今後2年間で、LGBTQの発信活動を終えていきます
はじめに
こんにちは。なかけんです。
友人から「それなりに大事なことを伝えるときは、noteだとおしゃれに見えるよ」と聞いたので、軽率に信じて書いてみる次第です。
多分このnoteは、私の活動を知っている方にしか見られないだろうと思い、知っている前提の書きぶりで失礼します。
むしろ私を日々囲んでくれる皆さん、知ってくれている皆さんに向けて、お手紙を書くイメージで書いていきたいと思っています。
文章を書くのが得意ではないので、恐らく最初で最後のnoteになる気がしていますが、温かく見守っていただけると幸いです。
noteを書く理由
年末って、ちょっとだけ立ち止まって「このままでいいのかな」と考える人も多い季節かなと思います。
私は誕生日や年末など、世間的には「お祝いごと」とされる時期に高確率でメンタルを崩すのですが、今年の年末の波はかなり大きくて。ここ数年悩んできたことを、もう自覚せざるを得ない/向き合わざるを得ない状態になりました。
そこで出た答えを、ちゃんと言葉にして共有しておきたいと思い、このnoteを書いています。
先に結論だけお伝えします。
私は今後2年間で、LGBTQに関する講演・取材/メディア出演・監修など、いわゆる“表に立つ活動”を終えていきます。
詳しくは後半に書きたいと思います。
文章、長くなります。
年末年始、うっかり暇になる瞬間があれば、気晴らしにもならない内容で恐縮ですが、読んでもらえたら嬉しいです。
これまでの活動を振り返る
私は10代の終わり頃から、LGBTQの当事者として、特にアロマンティックやアセクシュアル、ノンバイナリーといった領域を中心に、自分にできる範囲で発信や活動に携わってきました。
気づけば今年で29歳。
20歳でこの世界から消えようと思っていた私が、20を通り越して、もうすぐ30です。なんてしぶとい。
でも、そうやってしぶとく生きてこれたのは、「生きることが抵抗」というような言葉や活動に触れて、この社会に主体性を持って関わる皆さんや、日々をなんとか生き抜く皆さんと出会えたからだと思っています。
おかげさまでこの約10年で、「生きるか死ぬか」という世界線から、「どう生きるか」を考えるようになりました。
周囲の人は温かい人ばかりで日々助けられています。お仕事や活動も多くの機会をいただき、本当に恵まれているなと心から感じています。
…とはいえ、相変わらず寝るのが下手で、不眠になったり、異常に寝たり。メンタルを崩すと過食になったり、鬱の症状で数日単位でベッドから動けなくなることもあります。
正直、仕事や活動と、この性質や身体との折り合いは、うまくいかないことだらけです。
25歳の時に「30歳近くなればもう少しましに生きられるかなぁ」と呑気に思っていたのですが、まだまだうまく生きられない自分に「なんなんだ私は!」と思う日も多々あります。30歳ってもう少し大人だと思ってたんだけどなぁ。
すみません、前置きが長くなりました。
そんなこんなで、来年私は30歳になります。
改めて、この節目に、これまでの振り返りと、そしてこれから活動とどう向き合っていくかを言葉にさせてください。
まずはこれまでの活動年表だけ、ざっくりと。
18〜19歳ごろ:NPO法人にじいろ学校の立ち上げに関わり、居場所づくりスタッフとして活動し始める
20〜21歳ごろ:「性性堂堂」でYouTube発信、メディア発信を本格的に開始
22歳ごろ:早稲田大学でのアセクシュアルに関するイベント実施、NHKノーナレ「恋愛圏外」出演など
23歳ごろ:講演活動が増え始める(大学・自治体・団体など)
24歳ごろ:NHKよるドラ「恋せぬふたり」考証、Aro/Ace調査の実施
25歳ごろ:TBSラジオ「アシタノカレッジ」バディなど
26歳ごろ:少しお休み期間(とはいえ講演などは続けていました)
27歳ごろ:明石書店『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』出版
28〜29歳ごろ:各地域での講演・取材、監修依頼などを継続的にいただく
こうしてみると、本当にいろんな経験をさせてもらったなぁと思います。
ちなみに、私は元々自分から前に出るようなタイプではなかったので、最初の取材は「無料でケーキを食べれるかもしれない」と密かに思い、お受けすることを決めたのを覚えています。
Aro/Aceコミュニティではケーキがシンボル的に使われることもあるので、今思うとなんとも私っぽいメディアスタートだったなとも思います。
端折って書いてもこんな感じなので、一つひとつ振り返ると気持ちが溢れて、なんだかちゃんと泣けてきます。
活動で育ててもらったような人間なので、これまで関わってくれた方々には、心から感謝しています。
私と出会ってくれて、本当にありがとうございます。
私にとっての「活動」
講演などが多くなってからは、「LGBTQの発信活動で食べてるんですよね?」と聞かれることが多くなりました。
答えはNOで、私はこれまで発信活動で生活をしていたことはなく、NPOの職員やネットの学校の職員など、別の仕事を複数しながら、活動に関わっていたというのが実態に近いです。
だからこそ活動は、私にとって「仕事」というより(もちろん責任ある形で関わる意識は持ちつつ)、「生活の一部」であり、出会う人たちやコミュニティが「精神的な支え」でもありました。
ただ、その「生活の一部」であり、「精神的な支え」である存在を、今あらためて見つめ直すタイミングが来ているなとも感じています。
立場の変化と心の変化
活動を続ける中で、私の立場や役割も、少しずつ変わってきました。
講演や取材、監修など表に立つ機会が増えるにつれて、最初は「一当事者」として自分の言葉で続けてきた発信が、いつの間にか「コミュニティの代表者+専門家」として受け取られる場面も増えていったように思います。
私は、LGBTQの当事者として、とりわけ活動する人が少ないアセクシュアルやノンバイナリーの当事者として、自分ができる範囲で発信や活動を続けてきたつもりです。
発信できる人が少ない領域な分、「いない」ことにならないよう、自分がカバーできることはやっていきたい/やっていかなきゃと思い、なるべくジャンルを問わず、取り組んできました。
その分、ありがたいことに声をかけていただく機会も増え、相談や依頼をいただくことも増えました。
その一方で、表に出る発信が増えるほど、発言や振る舞いが「代表性」や「正しさ」を伴うものとして受け取られやすくなる、という前提を強く意識するようになりました。
もちろんそれ自体は自然なことだと思っています。
前に出る以上、影響力はあるし、責任もある。これは私もずっと意識してきたつもりです。
ただ、ここ数年で、その重さが自分の中で想像以上に大きくなっていった感覚がありました。
「代表性」というものが、日常のすぐ隣にずっとある感じ。
「前に出るなら、誤解を生まないように」
「誰かを傷つけないことは難しくても、なるべく避けられるように」
「コミュニティの声とズレないように」
大切な意識のはずなのに、私の中では少しずつ「逃げ道のない義務」のような重さを感じるようになっていきました。
そして、立場が大きくなるほど、「失敗」が怖くなりました。
器用な人間じゃないうえに、元々“前に出ることに慣れた人間”でもないので、責任感を「一定の時間だけ」では終わらせられず、頭の中がそのことでいっぱいになってしまう。
気づけば日常の中でも「なかけん」を背負っているところがありました。
「この関係性を作ると、変な誤解にも繋がるかな」
「私が何かしたらコミュニティにも迷惑になるんじゃないか」
もちろん人として最低限の倫理や節度は持って生活しているつもりですが、自分自身を過剰にコミュニティと連動させて考えてしまっている感覚がありました。
正直、大げさだと思う人もいると思います。
なんなら私自身も、大げさだとは思っています。
ただ、極端に真面目なところがある私にとっては、これらの課題を一人で抱えるには難しい状態になっていったことも確かでした。
前提としてお伝えしたいこと
ここまで読むと、「背負わされた」という話に聞こえてしまうかもしれませんが、一つここではっきりと伝えさせてください。
ここでお伝えしている内容は、
・一定の出来事や、いま関わっている個別の案件が理由で決断したものではありません
そして、
・LGBTQの活動に対して何かを言いたいわけでも、否定したいわけでも一切ありません
今回お伝えしている難しさやしんどさは、コミュニティから背負わされたことではなく、私自身が自分で背負い込んでしまったことです。
活動そのものが私をこうさせた、という話ではなく、私の感情や性格の折り合いがつかなかった、という話です。
私はこの10年の活動を、とても大切に、誇りに思っています。
そこだけはどうか伝えたいですし、信じてほしいです。
誇りある活動に、ここまで関わらせてもらったことに心から感謝しています。
今後2年間の方針について
長すぎる前半でしたが、ここからがこのnoteで伝えたい本題です。
これらの自分の状況を整理した時に、このまま同じ形を続けていくと、私自身が崩れてしまうかもしれない、と感じました。
そして、ここからさらに立場性が大きくなってから降りる方が、結果的に調整がより難しくなり、いろんな人に迷惑をかける形になるかもしれない、とも思いました。
そこで私は、表に立つ活動を段階的に終えていくことを決めました。
ここでいう「表に立つ活動」とは、講演、取材・メディア出演、監修など、代表性を伴う関わりを指しています。
ただし、もちろん急にすべてを手放すようなことはしません。
終えると言っておいて何様という感じですが、コミュニティに対して最低限誠実でありたいので、2年ほど時間をかけて、無理のない形で役割を整理し、引き継げるものを託していきたいと思っています。
方針はこんなイメージです。
2026年(来年)
すでにご相談いただいているもの、内部で検討を進めてくださっていて変更が効きにくいご依頼などは、状況に応じてお引き受けします
ただし、長期の継続案件や、代表性が関わるものについては、できる限り慎重に判断させていただきます
2027年(再来年)
引き継ぎを前提としたフェーズに入り、新規のご依頼についてはより慎重に判断させていただきます
2028年以降
講演・取材・監修など、代表性を伴うご依頼については、基本的に辞退させていただきます
代表性を伴う役割と自分自身を切り離すための決断でもあるため、XやInstagramなど、各種SNSのアカウントも削除する予定です
なぜ今、宣言するのか
活動を続けていくこと自体は、正直可能ではあったと思います。
ここ最近は今の立場を活用して、コミュニティにお金やリソースを回したいと思い、もう少し頑張ってみようと意識的に動いていたところもありました。なので、この宣言に「なぜ今?」と感じている関係者の方もいるかもしれません。
ただ、無理が生じていることに薄々気づいていた中で、今年の年末に大きく体調を崩したことをきっかけに「一切動けなくなる前に、手放して引き継いでいくこと」を優先すべきだと強く感じました。
その方が、結果としてコミュニティ全体にとっても、私自身にとっても、より良い形なのではないかと考えた末に、この結論に至ります。
身勝手なタイミングでの宣言となり申し訳ないですが、今関わっているプロジェクトや活動に対しては今後丁寧に調整を行っていくつもりです。
これから必要に応じてご相談をさせてください。びっくりさせた方々、ごめんなさい。
そして、
「あえてnoteで宣言する必要ある?」
「個人で少しずつフェードアウトしていけばいいのでは?」
と思う方もいると思います。
ただ、その場その場で曖昧に断り続けるより、方向性を共有したうえで、お互いが無理のない関わり方を考えるほうが、お互いを守ることにつながるのではないかと考え、あえて「公に宣言する」という方法を取りました。
それに、私は活動が好きなので、宣言しないと多分これまで通りのスタンスで関わり続けてしまうだろうという理由もあります…。
(そして、また勝手にいろんなものを背負い込む未来まで見える)
あえて「今」宣言することを、どうかご理解いただけるとありがたいです。
LGBTQコミュニティとの繋がりについて
なお、「表に立つ活動」以外はどうするのか、という話についても。
「ずっと続けます!」と言いたくもあるのですが、コミュニティの循環のことを考え、そして私自身が次のキャリアに覚悟を持って進めるように、「表に立つ活動」以外も今後3〜4年ほどを目処に、他の人にお願いできる部分はお願いしながら手放していきたいと思っています。
ただし、これは「LGBTQのコミュニティや活動そのものから、完全に離れたい」というわけではもちろんありません。
これまで活動でご一緒した方々など、プライベートでも会えたら嬉しいですし、必要な場面でのサポートなどはぜひさせていただきたいです。
寄付や部分的な裏方のサポートなど、無理のない形で関わりを持つことができれば嬉しいなと思っています。
次に進みたいという気持ち
そして、この選択は、私にとって後ろ向きなものではなく、これから先の暮らしや人生を別の形で組み立て直していくための決断でもあります。
活動初期から、30歳を迎える頃に一度活動の見直しをする、という話は周囲にもしていました。なんならこれまでも抱えきれなくなったときなど、ともに活動するメンバーに「もう活動辞めます!」などと言ったりして、そのたびに何度も相談に乗ってもらい、なんとか続けてこられました(本当にありがとうございます…涙)。
そういったこともあり、今後進みたい方向性はある程度固まっていて、それに向けて少しずつ歩み始めているところでもあります。
この2年の間に、次のキャリアに向けてさらにスキルを育てて、働き方や暮らし方(関東を出たい!)も整えて、2年後にはまた新たな自分として、いろんなことに臨めたらいいなと思っています。
おわりに
こんなことを言いつつ、当然あと2年は活動を続けるわけではありますが…、
改めてここまで活動で関わってくださったすべての方に感謝を伝えさせてください。
本当にありがとうございます。
ちょっとエモーショナルな感じで書きましたが、どうせ2年間はいつも通りゴリゴリ動いてしまう気もするので(ほんとに反省したい)、引き続きよろしくお願いします。
そして2028年以降も、今と同じ動き方ではないにしても、コミュニティの一員として繋がり続けてくださると心から嬉しく思います。
なんだか年の暮れに、よくわからない宣言を失礼いたしました。
年末年始、皆さんどうか、あたたかくしてお過ごしください。
これからもあなたがあなたとして、心地よく生きていけますように。
(私も、自分のことをちゃんと労わります…)


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