【日本と欧米の職務記述書(JD)について】
「日本のJDは曖昧だからダメだ。欧米のように明確にすべきだ」
よく聞く意見ですが、欧米流のJDをそのまま日本に持ち込むと、組織は簡単に壊れます。
欧米におけるJDの本質は「やることリスト」ではありません。
「これ以外はやらない」という契約です。
だから欧米の現場では、目の前にボールが落ちていても誰も拾いません。
"It's not my job."
この言葉が普通に飛び交う世界です。
オランダ人と仕事を一緒にしたことがありますが、平気で"It's not my job."を口にし、驚いたことを憶えています。
一方、日本の「曖昧なJD(あるいはJDなし)」はどうでしょうか。
「ここまでが自分の仕事」と線を引かず、状況に応じて役割を染み出させる余白があります。
日本企業は、この余白で多くの修羅場を乗り越えてきました。
問題はここです。
欧米並みの「限定責任」を導入しようとしながら、給与だけは日本的な安さに据え置こうとすること。
・仕事の範囲は明確にしろ
・でもイレギュラー対応は空気を読め
・専門性は磨け
・でも異動命令には従え
こんな都合のいい「制度のつまみ食い」が、現場を一番疲弊させます。
本気でジョブ型をやるなら、「書かれていないことはやらなくていい」と認める覚悟が必要です。
逆に、日本的な柔軟性を残すなら、 曖昧で無限な責任に見合う対価を払うべきでしょう。
優れたJDとは、タスクの羅列ではありません。
「どんな成果を出すか」という契約です。
形だけのJD作成に時間を使うより、役割・期待・責任について対話にコストをかける組織の方が、結局は強いです。