2020年8月6日〜8月12日 閉鎖病棟入院日記(後編)
8月6日 閉鎖病棟の歌
閉鎖病棟の窓は開かない。
外は晴れて、蝉の声が聞こえる。気温は軽く三十度を超えているらしいが、病棟内は常に快適な室温で保たれていて、ほんの少し向こう側の気温はまるで現実味がない。
病室の並ぶ廊下の突き当たりが、私のお気に入りの場所だ。
床から天井まで窓ガラスになっていて、窓際にゆったりとした椅子がぽつんと置いてある。夏の風景を眺めながら、私は小さく歌をうたっていた。
病棟のどこかに、歌うのが好きな人がいる。
ZARDの「負けないで」を熱唱していた女性だ。姿は見ていないが、時々頼りないファルセットの歌声が、廊下から全力で響いてくる。
彼女には十八番がいくつかあって、その中にレコードの回転数を間違えたような早回しの「Let It Go」がある。これもまた感動してしまう。
保護室での夜、隣の部屋から読経が聞こえる時以外は無音で、うとうとしていると換気扇の音が音楽に聞こえた。それはポンチャックであったり、R&Bであったりした。
病室に移って彼女の歌を聞いたときは、「歌だ……!」と思って感動した。誰に聞かせるでもない、また誰に聞かれることも厭わない、純粋な楽しみに満ちた歌声の貴重さに胸を打たれた。
この歌はなんだろう。自分の声に耳を澄ませると、はっぴいえんどの「夏なんです」だった。
窓の向こうで風にそよぐ木々を見て、本物の風を浴びたいと思う。入院生活はあと一週間。
8月7日 いろんな人たち
隣のベッドに移ってきた女の子が、朝早く日が昇る前に部屋の電気を点けたり消したり点けたり消したりする。病室が簡易ディスコ状態だ。てきめんに目が覚める。
本人の中では筋が通った行動かもしれないので、やめてくれとも言いづらい。
また、ひとりで話している女性がいて、朝食の時間はだいたい金銭トラブルで喧嘩している。
昼食の時は他愛もない会話でまったりしていて、夜になると話さない日もある。でも、また次の日になると朝食の時間には喧嘩している。
病棟には嵐の相葉雅紀を好きな人が多い。よく彼の話で盛り上がっている人たちを見かける。
幼さの残る女の子が親しげに「相葉くんって優しいんだよ!」と話すのを目にした時は、プロのアイドルとはかくあるべきと思わされた。アイドルは本当に恐ろしい、凄まじい仕事だ。卒業して時間が経つほど強く思う。
ひとりで話している女性も、相葉雅紀の話になると会話を中断して、すうっと輪に混ざっていく。
話が病室や、食事時の出来事ばかりだが、かく言う私は胸の底に薄っぺらい、しかし拭い去れない不安が蔓延っており、食事で呼ばれる時以外はベッドでまんじりともせず横たわっていた。
何の役にも立ってないのに決まった時間に食事をいただくのがつらい。かと言って、退院して仕事をするのも想像するだけでつらい。今後の全ての仕事をキャンセルしたい。うまくやれる気がしない。自分が歌っても喋っても文章を書いてもなんの意味もない。じゃあゴミ拾いしたとして、なんの意味もない。何をしても誰の何の役にも立てない。こんな風に感じるのは病気じゃないかと不安になる。でも病気じゃなくて実際に無価値だからだと気づくと非常に落胆する。だいたい一週間以上放置しているメールや電話はどうなっているんだろう。確認するのが怖い。退院したら明るく対応するであろう自分が怖い。もう全てなかったことにしたい。しかし全てをなくしてじっとしてたらすぐに死ぬ未来が見える。退院するのが怖い。
廊下から、おばあさんにひたすら創価学会について話している女性の声が聞こえてくる。読経して聞かせたりしている。保護室で聞いた声だ。
話し疲れると「早く煙草吸って死にてえ」とはすっぱな感じで呟き、でも創価学会の教えでは悪いことなんですけどねと少し嬉しそうに言う。
いろんな人がいる。
一見しただけでは、どういう事情でここにいるのかわからない人たちもいる。私も(坊主頭にワンピースというアンバランスな見た目以外は)そうだろう。でもそれぞれの事情があり、理屈がある。
病棟の外にも、いろんな人がいる。世界は広がっている。
そこで生きていく。怖くても、怖くなくても。
8月8日 診断
昼頃の回診で、急に診断を受けた。
担当医は「知能に問題はありません」と前置きしてから、私になんの病気だと思っているか尋ねた。
はじめは鬱病だと診断されたから鬱病だと思っていたこと、去年から症状が重くなり、双極性障害II型と統合失調症の陰性症状を疑っていたこと、てんかんかと思ったので脳波検査の結果待ちだが、主治医に言われたパーソナリティ障害にも納得する点は多くあると素直に答えた。
診断がついたのは、聞いたことのない病名だった。
精神疾患に詳しい方や、長くこの日記を読み続けていた人は気づいていたのかもしれない。私はさっき聞いたばかりで、まだ持て余しているので、具体的な病名は伏せる。
説明を受けながら、数年前に初めて会った時、「どうして生き急いでるの?」と声をかけてきた九龍ジョーさんを思い出した。去年、「生きてるだけでいい」と言ってくれた姿も。
私は泣いていた。どうして涙が流れるのかわからなかったけど、自分でずっと抑え込んできた私が泣いていた。何が嫌だったのか聞きたかったけど、長いこと私に蓋をされてきた私はもう返事をしなかった。あるいは一遍には答えきれなかった。
担当医は「27年かけて頑張ってきたので、27年かけて治していきましょう」と言った。私はもしかしたら、自分に何か取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないと思った。
最適な治療はなんと認知行動療法であった。去年、正解にたどり着きかけていたのだ。
ただし、認知行動療法は病院で受けられる最適な治療法であって、日常的に身近な人へ本心を話す大切さや、文章を書くことと表現をする仕事が助けになると担当医は言った。
こうして落ち着いて言語化していると、本当は嫌だったけど言わなかった記憶があれこれ蘇って苛立ち、反対に良かれと思って我慢したせいで、かえって事態を悪化させた反省が思い出されて落ち込んだ。
しかしそのようなことを考えていても仕方ないので“もっと楽しいことを考えて”おこうと思う。
今後、認知行動療法を受けに大学病院へ戻るかは未定だ。当面の間はいまの病院に通院して、投薬しながら様子をみていく。
退院日は12日に決まった。退院したら思いきり泳ぎたい。
8月9日 怒る私
昨日、診断を受けている時、その一瞬を逃さず担当医は「怠けじゃないですよ」と言った。
鋭さに驚いたが、この病気の患者にありがちな発想なのかもしれない。
私は説明を受けながら、一瞬「それって詐病じゃない?」と思ったのだ。
口にはしなかったが、それについては懇々と詐病でも仮病でもないし、甘えでも怠けでもないと説明された。
担当医が戻ってからもしばらく私の疑念は晴れなかったが、現に症状を体感しているのは私なのに、他人事のように詐病を疑うのはおかしいと気がついた。
これまでこうした自分自身への裏切りが日常的に積み重ねられていたのかと思うと、本当にどうしたらいいのかわからなくなる。
心身共に症状が出るほど、具体的に何が精神的ストレスになっているのか。それは医師にはわからない。私しか知らないからだ。そして私自身もわからずにいる。
恐らく、先のような自分の本心を軽視する行動を続けてきた結果だと思う。
私は基本的に断るのが苦手で、断れなかったことを、嫌だったことまで自然と忘れて、なんでもなかったかのように遂行してしまうことが多々ある。
と、考えていたらまたしても過去のあれこれが思い浮かんできたけど、過ぎたことをぐずぐず言っても仕方がないし、自分の中でも取り返しのつかない気持ちが深まってしまいそうなので、まさにいま困っている、いや、そのような優しい言い方はよして、腹が立っていることについて書いてしまいたい。
はっきり書く。それは「私を心配する人たち」のことだ。
この手の人には怒りづらい。病気で弱っている私を心配してくれているのだ。しかもきっと心から。
ひとつは典型的なパターンで、時々言及もしてきたが「断薬しろ」「病院やめろ」とアドバイスしてくる人たちである。週刊誌が高齢者向けに不安を煽る特集を組んでいるせいか、こういう人たちは多い。
直接、病院やめて鬱が治りましたと言われたこともある。
それは鬱状態だっただけで鬱病ではなかったか、もしくは回復期に勝手に通院をやめて、後々悪化したんじゃないかと思う。
病気は気合いでは治らない。精神病も、精神力では治らない。当たり前過ぎて書いていて恥ずかしいが、わかっていない人が想像以上に多い。
これまでは親切心を無下にするようで何も言わずに微笑んでいたが、もし私がクソバイスを鵜呑みにして通院をやめていたら、今ごろ間違いなく容態が悪化していただろう。死んでいた可能性も大いにある。それを思うと親切心の有無は関係ないので、考えを修正した。今後は毅然とした態度で接していきたい。
もうひとつは、心配の言葉に「あわよくば精神」が感じられる人たちだ。
これも非常に怒りづらい。はっきりと「ちょっと下心があります」って文面には書かれていないからだ。
しかし、悪気のないコミュニケーションでも、受け手が不快に感じたらセクハラになるのだし、この場合も私がそう感じたら、今後はもうそういうことにしようと思う。
最近最もひどかった例で、通販サイトの備考欄を利用して疲れたら地元に遊びにきてくださいと電話番号を送ってきた人がいた。
一度臨時スタッフが対応して注意したにもかかわらず、今度は仕事依頼用に公開しているメールアドレスへ再送してきた。以降も返信していないのに時々私的なメールが送られてくる。
心配してやったのにと憤慨されるかもしれないが、それを送られてきた私の恐怖と不快さと呆気にとられる気持ちを考えてほしい。
よく知りもしない人に電話をかけて、こんなご時世に東京都を出る肩身の狭さをくぐり抜け、その人の地元を案内される。これが私の疲れにどう作用するのか考えてほしい。
わからないなら二度とメールを送らないでほしい。わかったなら、もうメールを送らないでほしい。
はー、怒った……。
でも怒ったらぴりぴりと、わずかに純粋な活力が戻ってきた気がする。
これから先、何をやりたいかよりも、まずはやりたくないこと、嫌なことを改めて認識して、素直に感じられるように練習していく必要があるだろう。
私はよく知りもしない人に気を遣うために生まれてきたんじゃない。好きな人たちを愛することへ、もっと全力を注ぐべきなのだ。
8月10日 君が代
「あーあ、なんで人生こんなことになっちゃったんだろ」
デイルームにある日当たりのいいソファのほうから声が上がった。窓からは夏の日差しが、しかし病棟は今日も快適な室温のままだ。
「ちょっとやめてよー、そんな言い方」
誰かが笑ってその言葉を拾い上げると、周囲も口々にそうよそうよと明るく同調し、「人生、こ、れ、か、ら!」と一蹴して笑い声に回収された。
おどけていて、それで力強い言葉だった。
人生これからなんて思ったこともなかった私は、遠巻きに聞いていてハッとさせられた。どうして思ったことがないんだろう。生まれてきたことから始まり、私の人生はどこか取り返しのつかなさや、後戻りできない感覚で満ちている。
病識がある人もない人も、ここにいる人たちは多かれ少なかれ「なんで人生こんなことに……」と感じている。中にはどうして入院させられているのか理解していない人もいるので、まさに「なんで」と思っているだろう。
「人生、こ、れ、か、ら!」の声は自分自身に言い聞かせるように強く、おどけることで本題を直視させない朗らかさがあった。
なんで人生がこんなことになっているのか、考えても意味がない。
本当のところ、人生に意味はないからだ。無意味な偶然の断片を結びつけて、意味を見出している。
起床時間から消灯時間まで、ずっと怒ってるか、泣き喚いてるか、鼻にかかった声で看護師さんに甘えてるおばあさんがいる。声が大きいので、病棟のどこに居ても聞こえてきてつらい。いつも、悲しいか、怖いか、苦しいかなのだ。
さっきも大声で泣いていた。大声で泣きながら歌い始めた。
オペラかと思って驚いたが、おばあさんの泣き声がフェードアウトして、そこにあの子の歌がフェードインしてきたようだ。ちょうど同じような声量のファルセットで。
おばあさんの泣き声は「君が代」に変わった。
8月11日 進水式
窓の外で蝉が死んだ。私だけが見ていた。
明日で退院することを同室の外国人に伝えたいけど、英語で「退院」がわからない。ディス、ディス……なんだっけ。そもそもディスだっけ。
挨拶程度しか言葉は交わさないけど、彼女の振る舞いの端々に他者への優しさを感じている。
遠い国から家族と離れて日本へ来て、そしてどういう事情か閉鎖病棟にいる彼女を、そこで優しく明るく振る舞う姿を私は勇敢だと思う。
英語が話せたらよかった。
回診で担当医から、すぐに治る病気じゃないと再度釘を刺される。
症状もまた出るだろうと言われた。
覚悟はしているけど、仕事はどうしたらいいんだろう。これからどうやって生きていけばいいんだろう。
でもそれは誰にもわからない。当たり前だけど医師にもわからないし、仕事を依頼する人にもわからない。私にしかわからない。私は私がわからない。
迷惑をかけたくないので、仕事はやめたほうがいいんだろうかと思う。
考えがまとまらない。どちらにしても、生きていくしかない。
窓の外を眺めながらKIRINJIの「進水式」を口ずさんで泣いてしまった。
不可思議な世界を探ろう 必ず生きて還ろう 必ず生きて還ろう…………
8月12日 退院
「えーっと、discharged today. 合ってる? I was glad to meet you.
I think でいいのかな……。you are beautiful, kind and brave woman.」
外国人の女の子は自分のことのように「Congratulation!!!!!!!!!!!」と叫んで、きゃあきゃあ言いながら抱きしめてくれた。
担当の看護師さんが退院後のために、私の症状を段階わけして、それぞれの対処法を紙にまとめて渡してくれた。もし戻って来ても大丈夫だからねと言いながら。
お互い涙ぐんだまま突っ立ってしまった。
「自分に厳しくなってしまった時、優しくしてってお願いしてきた看護師がいたなあって思い出してね」
握手しましょうかと看護師さんが言って、手を握り合って別れた。
荷物を持って病室を出ると、デイルームに個人面談をしてくれたベテランの看護師さんがいた。
「自分を大事にすれば、いまよりもっと周囲に人が集まって来ますよ。大丈夫」
丁寧に足を止めてそう言うと、今日も患者さんたちの検温をしに歩いて行った。
こちらへ向かってくる担当医の背後を、いつも泣き叫んでいるおばあさんがゆっくり追いかけてくる。
鍵がかかっているドアを開けて廊下へ出ると、おばあさんの声がくぐもって聞こえた。デイルームの賑やかな声も遠く聞こえる。
外は本当に真夏になっていた。
思いっきりプールサイドの壁を蹴って、全身を伸ばして水の中を前へ進む。
世界中の音が遠くに聞こえた。
私は医師や看護師さんたちに調子の悪い姿しか見せることができない。
もし恩返しができるとするならば、生きて、回復させてもらった気力を好きな人たちに手渡して、それがまわりまわってお世話になった人たちのところで小さく花開くことだと思う。
ありがとうございます! おいしいもの食べます!

