書評者と著者と読者の本屋「松原商會」@PASSAGE by ALL REVIEWS のBlog

社会経済学者・松原隆一郎(放送大学教授、東京大学名誉教授)と丁稚が営む、書評と書評された本と読者をつなぐ一棚書店

#14 書き手は「書けないとき」どうなるか

松原隆一郎會長がキコキコ自転車で出勤すると、店の前にホウキ片手に仁王立ちの丁稚が。

會長「丁稚、店の前でシーサーみたいな顔してどうしたの? 松原商會の魔除けも担当するの?」

丁稚「會長、昨日お店あけたまま帰ってましたよ。店の前に本も出したまんまだし。」

會長「あぁ、ごめんごめん。何か盗られてた?」

丁稚「いえ、なにも。松原商會は泥棒も寄りつきません。」

會長「まぁ、暑くなってきたし店に入ろう。アイスキャンデー買って来たよ。」

丁稚「ペロペロ。會長、昨日は酔っぱらって、店を閉め忘れたんですか? 」

會長「 いや、今、本を書いていて頭がいっぱいで。ガリガリ。」

丁稚「極度に集中してるんですね。 會長、元の顔が怖いから表情から読み取れないんですけど、今、執筆そんなに大変なんですか?」

會長「そう。全然眠れない。夜中に何か思いついたら考え始めて止まらないから、さらに眠れない。」

丁稚「店ではいつも寝っ転がってますけど。」

會長「あれ、スマホで書いてるの。思いついたことも全部スマホにメモしてあるし。

本を書いてた期間の記憶が残ってないことも多い。」

丁稚「今の本を書き終わったら、丁稚も「あんた、誰?」って言われたりするんでしょうか。」

會長「かもしれん。」

丁稚「気分がのらないと書けないってこと、ありますか。」

會長「そりゃあるよ。そういうときはスマホでオセロをして、おりてくるのを待つ。」

丁稚「 ものを考える仕事の人は、散歩とか、歩いてると思いつくエピソードを聞きますが。」

會長「僕、歩くの嫌い。オセロは僕ほどほどに弱いからオンラインで相手が見つかりやいんだ。」

丁稚「執筆で一番苦しいことってどんなことなんですか?」

會長「それは無数にあって簡単には言えないよ。今書いてる本だと、全体の構成になかなか苦労したな。それで、序章を19回書き直した。」

丁稚「バームクーヘンみたいな本ですね。」

會長「もうすぐ書き上がるよ。」

丁稚「よかった。じゃあ、會長がお店あけっぱなしにするかもなのもあとしばらくですね。

それにしても、本を書くのってそんなにつらいんですね。鶴の恩返しの鶴みたい。書くたびに心も体もすりへってしまうのでは。」

會長「人によると思うよ。あと、書くものにもよるよ。僕の場合は一生続くだろうな。」

丁稚「難しい本って何千円もして高いなって思ってたんですけど、會長の話聞いて、全然高くない気がしてきました。」

會長「一冊、一冊、だいじに売ってね。」

丁稚「はいっ。」

(設定はもうほとんどフィクションです。)

#13  「みぞれ羹」と、「燃える闘魂・アントニオ猪木展」最終日閉場30分前

松原隆一郎會長、今日もキコキコ自転車で松原商會にご出勤。

會長「おはよう、丁稚。お客さんは来たかい?」

丁稚「會長、おはようございます。モグモグ。お店のお客さんはいつも通り来ませんが、會長のお客さんがいらっしゃいました。モグモグ。」

會長「お客さんって誰? 丁稚、何食べてるの?」

丁稚「會長が共著者の一人として書いた『アントニオ猪木とは何だったのか』の出版社の方が来られたので、さゝまさんに急いでお菓子を買いに行ってお出ししたんです。しばらくお待ちだったんですけど、さっき帰られました。」

みぞれ羹(道明寺羹) 道明寺羹の中に小豆の漉し餡を入れたもの。「 冬に降るみぞれを道明寺で表現して、涼しさを感じさせる御菓子です。」(さゝまさんHPより)

丁稚「夏のお菓子、どれもきれいで迷ったんですけど、見てるだけで涼しくなる『みぞれ羹』を買ってきました。…… おいちー。」

會長「お客さんが来ると、自分が食べたいからってすぐ、さゝまさんにお菓子を買いに行くんだから……。でも、PASSAGEの松原商會から歩いて5分のところに和菓子の老舗があるのは、神保町に店を構えた幸せの一つだね。」

丁稚「會長の分ももちろんありますよ。お茶淹れますね。コポコポ。ところで『アントニオ猪木とは何だったのか』は、いつ発売なんですか?」

會長「モグモグ。おいちー。…… たしか、9月15日だよ。」

丁稚「共著者のみなさんが錚々たる方々ですね。入不二基義さん、香山リカさん、水道橋博士ターザン山本さん、夢枕獏さん、吉田 豪さん…(50音順)。」

會長「こうした人たちに共著を依頼できる編集者はそうそういないよ。」

丁稚「共著者のお一人である〇〇さんと會長の対談を聞いてみたい、って出版社の方にお話したら、『いいですね、やりましょう』って賛成してくださいました。」

會長「ぜひ。僕もうれしい機会だな。〇〇さんとはきっと深い話になると思うよ。」

丁稚「わーい!じゃあ、出版社の方と一緒にがんばって準備します! 

アントニオ猪木のことさっそく学ばなきゃと思って、出版社の方に入門書的な本をおたずねしたら、アントニオ猪木の自伝をすすめてくださいました。

https://amzn.to/3qxDi8N

猪木寛至アントニオ猪木自伝』(新潮文庫

會長「不思議な逸話が印象に残っている自伝だ。

『(自宅に招いて人参ジュースを飲ませてくれたモンゴリアン・ストンパーの)気持が嬉しくて、私はジョッキで六杯飲んだ。
そうしたら---翌日から異変が起きたのである。ムスコが元気になってしまい、三日三晩立ちっぱなしになってしまったのだ。これには困った。試合のときも一向に衰えないのである』」

丁稚「不思議な不思議さですね。」

會長「そういえば、新宿のデパートで開催されているアントニオ猪木展、今日が最終日だよ。丁稚、勉強のために行ってきなさい。」

丁稚「はいっ!」

丁稚、シュバッと新宿へ。

会場は新宿西口の京王百貨店京王百貨店に行ったことがない丁稚は、立ち止まっては路上の新宿案内地図を見て探すのですが、お店の名前が書き込まれてないんですね。何のための地図かわかんないな、と首をかしげながら、いつもより人込みが少しおとなしいお盆の新宿西口を歩き回ってるうちに、閉場時間の17時まであと30分に!

見たことない京王百貨店をどう見つければいいのかわからないでいると、青い軒先テントに京王百貨店の文字が。ここだ!

インフォメーションで「アントニオ猪木展はどこですか!」と元気よく質問して、Diorの脇のエスカレーターで地下にするする降りていくと

「1、2,3,ダーッ!」

というかけ声が聞こえてきました。

たどり着いた会場は丁稚の予想の10倍ちっちゃい!

でも、会場の空気は予想の10倍熱い!

お盆休みとあって、お子さん連れのご家族やご夫婦も多く、そこに、いかにも格闘技をなさっているかんじの方、一人で黙々と展示を回っている男性の方、いろんな人が、ちっちゃな会場の中で、思い思いにアントニオ猪木の雄姿に見入ってます。

今日は8月15日。猪木展の様子を眺めながら、丁稚は平和のありがたさを深く感じました。

「あと30分で閉場でーす。ぜひご覧ください!」「1、2,3,ダーッ!」と、それぞれに叫んでるスタッフの方々の脇をすりぬけて、本日勉強に来た丁稚は、まず、アントニオ猪木の年表を探すと……

ない!

猪木のことわかってるのが前提の展覧会なんだ……丁稚は緊張しながら展示を廻り始めました。

まず、猪木がプロレスを始めた頃の写真。

1963年、日本プロレス 力道山猪木寛至アントニオ猪木)を指導。渋谷のリキ・スポーツバレスのジム

猪木が力道山に教えてもらってる!

「リキ・スポーツバレス」は、名前の通り、力道山が作った巨大なスポーツ娯楽施設。渋谷駅南口を出て坂を上っていき、今はヒューマックス渋谷ビルが建つところにあったそうです。1992年に解体されました。渋谷にそんな施設があったのですね。

1960年、巨人軍から転向のジャイアント馬場と、17歳の猪木の入門を力道山が発表しているところだそうです。(日本橋浪花町のプロレスセンター)

当時のプロレス記録映画のポスター

力道山が出演する映画のポスター

新日本プロレスの旗上げ

当時のチケット

ディナーショーなんかもやっていたんですね!

「1,2,3,ダーッ」の記念写真を撮りに、次々にリングに上がる人たち

「お父さん!モハメド・アリの身長は〇〇センチだった、ってアナウンスで言ってるよ!」と、盛り上がるご夫婦。

「1,2,3。ダーッ」をするために順番待ちをして、うれしそうにリングに上がっていくスーツ姿の男性。

会場にいる人みんなが「子どもの顔」になっていて、元気で純粋な空気が会場を包んでいました。

「闘魂!」と書かれた会場をほっこり気分であとにした丁稚。

エスカレーターを上がると、来るときは慌てていて気づかなかった猪木が。

男性は全員立ち止まる

ここで立ち止まる人は、みんなやっぱり「子どもの顔」に。

猪木についての知識はあまり増えませんでしたが、猪木がたくさんの人に愛されていたことはすごくよくわかった展覧会でした。

こんなに愛されてるアントニオ猪木ってどんな人だったんだろう……丁稚は、俄然気になり始めました。

アントニオ猪木とは何だったのか』を読んだら、深くわかりそう。

そして、これは何が何でも、共著者の〇〇さんと會長の対談を聞かねば。

丁稚は、「1,2,3、ダーッ」と心の中で叫びながら、新宿紀伊國屋書店猪木自伝を買って、會長が店番をしてくれている松原商會に帰りました。

(松原商會が路面店という設定はフィクションです。)

#12  「本は敵」と言う松原隆一郎會長の、「敵じゃない本」

# 読書好きな人とつながりたい

# 本好きさんとつながりたい

―― Twitter(Xのこと。以下、同じ)に流れてくる、本LOVE系ハッシュタグ

松原商會のTwitterでも使ってみたい。

でも、松原隆一郎會長、「本は敵」って言ってるから( 詳しくは「#5 「本は敵」と思ってる人がシェア型書店に棚を持つ場合」をお読みください )、松原商會はこういうハッシュタグ使えなさそう…。

丁稚がしょんぼりと店の前をホウキではいていると、會長が自転車でキコキコ出勤してきました。

會長「おつかれさん。お客さんは来たかい?」

丁稚「いつもどおり来ません。會長、商いを成功させるにはやはりSNSの効果は大きいらしいです。松原商會もちまちまとTwitterをやってるわけですが、いまだネット上の孤島状態です。ずっと會長と丁稚だけでぷかぷか浮いててもしょうがないんで、松原商會の存在をまず世の中で知ってもらうには、誰かとつながらなきゃ始まらないわけなんです。」

會長「つながるってどうやって? だって、松原商會は浮くものなんだよ?(詳しくは # 4 シェア型書店PASSAGEで、さっそく浮く。  をお読みください!)」

丁稚「浮くことを松原商會の本質にしないでください!松原商會だって友達がほしいです。だから、Twitterハッシュタグを使って、つながりを作っていきましょう。松原商會は一応本屋だから、本に関するハッシュタグを付ける必要がありますね。」

會長 「#本は敵 」

丁稚「だめです。つながる基本は、『愛』とか『好き』とかの共有なんです。」

會長「どんなハッシュタグがあるの?」

丁稚「さっき見てみたら、#本好きさんとつながりたい とか……」

會長「キモチワ……」

丁稚「言っちゃだめ! 商いのために羊の皮をかぶるんです。會長にも子どもの頃はあったでしょう。小学生のときは ”好きな本”、あったのでは?」

會長、考え込むかと思いきや、即答。

會長「うん。あった。『天使で大地はいっぱいだ』。」

阿佐ヶ谷の書庫から、會長が所蔵の『天使で大地はいっぱいだ』(後藤竜二・作 市川禎男・絵、1967、講談社)をご紹介

會長「4年生のときに読んだな。」

丁稚「會長も児童書を読んだんですね。」

會長「……僕、読書感想文が大嫌いでね。」

丁稚「先生に添削されて『なんでおまえの馬鹿陳腐な感想を僕が書かされなきゃいけないんだ?この低能が」とかイラついてたかんじですか?」

會長「いや、違う。

読書感想文って、課題書があるでしょ?あれがダメ。推薦なんかされたくないんだな。

僕が感想文を書きたかったとしたら、ロボットとロボットが闘う『鉄人28号』や『鉄腕アトム』とか、巨大キノコの怪物が襲ってくる『マタンゴ』とか。

鉄人28号』(作・横山光輝

鉄腕アトム』地上最大のロボットの巻(上)(作・手塚治虫

マタンゴ』(監督: 円谷英二特技監督)・本多猪四郎(監督)、脚本:木村武、 原案:星新一福島正実)1963(昭和38)年8月11日(ちょうど50年前の今日!)に公開された日本の特撮映画

僕の感想は自分だけの理屈で出来てるんで、他人の感想には興味がないんだよ。

たとえば、芭蕉の句っていうのは、身体を動かして見えた風景を詠んだ句がジーンと来るんだよね。でも昔の句からこう連想したとか、古典俳句の教養を自慢してるみたいな評論が多い。僕はどこかで聞き覚えたような理屈はまったく書く気になれないし、そもそも自分の気持が動かないと文章にするのは苦痛なんだな。

だから、『感想を書け』って言われても、何も書くことがなくて、ものすごく苦痛だった。

そんな中で、この『天使で大地はいっぱいだ』は、24歳の新任女性教諭のスカートに泥水をはねかけたり、ニワトリの首をシメて焼き鳥にしたり、子どもがドキドキすることが描かれていたんだ。」

丁稚「書評でほめてるふりして泥水はねかけたり、批判で精神的にシメたりしている現在の會長にもそういうことにドキドキしてた子ども時代があったと知って、ほんわかします。

もちょっと大きくなった頃に読んだ本では、好きだったなぁと思い出すものありますか?」

會長パール・バックの『大地』だな。

灘中に入ってすぐ、1年のときに読んだ。何巻もある大長編だけど、読み始めたらもう止まらなかった。あの作品は、” わらしべ長者 ”なんだよ。貧しいところから、どんどん成功していくのがおもしろかった。」

丁稚「文学的感想でないのが會長らしいです。

大人になってからはどうですか? 28歳で東大の先生になっちゃったから、それ以降はすべての本が敵になってしまったんでしょうか。」

會長「ううん。好きな本、ある。」

丁稚「?! 何の本ですか?」

會長「『ラーメン発見伝』」

會長のバイブル

丁稚「會長、ラーメン大好きですもんね。(#6 シェア型書店PASSAGEで「人気の棚」になるために実行した「6つの作戦」参照)

會長「いや、単純にラーメンの話だからっていうことじゃなくて。いかにしてラーメン店を繁盛させていくかという経営論で、一話、一話、すごく深い。

ネット情報をさも自分の感想みたいに自慢して食べる客の話とか納得だよね。グッとくる味も感じてないのに、有名店ということで美味いと感想を言う人たちが、その店の人気をさらに高めていく構造。こういう話が一般のマンガ作品として読まれていることはおもしろいなぁと思う。『ネット情報を自分の感想みたいに言い立ててる』って図星言われても、自分のことだと思わないんだろうな。」

「ヤツらは本を読んでるんじゃない。情報を食ってるんだ!」……丁稚も言ってみたい~

丁稚「ふぅん……いま聞いてて思ったんですが、松原商會は、ラインナップも、特典として付けている會長コメントも、會長の書評も、総合的に考えて知的レベルにはかなりの自信を持っているのに全然売れない理由が、『ラーメン発見伝』を読むとわかりそうな気がします。」

會長「丁稚はどんくさいのにたまにカンがいいね。まさにそう。松原商會は、高品質の材料にこだわって、丁寧に時間をかけてスープをとって、何十年も試行錯誤してたどりついた味をお客さまに提供することにこだわっている、倒産寸前のラーメン屋なんだ。」

丁稚「なんか落ち着く響きですが、倒産は困ります。売れるためにはどうすればいいんでしょうか。」

會長「最高のスープに意識高い系の脂をどっさり入れるのだ。そうすれば客は来る。」

丁稚「それって……店に置いている本は、會長セレクトの本と、會長の著書なわけですから、會長がエモい本書くとか、みんなが言ってることを會長も書いて共感を得るとか? 會長、ちょっとやってみます?」

會長「いやだ。」

丁稚「ですよね……。

” 倒産すれすれ ”こそ松原商會の本質なんですね。丁稚、本質をだいじにしていきます。

でも、松原商會の存在はもうちょっと知ってほしいから、ハッシュタグ作戦はやってみましょうか。本LOVEを装ってもウソってばれそうだから、「#読書感想文大嫌い 」 とか、「 #シェア型書店で売れない店」 とか、松原商會なりに共感を感じてもらえるハッシュタグを探しましょう。會長も考えてください。」

會長「はい。」

 

そんなわけで、松原商會は近々、Twitterハッシュタグを付けてみるかもしれません。

(松原商會が路面店という設定はフィクションです。)

# 11 東京大学柔道部「半世紀ぶりの七大戦優勝」を果たせなかった部長と、「七大戦2連覇」を果たした「名もなき選手」の時空を超えた出会い

(「小日向さんのこと」その1その2その3その4もお楽しみください!)

東大柔道部長として最後に挑む七大戦(国立七大学が戦う柔道戦)で「半世紀ぶりの東大優勝」を十中八九手にしたと確信しながら、ありえない理由で達成できなかった松原隆一郎會長。(くわしくは、前回をお読みください!)

松原商會の大切な ”謎の上得意さま" である小日向さんのお父さまが、今から56年前、東大が優勝した時の東大柔道部員だったと知った會長は、お父さまが卒業の際に部誌に書いたであろう文章をコピーしてプレゼントしたい、と小日向さんに申し出ました。

その頃、コロナ禍により東大の柔道場は閉鎖されていたため、會長は、東大柔道部の寺田悠甫監督にメールを送り、小日向さんのお父さま” 1968年卒、鈴木勝男先輩 ” に関する記録を探してほしい、とお願いをしました。

それから数日後、寺田監督から詳細な ”調査結果” が、會長に報告されました。

『赤門柔道』鈴木勝男先輩(1968年卒)の記述について

お世話になっております。東大柔道部の寺田です。

先日松原先生より調査依頼を受けておりました、標記の件につきまして、『赤門柔道』バックナンバーにアクセスし、 鈴木先輩に関する記述を発見することができました。お待たせして申し訳ありません。 

赤門柔道の第1号(昭和28年)から第56号(平成22年)までは、CD-ROMにPDF化されて保存されておりました。

私の方で1964年〜1969年あたりの記事をざっと確認したところ、鈴木勝男先輩ご自身で書かれた文章は見つかりませんでしたが、第15号(1968年、昭和43年)の卒業生の横顔に記述がありました。 (画像を添付しています) 

鈴木勝男先輩は、7人制の公式戦のレギュラーであり、七大戦や学生柔道、各定期戦など、あらゆる試合で勝ち星を上げられるなど、 下級生の時から取り役として活躍されていた方で、試合記録と講評には記述が残っています。(注:柔道には「取り役」と「分け役」があり、「取り役」は必ず勝つ責任を担う選手、「分け役」は(もちろん勝つに越したことないけど)引き分けに持って行って相手の勝利を防ぐ責任を担う選手のことを言います。)

七大戦は2大会出場で、4勝4分、1不戦を記録されていました。(注:後日、寺田監督により訂正されます。)

 記述の例(丁稚注: 一部、中略)

第14号(S42年、4年生)  七大戦優勝。その他、試合多数。p18「鈴木、高角の頭脳的で機敏な寝技」

第15号(S43年、卒業) p50 卒業生の横顔

小日向さんのお父さま(鈴木勝男先輩)を通して、「半世紀前の東大優勝」に触れた寺田監督の興奮がメール全体から伝わってきます。

「すごい!小日向さんのお父さんは優勝メンバーだったんだ!」

同じく興奮した會長は、すぐさま、小日向さんに「調査結果」を報告しました。

會長 → 小日向さん:「お父さまは七大戦で優勝メンバーだったのですね!! 素晴らしいです。それから半世紀以上、東大は優勝できていません。 

4勝4分けというのは、1人に勝って次の相手と引き分けるということですから、監督からしてももっとも信頼できる選手ということです。

寺田監督もこの調査ができて喜んでおりました。 次に、CDを私に送るように依頼しています。 届きましたら一枚、お送りしますね。」

寺田監督の調査結果に添付されていた、『赤門柔道』第15号(1968年、昭和43年)の「卒業生の横顔」がこちらです。卒業生の部員同士が互いの人となりを綴っています。柔道部仲間から見た鈴木勝男先輩はどんな人だったのでしょうか。

黄色で囲んだ部分が、小日向さんのお父さま”鈴木勝男先輩”について

鈴木 勝男 (法、日本毛織

「ガニー・スズキ」と親しまれ、天王寺高校にいた頃から寝技をやっていて、大学に入ってからは、一層うまい寝技を身につけた。関接技(ママ)、絞め、変な押え等を器用にこなし、立っても蟹挟み、巴、掬い技と寝技への連絡技を駆使していた。

そのため、早くから、七大学戦を始め各種の定期戦で活躍し、貴重な勝星をあげるとともに、原田などとともに「寝技の東大」を世に知らしめたのである。

入学した頃は、故郷の誰かと文通をしたり、ダンスに狂うかと思われたこともあったが、合ハイのとき、一大発起したのか、坊主頭になった。それ以来あまり浮いた話は聞かない。

勉強も非常に要領よくやり、柔道部法学部の中で内容はともかく、単位の改得数だけは一番多かった。

酒は好きなのかどうか分らなかったが、飲むときはガブ飲みすることが多かった。また、コンパ等では、「ヘルメス」や「逃げた女房」など浪花節でわれわれを楽しませてくれたものである。

(三段)

翌日、寺田監督から會長に、調査結果の続きが報告されました。

昨日のメールで鈴木勝男先輩の七大戦戦績を4勝4分けと書いておりましたが、1大会分脱落があり、正しくは、5勝7分けでした。その他の試合も記述多数です。

鈴木先輩は3、4年生の時に東大唯一の七大戦2連覇を成し遂げた時のレギュラーメンバーで、まさに東大柔道部全盛期の真っ只中で取り役として活躍された方でした。

■七大戦

第14回(1965年、鈴木先輩2年生)

1回戦 VS東北大 2勝1分、準決勝 VS名大 1分

第15回(1966年、3年生)

1回戦 VS東北大 1勝1分、準決勝 VS名大 1勝1分、決勝 VS北大 不戦 東大優勝。

第16回(1967年、4年生)

1回戦 VS北大 1勝1分、準決勝 VS京大 1分、決勝 VS名大 1分 東大2連覇

通算、3大会8試合出場、5勝7分(1不戦)。

■その他記述の例

第12号 12月5日防大戦(鈴木先輩1年生)

「試合度胸満点の鈴木は双手刈りから寝技に入り簡単に絞め落す。敵の衝撃大なり。」

第13号 七大戦(鈴木先輩2年生)

「ここで我軍の期待をになって鈴木が出る。まず八鍬を送足払で鮮かに破る。二人目松川が頑張るを、機を見て放った得意の内股で投る。三人目東北大の抜き役日下と対戦するが、根性で頑張りかろうじて引分に持ち込む。」

第15号 「七帝二連覇達成」(鈴木先輩4年生)

「緻密さと豪快さがミックスし、不敵な笑いを浮かべる鈴木三段」

寺田監督の詳細かつ丁寧な調査報告の端々に鈴木先輩への敬意があふれています。

寺田監督はベンチプレス170キロを上げる強豪で、現役で通算7勝(2009~11年、3大会6試合)でした。コロナ時2020年のチームは卒業し、今また半世紀ぶりの優勝へ向け、日々、新チームの鍛錬に奮闘しています。それだけに鈴木先輩への畏敬の念が募るのでしょう。

この続報を、會長はすぐさま小日向さんに報告。

一連の「鈴木勝男先輩に関する調査結果」を読んだ小日向さんから、會長にDMが届きました。

松原先生、寺田監督様、この度は誠にありがとうございます。

父 勝男は柔道部には強い感情を持っているのは家族も感じてましたが自己表現的なものはあまりせず、七帝戦で同窓の皆様と団体優勝させてもらったことは生前本人から聞けないままで、他界した後のおくる会で柔道部同窓のかたから教えていただきました。

葬儀の際は柔道部同窓のかたが数人おこしいただき皆さんで涙を流し続けて供養してくださるお姿や、同じ時期に在籍された数十人のかたがおくる会を東京で開いてくださった様子で、スケールの大きい絆で結ばれる、幸せな環境で過ごさせていただいたことを感じました。

1964年東京五輪から安田講堂事件の年まで在籍させていただいた父ですが、世間さまと関係なく柔道ばかりしていたと言ってましたので、お送りいただいた『赤門柔道』のCDを見て、たしかめてみたいと思ってます^_^

お送りいただいた成績で、60年代後半の父を含めた皆様の様子をうかがわせていただけたこともさることながら、松原先生と寺田監督様からもやはり柔道部のかたのホットなお気持ちが伝わり、たいへんな有り難みを家族で感じております。重ねて御礼申し上げます。

丁稚も、小日向さんとまったく同じく、東大柔道部の「スケールの大きい絆」「ホットな気持ち」に深く感動。

會長と寺田監督、小日向さんを結びつけたのは、ただひたすら、56年前の東大優勝を勝ち取った「鈴木勝男先輩」とそのご家族への、會長と寺田監督の敬愛の念。

そして、會長と寺田監督の思いによって、小日向さんは、お父さまが亡くなられてから15年がたった今、大学時代のお父さまの姿を初めて知ったのです。

寺田監督からもメールが届きました。

松原先生

こんばんは。柔道部の寺田でございます。

昨晩はご連絡ありがとうございました。また鈴木様へのCD発送、鈴木様からのメッセージ転送もありがとうございました。

大変喜んでいただけた様子で、私も嬉しく思います。

先の松原先生のメッセージにもございましたが、必ずしも著名な方でなくても、これほど優れた戦績を残された方がいらっしゃることを私も知り、七帝戦優勝時の選手層の厚さを思い知った次第です。

また当時は部員数も、少なくとも数十名はいる様子で、部内競争も激しく、その中から選ばれた15名となると攻めも守りもかなりの強者ぞろいだったものと思われます。

(例えば、当時京大戦を25人戦で行っており、それでも全部員には満たない模様です)

鈴木先輩は、部員が30人はいた時代で、2年生からレギュラーを務めているこ
と、七帝戦で3大会7試合を戦い、(8試合出場、うち不戦が1試合)5勝7分と、勝ち星が抜群に多いとは言えないかも知れませんが、無敗という点も見逃せません。
また当時は平均的に分役が堅く、1人抜きでも大変だったと聞いたことがあります(これは正確かどうかはわかりませんが)。
当然ながらチームとしても7勝1敗と大きく勝ち越し、取れる星を確実に取りながら、
堅実な試合で東大2連覇に貢献された姿が想像されます。

今後も広く多くの方に東大柔道部のことを知っていただき、応援していただけるように、そして東大柔道部の伝統を引き継いでいけるよう頑張って参りたいと思います。

寺田

會長から小日向さんへのプレゼントは、寺田監督にとっても、東大柔道部にとっても、すばらしいプレゼントになったんだなぁ。

會長、いいことしたなぁ……。

丁稚が感動の涙でチーンと鼻をかんでいると、小日向さんからピョンとDMが。(以下、抜粋)

父ですが大学卒業後、すぐに、柔道部の皆さんを呼び東大構内で結婚式を挙げ、1970年代はじめの神戸市に転居しました。

そのときのことをを母に聞いてみました。

結婚式の前、ご参加いただいた30名ほどの柔道部の方と「七徳堂」という東大武道場に準備で寄らせていただき、式自体は食事の都合もあり構内の山上会議所という今は無い和風建築に移動し、行ったそうです。

1969年春、柔道部のかたは参加しなかった紛争が東大で最中であっても、施設はふつうに貸してもらえて、七徳堂部室は下宿に入れないかたやOBのかたまで何人も住まいにしておられたそうで、床に隙間なく、座布団の代わりに柔道着を敷いてもらったが、ありがたかったけど座れなかったと笑っておりました^_^

全国1700あまりある市町村の中から転居先が神戸市だった幸運な地縁で、松原先生の『頼介伝』を読み、こうして「松原商會」さんとのご縁につながりました。

七大戦に優勝した1966(昭和41)年、東大構内の武道場「七徳堂」に揃った東大柔道部員の皆さん。矢印が「鈴木勝男先輩」

やがて、小日向さんから會長に、約束の「お返し」が届きました。

「ミーコ」は神戸でミルクコーヒー、「レイコー」は冷コーヒー(アイスコーヒー)のことだそうです。

小日向さんが送ってくださった、「喫茶ベニス」の店内の写真。

 

東出町は、會長の祖父・頼介さんがフィリピンから流れ着いた町。そのことを、會長は、頼介さんの人生を調べて書いた『頼介伝』の取材時に初めて知りました。喫茶ベニスを知ったのもその取材のときです。

今回、小日向さんから初めて伺ったのですが、小日向さんは神戸で育ち、今も神戸に通勤なさっていることから、神戸のことが書いてある『頼介伝』を読んでおられ、それがきっかけで、松原商會のことを知ってくださったそうです。

東出町の「喫茶ベニス」は、なんと、『頼介伝』を読む前から小日向さんの行きつけだったとのこと。

ありし日の「喫茶ベニス」での、小日向さんのモーニング。トーストとミーコ

小日向さんは、関西の地から、松原商會にてオンライン購入してくださった會長の著書『経済思想入門』と 付録の「ちっちゃい會長」を連れて、大正時代に頼介さんが生きた場所をたどってくださいました

そして、會長は、寺田・東大柔道部監督のお力を借りて、小日向さんを、今は亡きお父さまの東大柔道部時代の日々にお連れすることができました。

小日向さんが(ちっちゃい)會長と一緒に追いかけてくださった頼介さんも、會長と寺田監督が追いかけた鈴木勝男先輩も、名もなき人。

そして、會長も丁稚も、小日向さんがおいくつくらいで、どんなお顔で、どんなお仕事をなさっている方なのか、今も知りません。

でも、小日向さんとのご縁を、これからもずっと、會長と丁稚は、だいじにだいじにし続けます。

神保町の小さな一棚本屋から、距離も時間も超えて、いろんな人と気持ちがつながって、そこで生まれた小さな灯が、會長と丁稚、小日向さん、みんなの胸の中で、ずっと消えないあたたかい光になりました。

 

松原商會を始めてよかったなぁ、と、心から感じさせてくださった小日向さんのことを書きました。

(「小日向さんのこと」おわり)

# 10 「謎の上得意さま・小日向さん」のお父さんの正体に、會長平常心を失う

小日向さん(小日向さんについては、「小日向さんのこと その1」からお読みください!)が、関西の地からオンラインでお買い上げくださった、松原隆一郎會長の著書『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)が届いたことをDMでお知らせくださったとき、2枚の写真を添付してくださいました。

(小日向さんDM本文〈抜粋〉)

先生のメッセージ入りご本、日曜日にありがたく受け取らせていただきました。
幾たびお店にもうかがいましたが、地方民へのオンラインでの身近さかんじております。…(中略)…格闘技のご特集にも、1960年代後半の東大柔道部でお世話になっておりました亡父の洗脳により、負けない七帝戦の物語りに当時のファンタジーを感じる自分にも興味を持たせてもらってます

1967(昭和42)年に七大戦に優勝した東大柔道部員の皆さんが写っています。この中に、「小日向さん」のお父さま、鈴木勝男さんがいらっしゃいます。(小日向さんがTwitterのユーザー名にしておられる「小日向よしお」は、母方のおじいさまのお名前だそうです。)

この『国立七大学柔道戦史 ―武道としての柔道を求めて』(1988年刊)は、国立七大学の柔道部が戦う「七大戦(七帝戦)」の昭和27~61年の歴史がまとめられたもの。なんと、京都大学柔道部の丹羽権平さんが私費を投じて編集なさった本です。

1967年とはどんな時代だったのか。写真の上に書かれた文章を見てみましょう。

「昭和四十二年 ― この年」

 第二次佐藤内閣は沖縄返還要求の基本方針を決定したが、アメリカのベトナム戦争は継続し、ベトナム特需を含めて、経済成長は続いている。都市へ工業へと人々は集中して農業人口は二十%になり、過疎過密は一層深刻になりつゝある。その東京では四月美濃部氏都知事に当選。国際収支の黒字化が進み、資本の自由化が七月より実施。自動車保有台数一千万台突破し、天下泰平の「昭和元禄」。十月に吉田茂元首相死去。戦後初の国葬が行われた。

 街角ではミニスカートが定着し、生活単位の核家族化が云々され、テレビ普及率は八十%突破。団欒はテレビを囲んでという家庭がふえ、映画は主役の座から降りつつある。歌は「ブルーシャトー(レコード大賞)」「世界は二人のために」「夜霧よ今夜もありがとう」等流行。

 全日本では並み居る重量級を制した中量の岡野功(中央大OB)が佐藤宣践(東教大OB)を技ありで降して覇者となる。学生は団体で天理大が拓大を降して久し振りに制覇。個人も実力充分の天理大笹原富美雄四段が取り天理大にとっては両手に華で本年も暮れた。(筆責 丹羽)

 そして、小日向さんのお父さま、鈴木勝男さんはこの方。

「寝技のし過ぎで耳が平べったくなってる写真」(小日向さん)

東大は1966(昭和41)年と、この写真の1967(昭和42)年に連続優勝。そして1973(昭和48)を最後に、なんと半世紀間優勝していません。

しかし、じつは、「今年のこのメンバーなら優勝は確実!」という年がありました。

それは、會長が東大を退職した翌年の2020(令和2)年、12年間務めてきた東大柔道部長として育て上げてきた15名とともに臨む七大戦。前年に強かったメンバーが6人も留年し、半世紀ぶりの優勝に備えたのでした。

ですが、この年、七大戦は新型コロナを理由に開催中止に。

七大戦が開催されなかったのは、1952(昭和27)年に始まる大会史上初めてのことでした。

だから、今でも會長は東大柔道部の話になると、いろんな思いと感情が會長の中で噴射して、頭が少しおかしくなります。

部員たちも完全燃焼できず、主将の福島聖也さんは大企業に入ったものの退職し、プロ柔術家になってしまいました。

そういうわけで、會長は、松原商會のもっとも大事なお客さまである小日向さんのお父さまが、あの「七大戦最後の優勝」の時の東大柔道部員だったと知り、平常心ではいられませんでした。

小日向さんに、『経済思想入門』と「ちっちゃな會長」を「『頼介伝』の旅」(詳しくはこちら の記事をお楽しみください!)に連れて行ってくださったお礼をしたい、と思っていた會長は、はっと思いつきました。

會長「丁稚や、小日向さんのお父さまの東大の卒年を小日向さんに聞いてみてくれるかい?もし教えていただけたら、東大柔道部歴代の部誌の中から、お父さまが卒業にあたって書いた文章をコピーしてきて、小日向さんにプレゼントしたいと思うのだよ。」

丁稚「會長、すごく素敵なプレゼントだと思います!すぐ小日向さんにお聞きしてみますね。」

すぐさまシュバッとDMで小日向さんに會長の申し出をお伝えして卒年をおたずね。

やがてピコリンと小日向さんからお返事がきました。

ご連絡ありがとうございます!
1945年5月生まれですので、卒業は1968年3月かと思います。
当年学園紛争で卒業式は無かったと聞いております(柔道部は紛争には参加してなかったとも聞いてます)
部誌のコピー、あまり父から直接聞いたことは無く、先生のご厚情まことにありがたい気持ちでおります。

先般おはなしに出ました神戸東出町の喫茶ベニス、実は閉業後にコーヒーカップなどいくつか譲ってもらい家にのこしてます。もしよろしければ私も東出町記念品を先生にお送りしたいと思ってます、いかがでしょう。

今はなき喫茶ベニスのコーヒーカップを會長にくださるとな!(喫茶ベニスについては、こちらをご覧くださいね。)會長、欲しいって言うにきまってる!でも、そんな貴重なものを會長にあげちゃっていいのかな、と、とまどいながらも會長に小日向さんのお申し出を伝えると、

會長「欲しい!!」

丁稚「じゃ、東大柔道部部誌、しっかりコピーしてきてくださいね。」

その頃、世の中は新型コロナが猛威を振るっており、東大構内に自由に入ることはできず、會長は部誌が置いてある柔道場に近づけませんでした。

コロナが少し落ち着いた頃、會長は東大柔道部の寺田悠甫監督に、小日向さんのお父さまについて調査を依頼します。

すると、小日向さんも知らなかった、「東大法学部、柔道部員、鈴木勝男君」の活き活きとした日々が浮かび上がってきたのです。

(続く)

# 9 「謎の上得意さま」が突然、「神戸の旅」に連れてってくれました

突然現れた松原商會の上得意様「小日向さん」が松原隆一郎會長の著書『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)をお買い上げくださってしばらくたった頃、小日向さんからTwitterを通して一枚の写真が届きました。

PASSAGEから700キロ先?……小日向さんどこにいるの?

写真に目を凝らした丁稚は、あるモノが写ってることに気づきました。

写真の黄色い線で囲んだ部分をご覧ください。

黄色で囲んだ部分にご注目

経済思想入門』がいる! 會長コメントカードも一緒にいる!

どうやら小日向さんが、『経済思想入門』とちっちゃい會長を連れてどこかを旅している様子。小日向さんどこにいるのー?

丁稚はリツイートして小日向さんに聞いてみました。

すると、小日向さんからリプライが。

ここが神戸なんだ。

丁稚は行ったことがない神戸の港に見入りました。小日向さんと『経済思想入門』とちっちゃい會長と一緒に神戸を旅してる気分。

やがて、小日向さんからあらたな写真が。

小日向さんが送ってくださった4枚の写真の1枚1枚に目を凝らします。

順に見ていきましょう。

まず1枚目、左上の写真。黄色の線で囲んだ駅の名前にご注目ください。

魚崎駅だ!

小日向さんがいるのは魚崎駅! 會長が生まれ育った神戸の町です。

魚崎については、會長が、會長の祖父、頼介さんの「無名の起業家人生」を、” おじいさん(頼介さん)の製鋼会社を継げと言われて東大工学部に入らされたのに、会社が川崎製鉄に買収されて継ぐ必要がなくなったから、経済学を学び始めて社会経済学者になった孫 ”として書いた『頼介伝』に書かれています。

會長が書いた魚崎の地図はこちら。

住吉川に沿って、頼介さん邸や、『細雪』を書いてた頃の谷崎潤一郎邸(倚松庵)、頼介さんの碁仲間で「これからは鉄の時代だ!」と頼介さんに繰り返し言ってた川崎製鉄初代社長・西山弥太郎邸もあります。(頼介さんは西山弥太郎の影響で製鋼会社を起業します。)

そして2枚目、右上の写真。

経済思想入門』&ちっちゃい會長が、小日向さんと一緒に港を眺めてる。ここがきっと東灘。

そして3枚目、右下の写真。

「東出町にご同行いただきました」と書いてあるから、きっとここ、東出町なんだ……!

東出町は『頼介伝』に登場する、頼介さんがフィリピンから流れ着いた町。不思議がいっぱい詰まった町なのです。(詳しくは、鹿島茂さんと會長が『頼介伝』について語り合った対談 をお読みください。)

写真に写ってる『経済思想入門』とちっちゃい會長がうれしそう。小日向さんに東出町へ連れていってもらったんだね。よかったね~。

そして、4枚目。

説明板を拡大してご覧ください

横溝正史生誕の地!ここも東出町界隈です!

頼介伝』に書かれているように、東出町は、神戸で生まれ育った會長も名前すら知らなかった町なのですが、會長の祖父、頼介さんが住み始めた1918(大正7)年頃、『犬神家の一族』『八つ墓村』などで知られる作家・横溝正史もすぐ近くに住んでいたことがわかりました。會長が調べた結果、頼介さんと同じ時期にこの界隈に住んでいたことがわかったのが、以下の人々。

山口組初代・山口春吉

日本画家・東山魁夷

ダイエー創業者の中内功

みんな、頼介さんと道ですれ違っていたはず。

そして、丁稚がじんわり感動したのは、ここ東出町こそ松原商會のルーツだからです。東出町こそ、頼介さんが、1922(大正11)年2月1日、「松原商會」を設立した場所なのです。

小日向さんの手の上で、『経済思想入門』も、ちっちゃい會長も、感動で涙目になっています。もちろん丁稚も。

小日向さんからの、『経済思想入門』とちっちゃい會長を連れた「『頼介伝』の旅」の報告を、実物の會長に急いで報告しました。

連絡を受けて、阿佐ヶ谷で興奮している様子の実物會長。すぐさま、會長は小日向さんに呼びかけました。

東出町にある「お好み焼きひかり」さんは昭和20年創業のお好み焼き屋さん。會長が『頼介伝』の取材で知った、このあたりで人気のお店だそうです。

いや、まさかそこまでは小日向さんも……と思ってたら

なんで?!

なんかわかんないけど通じ合ってる小日向さんと會長。二人につられて丁稚も感動!

ちょっとご説明しますと、「サカエ薬局」はダイエー創業者・中内功の実家です。今は建物はなく、跡地に碑があるのですね。

やがて、會長は、別の場所に移設された「サカエ薬局」の建物の写真をアップ。

すると、小日向さんからリプライが。

今はなき喫茶店「ベニス」も、會長が『頼介伝』執筆のための取材のときに立ち寄ったお店。小日向さんはどうやら「ベニス」の常連だった様子……。

どういうこと?

阿佐ヶ谷から、會長すぐさまリプライ。

小説を片手に作品中に書かれた場所をたどる、ということはありそうですが、まさか経済思想の入門書を片手に、別の著作、それも會長のおじいさんの人生をたどった著作に登場する、おじいさんが大正時代に生きた場所をたどってくださる読者の方が現れるなんて、『経済思想入門』執筆時の會長は想像もしなかったことでしょう。

すっかり感動した會長&丁稚。

會長「小日向さんに何かお礼をしたいなぁ。」

そこで、會長は小日向さんにある申し出をします。

(続く)

#8「謎の上得意さま」の「意外な素顔」

謎の上得意さま、「小日向よしお」氏。

とうとう松原隆一郎會長の著書『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)を予約までしてくださることに、會長も丁稚も恐怖がピークに。

會長は、阿佐ヶ谷を自転車でキコキコ走ってても、変な人がついてきてないか立ち止まっては後ろを振り返る日々。丁稚は、松原商會の棚に行っては、死んだゴキブリとかカビが生えたパンとか危険物が仕掛けられてないか確認するようになりました。

でも。

何をするのも度を越してのろい丁稚が、『経済思想入門』の仕入れに何ヶ月のろのろしてても

と、やさしく待っていてくださる小日向さん。

季節が変るくらいお待たせしたのに、やっと仕入れてご連絡すると、

……小日向さん、やさしい 。

変な人じゃない。(変なのはむしろこっち。)

気がつけば、小日向さんが買ってくださるたびに「わー、小日向さんが買ってくださったー!」と、會長も丁稚もキャッキャするように。

PASSAGEがテレビで紹介されるたび、松原商會のツイートを通していつも一緒に観てくださる小日向さん。

 

PASSAGEと松原商會の成長を見守ってくださる小日向さんは、いつしか會長と丁稚にとって大切な人になりました。

丁稚「會長~、今回も小日向さんが一番に買ってくださいました。」

會長「なんと。うれしいねぇ。くれぐれも丁寧にご対応するのだぞ。」

丁稚「御意」

と、やりとりしていたある日。小日向さんからこんなDMが届きました。

(注)「格闘技特集」とは、「驚異の格闘技本」をテーマに會長セレクトの格闘技本を売っていたときのこと

丁稚「會長、小日向さんのお父さまは1960年代後半に東大柔道部に所属しておられたのですね!」

會長は東大の先生だった頃、2007年から12年間、東大柔道部の部長を務めていました。

「七帝戦」は、国立大学7校が戦う年に一度の大会。東大柔道部にとってもっとも大事な試合です。會長と柔道部員の学生さんたちは、この試合に向けて、ともに汗を流して練習し、励まし合い、酒をくみかわし、勝利を喜び、敗退に涙する12年間を過ごしてきたのです。

會長「1960年代後半といえば、東大柔道部が七大戦(七帝戦)で最後に優勝した頃だよ。そうか……。」

會長は思いに耽っていました。

ある日、『経済思想入門』が届きました、と、小日向さんからTwitterを通して連絡が。

そこには、會長と丁稚がのけぞる驚きの写真が付されていました。

(続く)