『エディントンへようこそ』徹底解説・考察(⚠ネタバレ全開注意)
コロナ禍のロックダウン中、アリ・アスターは右から左まで様々なプロフィールのアカウントを作り、Twitterをひたすら観察し続けた。2020年のインターネット空間には、政治的イシュー、SNS炎上、陰謀論、そして暴動……とあらゆる混沌が渦巻き、社会の分断と細分化が進みつつあった。そんなネット世界にのめり込んでいく人の疑心暗鬼とパラノイアをまるっと再現する試みが『エディントンへようこそ』だ。
監督自身が党派的なメッセージを意図的に避けているため、政治的訴求は弱い。むしろこの映画の核にあるのは、人々が政治的対立やイデオロギー闘争に踊らされている間に、ビッグテックや巨大資本が世界を掌握し、私たちの行動様式そのものを書きかえていくことへの、アリ・アスターの強い危機感である。
登場人物たちは皆、世界のことを気にかけていて、「何かがおかしい」と感じています。でも、それぞれ違う現実を生きていて、互いに分断されている。何がどう間違っているのか、それぞれ違う答えをもっている。
人々が疎通できなくなっている要因は、SNSの純粋な副作用なんかじゃないはず。SNSは道具にすぎず、それを利用している者が存在する。私たちは……党派争いに気を取られるよう仕向けられている。もっと上の階層で巨大な力が動いていて、人々と世界を変えようとしている……そんな感覚があるんです。
⚠ この記事は『エディントンへようこそ』のネタバレを含みます。
「西部劇の物語」を生きる保安官ジョー
主人公の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、現代アメリカ政治における保守派のリバタリアン・シフトを体現するキャラクターだ。マスク着用義務を「個人の自由への侵害」と捉え、リベラルな市長テッド(ペドロ・パスカル)を全体主義的だと敵視する。
もっとも、この主人公には実在のモデルがいる。アリ・アスターは、脚本執筆のためにニューメキシコ州を巡り、その道中で出会ったとある保安官から強い影響を受けたという。(2) その保安官は、実際に市長と長年にわたる確執を抱え、マスク義務化をめぐっても真っ向から対立していた。
ジョーの精神的支柱は、幼い頃から親しんできた西部劇にある。自らを『荒野の決闘』の主人公のような法と秩序の守り人だと信じて、「自分の正義」を押し通す。本作に散りばめられたいかにも西部劇的な構図や演出は、客観的な現実というより、西部劇というフィルターを通したジョーの主観的な世界なのだろう。ジョーとテッドが正面から向き合う、決闘シーンのような構図もまた、彼がこの町の問題を「善と悪」という単純な二項対立として理解していることの表れだ。
携帯のスクリーンを「異物」として撮る
エディントンの町の人たちは、スマホやパソコンを常に手にして、SNSをスクロールし、YouTubeを眺め、政治的アジェンダや政府の陰謀といった自分の世界観を裏打ちする情報へと、どんどん引き込まれていく。 それは最早、彼らにとって現実世界と同じくらいリアルで切実なものとなっている。
それは感染していくんです。まさに「viral」と言うでしょう?(注. 日本語の「バズる」に対応する英語表現は「go viral」で、この「viral」は本来「ウイルス性の」という意味。)町はウイルスのせいで封鎖されている。でも同時に、別のウイルスがあちこちで広がっているんです。
スマホの画面に映る人物が、その小さな枠に閉じ込められているような、この映画はどこかそんな印象を与える。それは、エディントンの人々がスマホ越しに見ている狭い世界を象徴しているかのようでもある。
アリ・アスターは、スマホがあまりにも生活に溶け込み、その影響力に対して私たちが麻痺しきっている現状に違和を感じ、それがどれだけ人々の思考や行動を変えてしまっているか、改めて可視化したかったと語る。「僕がやりたかったのは、スマホを何か異様な、不穏な感じのするものとして撮ることでした」(2)
西部劇から『Call of Duty』へ
ジョーは何としてでも市長選に勝とうと、「現市長テッドが妻のルイーズ(エマ・ストーン)にかつて暴行を加えた」というデマを流す。最愛の妻ルイーズはこれに激しく反発し、家を出ていく。
町でも孤立していくジョーは、現実から目を逸らすかのように、西部劇の勧善懲悪の物語をクライマックスへと独走しはじめる。正義の執行人として悪玉に鉄槌を下すのだ。テッドを遠距離射撃で殺害するが、成敗してめでたしめでたし……とはもちろんいかない。現代のネット社会はそんな単純な世界ではない。
深夜、突如としてマスクを被った極左風の武装集団が現れ、銃を手にジョーを追い詰める。(これは監督が遊び心で入れたロールシャッハテストで、観客の政治的スタンスや陰謀論を信じるかによって、この集団が「何者に見えるか」が変わってくる。)
暗闇から素性の知れない人間に突然狙撃される──その光景は、あまりにもTwitter的だ。「インターネットのあり方を示す、面白いメタファーだと思いました。匿名性は、私たちの最善の部分を引き出してはくれません」とアリ・アスターは語る。(3)
唐突に始まった銃撃戦を境に、あれほど登場していた携帯のスクリーンは、忽然と姿を消す。その転換は意図的だったと監督は認めている。「クライマックスでは、もはやスクリーンは必要ありません。役目を果たし終えたからです」(3) 義母ドーンの姿に妻を幻視するジョーは、もはや完全に信頼できない語り手と化す。新型コロナの発熱に侵された彼は、SNS時代の疑心暗鬼に呑み込まれ、映画自体が彼のパラノイアと同化していく。
凄惨な銃撃戦に終止符を打つのは、ブラック・ライヴズ・マターの抗議活動に参加していた十代の少年、ブライアンだ。マシンガンを乱射するジョーを捉えるカメラワークは、『Call of Duty』のようなFPS(一人称視点のシューティングゲーム)を意識したと監督は語る。これは、ゲーム世代であるブライアンの世界観を反映しているという。(4) 西部劇からFPSへ──この瞬間、ジョーの物語がブライアンに奪い取られたことが、視覚的にも表現されている。
ルイーズと父親の暗い秘密
「皆がそれぞれ自分の信じる物語を生きている」というテーマは、ジョーの家庭においてより痛切に描かれる。精神的に不安定な妻ルイーズは、明らかに幼少期のトラウマに悩まされている。
アリ・アスターはIndieWireのポッドキャストで、その背景について踏み込んだ言及をしている。ルイーズのトラウマの原因は、他ならぬ彼女の実父(町の初代保安官)にある、と認めている。ジョーと母親ドーンは、この父親がルイーズにしたおぞましい行為を頑なに否認し続け、「昔、一時的に関係を持ったテッドが彼女を傷つけた」という別の物語をでっちあげ、自ら信じ込んでいるのだという。(2)
そんな父親の写真を大事そうに祭壇に飾るこの家は、ルイーズにとって地獄でしかなかっただろう。最も身近な家族と苦しみを分かち合うことができないルイーズは、実父からの虐待の事実を認めてくれるカルト指導者ヴァーノン(オースティン・バトラー)のもとへと去っていく。
保安官ジョーの末路とノンポリ青年ブライアン
社会正義活動に傾倒していくブライアンだが、もともとその動機は信念ではなく、想いを寄せる少女の気を引くためだった。ジョーが襲撃者に追い詰められる場にたまたま居合わせた彼は、結果的にジョーを救う。その一部始終を収めた動画が拡散され、彼は「左翼のテロリストから警官を救った英雄」として、右派から称賛を浴びる。やがてブライアンは、保守派のインフルエンサーとして成功を手にする。
アリ・アスターは、ブライアンは本作の中でも特に重要な存在だと語る。「彼はイデオロギーに動機づけられていない人物です。自分の居場所とガールフレンドを求めている、ごく普通の子どもです。純粋とはいえない動機で左派運動に参加し、最終的には、自分が必要とされ、歓迎される場所へと向かっていくのです」(3)
ブライアンの物語は、SNSプラットフォームがいかに人間の行動や選択を形づくっていくのかを端的に示している。そう考えると、ジョーを待ち受けていた重度の脳損傷(による主体性の喪失)という結末と、保守系インフルエンサーとして成功したブライアンの運命は、どこか鏡写しのようにも見えてくる。
ジョーは市長の座を、ブライアンは自分の居場所と愛する女性を、それぞれ手に入れている。だが、その姿は、彼らが本来思い描いていた「なりたかった自分」なのだろうか。他人からの承認のためにプラットフォームの要請に応え続け、人生の選択をアルゴリズムに委ねていったブライアン。その生き方は、主体性を完全に奪われたジョーと、どれほど違っているのだろう。
すべてはデータセンターのために
アリ・アスターは、そのフィルモグラフィを通して、主人公がより高次の存在に支配される物語を描いてきた。『ヘレディタリー』においてそれは、祖母のカルト宗教であり、『ボーはおそれている』では、逃れようのない母親の支配だった。では『エディントン』におけるその上位存在とは何か。それは、あのラストカットで荒野に鎮座するデータセンターであり、それに象徴される、資本家とテック企業による支配構造だ。
監督は、この映画を一言で要約するなら、「小さな町にデータセンターが建設される物語」だと語る。 エディントンの人々がSNS発信の政治論争にのめり込んでいく間にも、町のデータセンターの建設は着々と進んでいく。映画の終わりには、かつてネイティブアメリカンから奪い取った負の歴史を背負うその土地に、膨大な水資源を吸い上げる大規模データセンターが完成している。(5)
実際、重要なのはそれだけです。あの町も、物語も、登場人物たちも、映画の終わりにはAIのトレーニング用データに見えるかもしれない。同じように、この映画自体もトレーニングデータで、私たちが今こうして交わしている会話もまた、トレーニングデータなんです。
ルイーズの人形、つながりを求める人々
AIによる生成物と、人間がつくるアートの違いは、一体どこにあるのだろう。AIの生成物は、ユーザーの要求を満たしていればそれでよしとされる。では、人間はアートに何を求めているのか。なぜ人は自ら手を動かし、ときに膨大な時間を費やして作品をつくるのだろう──答えは人それぞれだが、アリ・アスターはこれまで多くの機会に、『ヘレディタリー』から『ボーはおそれている』に至る過去作が、自分の身に起きたトラウマ的な経験をベースにしたものだと語ってきた。そして、脚本執筆は彼にとって一種のセラピーのようなものとも語っている。(6)
『エディントン』にもまた、トラウマに苦しむ個人が生み出すアート作品が登場する。ルイーズのあの不気味な人形である。魂の叫びのようなその人形を前にしても、ジョーには、彼女を喜ばせたい一心でそれを知人に買い取らせることしかできない。その背後にある痛みやおぞましい過去と、彼が正面から向き合うことは最後までなかった。こうして、人形に託された「この苦しみを理解してほしい」というルイーズの切実な願いは、やがて陰謀論へと回収されてしまう。
保守系インフルエンサーとなったブライアンもまたその一人だが、ネットコミュニティに他者とのつながりを求め、それが次第にエスカレートしていく過程も、本作の重要なテーマとして描かれている。監督は陰謀論者ヴァーノンについて、「迷える人々に答えを与える、インターネットそのもののような存在」だと語っている。(7)
ホームレスの男が象徴するものは?
新型コロナをエディントンにもたらすホームレスの男は、ウイルスのように情報が拡散していく「バズり(go viral)」の象徴のようにも見える。劇中では、ジョーが男を取り押さえる動画が瞬く間に拡散し、炎上していた。
この男はまた、町のあらゆる対立の「触媒」でもあった。テッドとジョーの対立を浮き彫りにするのも、ジョーがついに一線を越える契機となるのも、このホームレスの男。つまりは、人々の間に不信を広めるSNSプラットフォームの象徴だろうか。「金持ちにしてやる。その代わりに、お前の目と魂をよこせ」と男は口にする。
しかしこの男は同時に、エディントンの人々が「見ないふり」をし続けてきたものの象徴でもある。抗議デモのさなか、彼が誰からも顧みられず、無視され続けるのが印象的だ。同じように、SNS発の政治論争にはのめり込む一方で、人々がついぞ議論することのなかった議題──それが、自分たちの町にデータセンターを受け入れるかどうか、という問題である。
皆から無視され続けたこの男が吐き出す支離滅裂な言葉は、ときおり生成AIが返してくる、予測不能で不気味なレスポンスを思わせる。町に建設されるデータセンターの名は「Solid Gold Magikarp」。これは、AIに入力するとエラーを引き起こす有名なプロンプトのことなのだ。
記事を気に入っていただけたら「スキ」をもらえるとうれしいです!
引用.
1. Ari Aster Discusses the Deeper Meanings of 'Eddington,' MovieWeb, YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gDsDOTyfWyk
2. 'Eddington' Director Ari Aster, IndieWire’s Filmmaker Toolkit, Podcast
https://open.spotify.com/episode/4M5egWwJevb9NrWxNJx72r?si=b786afd46ace4d12
3. Ari Aster Breaks Down the Ambiguous Ending of Eddington, Time Magazine
https://time.com/7304312/eddington-ending-explained-ari-aster
4. Eddington with Ari Aster and Tim Blake Nelson (Ep.553), The Director’s Cut – A DGA Podcast
https://open.spotify.com/episode/7BcFc32nfnI28wd0rlfSwN?si=b2f513ac33f34796
5. Ari Aster on the “tightening snare” of ‘Eddington,’ Esquire
https://www.esquire.com.au/ari-aster-eddington-interview
6. 「ボーはおそれている」人を不安にさせる天才アリ・アスターの内面世界に迫る対談2本立て
https://natalie.mu/eiga/pp/beauisafraid/page/2
7. Ari Aster Explains the Politics of Eddington, Vulture
https://www.vulture.com/article/ari-aster-explains-the-politics-satire-of-eddington.html



う、ちょっとレビュー被っちゃった。 答え合わせできたからヨシ!?
色々見聞きした中で最も腑に落ちる解説でした。今となっては異様で滑稽な当時の様々が正に私が見えていた景色と同じでした。あまりにも最近のあそこから続く有り様を直視する表現者がいないことに違和感があったので待ち望んでいた映画。