『アスタルは地に帰る』
(2024.9.17)
結婚しているゼン蛍のシリーズ。
むきむきがほたちを「奥さん」と呼ぶのもいいなと思って書きました。
蛍と待ち合わせして帰る日に、アルハイゼンはココアを買う。
それは家に買い置きしているココアではなく、ザイトゥン桃のフレーバーが入っているココアだった。蛍のお気に入りの、フォンテーヌ産ミルクココア。同じシリーズのスメール限定の味のものだった。
すっかり顔馴染みになった道具屋の店主は、アルハイゼンの姿が視界に入るといつもの品物を持ってくる。最近のアルハイゼンが昼休みに町に出てくる理由はそれだったから。
「こんにちは、書記官様。今日は何をご用意しておきましょうか?」
「今夜はシチューの予定だから肉を、それから携行用の乾物を三袋。新しい薬瓶も必要だ」
アルハイゼンが勤務の合間に店を訪れたのは、夕飯の食材と、減っているであろう蛍達の消耗品を準備してもらうためだった。
そうすることで、買い物にかける時間を減らして蛍との会話の時間を増やすことが出来る。
「旅人さんがモンドから戻られますもんね。家でゆっくり過ごされるなら、こちらの入浴剤を試してみませんか?」
店主がアルハイゼンに見せた物は、少女が好みそうな甘い香りがする。それでいてくどすぎず、心地良い清涼感がある。
それは蛍の香りによく似ていた。
パッケージのデザインも可愛らしく仕上げられていて、白い花のイラストは蛍を連想させる。
「これも貰おう。俺の奥さんはどこでも引く手数多だから、家では存分にくつろいで欲しい」
「実は同じ香りの石鹸もあるんですよ」
「商売上手だな。一緒に包んでくれ」
アルハイゼンの表情が柔らかいものになる。
蛍のことを思い浮かべているのだろう。少しだけ伏せられた眼差しと、ほんのり持ち上がった口角から、彼女への愛情が溢れていた。
とっつきにくさで有名な書記官様は、伴侶のことになると感情を隠さない。もっとも、本人は普段自分の感情を隠しているわけではないのだが。他の人から見ると何を考えているのかわからない印象があった。
旅人の少女と一緒になった後の書記官様は、以前より話しかけやすくなった。
店主にとっても、最初の頃は何を言われるのかと恐々した心地だったのが嘘みたいだった。
「……別件になるが」
過去を思い返していた店主は、静かな声に引き戻される。
妻を溺愛する書記官様は、温度を感じさせない目でこちらをじっと見ていた。
「この香料はどこで取り引きされているんだ?」
「はい?」
「相場の三倍の値段を支払おう。今後は俺にだけ売ってくれ」
店主は快諾した。
「購入する権利を買って奥様だけの物にしたいなんて、書記官様は本当に奥様のことがお好きなんだなあ」とニコニコしていた。愛しい妻が持つ香りに似ているなどとは知らないので。
「……蛍」
ラズベリーとスペアミントとパッションフルーツ、あとは花のような香り。彼女を思い出させる香り。
今日は蛍がスメールに帰ってくる日で、もうすぐ会えるのに。一秒でも早く会いたくなってしまった。
すぐに会いたいなら塵歌壺に行けばいい。実際、今すぐにでも顔が見たい時はそうしていた。
でも、今日は待ち合わせをして一緒にアルハイゼンの家まで帰りたい。蛍が他の国からスメールに帰って来る日だから。
彼女がアルハイゼンの住む町にいて、アルハイゼンの家に帰って来る。あるべきものがあるべきところに戻って来たことを実感出来るし、彼女と他愛もない話をしながら家路に着くのが好きだ。
それに、彼女と歩く時間はパイモンから勝ち取ったものでもある。
アルハイゼンはパイモンに嫉妬していた。
蛍と長い間一緒に過ごした存在。蛍の旅に当たり前のように寄り添っていること。同性だから距離が近いのは不自然ではないこと。
アルハイゼンに向ける気持ちを、蛍が他の者に向けることはないとわかっている。それでも不満を持ってしまうのだから、情愛というものは全てが思い通りに行くわけではないらしい。
だからアルハイゼンは、パイモンと交渉することにした。蛍と二人きりの時間を自分にくれないか、と。
「君は理由がなくとも彼女に触れ、彼女から触れられ、彼女と共に眠り、常に一緒にいることが出来る。俺が妬まないわけがない」
「え、ええ……。別にヤキモチ焼かなくてもいいだろ?今は前と違って、理由なんかなくたって一緒にいてもいいんだから。お前は蛍の特別なんだし」
「君も蛍にとって特別な存在だ」
蛍の中で揺るぎない立場を持っている、という点においてパイモンとアルハイゼンは対等だ。
内心に留めているが、パイモンもアルハイゼンも蛍の一番は自分だと思っている。口に出すと相手が傷付くと思って、残酷な事実を二人共言わないようにしていた。
そして二人はいくつかの約束をした。
アルハイゼンの家では、可能な限りアルハイゼンと蛍を二人きりにすること。その代わり、塵歌壺ではパイモンと蛍が一緒に過ごす時間が多くなるようにすること。
パイモンと協定を結んだアルハイゼンは、その日のうちに自宅に手を加えた。
アルハイゼンの部屋、蛍の部屋とは別で、アルハイゼンと蛍が二人で過ごす部屋を新たに設けたのである。浴室や台所まで作って、その部屋だけでほとんど生活出来るようにした。
パイモンも塵歌壺の邸宅にある二人の部屋を模様替えして、いつも以上に念入りに掃除をした。他の部屋も蛍と話し合いをしながら改めて家具を置いた。二人で決めながら家の中を整えたので、そのことにもアルハイゼンは嫉妬した。
憮然とした顔で業務をこなしているうちに、勤務時間はあっという間に終わった。
定時上がりするアルハイゼンの歩みは早い。隼の目は金色を探し、すぐに見つけた。
「おかえり、蛍」
「ただいま……」
蛍を一度抱きしめた後、薄桃色の唇、こめかみに順に口付ける。
顔を見ると触れずにはいられないので、蛍には引力があるのだろう。二度、三度と繰り返したい衝動に耐え、アルハイゼンはもう一度蛍を抱きしめた。
「家に帰ったら、もっとしてくれる?」
「君が許してくれるなら」
「アルハイゼンが私にしたいことをいっぱいして欲しいんだよ」
「……俺をあまりつけあがらせるな」
嬉しそうな笑顔を控えめに浮かべて、蛍はアルハイゼンの胸にぴったりと身体を寄せてきた。
アルハイゼンが蛍に会いたがっていたように、蛍もアルハイゼンに会いたいと思っていてくれたようだった。
近況をお互いに話しながら道具屋に向かい、アルハイゼンが全ての荷物を片手で持ってしまう。
蛍は冒険者をしているので、決してひ弱ではない。だから少しは持てると言ったが、アルハイゼンは一つも渡そうとしなかった。
「君はこっちだ」
蛍の片手を取り、指の間に指を通してしっかり握り合う。
蛍を気遣いたい、それと同時に蛍に触れたかったので、どちらも叶えることが出来る最適解であった。
近くを歩いていた三十人団の集団が、「オレたちが巡回していますから安心して仲良くしててください」と声をかけてくる。
声を聞いて我に帰った蛍は、アルハイゼンの手を握り返した。
見上げてくる金色の瞳は、夕陽の色を反射していて美しい。
「お買い物のお金、先に払ってくれてたでしょう。いつもありがとう」
「俺がやりたくてやっていることだ。それと、夫婦の財布は共有のものだから支払いの件で君が気兼ねすることではない」
蛍の頬がじわりと染まった。
いつになっても、彼女は恋する少女のような反応をする。
そうして、アルハイゼンと蛍が決して分かたれることがない関係なのだと何度も実感すればいい。
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