東京から地方に転勤転住して
結構月日が経つ。
首都圏のバイク乗りと地方の
バイクに乗っている人たちの
違いが結構明瞭に存在する事
に気づいている。
それは、首都圏の人たちは平
気で長距離走行をやる人たち
が多いという事。
首都圏ならずも大都市、大阪
などもその傾向がある。
ところが、地方に行くと、地
方の人の多くは地元の地域か
ら外に出ようとはしない。遠
くへは行きたがらない。狭い
地場の世界にとどまりたがる。
身柄だけでなく考え方さえも。
これは何もオートバイに限っ
た事ではない。
地方で二輪で遠距離走行をす
る人たちは根っからのバイク
好き、というか地方にあって
は変態さんみたいな感じでど
こまでもズドーンと走る二輪
乗りだが、それは極めて少数
だ。首都圏では多数を占める
長距離遠距離ドカーン人間た
ちが地方でもごく少数だがい
るにはいる。でもほんとに少
数。
同じ100人を抽出すると、首
都圏や名古屋、大阪あたりと
地方では長距離走行遠距離目
指しの人は地方では圧倒的に
少ないという数量的結果が出
るだろう。
この現象が何に基づくかよく
わからない。バイク以外の面
でも多くの場面で見られるか
らだ。
だが、転出転住となると話は
違ってくる。地方から外(た
ぶん都会)への転住転出者の
増加は歯止めが利かない状態
だ。
特に広島県などは全国的にみ
ても転住転出者の増加が激し
くニュースになっていたりす
る。そりゃ広島県に住む魅力
も意味も見いだせないからど
んどん広島県から多くの人た
ちが脱出している訳で。現実
として。終生の暮らしの場を
広島県以外に求めているのが
数値的に明白に出ている訳で。
広島県の見解としては「集計
の仕方がおかしい」「広島県
をネガティブ印象を与える意
図的偏向報道だ」などと批判
しているが、実数的にそうで
あるのに現実を無視して手前
勝手妄想するのは公的行政の
やる事ではないと思える。
尤も、全国唯一、単なる一般
法人である広島カープの車両
ナンバーを行政が認可する土
地なのでもう公私混同我田引
水めちゃくちゃな土地柄では
あるのだが。東京や大阪で特
定企業のナンバープレートを
行政が認可しようとしたら大
問題となる。社会的に。
だが、それがまかり通る土地
が広島県だ。無茶苦茶。
現実を現実として捉えず、自
らに刃を向けぬその精神性
が骨の髄まで染み込んでいる
としたら、人口流出問題は解
決できないだろう。いつも自
分の理屈だけを押し通すよう
な広島県人気質を正義とする
ような性根では。
広島県の中にも二輪走行者で
はどんどん外に走りに出て行
って、戻って来る人たちもご
く少数だがいる。県内では変
態さん扱いされているが。
1日700km~900kmあたりは
ごくフツーに走り抜ける。
そして、広島に戻って来る。
私はそういう人たちの骨のあ
る質性、その質性を持つ人た
ちこそが、バイクに限らず本
当に地場に根付く人たちなの
ではと思う。
狭い自分たちの周辺から一切
外に目が行かず、出ようとも
しない地方の人たちが頭寄せ
合って「なんでじゃろ」と言
い合っていても、視野狭窄、
思考の領域と視点が狭すぎて、
物事は見えなくなる。
行きつく先は、物理的数量さ
えも無視して自論に拘泥する
偏頗な人間形成、という事に
なってしまうし、なっている。
たかがオートバイだが、二輪
に乗って自分の今いる場所か
ら遠くまで走り通す人たちの
その質性には、私はある種の
希望に似たものを感じ取るの
である。
首都圏では長距離走の話を聞
くとバイクに乗っている人た
ちは乗り屋でなくとも「ほぅ。
やるねぇ」となる。
だが、地方では大抵は「ふん」
となり、その遠距離目指しの
二輪走りについて反目したり、
嘲笑したり、陰口であげつら
って誹謗中傷したがる。バイ
クに乗っている人間たちまで
もが。
ひどいのになると「それ(距離)
は嘘だ」と決めつけて自己感
性を優先して事実を見ようと
はしない。行政からしてやら
かしているパターンと全く同
じ質性を露見させる。
この首都圏と地方との傾向性
の違いは明確に存在している。
てなこと書くと、広島県の多
くの人らは「また広島の悪口
言いよる」とかしか受け取ら
ないのだけどね。
実は彼らこそ、本当の地元愛
など持っていないから。
地元をただベタ褒めしてれば
地元愛がある、なんてのは虚
構どころか害悪でしかない。
かわいい子ほど野放図に何も
躾けず大甘やかしが良い、な
どというのは人間社会には無
い。
愛すればこそ、良方向に持っ
ていきたいし、人の本当の幸
せを願うのが本物だ。
身内持ち上げ地元身内自慢に
終始して地域愛、地元愛を口
にするのは極めて気持ち悪い。
そして、結果は良い事にはな
らない。
大昔から人は人の社会につい
て言う。「かわいい子には旅を
させよ」と。
ふるさとの良さは、外に出て
初めて知覚する事が人には多
いからだ。
だが、そのふるさともそこに
住んでこそ良化させていく主
体に自分がなれる。外を知る
者こそが真の核となれる。
地場から一度も出ようとしな
い人たちにその力は無い。
すべての面において、考え方
や発想が狭く、小さく、昏く、
開けていないからだ。開明性
の不在。これは致命的だ。
一つの人間社会の定理だろう。