日蓮正宗の信仰を続けた人の生涯について③ | 了源院のブログ

日蓮正宗の信仰を続けた人の生涯について③

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今回は日蓮正宗の元役員で法華講員Cの生涯について事例をまとめてみました。


前回でも前置きしましたが、日蓮正宗の法華講員から「日蓮正宗を信仰しないと幸せになれない。」「日蓮正宗を信仰すると幸せになる」「日蓮正宗以外の宗教を信仰すると不幸になる」「他宗を信仰すると謗法により事故、病気、自殺、短命、経済苦になる」とよく聞きます。


では、実際、日蓮正宗を信仰し、その信仰を続けてきた場合、どうなるのか、私は観察してみることにしました。

もちろん、本人や関係者の話も丁寧に伺いました。あくまで、個人の一事例ですので全ての法華講員さんや僧侶さんに当て嵌まるかは分かりません。

法華講員Cの事例

Cの簡単な情報と経歴
C(男性)の性格は頑固で見栄っ張り、日蓮正宗の日有教学への執着が強く、他宗派に対して誹謗中傷を繰り返し、特に創価学会への憎悪が顕著であった。

日蓮正宗でいうところの「信心強盛」の信徒であった。

Cは複雑な家庭で生まれ育ったが、多感な青年期に日蓮正宗に出会った。当時は創価学会を通じ寺院で御授戒を受けた。その後、教学を研鑽し、50人ほど折伏(入信させること)し、当時の日蓮正宗から特別御形木本尊を授与された。

創価学会の教学試験で教授を志したが試験内容に違和感を感じ、その時、創価学会の役職等、全て辞任し寺院を中心に活動を始めた。

宗創紛争の際は寺院につき、住職とともに寺院の信徒を指導した。

Cはこの宗創紛争時に、かなりのトラブルがあり、妻と離婚し、若い娘を残して遠くの寺院へ移籍した。

Cはその後も古いボロボロの狭いアパートを借り、独身で仕事に励み新しい所属寺院でも、教学や作法を信徒に教えたりと指導的立場にいた。

寺院へは真面目に参詣し、多額の御供養をしていたことも評価され、寺院の役員につき、一般信徒より上の立場にいた。

Cは寺院に多額の御供養をして年々疲弊していったが、他の信徒には一切弱音を吐かなかった。

Cは時折、「なんで御僧侶が隠居させられたり還俗させられるんだろう。還俗は正宗では罪深いことなのに。」と呟くことがあった。

Cは御供養をするために一生懸命働き続けたが、年齢上の問題や、足腰が弱くなったことにより、収入がほとんど無くなった。しかし寺院参詣は真面目に続け御供養も真面目にしていた。

Cは亡くなる3年前から元気がなくなり痩せ始めた。周りの信徒が心配し、事情を聞いたが、答えなかった。
また、葬儀の話をするようになり、「日蓮正宗の御僧侶に葬儀をしてもらわないと、卒業証書がもらえないんだ。この卒業証書がないと成仏できないんだ。」と言っていた。

Cは亡くなる2年前から、寺院参詣しても座ることができず、途中で退席することがあった。その後に一部の人に癌であることを打ち明けた。

Cは亡くなる1年前から生活保護を受けていた。

Cは亡くなる2ヶ月ほど前に生活保護での葬儀は様々な制限があるので(僧侶が読経する場合、僧侶への報酬は発生しない等)心配するようになった。
寺院の僧侶へ相談したが、断られ希望通りにいかなかった。

その後Cは80歳で、病院で亡くなり、生活保護葬により、一般的な葬儀は行われないまま、僧侶からの読経もなく火葬場で焼くだけの簡易な葬儀をした。

Cは生前「邪宗(他宗派のこと)では死んだら地獄に落ちるから相が悪い。顔が黒くなったり、表情が苦しそうだったりする。」
「俺は正宗に入ってるから、(亡くなった後)絶対に相も良いから。半眼半口で肌は白くて、トロメン(柔らかい綿のこと)のようになるから。見てくれよ。」
と繰り返し言っていた。

しかし、残念ながら、Cの相は半眼半口でもないし、白くもなく、柔らかくもなかった。

以上が法華講員Cの一事例でした。

少し生々しかったですが、真実は言わなければならないと思い、あるがままを発表しました。

ここでのポイントは、妻と娘と離れ離れになり孤独になってしまったこと(一家離散)、寺院の役員にもなったのに、経済苦に陥り生活保護を受けていたこと、最期は一番心配していた、僧侶による葬儀がされなかったことです。

日蓮正宗を信仰して信心強盛な人でも、このような結果になってしまいました。

よって日蓮正宗の法華講員たちが主張する「日蓮正宗を信仰しないと幸せになれない。」「日蓮正宗以外の宗教を信仰すると不幸になる」等は誤りであることが、証明されました。

なお、Cは身寄りもなく生活保護葬をしましたが、その後、Cに対する塔婆供養はどうなるのでしょうか?

塔婆供養をしてくれる人がいないCに対してはこのような塔婆を誰かが立てて追善するしかないのだろうか?