~観仏日々帖【目次】はこちら~
【11 月】
【浜松市美「みほとけのキセキⅡ」展 & 静岡方面観仏へ
~同好の方々と一泊で】
一泊で、同好の方々と浜松、静岡方面に出かけました。
浜松市美術館で開催の「みほとけのキセキⅡ展」を観に行くのと、この機会に静岡市の北の奥の方にある松野阿弥陀堂や坂ノ上薬師堂の諸仏を訪ねてみることにしたのです。
【「みほとけのキセキⅡ」展は、3年前開催展の第2弾
~まずは、記念シンポジウム参加でお勉強】
浜松市美術館で開催された企画展「みほとけのキセキⅡ~遠州・三河のしられざる祈り」(10/14~12/3)は、2021年3~4月に開催された企画展「みほとけのキセキ~遠州・三河の寺宝」の続編、第二弾となる展覧会です。
開催主旨は、
「通常非公開・寺外初公開の作例、近年の調査でその価値が見出された作例を紹介する他、前回展では紹介できなかった地域、時代の仏像も取り上げます。
遠州・三河の「知られざる作例」の存在を再確認しながら、改めて遠州・三河に根付いた仏教文化の価値や魅力に迫ります。」
ということで、これは必見と同好の方と出かけたわけです。遠州・三河の「知られざる作例」の存在を再確認しながら、改めて遠州・三河に根付いた仏教文化の価値や魅力に迫ります。」
午前中、展覧会を見る前に、併せて開催された記念シンポジウムを聴きに地域情報センター行きました。
「仏像フロンティア~遠州地域の仏教文化圏」と題するシンポジウムで、4人の講師の方の講演と意見交換がありました。
2時間半の長丁場、なじみの少ない遠州・三河の仏像について、いろいろと勉強になりました。
ちょうどお昼となり、浜松市美術館の近くの、「イグツィオーネ」という隠れ家のようなカフェでランチ。
NET検索で「フレンチプレスコーヒーとこだわりカレーが一押し」のカフェということで、行ってみたのですが、コーヒーもカレーもベリーグッドでした。
たどり着くのも迷ってしまいそうな路地裏にあるのですが、落ち着いたシャレた雰囲気で最高でした。
ちょっとお話したオーナー井口夫妻の「趣味の店」という感じでした。
また是非訪ねたいのですが、もうなかなか機会がなさそうで残念!
【ほとんど全部が「未見の仏像」という、出展ラインアップ
~知られざる仏像集合の得難い機会】
午後は、ゆっくり展覧会を鑑賞。
50件の遠州・三河の仏像が出展されていましたが、重文指定の仏像は1躯もなくて、「あの仏像が出展されるのだ」というような、知られた仏像はありませんでした。
私も、未見の仏像ばかりで、かつて拝したことがあるのは、新城市 熊野神社の不動明王(鎌倉・県指定)の1体だけでした。
前回の「みほとけのキセキ展」では、摩訶耶寺・千手観音像(平安)、方広寺・釈迦三尊像(南北朝)など、名の知られた重要文化財指定仏像が10躯も出展されていました。
同じ地域の仏像展の続編の展覧会ということになると、率直な処、仏像彫刻作品としての出来のレベルは、少々見劣りする顔ぶれになってしまうのは、仕方ないことかと思います。
【目を惹いたのは、府八幡宮・神像と熊野神社・不動明王像】
展示像の中で私の目を惹いたのは、磐田市 府八幡宮の僧形八幡神坐像、女神坐像(平安後期・市指定)と新城市 熊野神社の不動明王(鎌倉・県指定)と云ったとことだったでしょうか。
府八幡宮の2躯の神像は、素朴、簡素で平安後期らしい穏やかな造形なのですが、奥行きと重量感のある体躯、厚みのある膝は古様で、なかなかの存在感を感じます。
女神像の拱手の処や背面、僧形八幡像の右耳朶前に大きな節がそのまま残されていて、神木、霊木を用いて造られた像である可能性があるようです。
熊野神社の不動明王は、今回出展像の中で、造形的には一番優れた像であったように思えます。
いかにも鎌倉時代という写実的な造形です。
玉眼をはめ込んだお顔は溌剌とした表情で、衣文の彫りも深くてダイナミック、肉身にも張りを感じます。
室の中央に展示されていましたが、ひときわ存在感を放っていました。
嬉しかったことは、前回展に引き続き展示全仏像の「写真撮影OK」となっていたことです。
出展寺社から撮影了解をいただく、展覧会企画担当の方のご苦労が伺えます。
近年、撮影可の仏像展も少しずつ増えてきたようですが、こうした展覧会が増えていって欲しいものです。
出展された遠州・三河の仏像、個別に訪ねて拝するのはちょっと大変で難しい仏像ばかりです。
こうした企画展で、一堂に観ることが出来るのは、得難い機会となりました。
一日がかりのシンポジウム&仏像展の後は、浜松から静岡に移動して一泊。
夜は、静岡駅そばのすし・魚処 「のへそ 本店」で、参加者6人で愉しく飲りました。
今回の観仏旅行の一番の愉しみとも云って良い飲み会。
料理もさることながら、あれこれの仏像談義を肴に多いに盛り上がりました。
ちょっと飲り過ぎたか?
【静岡方面の気になる5ヶ寺の観仏探訪へ】
翌日は、ご覧のような5ヶ寺を訪ねました。
今回の一番の目的は、坂ノ上薬師像と松野阿弥陀堂でしょうか。
いずれも、静岡市の20~30キロ北の山間にあるお堂で、あまり知られていませんが興味深い平安時代の仏像群が残されているのです。
【山村の小堂に、巨大な丈六阿弥陀坐像が
~村落の人々に守られてきた松野阿弥陀堂】
まず一番に訪ねたの、松野阿弥陀堂です。
静岡駅から、車で北へ30~40分ほどの山間の村落にあります。
ここに、丈六の阿弥陀如来像の巨像が残されているのです。
丈六とは、一丈六尺(約480㎝)のことですが、松野阿弥陀堂像は坐像なので半分の240㎝の像高の巨大像です。
松野阿弥陀堂は、お茶畑に囲まれた小さな森に囲まれた小さなお堂でした。
無住のお堂で、現在は松野の村落の方によって管理されています。
お堂に入れていただくと、眼の前に阿弥陀像の姿がありました。
お堂いっぱいの巨大さで、「オウォー!」と声を上げてしまいそうです。
長い歳月、災難をくぐりぬけてきたのでしょう、ちょっと痛々しい姿です。
【平安時代、この鄙なる地に数体の丈六像造立に驚き
~2体の丈六像面部も残される】
平安時代の制作ということですが、両肘から先や、膝前などは明らかに後世に制作されたものが継がれています。
破損しかけた数体から使えそうな部分を選んで1体の丈六阿弥陀像に仕立てたようです。
「体部前面は頭頂から地付まで一本で彫り出し、内刳りを施し・・・・・」
という構造だということで、丈六像なのに「一木造り」であったらしく、相当の巨材が用いられています。像の左右には、丈六像のものと思われる首から上しか残っていない面部が置かれています。
共に、平安時代の制作のようです。
いずれも、洗練されているとは言い難い、地方色豊かというか、田舎っぽい造形なのですが、それにしても平安時代に、この鄙の地にこれだけの丈六像が数体も祀られるお寺があったというのは、大いなる驚きです。
本像を伝える堂はかつて西方にある黒山山頂にあったが、文禄2年(1593)、現在地に移ったということですが、その由緒を伝える記録は何もないようです。
拝観対応をいただいた村落の方の話では、
「過疎化と高齢化で、村落でこの阿弥陀堂を守っていくのが先々難しくなるのは目に見えていて、本当に悩ましい」
とのお話でした。なかなか難しい問題です。
【近年注目される坂ノ上薬師堂へ
~駿河地方屈指の古像、10世紀に遡る古仏群が】
坂ノ上薬師堂(さかのかみやくしどう)を訪ねました。
坂ノ上薬師堂には、近年、10世紀に遡る古仏群が残されていることで、注目されているのです。
駿河地方で10世紀以前に遡る古像というと、鉄舟寺・千手観音像(京博寄託中)と智満寺・千手観音像ぐらいしか知られていません。
坂ノ上薬師堂には、10世紀の制作とみられる一木彫像が10数体も遺されていたのです。
2014年には岩佐光晴氏を中心として用材樹種も含めた調査が行われて、2017年には県指定文化財に指定されました。
大変興味深い古仏群です。
一度、機会を見つけて訪ねたいものと思っていたのですが、ようやく実現することが出来ました。
【16体の古仏群が一堂に残される、坂ノ上薬師堂
~15躯は一体での造像、10世紀の一木彫像】
坂ノ上薬師堂は、蓼科川の上流、奥蓼科と呼ばれる山間の地にありました。
静岡駅から車で北に小一時間ほどの処です。
山間の村落の小高い山の麓、石段を上がった中腹に、お堂とは呼べないような小ぶりの建物がありました。
これが、坂ノ上薬師堂でした。
地区の有志の方々で管理されているということです。
堂内の正面には、16体の仏像がひしめき合って祀られています。
なかなかの壮観です。
真ん中の大きな薬師如来像は、平安後期以降の像のようですが、他の15躯の像とは大きさも作風も違っていて、元々別の場所に安置されていた像とみられているようです。
15躯の像は、元々一体として造られたのかどうかは判りませんが、大きさも作風も似通っていて、ほぼ同時期に同じような環境で造られた像であることは間違いありません。
全て、内刳りの無い一木彫像です。
鄙の地の仏らしく大まかで素朴な造形なのですが、重量感たっぷりの造形で、体奥も深くて、なかなかの存在感を感じさせます。
一方で、彫口の鋭さは薄らいでいて、如来像の微笑むような穏やかで和らいだ表情などを見ると、10世紀頃の制作というのは、納得という処です。
【古朴な愛らしさや忿怒相に心惹かれた、如来像と天部像】
特に目を惹いたのは、如来坐像と2躯の天部立像でした。
如来坐像は、なかなかボリューム感ある体躯に造られているのですが、顔立ちの「古朴な愛らしさ」になんともいえぬ魅力を感じます。
天部立像の方は、ちょっとぎこちない立ち姿なのですが、これまた「古朴な忿怒相」とでもいうのでしょうか、得もいわれず惹かれるものを感じてしまいました。
【珍しい、カヤ材とヒノキ材が混在する仏像群
~木彫像用材樹種の変遷過渡期(10C)を象徴か】
15躯の仏像群の樹種調査によると、9躯がカヤ材、6躯がヒノキ材であったということです。
同時期の制作像なのに、カヤ材とヒノキ材がミックスされているのです。
さらには、如来像1躯と大日如来像1躯は本体がカヤ、脚部がヒノキという組み合わせになっているそうです。
ご存じのとおり平安前期(9世紀頃)の一木彫像の用材は原則的にカヤ材が用いられていますが、平安中期以降になると一般的にヒノキ材が用いられるようになります。
岩佐光晴氏は、坂ノ上薬師堂諸像の用材の混在について、
「10世紀はその過渡的な状況を示す時期として捉えられるが・・・・・
(坂ノ上薬師堂諸像は)カヤとヒノキが混在しており、使用樹種の過渡期的な様相を示しているとも考えられ、注目される。」
(岩佐光晴「坂ノ上薬師堂の樹種」~東アジアにおける木彫像の樹種と用材観に関する調査研究2022.07)
と述べています。(坂ノ上薬師堂諸像は)カヤとヒノキが混在しており、使用樹種の過渡期的な様相を示しているとも考えられ、注目される。」
(岩佐光晴「坂ノ上薬師堂の樹種」~東アジアにおける木彫像の樹種と用材観に関する調査研究2022.07)
用材樹種の変遷を考えるうえでも、大変興味深い作例と云えると思います。
当地に、駿河でも屈指の古仏群がどうして残されているのかはよく判りません。
言い伝えによると、薬師堂は、奈良時代に付近の豪族坂上氏によって行基菩薩を開山として建立され、江戸時代には向陽寺の境内に再建されましたが、明治初年、廃仏毀釈により向陽寺が廃寺になってしまいました。
現在のお堂は、昭和14年(1939)に再建されたものだそうです。
素朴で魅力あふれる平安古仏群との出会いでした。
わざわざ、奥蓼科の辺地まで坂ノ上薬師堂を訪ねてきた甲斐がありました。
【60体余の仏像が残される建穂寺観音堂へ
~江戸時代は駿河を代表する大寺院】
建穂寺観音堂を訪ねました。
「たきょうじ」と訓みます。
建穂寺には、15年ぶり2度目の訪問です。
建穂寺は、江戸時代には久能寺などとともに駿河を代表する大寺院であったそうですが、明治の廃仏毀釈とその時の火災で廃絶してしまいました。
現在は、小さな観音堂に60体ほどの仏像が残されていて、観音堂評議委貝会のメンバーが中心となって町内会で保存・管理されています。
仏像は平安から江戸時代に至るまで様々ですが、多くは近世の制作の像のようです。
仏教彫刻としての見どころある像はあまりなかったのですが、ちょっと私の目を惹いたのは、不動明王像(鎌倉・県指定)と阿弥陀如来像(市指定)であったでしょうか。
阿弥陀如来像は、なかなか良くできた造形で腕の良い仏師の手になるもののようです。
「後補による表面の漆箔および金泥が厚ぼったく、像容を損ねている点もあり、一見すると江戸時代の作例のようにもみえるが、鎌倉時代の優品とみられる。」
(浅湫毅「静岡・建穂寺の彫刻」学叢31号2009.05)
ということです。(浅湫毅「静岡・建穂寺の彫刻」学叢31号2009.05)
【静岡駅近くの、「2つの三尺阿弥陀像」を訪ねる~宝台院と新光明寺】
静岡駅にほど近い、宝台院と新光明寺を訪ね、2体の鎌倉時代の三尺阿弥陀像を拝しました。
【家康ゆかりの宝台院・阿弥陀如来像
~鎌倉後期の典型的三尺阿弥陀か】
宝台院は、徳川家ゆかりの大伽藍を誇る大寺であったそうです。
阿弥陀如来像は家康が出陣の際にも守り本尊として厚く信仰され、駿府城内に安置されていたものを、二代将軍秀忠が宝台院に寄進した像です。
いかにもという鎌倉時代の典型的三尺阿弥陀像ですが、造形表現が形式的で平板化してる感があり、鎌倉時代も大分下がる頃の制作なのかもしれません。
【駅前ビル7階にあった新光明寺
~「快慶作か」との三尺阿弥陀像の優作が、そこに】
新光明寺は、なんとビルの駅傍の迦葉館というビルの7階にありました。
800年ほど前から当地にあった寺院だったのですが、明治以来大火や空襲で何度も火事に遭い、市からの移転要請もあり、お寺は郊外に移転し立派な伽藍が再興されました。
阿弥陀如来像だけは、旧地に建てられたビルに別院が設けられ、そこに祀られているといいうわけです。
こちらの方の三尺阿弥陀像は「快慶作か」ともいわれている優作です。
【圧倒的存在感を感じる、見事な三尺阿弥陀像
~素晴らしい出来栄えを実感】
7階の別院を訪ねると、まさにビルのワンフロア―に阿弥陀如像1躯だけが、安置されていました。
眼近に拝することが出来ました。
圧倒的な存在感の見事な優作です。
直前に宝台院の阿弥陀如来像を拝してきたばかりでしたが、
「同じ三尺阿弥陀でも、これだけ作品としての出来栄え、存在感が違うのか!」
と、思い知らされされてしまいました。流石、快慶作品ではないかと云われるだけのことがある秀作に間違いありません。
この阿弥陀像、2017年に奈良国立博物館で開催された「快慶展」に出展されていて、その時、観ている筈なのですが、全く記憶に残っていませんでした。
あれだけ多くの快慶作品の中に並んでいると、覚えていないのも無理もないかもしれません。
【いかにも「快慶作そのもの」に見えるイメージ通りの像
~専門家の見方は、快慶周辺の作との判定】
本像、私なんぞの眼には、いかにも「快慶作そのもの」のように見えてしまいます。
特長的な、
胴長腰低の体躯のバランス感、切れ長で目尻まで開いたアイライン、着衣の表現、
どれを見ても、快慶のイメージ通りです。ところが、専門家の眼にかかると、なかなかそうはいかないようです。
快慶展の企画をした山口隆介氏によると、着衣の型式などに「快慶無位時代のものと、快慶晩年期のもの」との混在がみられることから、
「本像は快慶派の仏師により、無位時代の作風を強く意識しながら、建暦2年ごろ(註記:京都・浄土宗阿弥陀如来立像の制作年)以降に制作されたといちおう考えられるが、なお検討の余地があろう。」
(「快慶~日本人を魅了した仏のかたち展図録」奈良国立博物館2017.04)
と考えられるそうです。(「快慶~日本人を魅了した仏のかたち展図録」奈良国立博物館2017.04)
この阿弥陀像の存在が知られ注目されたのは、50年ほど前のことです。
本像の修理を依頼された京都の仏師が、「家では扱えない立派な仏」といって、博物館での調査を勧めたことに始まるそうです。
そして、ほどなく、
「いわゆる安阿弥様の作例の中でも、早い時期における出色の優品として高く評価されよう」
(「昭和60年度新指定の文化財解説」月刊文化財1985.06)
として、1985年に国の重要文化財に指定されました。(「昭和60年度新指定の文化財解説」月刊文化財1985.06)
浜松、静岡方面の観仏探訪の締めくくりは、当代一流の優作でした。
二日間、沢山の仏像を見てきたわけですが、やはり一流の仏像の「格の違い」を思い知らされたというのが実感でした。
【世田谷区郷土資料館展示の「慶派風の阿弥陀如来像」を観に】
世田谷区郷土資料館で開催された「宗教美術の造形~仏教美術を中心に」展(10/28~12/28)に行きました。
展覧会チラシに載っていた「慶派風の阿弥陀如来像」が目を惹いたからです。
チラシには「鎌倉時代・個人~当館保管」と書かれています。
郷土資料館ではガラス越しでしたが眼近に観ることが出来ました。
いわゆる三尺阿弥陀より一回り小ぶりですが、鎌倉以降の典型的スタイルの阿弥陀立像です。
図録解説には、
「均整の取れた完成度の高い造形で、作者の並々ならぬ力量が存分に発揮された優品である。
・・・・・・・
鎌倉時代の早い時期(13世紀第1四半期)の作と思われる。
端正で意志的な表情など写実的な造形は慶派風といえるが、やや小顔で力強さに欠ける印象からは、慶派正系と異なる仏師、或いは慶派作例に倣った別流派の仏師、などといった想定もできるのではないかと考える。」
と述べられていました。・・・・・・・
鎌倉時代の早い時期(13世紀第1四半期)の作と思われる。
端正で意志的な表情など写実的な造形は慶派風といえるが、やや小顔で力強さに欠ける印象からは、慶派正系と異なる仏師、或いは慶派作例に倣った別流派の仏師、などといった想定もできるのではないかと考える。」
素人眼の印象に過ぎませんが、確かに、綺麗にまとまっているのですが、ちょっとまとまり過ぎで大人しく、張りが足りないような気もします。
お顔の目鼻立ち表現だけを見ていると、時代の下がる感がしないでもありません。
【ササビーズ・オークションで入手された阿弥陀如来像
~オークション目録では「江戸時代の快慶様阿弥陀像」と】
図録には、「木造阿弥陀如来立像余談」と題する、興味深いコラムが綴られていました。
コラムによると、この像は個人蔵なのですが、ササビーズのオークションで入手された像なのだそうです。
1990年にニューヨークで催されたオークションに出品され、目録には「江戸時代の快慶様式の木造阿弥陀立像」である旨の解説が記されていたそうです。
ササビーズが江戸時代のものと鑑定した根拠はよく判らないそうです。
X線調査もされましたが、納入品などは見当たらなかったとのことです。
興味津々となってしまうエピソードです。
皆さんのこの阿弥陀如来像をご覧になった印象は、如何なものだったでしょうか?
【東京長浜観音堂に、目を惹く古様な一木彫像が
~柏原・八幡神社の薬師如来像】
東京長浜観音堂に、ちょっと面白い像が出展されていました。
長浜市高月町にある柏原・八幡神社の薬師如来立像です。
国宝・十一面観音像で有名な渡岸寺から近い処にあるようです。
一見して、平安前期風の古様を残す、なかなか立派な薬師如来立像です。
東京長浜観音堂には、折々、いろいろな仏像が入れ替わりで展示されますが、これだけ古様で力感のある一木彫像が出展されたのは初めてのことです。
両太腿を隆起させる衣文には鎬だったものがあり、量感もしっかりあって、グッと眼を惹かせるものがあります。
「全体に動勢が抑えられ、小ぢんまりとしたまとまりをみせる点や、衣文に生動感が若干不足して形式化している点などを考盧すれば、平安時代中期、10世紀末期から11世紀前半頃の作と推定される。」
との解説がされていましたが、納得という処です。お顔に後世の手が入って、穏やかなものになっているのが残念な処です。
初めて観る仏像だったかなと、資料を調べてみたら2016年7月に東京藝大美術館で開催された「びわ湖・長浜の仏たちⅡ展」に出展されていました。
全く記憶の脳細胞に残っていませんでした。
芸大の展覧会では、黒田観音寺の伝千手観音像が寺外初出展され、そちらに心奪われてしまっていましたので、八幡神社の古像には眼が届いていなかったのだと思います。
【市原の薬師如来像が一堂に勢ぞろい
~市原歴史博物館で開催の「いちはらのお薬師様」展】
千葉県市原市の市原歴史博物館で開催された、「いちはらのお薬師様~流行り病と民衆の祈り」展(10/1~12/24)に行ってきました。
市原まではちょっと遠いのですが、高速アクアライン経由で車で行くと、1時間半かからずに到着、意外に近い感じでした。
この展覧会は、昨年(2022年)11月に開館した市原歴史博物館が、市制施行60周年記念事業として、開館後初の特別展として開催されました。
「本特別展では、新型コロナウイルスの終息を願い、県内最古の白鳳仏である栄町龍角寺「銅造薬師如来坐像(国指定重要文化財)」をはじめ、市内に残る平安時代後期以降の木造薬師如来坐像や日光・月光菩薩、十二神将像など、県や市の指定文化財を含む43体が一堂に集結します。」
というものです。龍角寺・薬師如来像(白鳳・重文)は、これまで何度も観ているのですが、市原の薬師如来諸像は初見のものばかりでした。
これという強く目を惹く像はありませんでしたが、市原市を中心とする知られざる仏像に出会えることが出来ました。
【12 月】
【印刷博物館で開催の「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展へ
~明治期、仏像古写真撮影でも知られる写真家】
仏像の展覧会ではないのですが、東京都文京区の印刷博物館で開催された「明治のメディア王 小川一眞と写真製版」展(11/18~2/12)に行きました。
明治期の仏像古写真に関連した、私には大変に興味深い企画展です。
小川一眞は、明治のメディア王とも呼ばれ、写真撮影をはじめ印刷、出版、乾板製造など写真を軸とした一連の事業を展開し、写真師としてただ一人、帝室技芸員を拝命した人物です。
古文化財、仏教美術の世界では、明治21年に実施された政府による本格的「近畿地方古社寺宝物調査」に同行し、多くの仏像写真などを撮影した写真師として知られています。
小川一眞の撮影仏像写真は、明治期を代表する美術書「国華」「真美大観」「稿本帝国日本美術略史」などに掲載されていて、明治期撮影の文化財古写真として大変貴重なものとなっています。
小川一眞その人については、観仏日々帖・新刊案内~「帝国の写真師~小川一眞」で、紹介させていただいています。
小川一眞が撮影した仏像古写真も多数展示されていました。
展覧会開催主旨は、
「写真師、小川一眞を中心に、写真製版が印刷をどのように変えたのか、近代日本における視覚メディアの発展と視覚文化の形成に与えた影響を探ります。」
というものでしたので、小川一眞の数々の撮影写真、写真集をはじめ、その業績をたどる数々の展示物が、これでもかと並んでいました。
大変充実した展覧会で、私自身としては、大満足で堪能することが出来ました。
この日開催された岡塚章子氏(「帝国の写真師~小川一眞」の著者)の講演会も聴くことが出来、これまた興味深い話でした。
また展覧会図録も、毎度ながら、手のかかったハイクオリティなものです。
流石、凸版印刷が経営する博物館発刊の展覧会図録です。
【東京ステーションギャラリー「みちのく~いとしい仏たち」展へ
~江戸時代の「民間仏」に、芸術性は見出されていくのか?】
東京ステーションギャラリーで開催された「みちのく~いとしい仏たち」展(12/2~2/12)を観に行きました。
本展覧会は、いわゆる仏教美術作品としての仏像の展覧会ではなくて、
「岩手県や青森県に多く残る、江戸期の庶民が祈りを託した素朴な民間仏を紹介し、日本における信仰と造形の本質について検証」
するという企画展です。約130点の仏像・神像が展示されていましたが、その全てが江戸時代に大工や木地師の手によって造られた、素朴で拙い「民間仏」でした。
展覧会は、江戸時代のみちのくの庶民の祈りの対象を考えるという民俗的な観点よりも、これらの「民間仏」が持つ、宗教美術的な訴求力を発見するという想いが籠められたものであったように思います。
なかなか興味深い「民間仏」でしたが、私には、これらの「民間仏」のなかに美を感じるという気持ちにはなかなかなれませんでした。
このような「民間仏」の造形が、どのように評価され位置付けられていくのかは、興味津々といった処です。
木喰仏や円空仏の芸術性が見いだされるようになったのは、昭和の時代に入ってからのことです。
そんなことを考えると、「美の感性や評価のモノサシ」は、これからどのように移ろっていくのでしょうか?
ちょっと気になる展覧会でした。
【年末、興味津々の講演会聴講に奈良まで
~帝塚山大で「大正・昭和戦前期の奈良帝室博物館」公開講座】
年末も押し詰まったクリスマスイブの前日、奈良へ出かけました。
どうしても聴講してみたい講演会があったからです。
「大正・昭和戦前期の奈良帝室博物館~『古寺巡礼』から「運慶を中心とする鎌倉彫刻展覧会」へ」
と題する帝塚山大学奈良学総合文化研究所の公開講座です。講師は、帝塚山大学の杉崎教授です。
かつて、観仏日々帖に「新刊・旧刊案内~「奈良帝室博物館を見る人へ」小島貞一著」という話を書いたこともあり、私にとっては、大変興味津々のテーマです。
期待通りの中身の濃い講演内容で、わざわざ奈良・生駒まで出かけてみた甲斐のある講演会でした。
【はち切れんばかりのボリューム感は、迫力満点
~なら仏像館で特別公開の普門院・不動明王像】
講演会の後、奈良国立博物館に行って、特別公開中の普門院の不動堂本尊・不動明王像を観てきました。
普門院は、桜井市・長谷寺の塔頭寺院です。
不動明王像(像高:83㎝)は、平安時代初期(9世紀)にさかのぼる一木彫像の優品で国の重要文化財に指定されています。
本像は、普段公開されることは無く、私もその姿を拝したことがありません。
2023年夏から不動堂の修理が行われ、その間、不動明王像は奈良博で一時的に預かりとなっていることから、特別公開(10/24~3/24)されているのです。
なら仏像館で眼近に観ることが出来ました。
いかにも平安前期一木彫像という、はち切れんばかりのボリューム感です。
鎬だった彫口は鋭く、迫力満点、極めて魅力的です。
一方で、誇張されたデフォルメや歪みなどはみられず、バランスの取れた造形となっています。
解説には、
「個性派ぞろいの平安初期不動明王像のなかでも、誇張された忿怒相と美しく整えられた衣のひだが魅力的な優品である。」
とし、9世紀末ごろの制作と推定されると述べられていました。まさに同感、観に来た値打ちのある優作でした。
【大神神社神宮寺「平等寺」に伝来した不動明王像
~室生寺・二天像(2015年新発見)に、そっくりの目鼻立ち】
本像は現在、普門院不動堂の本尊として祀られていますが、かつては桜井の大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である「平等寺」に祀られていました。
平等寺は立派な伽藍であったのですが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈によって、同じ神宮寺であった大御輪寺などとともに、廃絶されました。
平等寺の仏像・経典・仏器類は、近隣の寺院・民家に散逸したようですが、一部の仏像等は長岳寺に遷されたともいわれています。
不動明王像は、明治8年(1875)に普門院に迎えられて不動堂の本尊とされますが、長岳寺に遷された諸仏の中の一つであったとも伝えられるようです。
大変興味深いのは、
9世紀末の制作とみられる室生寺の2躯の天部像と目鼻立ち、耳の形などが共通し、普門院・不動明王像とは同時期に近しい環境で制作されたと考えたい
旨の解説がされていることです。室生寺の2躯の天部像は、2015年に室生寺仁王門の2階内部で発見され、「平安前期木彫像の優品の新発見」と大きく新聞報道されるなど、注目を浴びた像です。
この室生寺の2像も、同じ、なら仏像館に展示されていました。
早速、見比べてみました。
確かに、全体の造形感が大変似通っていて、目鼻立ちなどは、まさにソックリと云って良いほどでした。
2024年の観仏の見納めに相応しい9世紀の優品を観ることが出来ました。
このあとは、新薬師寺に寄り、奈良市写真美術館の「入江泰吉~約70年前の古都奈良の貌展」を観て一泊。
翌日は、京都文化博物館の「日本考古学の鼻祖~藤貞幹展」、細見美術館の「挑み、求めて、美の極致展」をみて、帰途につきました。
「2023年の観仏を振り返って」も、これでオシマイです。
2023年は、コロナ禍の束縛から解き放たれたとでもいうのでしょうか。
なじみの奈良・京都方面だけではなく、但馬、福井、金沢、浜松静岡など、随分あちこちへと観仏に出かけました。
ここ数年辛抱していた観仏探訪を、少し取り返すことが出来たような感があります。
ダラダラと気ままに綴った個人的観仏記を我慢してご覧いただき、有難うございました。
どれほどに皆さんのお役にたっているのか、はなはだ心持たない処ですが、これからも「観仏日々帖」お付き合いいただきますよう、よろしくお願いいたします。
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