鈴の音の微かな響き | 藤純子主演『女渡世人 おたの申します』
テーマ:38_藤純子
来たる12月1日の藤純子(富司純子)の生誕80周年を記念して、藤純子の作品を紹介しています。
(1945年12月1日生まれ)
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こちらは、藤純子の自薦14作品にも入っている作品です。
『女渡世人 おたの申します』(1971)
監督 山下耕作
撮影 山岸長樹
共演 菅原文太、島田正吾、遠藤辰雄、三益愛子
【あらすじ】
上州小政こと太田まさ子は、大阪の南田勘兵衛一家の賭場で、岡山の船宿「浜幸」の息子・良吉を負かす。
イカサマ呼ばわりする良吉を梅田の銀三が殺してしまうのだが、まさ子は自らが良吉の借金を取り立てると告げて岡山へ発つ。
良吉の父幸作と盲目の母おしのの世話を受け、長屋の住民たちからも歓迎されるが、幸作は土地の権利を担保に金を借りてしまう…
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1968年に始まった『緋牡丹博徒』シリーズに続く、第2弾のシリーズものです。
この『日本女侠伝』に続き、1971年にはこの『女渡世人』シリーズが作られます。
このように次々とシリーズものが作られる女優は、後にも先にも藤純子だけでしょう。
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任侠映画に限らず、娯楽映画とは、そもそも、どれも似たり寄ったりであることは否定できません。
西部劇しかり、ミュージカルしかり、ラブコメディしかり。
それについて、マンネリだとか、ワンパターンだと指摘する批判は、それ自体がワンパターンです。
また、そうしたマンネリを打破したつもりの自称前衛の作品は、存外つまらないものです。
私たちは、そうしたマンネリの中にこそ傑作が紛れ込んでいるあい、マンネリであるが故の、細部へのこだわりによる、演出の妙を味わうことができるのです。
その点において、私は任侠映画のマンネリズム(マニエリスム)を擁護したいと思います。
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任侠映画における藤純子の役どころは、どの作品もほとんど一緒と見えるでしょう。
悪役をやることはありませんし、男性とラブシーンをほとんど演じないことでも共通しています。
(抱擁のシーン程度ならありますが)
じっさい、この作品の冒頭の仁義を切るシーンは、『緋牡丹博徒』の第1作でも目にしたことがあり、既視感があります。

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この映画で惚れ惚れするシーンは、船上での菅原文太との出会いのシーンです。
雲に覆われた白い空に、真っ白な着物にモスグリーンの帯を締めた藤純子は、鈴の音にふと振り向きます。
菅原文太が、鈴を静かに鳴らしているのです。
藤純子の視線に気づき、菅原文太が藤純子を見つめ、藤純子は会釈をして、菅原文太は会釈を返しながら視線を戻します。
その後、菅原文太は藤純子からマッチをもらうのですが、その御礼に菅原文太は鈴を渡すのです。
「これよろしかったら。金毘羅さんのお守りなんですよ。」
船を海を進むエンジン音の中に、微かに聞こえる鈴の音。
男女の間を行きかうマッチや鈴という小道具。
(マッチと鈴は、ローレン・バコールとボギーの『脱出』を思い出さずにはいられません。)
こうした細部にこそ、映画の豊かさが宿っています。
こうしたことを体験するために、私たちは生きているのではないでしょうか。
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それにしても、菅原文太の声の素晴らしさはどうしたことでしょう。
強面のイメージとは正反対に、声が細く、低く、穏やかに響くのです。
長いセリフを言わず、ポツリポツリと話し、それでいて、気取ったところがないのです。




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このほかにも、藤純子の傍らで、菅原文太が死んだ弟たちの魂を弔って流す灯籠の夕暮れのシーン。

あるいは、藤純子が盲目の三益愛子と連れ立って行く金毘羅山参りのシーン。

こうしたシーンは、下手をすると、観光ビデオのようになってしまうのですが、そうならないのが、日本映画黄金期の監督たちの素晴らしいところです。
映画とは、単に風光明媚だったり、審美的に優れていたりするのではないのです。
そうした美しいシーンでは、人の心が動いているから、美しいのです。
3Dだの、4Kだの8Kだのをありがたがっている人には、一生理解できないことでしょう。
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話は脱線しますが、ネットのカスタマーレビューなどで、作品について悪口ばかりを書き込む人たちは、心に余裕のない残念な人たちだと思います。
払ったお金に見合ったものとして、自分が100%満足できる映画を求めて、揚げ足取りをしているだけなのです。
その気持ちは分からないではありません。
しかし、たかだか1,000円や2,000円で鑑賞したものに、100%の満足度なんて求めるのは、お門違いだとも思います。
芸術というものは、そもそも、自らの私財をはたいて、山のように鑑賞することで、辛うじて人生の糧となる素晴らしい1本に見つかる程度が普通だと考えるべきで、そこら辺に宝石のような作品があるわけがありません。
たいていの作品は、使い捨ての娯楽だし、それが健全な姿だと思います。
(使い捨ては強い言葉かもしれませんが、たいていの映画は一度しか鑑賞しないという点で、使い捨てと言わざるを得ません)
そんな使い捨ての娯楽について、減点主義で悪口を言うのは、ケチ臭い行為であるだけでなく、芸術鑑賞とは程遠い、心の貧しさがあります。
端的に言って、そうした方々は身も心も貧しいのです。
補足しますが、そうした使い捨ての娯楽映画であっても、まるで意味がないわけでなく、それらの1本ごとに、いくつか素晴らしいシーンが含まれているもので、そうした一瞬に、一期一会で出会えれば、それで十分とするのが正しい作品鑑賞の在り方だと思います。
(そもそも、人生における人間関係であっても、そんなものでしょう。)
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