”の設定にしました。
演じる安田さんにお願いしたのは、源内はとにかく“適当”かつ“早口”であってほしいということ。1人だけリズムが違うことによって源内自体をフィーチャリングできるし、周りの人との差も作ることができる。もちろん、源内の精神状態や動きの確認、早口の速度の調整などは現場でそのつどしましたが、それ以外は基本、安田さんにお任せして自由にやっていただきました。
“適当”であることは、“いい加減”という意味合いもありますが、“適している、当たっている”という側面もありますよね。安田さんってすごいです。その両面を実にうまく立体的に表現されていました。
己を失い、幻聴に惑わされる源内の悲しき姿
久五郎に勧められた煙草(たばこ)を吸い、幻聴に苦しむ源内が “不吉の家”の中でさまようシーン。撮影は正直けっこう大変でしたが、ここはどうしても長尺で撮りたいと思っていました。屋敷の全部屋、廊下、庭と、セットをフル活用し、安田さんにはその中をできるだけ大きく動いていただきました。
そのねらいとしては、問題の本質に近づけば近づくほど人は追いつめられてしまうということ。その中で源内が追い込まれていくという構造。そして孤独感。さらに騙(だま)されているという現実も表したかった。源内が大きく動くことで、救いがない状態というのがより浮き彫りになると思ったのです。安田さんを長く映したことで、源内の人物像やそのときの内情がしっかりと形になったと思います。
源内を慕う人々のやり場のない怒り
源内の無実を信じる蔦重、杉田玄白、平秩東作、須原屋が集まり、(田沼)意次に釈放を懇願するシーンもいいですよね。あの場にいる全員が、源内を慕い、助けたいと願っていて、それは意次も同じなのですが、結果的には、草稿をそっと隠してしまう…。源内を救える証拠になりうる物を胸にしまったのです。
蔦重は意次のいつもと違う雰囲気をすぐに感じ取ります。そこに源内の死の知らせが飛び込んでくることで、蔦重の中ですべて合致するわけです。だからこその「忘八」という発言です。本来、地位の高い人に向かってあのような暴言を吐くのはありえないことだけれども、源内を助けたい一心であの場に来た蔦重の強い思いをよく表した言葉だと思います。
(横浜)流星さんもそれをくみ取り、ああいったぶつける演技をしてくださったと思うのですが、台本には書かれていない、その行動にいくまでのストロークもご自身で考えて埋めてくださいました。そんな流星さんを渡辺 謙さんがしっかりと受け入れてくれた。だからこそぶつけることができたわけで、結果的にそこが大きな要素であり、謙さんの受け止めによって流星さんの力が発揮されたシーンになりました。
源内を癒やした意次の手と白湯の温もり
意次が牢獄(ろうごく)にいる源内に話しかけるシーンについては、台本のト書き(指示・説明)には『意次が源内に触れる』と書いてありました。では、どう触れるかということになりますが、牢越しなのか、扉を開けるのかなど、やはり実際にセットの中に入ってみないと、演じる俳優さんはわかりませんよね。
私としては、扉は開けてほしくないということだけ事前に(渡辺)謙さんと安田さんに要望を出させていただいたのですが、意次がどう触れるのか、また、源内も、意次にすがるしかない心情をどう見せるのか、最もいい方法を現場でも考えました。
また、牢獄の源内のもとに白湯が運ばれますが、これはあえて毒入りか毒入りじゃないかわからない、濁した表現にしています。あの湯気は源内にとって温もりなのか、温もりじゃないのか…。意次が源内をかくまった説などいろいろ言われてきてはいますが、その湯気が何を示しているのかは、視聴者の皆さんにぜひ想像をふくらませていただければと思っています。
蔦重が須原屋の前で見せた涙
源内の死の知らせを受けた蔦重が須原屋の前で見せる涙は、私も大好きなシーンです。陽のキャラクターである蔦重がふだん見せない、内に込めていく表情になったとき、流星さんのうまさを実感します。もう、蔦重なんですよね。蔦重として存在しているんです。源内の死を受け止めきれないけれど、自分はやっぱり前に進まなきゃいけないと心に決める、その表現が本当にすばらしかったです。
号泣することは事前の話し合いで決まっていましたが、それをどこに向けるのかは何パターンも考えました。そして、須原屋ではなく、やはりそこは源内に対するべきだということで、土まんじゅうに向ける形で蔦重の思いを表しました。亡骸(なきがら)がないのは、どこかで生きているからだ、絶対に生きていてほしいという願いも丁寧に表現していただいたと思います。
瀬川と源内の思いとともに…
蔦重の少年期が第16回で終わり、第17回からは壮年期の幕開けとなりますが、瀬川と源内の退出はやはり大きな変化ですね。喪失をどう捉えるかというところだと思いますが、蔦重にとって2人はずっと心の中に生き続けています。瀬川の言葉を具現化して本作りをしていくことで瀬川の存在は残り続けるし、源内が考えてくれた耕書堂という堂号を使うことで源内の思いも残り続ける。
だから蔦重は決して個ではなく、ずっと2人と居続けるんです。ともに進んでいけるという思いは、今後、蔦重の中でより強くなっていくのではないかと考えています。
【あわせて読みたい】
大河べらぼうのインタビューや特集記事をもっと読みたい・見たい方はこちらから☟