2020.01.22
規則は何のために
私は、高校の教員生活のほとんどを生徒指導の担当として過ごしました。学校の校則やきまりをきちんと守るように指導し、守らなかったら指導する仕事です。クラスの担任が、いつも生徒たちの側にいて生徒たちを暖かく守る母親役の教員だとすれば、生徒指導の教員は、厳しく生徒たちを指導する父親役の教員です。でも、私は、たぶんだめな生徒指導の教員でした。私は、二十二年の教員生活の中で、一度も生徒を叱ったことはありません。厳しいことばを使ったことも、当然体罰を与えたこともありません。
みなさんに聞きたいことがあります。たとえば学校で始業式を行うとき、がやがやと話をしていれば、まず間違いなく、生徒たちは、生徒指導の担当教員から、叱られるでしょう。「静かにしろ」、「体育館から出すぞ」、中には「成績をさげるぞ」こういう教員もいるかもしれません。そして生徒たちは、静かにする。でも、なぜ、静かにするのですか。教員に叱られるからですか。体育館から出されるからですか。成績を下げられるからですか。哀しいことです。何人かが体育館で騒いで、式を始めることが五分遅れたとします。それは、体育館にいる他の生徒たちの貴重な時間を五分奪ったことになります。他人に迷惑をかけたことになります。人に迷惑をかけないよう静かにしなくてはならないのです。
生徒たちを叱って、そして脅して、規則に従わせることは、簡単です。でも、それは、教育なのでしょうか。どんなに時間がかかろうと、生徒たちに、なぜ、そんな規則があるのか、また一つひとつの規則を守ることの意味をきちんと伝えて、生徒たち自身がそれを理解し、自らすすんで規則を守るようにすることが、本当の教育だと私は考えてきました。これは、学校の中でだけではありません。家庭でも社会でもです。
私たち人間は、たくさんの法や規則に縛られて日々の生活をしています。特に子どもたちに対しては、大人より数多くの規則があります。子どもたちの中には、それに窮屈さを感じる人もいるでしょう。そんなもの守るかと、勝手に生きている人もいるでしょう。でも、それらの規則はなぜ作られたのでしょうか。子どもたちに嫌な思いをさせて、君たちを大人の思うとおりにするためでしょうか。それは、違います。子どもたちを守り、一人ひとりを大切にそして安全に成長させるためです。
たとえば、一台の車が、道路を、信号や制限速度、一時停止などのすべての規則を破って、暴走したらどうなりますか。事故が起き、死者がでるでしょう。暴走した本人の命も失われるかもしれません。
みなさん、規則を守ろう。他の人を守るために。何より、自分自身の明日のために。