昨日の続きです。
今回は霊殿から宸殿です。
左側の霊殿と本堂の間の渡り廊下
から見た弁天堂です。
赤い線にほぼ沿って拝観しています。
霊殿の方に行くと
1693年に第3世公辨(弁)法親王の
建立で、宸殿と同時期のものです。
阿弥陀如来を中央にして、歴代門跡
の影像や位牌が安置されています。
霊殿内は内陣が撮影禁止です。
なので、その襖絵が廊下に展示
されていました。ハスの絵が描
かれています。ガラスで保護さ
れているので乱反射で桜の花
などが映り見難いです。
外陣部分にある天井龍です。
目の向きや顔が、見る角度により変化
します。狩野永叙主信(1675~172
4)が描いたものです。彼は中橋狩野
家当主として活躍しました。
天井龍の全体画です。
パンフレットからの引用です。
次に渡り廊下を通り宸殿に行きます。
宸殿への渡廊下です。
歩いて来たところを振り返ると
歩いて来た霊殿の前廊下です。
渡り廊下から見た阿加井です。
渡り廊下から見た歩いて来た霊殿です。
宸殿の廊下から見た霊殿と本堂です。
宸殿前の南側廊下です。
左は前庭のしだれ桜の古木です。
室内は撮影禁止なので、パンフ
レットからの紹介です。
宸殿の解説板です。
南東にある御成之間は上段の間
があり、背面に2間の床と1間の
棚があります。上段の間と下段の
間は御簾により区切られています。
この床の間の絵は中国の歴史か
らのもので、狩野探幽の弟子だっ
た狩野洞雲の筆です。
宸殿西南の間は控えの次の間
とされています。
控えの間である九老之間にある襖絵です。
ここも狩野探幽の弟子だった狩野洞雲の筆
です。狩野洞雲の名前は益信です。
狩野洞雲益信は1625年、金工家である
後藤益乗の次男として生まれました。
幼にして松花堂昭乗に学び11歳で狩野
探幽に認められ養子となります。洞雲の
号は隠元禅師が名づけました。優れた
画才を持ち精緻な彩色文様、謹直な線
質を特徴としており細部まで手を抜かず
奇を衒わない画風で、狩野探幽の様式を
よく踏襲し、後継者候補であったが探幽
に実子がうまれたため別家します。徳川
家光に寵愛され将軍家や朝廷、諸大名
等の御用をつとめ義父狩野探幽を支え
ました。1667年屋敷を拝領し、1691
年法眼に叙されます。表絵師筆頭、駿
河台狩野家の祖となります。
狩野洞雲の作品としての例は
仙台藩伊達家に伝わるの枕屏風の
一部分で、洞雲の落款があります。
枕屏風とは藩主が本陣の寝間に
飾るために、持ち歩いた屏風です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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