地元大阪に戻りゆっくり過ごしていつのまにか1月2日、なんの予定もなかったので出かけることに。
目的地はざっくり兵庫県「宝塚」。阪急電車に飛び乗り、新春出たとこ散歩です。

10:30 石橋阪大前駅到着
高校・大学の通学で利用していた因縁の駅。石橋阪大前駅。ビアードパパの甘い香り、石橋阪大前駅。
大阪梅田と宝塚をつなぐ宝塚線のホームで待機。

あ、宝塚音楽学校生徒募集のポスターや
2025年の11月に、デイリーポータルZで「ひとりで宝塚音楽学校のポスターになる」という酔狂な記事を書いた。

これを書く前から、阪急電車でこのポスターをよく目にしていたが、一回自分でポスターになった途端、さらに目につくようになった。これ、何効果って言えばいいのだろうか。「ひとり宝塚ポスター効果」?
電光掲示板には「普通 雲雀丘花屋敷行き」の表示が。この電車は終点の宝塚まで行かない。
「いつも思ってたけど、『雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)』って名前、華美すぎるよな」
ふと思い、気がつけば「普通 雲雀丘花屋敷行き」に乗っていた。
雲雀丘花屋敷駅には一度も降り立ったことがない。どんな町なのだろう・・・
11:00 雲雀丘花屋敷駅到着

着いた。
西口から出たところ、駅前には雲雀もお花もない。すぐに住宅である。
しかし、立ち並ぶ住宅がただならぬ高級感をかもしだしている。
駅前の地図を見ると、すぐそこに歴史的な邸宅が3つあった。歩いていこう。
西口を右手に進んでいくと、すぐに急な坂がはじまった。冬の時期は、のぼっているうちに体があったまるので、坂を暖房器具としてとらえることができる。貧乏かつ負け惜しみ。貧乏∩負け惜しみ。

1つ目の邸宅、旧安田辰治郎邸。
安田辰治郎は商社マンだったらしく、アメリカ駐在時に学んだクイーン・アン様式でこの邸宅を自ら設計したそう(色々解説を読んでいると、ところどころ素人臭さがあるらしい)。
柵の外からしか見えなかったが、平面的なファサード(建物の正面)のインパクトが強く、高いところにある3連の窓を階段状に配置したり、ひし形がつらなる枠に黄色のガラスをはめ込んだりと、ぱっと見で工夫がわかるおうち。
自分で設計するのはさぞ楽しかったことだろうと思う。
取り壊し寸前だったところを色んな人が動き、保存プロジェクトが動いていると門の貼り紙にあった。
建物の保存ってめちゃくちゃ大変だと聞く。大学院生時代、古い邸宅を資料館にしている施設に美術品の調査に行った時、邸宅を相続していた館長がその施設のことをおもっくそ「白い象」(価値はあるけど費用がかかるもの)と言っていたのを思い出す。
ちょっと歩いた先には、「高碕記念館」があった。
ここは普段は開放されているようだが、1月2日はがっつり門が閉まっていた。
1923年に建設され、医学博士 諏訪瑩一が住んだあと、高碕達之助という人が住んだらしい。
「高碕達之助・・・どっかで名前聞いたことあるな」と思い出そうとするも、しっぽがつかめず。もしかしたらTHE ALFEEの坂崎幸之助と高見沢俊彦がまざってるだけの可能性がある。

記念館の近くに雲雀丘花屋敷のわかりよいパネルが。
1910年の箕面有馬電気軌道の梅田-宝塚間の開通ののち、雲雀丘花屋敷は高級郊外住宅地として開発されたらしく、当時から洋風スタイルの街並みだったそう。
「雲雀丘花屋敷」という地名になんら違和のない場所。ここまで華やかな名前にがっぷり四つで負けてない。
また少し歩くと、

国登録有形文化財の正司邸が。
ここは時々サロンコンサートがあったり、年に一度一般公開されているのだとか。
手前のサンルームが豪華なのが垣間見えたが、全容は見えなかった。
雲雀丘花屋敷駅の方に向かって坂を下りる。文化財として保存されている旧邸宅のまわりにも、立派な邸宅が立ち並んでいる。正直、全部保存して開放してほしい。
坂を下りると、雲雀丘学園があった(あとで調べたら、サントリー経営者が代々理事長を務めているらしい)。その向かいに東洋食品工業短期大学が。
「短大やったら、敷地内に広場ないかな」と期待を寄せてGoogleマップを開くと、校内に高碕達之助の銅像がある。えっ、一体何者?
家に帰ってWikipediaを調べたら、高碕達之助は実業家・政治家で、戦前に「東洋製罐」という会社を設立したそう。なるほど、これが「東洋食品」の前身」のようだ。
あと、高碕達之助の通ってた旧制中学が、私の高校の前身となる学校だった。そうや、高校のOBOG会の卒業生クイズの選択肢に「高碕達之助」があったんや。2026年1月、高碕達之助が長期記憶の引き出しに入った。
雲雀丘花屋敷駅に戻ろうかと思ったが、一つ先の山本駅まで歩こうと決める。理由は特にない。

どういう意味かわからない「5秒ルール」

振り返って写真を撮っていると・・・
地名の看板に「平井車庫前」の文字が。
ひ、平井車庫!
小学校の遠足で行った・・・!
平井車庫は、阪急電車の車両の点検や収納している場所。社会見学の一環で小学校2年か3年の冬に訪れたのだが、記憶していることは「寒い」という身体感覚だけである。
「車庫」ではあるが基本屋外のふきっさらし、見学は行儀よく列に並んでゆっくり歩まねばならず、体をあたためようもない。
友達がエンジェルブルーのキャラの「プリポカ」を持っていた。キャラクターが印刷されたカイロ、プリポカ。
プリポカの印刷面はつるつるしたプラスチックであることが多く、表面がひんやりしていたのだが、その「あたたかさをちょっと捨てて、目を楽しませる」在りようが余計に生活の余裕を表していた。
平井車庫は寒すぎて、私たちはそんなプリポカに群がった。
あとは、車両の洗車とかを見た気がする。
この遠足がおわったあと、近所のおばさんに「平井車庫に行った」と言うと、「車庫なんか行って何をすることあんの」と言われた。

平井車庫を見たくて周りをウロチョロしてみたが・・・

高架になっていて全く見えない。
なんでこんなに厳重なのか・・・と思うも、ローマの地下鉄がめちゃくちゃ落書きされていたことを研究室のチェコスロバキアの留学生に言ったら、「たぶん車庫で落書きされてるんです」と言われたのを思い出した。
それが本当かはわからないが、車庫がガバガバだと電車にイタズラされるかもしれないので、この厳戒態勢もうなずける。
小学生の時はありがたさに全く気が付いていなかった。もっと見ておけばよかった。

市議会議員・大島淡紅子氏の看板
「『淡紅子』で『ときこ』・・・!?」と面喰ったが、そういう読み方があるらしい。泉鏡花とか小栗虫太郎とかの小説で出てきた。かなりペダンチックではある。

平井車庫を過ぎて北上し、山本駅に到着する。宝塚駅へ。
次回、宝塚駅に降り立つ!
芸人・例えば炎の聖地巡礼、
そして新年から公演をしている宝塚大劇場のショップやレストランでたまさかの一休み・・・!
お楽しみに・・・!
目的地はざっくり兵庫県「宝塚」。阪急電車に飛び乗り、新春出たとこ散歩です。
10:30 石橋阪大前駅到着
高校・大学の通学で利用していた因縁の駅。石橋阪大前駅。ビアードパパの甘い香り、石橋阪大前駅。
大阪梅田と宝塚をつなぐ宝塚線のホームで待機。
あ、宝塚音楽学校生徒募集のポスターや
2025年の11月に、デイリーポータルZで「ひとりで宝塚音楽学校のポスターになる」という酔狂な記事を書いた。
これを書く前から、阪急電車でこのポスターをよく目にしていたが、一回自分でポスターになった途端、さらに目につくようになった。これ、何効果って言えばいいのだろうか。「ひとり宝塚ポスター効果」?
電光掲示板には「普通 雲雀丘花屋敷行き」の表示が。この電車は終点の宝塚まで行かない。
「いつも思ってたけど、『雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)』って名前、華美すぎるよな」
ふと思い、気がつけば「普通 雲雀丘花屋敷行き」に乗っていた。
雲雀丘花屋敷駅には一度も降り立ったことがない。どんな町なのだろう・・・
11:00 雲雀丘花屋敷駅到着
着いた。
西口から出たところ、駅前には雲雀もお花もない。すぐに住宅である。
しかし、立ち並ぶ住宅がただならぬ高級感をかもしだしている。
駅前の地図を見ると、すぐそこに歴史的な邸宅が3つあった。歩いていこう。
西口を右手に進んでいくと、すぐに急な坂がはじまった。冬の時期は、のぼっているうちに体があったまるので、坂を暖房器具としてとらえることができる。貧乏かつ負け惜しみ。貧乏∩負け惜しみ。
1つ目の邸宅、旧安田辰治郎邸。
安田辰治郎は商社マンだったらしく、アメリカ駐在時に学んだクイーン・アン様式でこの邸宅を自ら設計したそう(色々解説を読んでいると、ところどころ素人臭さがあるらしい)。
柵の外からしか見えなかったが、平面的なファサード(建物の正面)のインパクトが強く、高いところにある3連の窓を階段状に配置したり、ひし形がつらなる枠に黄色のガラスをはめ込んだりと、ぱっと見で工夫がわかるおうち。
自分で設計するのはさぞ楽しかったことだろうと思う。
取り壊し寸前だったところを色んな人が動き、保存プロジェクトが動いていると門の貼り紙にあった。
建物の保存ってめちゃくちゃ大変だと聞く。大学院生時代、古い邸宅を資料館にしている施設に美術品の調査に行った時、邸宅を相続していた館長がその施設のことをおもっくそ「白い象」(価値はあるけど費用がかかるもの)と言っていたのを思い出す。
ちょっと歩いた先には、「高碕記念館」があった。
ここは普段は開放されているようだが、1月2日はがっつり門が閉まっていた。
1923年に建設され、医学博士 諏訪瑩一が住んだあと、高碕達之助という人が住んだらしい。
「高碕達之助・・・どっかで名前聞いたことあるな」と思い出そうとするも、しっぽがつかめず。もしかしたらTHE ALFEEの坂崎幸之助と高見沢俊彦がまざってるだけの可能性がある。
記念館の近くに雲雀丘花屋敷のわかりよいパネルが。
1910年の箕面有馬電気軌道の梅田-宝塚間の開通ののち、雲雀丘花屋敷は高級郊外住宅地として開発されたらしく、当時から洋風スタイルの街並みだったそう。
「雲雀丘花屋敷」という地名になんら違和のない場所。ここまで華やかな名前にがっぷり四つで負けてない。
また少し歩くと、
国登録有形文化財の正司邸が。
ここは時々サロンコンサートがあったり、年に一度一般公開されているのだとか。
手前のサンルームが豪華なのが垣間見えたが、全容は見えなかった。
雲雀丘花屋敷駅の方に向かって坂を下りる。文化財として保存されている旧邸宅のまわりにも、立派な邸宅が立ち並んでいる。正直、全部保存して開放してほしい。
坂を下りると、雲雀丘学園があった(あとで調べたら、サントリー経営者が代々理事長を務めているらしい)。その向かいに東洋食品工業短期大学が。
「短大やったら、敷地内に広場ないかな」と期待を寄せてGoogleマップを開くと、校内に高碕達之助の銅像がある。えっ、一体何者?
家に帰ってWikipediaを調べたら、高碕達之助は実業家・政治家で、戦前に「東洋製罐」という会社を設立したそう。なるほど、これが「東洋食品」の前身」のようだ。
あと、高碕達之助の通ってた旧制中学が、私の高校の前身となる学校だった。そうや、高校のOBOG会の卒業生クイズの選択肢に「高碕達之助」があったんや。2026年1月、高碕達之助が長期記憶の引き出しに入った。
雲雀丘花屋敷駅に戻ろうかと思ったが、一つ先の山本駅まで歩こうと決める。理由は特にない。
どういう意味かわからない「5秒ルール」
振り返って写真を撮っていると・・・
地名の看板に「平井車庫前」の文字が。
ひ、平井車庫!
小学校の遠足で行った・・・!
平井車庫は、阪急電車の車両の点検や収納している場所。社会見学の一環で小学校2年か3年の冬に訪れたのだが、記憶していることは「寒い」という身体感覚だけである。
「車庫」ではあるが基本屋外のふきっさらし、見学は行儀よく列に並んでゆっくり歩まねばならず、体をあたためようもない。
友達がエンジェルブルーのキャラの「プリポカ」を持っていた。キャラクターが印刷されたカイロ、プリポカ。
プリポカの印刷面はつるつるしたプラスチックであることが多く、表面がひんやりしていたのだが、その「あたたかさをちょっと捨てて、目を楽しませる」在りようが余計に生活の余裕を表していた。
平井車庫は寒すぎて、私たちはそんなプリポカに群がった。
あとは、車両の洗車とかを見た気がする。
この遠足がおわったあと、近所のおばさんに「平井車庫に行った」と言うと、「車庫なんか行って何をすることあんの」と言われた。
平井車庫を見たくて周りをウロチョロしてみたが・・・
高架になっていて全く見えない。
なんでこんなに厳重なのか・・・と思うも、ローマの地下鉄がめちゃくちゃ落書きされていたことを研究室のチェコスロバキアの留学生に言ったら、「たぶん車庫で落書きされてるんです」と言われたのを思い出した。
それが本当かはわからないが、車庫がガバガバだと電車にイタズラされるかもしれないので、この厳戒態勢もうなずける。
小学生の時はありがたさに全く気が付いていなかった。もっと見ておけばよかった。
市議会議員・大島淡紅子氏の看板
「『淡紅子』で『ときこ』・・・!?」と面喰ったが、そういう読み方があるらしい。泉鏡花とか小栗虫太郎とかの小説で出てきた。かなりペダンチックではある。
平井車庫を過ぎて北上し、山本駅に到着する。宝塚駅へ。
次回、宝塚駅に降り立つ!
芸人・例えば炎の聖地巡礼、
そして新年から公演をしている宝塚大劇場のショップやレストランでたまさかの一休み・・・!
お楽しみに・・・!
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