第3回世界で広まる「反科学」の主張 否定するだけでは「公正でない」理由
ワクチンは健康に悪い、地球温暖化は起きていない――。世界で、科学的な専門知識を軽視する声が大きくなってきた。科学と民主主義の関係で鋭い論考を発表しているチリの政治学者クリストバル・ベロリオさんは、こうした反科学の主張を無知だと切り捨てるのは「公正ではない」と説きます。
連載「深世界」【3】クリストバル・ベロリオ氏
私たちが重んじてきた理念やルールに基づいた「あるべき世界」が、大きく揺らいでいます。原因は何か。どう向き合うべきか。国際ニュースをより深く理解する視座を求めて、識者に尋ねました。
――科学的な合意や、専門家の知見を否定したり、拒否したりする動きが見られます。
私は「認識論的ポピュリズム」と呼ぶ現象の一部だと考えています。ポピュリズムは、「真の人民」と「腐敗したエリート」を対立させて、「真の人民」に政治上の「意思決定の主権」があると主張します。しかし、認識論的ポピュリズムは「真実を語る主権」も人民にあると主張しています。
原因はいくつかあります。一つはSNSが情報へのアクセスを民主化したこと。かつては事実に基づいて判断を下すことは、(政府やメディア、科学者などの)権威の役割でしたが、一般の人たちができるようになりました。もう一つが、政治的な分極化の進展です。市民は証拠よりも党派的アイデンティティーに基づいて科学的問題への立場を決めることが増えています。
――新型コロナ禍で、反科学的な態度の政治家は支持をより集めたように見えます。
世界のポピュリストの間で、パンデミックへの対応は異なっていました。当時右派政権のブラジルでも左派政権のメキシコでも当初ウイルスを非常に軽視しました。一方でハンガリーやイスラエルでは緊急事態を利用して権威を固め、市民の自由を制限することを正当化しました。野党のポピュリストは経済の再開を求め、個人の自由というリバタリアン的な思想に訴えかけて、マスク着用義務やワクチンといった公衆衛生措置を拒否しました。新型コロナに対する単一の「ポピュリスト的な」対応はなかったのです。
パンデミックが明らかにしたのは、ポピュリズムが驚くほど強靱(きょうじん)だということです。ポピュリストは危機の時代に勢力を伸ばすと言われますが、コロナ禍は支持者を集め、責任を転嫁し、国内外に新たな敵を見いだすための新しい機会を提供したのです。
公式への拒絶=独立性・尊厳の主張
――なぜ特定の政治家や政党は科学を否定するような言説を繰り返すのでしょうか。
私たちは政策を考えるとき、科学に特別な重みを置くべきだと考えがちです。しかし、民主的な観点から言えば、科学は数ある知識の生産システムの一つに過ぎません。直感や信仰、先祖からの知恵、個人的な経験も知識を得る手段です。私は科学が圧倒的に優れていると信じています。しかし、科学だけが自動的に政治的権威を持つわけではありません。
政治家が科学的コンセンサスを無視したり異議を唱えたりするとき、彼らは、直感や経験などを優先しているのです。トランプ氏はかつて大寒波が米国を襲った際に「地球温暖化はどうした?」とSNSに書き込みました。個人の経験こそが真実だという認識論的ポピュリズムの例です。
興味深いのは、彼らが自らを反科学的だと見せることはめったにない点です。そのかわり、彼らは自らが真実の、あるいは腐敗していない科学を守っていると主張します。つまり、科学そのものの文化的な威信が必ずしも低下したわけではなく、誰が科学の代弁者であるかという問題が争われているのです。
――なぜ専門家の知見に反するような言説が広まるのでしょうか。
反科学的な主張を、単に非合理的だとか科学リテラシーがないとするのは公正ではありません。ワクチンや気候変動に関する否定論者の多くは、このテーマを熟知しており、無知ではありません。(SNSなどを通じて)知識を自ら発見していく、強い自律性を持っているのが特徴です。自らを専門家からの情報を受け取る側ではなく、積極的に情報を調べていく側だと見なしているのです。
公式とされる専門知識を拒絶することが、独立性と尊厳を主張する方法になります。そこにポピュリスト的な要素が入り込んできます。エリートの知識主張に異議を唱えること自体が、「専門家」と呼ばれる人々の傲慢(ごうまん)さに対する抗議の一形態となります。
「反科学」の主張が広がっているというよりは、「反科学的権威」の主張が広がっていると言えます。
――科学や科学者への信頼が低かったことは過去にもありましたか。
私は科学史家ではありませんが、あまりにも抽象的で日常経験からかけ離れていると認識される知識体系に対しては、常にある程度の抵抗がありました。例えば、(啓蒙(けいもう)思想家)ジャンジャック・ルソーは科学を批判し、一般人の生来の良識を称賛して名声を得ました。(進化論を唱えた)ダーウィンの同時代の人たちは彼を「奇妙な推論の転倒」だと非難しました。その意味で、科学に対する懐疑的な態度は決して新しいものではありません。
同時に、科学を一般の聴衆に近づけ、集団行動の基礎となるよう理解してもらう努力も常に行われてきました。科学的推論は本質的に日常的な推論の延長であり、それを洗練させて偏見を減らすものです。その意味で、私たちは皆、潜在的な科学者なのです。
(独哲学者)カントがかつて唱えた「知る勇気を持て」がいま、個人が専門家の権威に反して「自分の頭で考える」権利を主張する、認識論的ポピュリズムの形態を鼓舞するようになったのは、皮肉なことです。しかし、これを退けるのではなく、理解し、その動機と向き合うよう努めるべきです。
ある政治的な決定が市民の目から見て正当だと思ってもらいたいなら、専門家が知っていることと一般市民が信じていることの間のギャップを埋める必要があります。科学者間の合意を市民の共通理解に変えることで初めて、民主的に持続可能な形で社会的に受け入れられるのです。
クリストバル・ベロリオ氏
Cristobal Bellolio チリのアドルフォ・イバニェス大学准教授。ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンで博士号取得(政治哲学)。専門は政治理論で、リベラリズムと科学や宗教、ポピュリズムがどう交差するかを研究する。24~25年、米シカゴ大学客員教授。
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反科学と偽情報
2016年の米大統領選や英国の欧州連合離脱(ブレグジット)で「フェイクニュース」の影響が世界に知られた。客観的事実よりも個人の感情や信念が勝るという「ポスト真実」と呼ばれる状況が続いている。
日本でも、25年の参院選や24年の兵庫県知事選など、SNS上の偽情報が深刻化し、報道各社がファクトチェックに力を入れ始めた。
影響は科学にも及ぶ。25年1月に米大統領に返り咲いたトランプ氏は「気候変動は史上最大の詐欺」と主張。ワクチンに懐疑的な保健福祉長官を任命し、主義主張にあわない大学や研究機関への支援を止めるといった「反科学」とも取れる政策を進める。
近年では人工知能(AI)の誤・偽情報への悪用が懸念される。世界経済フォーラムは1月に出した「グローバルリスク報告書2025年版」で今後2年の最大のリスクに「誤・偽情報」をあげた。信頼を損ない、国家間および国内の分裂を悪化させ、社会の結束や統治に対する脅威は根強いとしている。
25年11月の国連気候変動会議(COP30)では、気候変動に関する偽情報への対策強化をめざす宣言が出された。近年、化石燃料企業に支援を受けた組織的な偽情報が対策を遅らせていることが複数の研究で明らかになっている。
取材後記
世界各国で科学者への信頼はまだ高く保たれている。早稲田大などが行った世界68カ国・地域の7万人以上への調査では、78%が科学者は「有能である」と答え、「誠実である」と答えた人も57%に上った。
とはいえ、反科学を含む極端な言論はSNSで広まりやすい。ましてやそれが政治家が発信したとなればなおさらだ。
ベロリオさんは、反科学の潮流を三つに分ける。科学者が外国勢力や企業などの利益とつながった、腐敗したエリートの一部と見る態度がある。これは科学そのものよりも、科学者への不信だ。さらに科学が時に「テクノクラシー」(技術官僚制)に結びつき、選挙などの民主的プロセスを飛び越して政策決定にかかわることも挙げる。「選挙で選ばれていない専門家が大事な政策を決めている」という感覚だ。
そして今回議論したのが、科学的事実よりも個人の直感や経験を優先する態度だ。「あなたの信じる科学」と「私の信じる科学」が生まれることになる。単純に知識の問題ではない。科学が常に反証にさらされ、修正されていくことで進歩してきたという本質からいうと、実に科学的ではある。
早大などの世論調査では、83%が「科学者は科学について一般市民とコミュニケーションをとるべきだ」と答えている。ベロリオさんは科学コミュニティーがより外に向けて分かる言葉で、科学を発信するように提案する。加えて、なぜそのような「科学」を信じるようになったのか、不安や恐れ、憤り、悲しみなど、その背景に何があるか、耳を傾ける態度が求められる。
連載「深世界」第4回は、「米国覇権の終わり」です。29日午前に配信予定です。
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