このブログの更新が10月頭で止まっていたように、私の絵を描く意欲というものもいつからかだったか低下の一途を辿っていた。
過去記事を読み返せば、モルフォの本を買ってきた時点でも既にそれを自覚していたようだし、確かなことは、浪人時代の時や龍が如くにハマってた時ほど、私は絵が描けなくなっていた。
10月末、ひょんなことから合同誌を作らないかと私は同志3人に持ち掛けた。皆参加してくれるとのことで、私もノリノリで原稿に取り組む。はずだった。
ネームは楽しかった。下書きも2日3日で終わらせた。さあ次はペン入れだ。
そう思ったがなかなか進まなかった。
その頃のことを思い出そうにも、あまり思い出せない。ただ描く元気、向き合う気力がごっそり抜け落ちていた。学校へ行って遅々として進まない課題制作をし、せめて座学の出席はし、図書館に逃避し、家事もあまり出来ず散らかった部屋の床に寝転がる日々。夜に発作的に不安に襲われないかと怖がり、頓服を飲むようになってからは19時台という早さで眠りにつくようになった。
ペン入れって大変だよね、逃げたくもなるよね、と思いつつも
あの頃の生活の中に趣味はなかったように思う。
趣味といえば何か? と聞かれれば、私はやはりまず「絵を描く」ことだと答えるし、あるいは「ゲーム」「読書」も当てはまるだろう。しかしどれもが、おそらく10月半ば〜現在まで、生活に存在しなかった。
絵は先述したが、他二つについても詳しく説明する。
まずゲーム。これは8月頃からやらなくなった。手につかないのだ。集中ができない。興味も湧かない。楽しくもない。
そして読書。図書館に逃避してるのだから本ぐらい読んでるだろうと思われそうだが、読むにしたって、易しい本しか読めなかった。読んでいたのは不安の対処法だとか、そんなもので図書館では主にソファ眠っていたように思う。
さてそんな生活が続き、3週間? 1ヶ月? 原稿に一切触らなかった(触れなかった)。
落書きはしたものの、ドリフターズについてのものは少なかった。妄想する気も起きなかった。
そこまで絵が描けないと己の絵描きとしてのアイデンティティに疑問が湧いてくる。果たして自分は二次創作者なのか? と。さらには、自分はこの作品やcpが本当に好きなのか? と。
界隈というものを意識してみれば、私の好む豊土は少数のようだ。腹立たしい。原作読んでんのかてめえら。しかし「文句言うならお前が作れ」が創作のルール(しらんけど)な中で、私はペンすら持ってない。文句言う資格はないのだ。でもこの苦痛はどうにかしたい。どうすれば。
そうか。
絵を描くのをやめてしまえばいいのだ。
そしてdrf垢も消してしまおう。
この抱えたままの原稿は、私が言い出しっぺであり既に企画が進行しているので責任もって何とかやるとして、描くにしてもこれきりだ。
さながら自殺配信者のような気分だった。
そして12月20日。色々割愛するが私は精神病棟に入院することになった。数日は身動き取れなかったが(これは拘束ではなく比喩)、入院中に必要なものを取りに一度帰宅した時、服やシャンプーの他に入れたものが以下。
『キリンの子』はともかく、上三つは何だ。我ながら思った。しかしiPadはきちんと理由がある。原稿をしなければならないからだ。私は病室に戻り次第、iPadにクリスタをインストールし、月額課金をし、原稿を開こうとし──できなかった。PCで進めていた原稿がクラウドに上がっていないので、その時のiPadでは開かなかったのだ。ガッデム。
そうだ、私は原稿をしなければならない。合同誌を言い出したのは私だし、ドリフターズへの愛がどうとか豊土への気持ちがどうとかそんなことはともかく描かねばならない。そしてこの病棟ではiPadの持ち込みができる。
私は11月から、家での主な居場所であるこたつにPCと液タブをセッティングしてある。しかし、手をつけずに床に寝転がっていたのだ。
この入院生活でも同じことをするのか。iPadを前にしてベッドで寝るのか。否、描かねばならない。なぜなら〆切は確かに迫っているのだから。
ていうかそれより何より
入院ってすげえ暇なんだよな。
暇をどうにかしたい。そんな気持ちだった。
そんな気持ちだったが、とはいえ新しく絵を描くような発想力はまだ戻ってきていない(今も)。
幸い週末に父が金沢に来て、保護者同伴なら外出も許可されたので27日に再び自宅へ。原稿をクラウドに上げたりなんだりし、お菓子などを買ったり荷物を増やして病棟に帰る。
この時持って行ったのは
九井諒子はともかく、おいお前絵描きやめる気ねえだろ。
そして実際に認める。
ああああああああごめんなさいもう認めます
俺は絵を楽しく描いていたいし絵描きを名乗っていたいしあわよくば沢山いいねが欲しいです
認めます
絵を描きたいです 描いていたいです
絵を描くのはやめたくないですごめんなさい俺に楽しく絵を描かせてください
「これがうまく描けねえんだよ〜」みたいなそういう苦痛なら全然良いんです、絵を描く気力や意欲をください、返してください、私に、絵を描いて楽しいと感じられる感覚を返してください
そんなわけで始まった入院生活での原稿だが、自分でも久々なので慣らしつつ…と思って、30分描いて30分編み物というサイクルでやってみた。
…え、描ける。
幸いにも下書きを済ませてたので、それをなぞるようにする作業だったからか、思ったよりするすると描ける。
そもそもこの入院生活は
6時 起床
7時 朝食
12時 昼食
18時 夕食
20時半 寝る前の服薬
21時 就寝
という、暇過ぎる生活なのである。そういう療養なんだと言われたらその通りなんだけども。
だから私が先述のサイクルでカリカリと絵を描くには絶好の生活なのである。
が、ここで気づく。
絵を描いたあとの食事時、めっちゃ死にたくなる。
これはまず言っておかなければならないのだが、もともと入院前から、夕食時〜夕食後に不安や希死念慮に襲われることはよくあった。頓服を用いるのもその為で、早寝するのもその為だった。
しかし入院中、絵を描かなかったときは湧かなかった希死念慮などが、絵を描くと戻ってきたのである。
これは一体どういうことか。頓服のデパスを飲みながら考えてみた。
暇過ぎる入院生活に突如現れた「絵を描く」という行為、それに伴い現れた希死念慮や不安。
明らかに絵を描くことが負荷になっている。
それによって自分でも失敗したと思ったのは、午前中に絵を描くことだ。午前中は約4時間暇になるが、その間に30分原稿、30分編み物をするサイクルをする、つまり2時間分絵を描くと、昼食時に死にたくなるのである。これはまずいと思い、昼食後に頓服のデパスを服用。少し昼寝などだらだらして、再び原稿と編み物のサイクル。するとどうなる? そう、夕食時にも死にたくなり不安になるのである。頓服を頼もうにも、「1日1回の処方だから」ともう飲めない。詰んだ。
私は不安に襲われるとじっとしてられなくなる。貧乏ゆすりが始まり、歩き回り、その場でジャンプを繰り返し、「あー」と小さく声を上げ始めたらそれはもう耐えられなくなったサインだ。声は段々と叫び声になり、涙が出て、内側から湧く何かが怖くて怖くて、ベッドなどを殴ってしまう。
昼食後に頓服を飲んでしまい夕食後に飲めなくなったのは30日のことだが、その時は「夕食後の薬が効いてくるまで待ってごらん」と言われ、自分でもどうにかして耐え、そしてもう無理だと思い父親に泣きながら電話をした。事情を説明し、泣きながら「大丈夫と言って」と私は懇願した。「大丈夫になるって言って」と。父は言ってくれた。「大丈夫よ」と。その電話ののち、大丈夫かと思われたがやはり怪しい。私は看護師にどうしたらいいかと頼ったら、夜寝る前の薬を早めに出してくれた。メイラックスである。これにもデパス同様不安を抑える効果があるので、これを飲んで、休んで、もし消灯後になっても眠れなかったら不眠時の頓服を飲もう。そう言ってくれた。できることはしたし、してくれた。私はメイラックスを飲み、早々に床についた。
閑話休題。
話は大きく逸れたが、私が言いたいのは、
絵を描くことは高負荷なことだ
ということである。もちろんこれは人それぞれな部分があって、私はうつ病だから大変だと感じるのだろうし、逆に負荷を感じられないほど脳みそのキャパが大きい人もいるだろう。
とはいえ私は思う。
日常生活を送って絵を描いてる人、すげえ。
と。そして思う。
精神疾患抱えても絵を描いてる人、すげえ。
と。また同時に思う。
うつって脳みその病気だわ。
様々な気づきを得たこの数日だが、何はともあれ、どうやらひと月は入院生活が続くらしい。
とりあえず午前中に絵は描くまいと心に決めながら、私は原稿を進めていきたいと思う。
無理だったら寝ます。