戦後だけでなく「戦前80年の歴史も学んでほしい」 広島市の似島

島を歩く、日本を見る

第一検疫所跡地に残る、かつて検疫前の兵士らが上陸した桟橋(手前)と検疫後に島を出る桟橋(奥)
第一検疫所跡地に残る、かつて検疫前の兵士らが上陸した桟橋(手前)と検疫後に島を出る桟橋(奥)

広島港(広島市)から沖へわずか約3キロ、瀬戸内海に浮かぶ似島(にのしま)を訪れた。昭和20年8月6日、市内に原爆が投下されてからおよそ20日の間に、約1万人の被爆者が似島の臨時野戦病院に搬送され、その多くが島で亡くなった。

令和3年に平和資料館オープン

広島港宇品旅客ターミナルから船で約20分。似島港へ着いた。空き家を改装したカフェ兼交流場の似島檸檬(れもん)の家で、「似島歴史ボランティアガイドの会」の秋月敏勝さんと合流した。会は似島の歴史を伝えるため、令和2年に結成された。翌年には市なども協力し、似島平和資料館をオープンさせた。

秋月さんは「戦後80年も重要ですが、似島では明治維新から日清戦争、日露戦争、第一次大戦などの〝戦前80年〟の歴史も学んでほしい」と切に語る。

日清戦争が終わった明治28年、帰還した兵士らに伝染病の検疫・消毒を行う施設として第一検疫所が開設された。この跡地には、先の大戦後の昭和21年に戦災孤児施設ができ、今は児童養護施設の似島学園がある。しかし海辺には、未消毒の兵士が上陸した桟橋と、検疫を終えた兵士が帰った桟橋が130年前のまま、今も残る。

明治38年、日露戦争中に開設した第二検疫所の跡地が、第一からさらに南のほうにある。大正6年から9年までは、第一次大戦で捕虜となったドイツの人々を収容する俘虜(ふりょ)収容所としても使用された。その一人が、カール・ユーハイム。彼は8年、広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)で開催された「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」にバウムクーヘンを出品。その後、国内に広がったため、似島は日本のバウムクーヘン発祥の地とされている。

被爆者約1万人が搬送された臨時野戦病院は、この場所にあった。その後、原爆で身寄りを亡くした高齢者の養護施設であった広島平和養老館が建ち、今ではユーハイム似島歓迎交流センターもある。

生々しく伝わる当時の凄惨さ

平成2年、馬匹検疫所の跡地から馬用の焼却炉跡が発掘されたが、そこでは原爆犠牲者も火葬されたのだという。

旅の最後に、慰霊の広場とその一角にある似島平和資料館を訪れた。島では数多くの遺骨や遺品、遺灰が見つかっているが、広場には「遺骨28体 遺品11点」と見つかった場所に木札が立つ。当時の凄惨(せいさん)さが生々しく伝わってくる。遺骨は、広島市平和記念公園の原爆供養塔に納められた。

島の歴史を紹介し、原爆犠牲者の遺品などが展示されている似島平和資料館
島の歴史を紹介し、原爆犠牲者の遺品などが展示されている似島平和資料館

「日清戦争以来、軍都広島を支える役目だった似島。今でも原爆で亡くなった市民の遺骨が発掘され、本当の意味での戦争は未(いま)だ終わっていない」と秋月さんは言う。平和を学ぶことが、せめてもの供養となればと願い、広場前の慰霊碑に手を合わせた。

アクセス

広島港宇品旅客ターミナルから船が運航。

小林希

こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は180島を巡った。

悠久の時をかけて独自の生物相へ

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