14年前に「オフレコ破り」で世間を騒がせた元政治部記者は今何を思うのか 「暴言まで聞かなかったことにはできない」
■「琉球新報を出入り禁止にすることになる」 この年の11月28日、那覇市の居酒屋で開かれた田中聡・沖縄防衛局長(当時)と新聞・テレビ記者らの懇談の場でのことだった。普天間飛行場の辺野古移設を巡り移設に必要な環境影響評価書の提出時期を問われた局長は、女性への性的暴行になぞらえ、「犯す前に『これから犯しますよ』と言うか」などと発言した。 懇談は非公式でオフレコを前提としており、局長は「完オフだから」と念押ししていたともされるが、琉球新報は翌日朝刊の1面トップで発言を特報。政府は即日、局長を更迭した。 琉球新報の編集局長は当時、「非公式の懇談会といえども許されていいはずがない。公共性、公益性に照らして県民や読者に知らせるべきだと判断した」と説明している。沖縄防衛局には報道することを事前通告していたが、同局は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざるを得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止にすることになる」と警告してきたという。 この記事を書いたのが、当時琉球新報の政治部記者で基地問題を担当していた内間健友さんだ。内間さんはこの懇談に遅れて参加していて、「完オフ」と直接くぎを刺されたわけではない。それでも、オフレコの場であることは認識していたという。内間さんは当時をこう振り返る。 「聞いたとき、文字通り頭が真っ白になりました。それまでも国の関係者との懇談の場で、基地問題についてどこか軽視するような、茶化していると感じる発言がありました。でも懇談の場だからと和やかに話をする自分にモヤモヤしていた時期でもあったんです。この発言を聞いたとき、いよいよこれは逃げずに伝えなければならないと思い、懇談会後すぐにデスク(政治部長)に電話をかけました」 当時の上司が「書くべきだ」と判断し、政治部員のメーリングリストでも同僚や先輩たちが内間さんを激励した。一方、報道後に広がる反響には不安もあったという。報道を受けて政府は局長に上京を指示、大勢の報道陣のカメラやレコーダーに囲まれる局長の映像が流れ、その日のうちに更迭の速報が入った。 「オフレコ懇談の場だったので、メモも録音もありません。内容には絶対の自信がありますが、今もそのことで心が重くなる瞬間はあります。また、取材攻勢を受けながら上京し、更迭される局長のニュースを見て、私は局長を批判できるだけの正しい人間なのか、と葛藤しました」