袴田さんめぐる当時の報道の問題点は 記事と記者たちの証言をたどる

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 1968年に静岡地裁で死刑判決を受けた袴田巌さんについて、新聞各紙は逮捕前から報じていた。

 事件発生の数日後から「従業員『H』浮かぶ」(66年7月4日毎日夕刊)など、県警による事情聴取を報道。同8月18日の逮捕の際は、各紙が「従業員袴田を逮捕」と呼び捨てで報じ、「身持くずした元ボクサー」(朝日夕刊)「不敵なうす笑い」(毎日夕刊)などの見出しで伝えた。袴田さんの取り調べでの様子は、「だんまり戦術」「ついに自供」などと表現された。

 逮捕前の袴田さんに取材したという元朝日新聞記者(83)は当時について、「本人は『俺は絶対やっていない』と言っていたが、記者たちの間では袴田さんが『いつ』逮捕されるかが最大の焦点で、競い合って取材していた」と振り返る。

「逮捕された=悪」と犯人視報道

 宮崎公立大の四方由美教授(メディア論)は、「当時は容疑者を呼び捨てし、『逮捕された=悪』とレッテルを貼る犯人視報道が当たり前。人権問題という認識も薄かった」と話す。

 報道各社は80年代から事件報道の見直しを進め、朝日、読売、毎日などは89年から、容疑者の呼び捨てをやめ、「○○容疑者」とつけ始めた。朝日新聞の現在の指針では、捜査当局による情報は断定的に書かない▽容疑者・弁護側の主張、反論をきちんと扱う――などと定める。

「警察と検察ばかり追いかけていた」

 1966年11月の静岡地裁での初公判で、袴田さんは全面否認。だが、公判の弁護側の反証で、新たに袴田さんに有利と思われる証拠が出ても、大きくは報じられなかった。裁判を取材した別の元朝日新聞記者(83)は、「警察と検察ばかり追いかけていて、弁護側に取材する発想もなかった。今振り返れば、袴田さんが否認したり弁護側から新たな証拠が出てきたりした際に、取材し直すべきだった」と話す。

 袴田さん側は81年に最初の再審請求をしたが、その後棄却。再び大きく報じられたのは2007年だった。静岡地裁で死刑判決を出した裁判官の1人、熊本典道さんが会見を開いて「無罪を主張した」と明かし、無罪の心証を持っていながら合議で他の裁判官を説得できず死刑判決を書かざるをえなかったとする陳述書を、最高裁に提出した。

 その後、14年の再審開始決定と釈放が潮目となり、以降は決定のたびに1面トップ級で載っている。

今もなくなってはいない

 立命館大の渕野貴生教授(刑事法学)は「裁判の報道は当時よりだいぶ公平になったものの、捜査機関からの伝聞に偏った報道は、今もなくなってはいない。報道機関は、報道によって公平な裁判を受ける権利が侵害される可能性があると自覚する必要がある」と指摘。また、「ふだんから、再審での検察の証拠開示や抗告のありかたなど、刑事手続きの問題を正面から掘り下げていくことが報道機関の役割だろう」と話す。

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