ピュリツァー賞カメラマンの撮影現場④
※2001年5月1日 産経新聞掲載。敬称略
巡りあった生涯の伴侶
真っ白な蒸気をあげて、雪列車が岩手を出発した。神武景気にわく昭和30(1955)年3月、中学校を卒業したばかりの少年少女を乗せた、東京行きの集団就職列車第1号である。
そのころ、19歳になったばかりの沢田教一は、逆に東京から青森に戻っていた。早稲田大学の2度目の受験に失敗したのだ。
津軽には強情っ張り、頑固といった意味の「じょっぱり」という方言がある。青森市生まれの沢田には、じょっぱり精神がしみついていた。この気質こそが、戦場での粘りと気骨ある魂にもつながった。