冷戦期に米国が繰り返した核実験による放射能汚染で知られる太平洋のマーシャル諸島共和国は、地球温暖化に伴う海面上昇被害の最前線だ。ブラジル・ベレンで国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)が開かれていた2025年11月、私はマーシャル諸島の首都マジュロを訪れた。気候変動を「でっちあげだ」とうそぶく米国のトランプ大統領が多国間協調に背を向ける中、COP30の議論の低調ぶりはマジュロにも伝わっていた。「こんな不正義が許されるのか」。放射能汚染された土やがれきの保管場所が海に漬かり、冷戦時代の“核の亡霊”が大量流出する懸念も広がる。故郷を翻弄してしてきた大国の身勝手に住民の落胆と憤りの声が交錯した。(共同通信=菊池太典)
▽逃げ場なく「慣れて生活していくしか」
29の環礁と五つの島で構成されるマーシャル諸島はもともと、合計しても東京都の面積の10分の1に満たない180平方キロ程度の狭さだ。このわずかな土地が海面上昇によって削られ続けている。マジュロにある空港から西に延びる車道沿いの陸地は11月、大潮の満潮時には狭い場所で幅が15メートルほどになる。左右から打ち寄せる波しぶきの中を車両が行き交うのが日常だ。海に荒れた様子はないにもかかわらず、台風の高潮のように波が桟橋に乗り上げる。動じる様子もなく、人々がそこで釣りをしているのがなんとも不思議な光景だった。
海沿いの空き地にイスを置き、友人と話をしていた大工のカムジェ・カイシャさん(62)は、今の島の状況は「もちろん怖い」と言いつつ続けた。
「ここ15年くらいで島の風景は大きく変わりました。砂浜はほとんど残っておらず、海岸は波の浸食を防ぐ護岸コンクリートで覆われてしまいました。しかし逃げ場はないですから、慣れて生活していくしかありません」
カイシャさんや他の住民が、まとまった砂浜が唯一残っていると教えてくれた島西端の公園に行ってみた。そこでは何本もの巨木の根がむき出しになり、波に洗われていた。
▽「あの世の町」では墓石が消え
マーシャル諸島では至る場所で海岸に沿って墓石が並ぶ。島東部にある地区のリーダー、ホイットニー・ロークさん(60)は「漁に生かされてきた人々にとって海は人生そのものなので、死後もそのすぐそばにいたいのです」と、先祖の思いを代弁する。
一方でロークさんには心配がある。祖父母も眠る一族の墓地に、海が迫ってきているのを感じるという。2015年に防波堤を建設して海と墓地を隔てたが「このまま海面が上がり続ければ、いつか嵐の時に海が防波堤を乗り越えて先祖の遺体をさらっていってしまうでしょう」。
ロークさんの懸念は杞憂ではない。防波堤の建設を決めたのは、実際に隣接地区で高波に墓が流される事案が発生したのがきっかけだ。
「たくさんのお墓があり、かつては『あの世の町』と呼ばれていたんですよ」。地区の共同墓地を管理してきたジョン・ジェドカイアさん(43)は、墓石の数々が海に漬かる写真を示しながら語った。消えた墓石は80余り。「眠っていた遺体がどこに行ってしまったのか、もはや誰にも分かりません」
▽汚染物質保管のドーム「海に沈めば…」
マーシャル諸島を構成する環礁や島々は広大な太平洋に点々と浮かぶ。その中の、マジュロの北西約1100キロに位置するエニウェトク環礁には、米国の核実験で生じた放射能汚染土などを詰め、コンクリートで覆った「ルニット・ドーム」がある。核実験で生じたクレーターを利用したもので、米エネルギー省によると、直径114メートルのドームの中に7万6千立方メートルを超える量の汚染物質が保管されている。気候変動や核実験の歴史を啓発する市民団体ジョージクムのダニティー・ラウコン代表(36)はこう警告する。
「ルニット・ドームはそもそも放射性物質を密閉するのに十分な構造ではなく、以前から流出は起きています。しかし海面上昇でドームが海に沈めば流出量は比べものにならないほど増えるでしょう」
米エネルギー省は2024年、嵐と海面上昇でドームが崩壊しても、放射性物質の流出は「健康に影響しない水準」だとする報告書を公表した。「米国の主張はいつでも都合の良いことばかりです」。ラウコンさんはその説明を信じていない。
▽「なんて貪欲な国なのでしょう」
マーシャル諸島で流通する通貨は米ドルで、国防は米国に委ねる。小さな島国にとって米国は最重要のパートナーだが、人々の対米観は複雑だ。元国会議長のケネス・ケディさん(54)によると、海面上昇で国の将来を悲観して移住を決める住民も出てきた。その大半が目指す先は米国だ。
「冷戦期は核汚染、冷戦後も海面上昇で私たちは振り回され続けています。しかし米国は核の脅威を止めず、温室効果ガスの大量排出を続け、さらに私たちの若く活力ある人々を吸収していきます。なんて貪欲な国なのでしょう」
2025年1月に第2次トランプ米政権が発足してから約1年がたった。この間、温暖化対策を巡る国際機運が逆風にさらされてきたことは明らかだ。「トランプ旋風」で勢いづく温暖化懐疑論をどう思いますか? インタビューのたびに島の人々へ同じ質問をしてみると、返ってくる答えは見事にみな同じだった。
「でたらめはここに来て住んでみてから言ってくれ」