『博士』について……
うーん……あんまり、こういうことを言うのはアレなんだけど……これはオフレコで頼むよ? 俺、アイツ嫌いなんだよね。
吹き荒れる吹雪は何もかもを飲み込む。
人の命も、血も、死体も、叫びも、怒りも──ありとあらゆるものが時間と共に雪下へと埋もれていく。
それがこの戦場の常、人であろうと、魔物であろうと共通の理である。
「う、うわぁぁぁ!!」
悲鳴と共に兵士の身体が巨龍の豪腕に押し潰された。
骨が軋み、中の肉が鮮血と共に雪原へと吹き出し、鮮やかな朱の花を咲かせる。
「クソっ……『
「い、未だ、応答もなく……」
「そんな……此処にいる者の装備だけでは……」
仮面の下を流れる汗は吹き荒れる風や雪よりも身体を凍えさせる。
死は唐突に訪れるものだ、前触れもなく、そして何とも理不尽な時に。
それが命在る者の共通の運命であり、覆しようの無いことなど誰もが分かっている。
ただ、自分の順番が来ただけ──その事実を多くの者は受け入れられない。
「クッ……すべての分隊火力をヤツに集中しろ!!」
「し、しかし、もう残弾が!!」
巨人が雄叫びを挙げ、地を大きく蹴る。
地鳴りのような足音は雪に囚われることなく、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
「……っ! た、退避ー!」
無理だ、間に合わない──身体よりも先に脳が結果を弾き出す。
「あ、あれは……!」
灰色の空から此方へと落ちてくる紫の光。
それは突如として、閃光となり地面──否、巨龍へと突き刺さった。
高出力の雷元素による閃光は巨龍の外殻を融かし、その肉の内側の、更に内部まで灼いていく。
「──はい、おしまい」
その言葉と共に、小銃のトリガーが引かれ、同時に巨龍の半身が風船のように膨れ上がる。
そして、大きな破裂音と共に血と臓物を雪原へ撒き散らした。
生臭い血の臭いが鼻腔を襲うが、それでも身体は動かない。
誰もが巨龍の遺骸の上にいる彼を見上げていた。
そして、地面に降りたその時、飛び散った巨龍の臓物を踏み潰した。
「……うわっ、最悪。靴汚れたんだけど」
「『
彼こそが新しいファトゥス──第六位『散兵』その人だった。
スネージナヤの吹雪というのは容赦がないもので、作戦終了後の兵士を労うことなどなく、かえってその勢いを強くする。
テントによって守られているとはいえ、吹き荒れる吹雪は中の照明や支柱を揺らし、将兵の緊張を煽り続けていた。
「ひっかし、はいふはられたねえ(しかし、だいぶやられたねえ)」
「あの『散兵』様……?」
「はに(なに)?」
「い、一応……その勤務中ですし、その……」
「随分な態度だな。第六位」
その声に傍らのデットエージェントは萎縮し、口を閉ざしてしまう。
対面に座った仮面の男が如何にも不愉快だと言わんばかりに圧を飛ばしてくる。
「んっ、ふぅ……いえいえ、どうぞ俺のことはお気になさらずにどうぞ話を続けてくださいな。『
対面に座った仮面の男こそ、ファデュイ執行官第二位『博士』。
またの名を、ファデュイが誇る技術開発部局長様である。
「本作戦では可能な限り、サンプルは生け捕りにしろと命じた筈だが?」
「あー……ですので、それが無理だったのでやむ無く討伐した次第ですよ?」
「報告では貴様が真っ先に討伐に動いたと聞いているが?」
「本作戦における将兵の損耗が許容範囲を越えたと判断したので……そのお陰で犠牲も最小限に済みました」
卓上のクッキーを口に放り、紅茶に角砂糖をいれていく。
「しかも、何処かの誰かのミスか、或いは怠慢かは知りませんが、何故か、俺の方に魔物の集団が大量に雪崩れ込んできたもので。余計に時間を喰ってしまいましたよ」
向かいの彼の反応など気にせず、紅茶に角砂糖を入れる。
「それにドットーレ殿はサンプル確保は可能な限りと仰いましたよね? やむを得ない場合は討伐する他無い。それは貴方も分かっていたでしょう?」
そして、また一つ角砂糖を入れる。
「それに、将兵達に伝えられた作戦概要では必要時に貴下の部隊が増援として参加する手筈になっていた筈でしょう? しかし、作戦中に彼らが現れることなどはなかった。そうなれば、端から破綻している作戦で将兵を無駄に死なせるなど、愚の骨頂……ではないでしょうか?」
透き通っていた紅茶は角砂糖によって濁り、もう両者の顔を映すことはない。
「……フン、貴様には期待していたのだが。どうやら的外れの無駄な労力だったようだ」
「おっと、それは申し訳ない。次回があるのなら、気を利かせますよ。ただ──」
立ち上がるドットーレが聞いていようがいまいが、俺は続ける。
「人というものは好きなように生きられますが、往々にして最期というのは理不尽なものです。くれぐれもお気をつけを」
「ほう……貴様如きが私を脅かすと?」
「いやはや、俺の経験に基づく助言ですよ。貴方と違って、こちとら戦場を這いずり回って、死に物狂いで生き延びた人間なので」
しかし、ドットーレがその言葉に答えることなどなく、ただ無言で歩き去っていった。
まったく、こんな吹雪の最中に、よく外に出ようと思えるよな……
まあ、向こうから出ていってくれるのは此方としてはありがたいんだけどね。
「ああぁ……疲れたぁ…… ねぇ、あの人って何であんなに面倒なのさ?」
「『散兵』様!? い、いきなり、そんな事を言わないでください! も、もし……聞かれてたら……」
「だって、ミハイル君もそう思うでしょ?」
「……わ、私からは言及は控えさせて頂けないでしょうか……?」
おっと、ミハイル君? それはある意味では肯定としてとれちゃうぞ?
まあ、別に彼の答えを求めていた訳では無いから、どちらでも構わないのだが。
狼狽する彼を他所に、紅茶のカップへ手を伸ばす。
砂糖を大量に入れた紅茶はとても甘く、然れどその甘さはドットーレと話した事で蓄積した脳の疲労を癒してくれる。
要するに甘党は大変ってこと。
……やはり、糖分は良い。人類にはこれが必要なんだ。
夜──この時間とは大半の者は眠りにつき、明日を迎える準備をする時間だろう。
市街の店も閉まり、当然ながら人々の往来も少なくなる。
それはこのスネージナヤパレスにおいても例外ではない。
つまり、良い子は早く寝なさいってこと。
というか、今日の任務……というよりドットーレと話した事で普通に疲れた。
まあ、ファトゥスになる前からドットーレの悪い評判というのは数多く聞いていたのだが、本物も言われて然りというのはなかなか無いだろう。
……あっ、ちなみにサンドローネにドットーレのことを聞いてみた事があるのだが、それはヤバかった……もう愚痴の嵐だった。
機材を壊したとか、予算オーバーなどは序の口で。
実験における人員への配慮、報告書やら設備修繕などの後始末──終いにはサンドローネ本人も巻き込まれた事があるらしい。
お労しやサンドローネ殿、飛び出してくる数々の愚痴は彼女の苦労の証だろう──要するに中間管理職というのは辛いってこと。
まあ、どの組織にもヤバい同僚っているものだけど、ドットーレに関して筋金入りどころ鉄筋入りである。
ヤバい同僚に疲れさせられたこんな日は、もう何も考えずに寝る──これが一番である。
まあ、贅沢を言ってしまうと、なんか穏やかな音楽とか、そこはかとなく良い匂いがする花とかあるとなお良いだろう。
「────♪」
そうそう……こんな感じの静かな唄とか──
……唄? あれ、おかしいな。さっきまで俺一人だったよね? この部屋。
本来ならば、こんな男一人の部屋で唄などが奏でられる筈がない。
……よし、落ち着くんだ。とりあえず素数を数えて落ち着くんだ。
素数は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字。俺にきっと勇気を与えてくれる。
……2……3……5……7……11……13……17……18──あっやべ、間違えた。
ま、まあ……まさかだぜ? 流石にねぇ……?
「───♪ ──♪」
「わーお──」
……いた、コロンビーナいた。
いや、なんで? 普通に部屋に鍵をかけたよね?
というか、何故に彼女はこんな真夜中に此処に来て、唄ってんの?
い、いかん、情報量が多すぎる……というか、我ながらよく悲鳴をあげなかったな。
「──♪……あっ、起きちゃった?」
「うん、起きちゃった……って、そうじゃなくて。なんでコロンビーナが此処にいるのさ?」
「前にスカラマシュにお菓子を一杯貰ったでしょ?」
「あげたね」
「後、歌が上手いって言ってくれたでしょ?」
「言ったね」
「だから、お返しに唄を歌ってあげようと思ったの」
「そっか……でも、そもそもの話、俺の部屋に鍵が掛かってたでしょ?」
「うん、だから開けた」
「えぇ……」
いや、『だから開けた』って何? この子は何故にそんなことを悪気なく言えるの?
というか、自分の行動に迷いが無さすぎでしょ。少しは迷ってくれよ……
「えっと……まあ、その……お気持ちは大変ありがたいんだけども、俺にもプライバシーというか、体裁というか……まあ、色々あってですね?」
「私、気にしないから大丈夫だよ?」
「そこは気にして!? 俺の為にも気にして!!」
……もしかしたら、サンドローネもこんな気持ちだったんだろうか?
今、少しだけ彼女の苦労の一端が身に染みて分かった気がする。
「あー……えっと、なんか、もう眠気が覚めちゃったし、お菓子でも食べる?」
「……いいの?」
「まあ、うん……」
なんか小動物に餌付けしてるような感覚だけど……その相手は俺より遥かに順位が上なんだよな。
「前のチョコレートのお菓子……ある?」
「あるけど……他にも色々あるよ?」
「じゃあ、それも欲しい」
もう、欲しがりさんなんだから……って、なんか緊張してた俺が馬鹿みたいだな。
「……美味しい」
「それは良かった。まあ、こんな深夜にお菓子ってのも、あんま良くないんだろうけどね」
そこは俺達はファデュイ──その最上位たるファトゥスの特権のようなものでどうにでもなる。
「……スカラマシュはどうして何の対価もなく、お菓子をくれるの?」
「対価って……前にも言ったけど、お菓子くらいであれやれ、これやれって要求する気はないだけだよ」
「どうして?」
「だって、そんなことしてたらキリがなくない?」
「……」
施して、施されて──確かにその関係は理想的なのかもしれない。
ただ、それは相手が決して欲を掻かない事が前提条件となる。
そんなこと、人間同士ではまずあり得ない。
どれだけ対等なつもりでも一度、施されると欲が沸く。
その欲は留まることを知らず、やがては過ぎた野望を抱くようになる。
そうなってしまえば、後は終わりまで要求のみをされるだけだ。
そんなのは無駄に疲れるだけで、何の得にもなりゃしない。
無論、だからといって何もかもを無償にする訳じゃない。
一定の枠を越えれば、当然ながら対価を要求するし、何より過ぎた欲は自らを殺しかねない。
つまり、バランスが大事ってこと。
「……そっか、やっぱり不思議な人だね。スカラマシュって」
「そうかな?」
「うん、私の周りにいた人達は違ったから」
「そっか」
そう言ってコロンビーナは窓から遠くの方を見つめる。
彼女の双眸は閉じたままなので、見ているという表現は異なるだろうか。
コロンビーナが見ている方角は……ナド・クライか。
「……コロンビーナはナド・クライから来たのかい?」
「うん」
窓に打ち付ける吹雪は未だ止むことはなく、その勢いを増す。
カタカタと揺れる窓の遥か上空──暗い夜空の上には月が暗く輝いていた。
「─────!」
……何だよ、今日は非番なんだからもう少し寝させてくれよ。
「ちょっと──スカラマシュ───!」
この声は……サンドローネか。ってか、何だよ……普段はこの時間は寝てるだろ君……
こちとら、遅くまでコロンビーナに餌付けしてたんだから──
「……あれ?」
──待て、確かに深夜にコロンビーナが来て、彼女にお菓子をあげた。
そう、それは覚えている……問題はその後だ。
……俺、コロンビーナが戻るところを見たっけ?
否、見ていない、少なくとも俺の記憶にそんな情景はない。
眠気に侵されていた身体にツーと凍てつく汗が流れる。
「ヤベっ! コロンビーナ──」
「──ふぁ……おはよう。サンドローネ」
「……は?」
今、この瞬間だけ時間が止まったような沈黙が三者を襲う。
もう、何もかもが手遅れで、それはもう彼女の逆鱗に右ストレートを叩き込んでいた。
「……なんで、スカラマシュの部屋からアナタが出てくるのかしら? コロンビーナ」
「……? だって、一緒に寝たから」
「────っ!?!?」
──あっ、終わった。
右ストレートどころか、返しの肘鉄まで叩き込みやがった。
「ち、違うから……! 何もしてないから!!」
「そうだ……ありがとう。スカラマシュ、沢山ご馳走してくれて」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?!?」
「へぇ……そう……そうなのね……スカラマシュ、アンタ……っ!」
「い、いや、本当に何もしてないから! お菓子をあげただけ! ホントに!!」
「黙りなさい! プロンニア!! この変態を叩き潰しなさい!!!!」
機構の巨人が両手を合わせ、エネルギーを収束させる。
「待って待って!! こんな所でそんなのぶっ放したら──!!」
──この日、スネージナヤパレスの宮殿の一室が大爆発を起こした。
幸い、怪我人などは居なかったものの、本事件を引き起こしたのは、執行官第七位及びに第六位。
同二名には2週間の謹慎を女皇陛下はお命じになった。
なお、現場の修繕費は先の二名から支払われるとのことである。
第六位について……
そういえば、第六位の席が埋まったんだっけ? それもよく分からないヤツが座っている。興味なんてないよ、もうボクにファデュイの情勢なんて関係ないんだからね。