14年前に「オフレコ破り」で世間を騒がせた元政治部記者は今何を思うのか 「暴言まで聞かなかったことにはできない」
「私は核を持つべきだと思っている」――高市政権で安全保障政策を担当する官邸幹部が12月18日、記者団との懇談の場でこう発言したと、複数のメディアが報じた。発言が明るみに出ると、「驚きと怒りを感じており、罷免に値する」(公明党・斉藤鉄夫代表)、「しかるべき対応をしなければならない」(中谷元・前防衛相)など与野党から厳しい批判が相次いだ。一方、この発言がオフレコを前提とした場でのものだったことから、報道したメディアの姿勢を問題視する声も上がっている。発言内容の重大性と、取材慣行としての「オフレコ」をどうとらえるべきなのか。過去に「オフレコ破り」の当事者となった元政治部記者に話を聞いた。 【写真】2年前、同性婚の人を「見るのも嫌だ」とオフレコ発言した元首相秘書官はこちら * * * 今回報じられた官邸幹部の発言は記者団との非公式な懇談の場で出たもので、発言者の実名は明らかにされてこなかった(25日発売の『週刊文春』が尾上定正総理補佐官であると報道)。政治取材の現場では、一切報道しないことを前提とする「完全オフレコ(完オフ)」と、匿名を条件に背景を説明する通常の「オフレコ(バックグラウンド・ブリーフィングなどとも)」を区別する場合があり、今回は「完オフではなく、そもそもルール違反に当たらない」という指摘もある。しかし報道を受け、主に政治家らからは「オフレコ破りだ」とする批判が噴出した。 河野太郎元外相は自身のXに「そもそもオフレコの場での発言を、相手の了解も取らずに報道する姿勢が大きな問題で、次からはそうしたメディアがオフレコの場から排除されてもしかたがないのでは」と投稿。国民民主党の玉木雄一郎代表も「オフレコの話を記事にするメディアも問題では」と疑問を呈した。 一方、核保有という発言内容の重大性や国民の知る権利の観点から報道を評価する声もある。メディアの役割やオフレコという慣行についてどう考えるべきか、議論は広がっている。 実は、過去にも「オフレコ破り」が大きな議論を呼んだ事例はいくつかある。なかでも一つの判断基準として参照されることが多いのが、2011年、沖縄の地元紙・琉球新報による報道だ。