イスラームは女性に対して、家庭の外で働くことを義務づけたり、強制したり、責任として課したりしていません。
しかし同時に、シャリーア法の定める条件を守る限りにおいて、女性が働くこと自体を禁じてもいません。
イスラームが女性を労働の義務から解放したのは、彼女が「働かねばならない」という強制のもとに置かれ、搾取され、酷使され、不当に扱われることから守るためなのです。
つまり、イスラームは女性を社会から排除するためではなく、
彼女たちを守り、尊厳を保ち、抑圧や搾取から解放するために、
労働を義務としなかったのです。
また現代においては、経済的要因が最も重視される尺度となっており、それが社会を成り立たせる最大の基準であるかのように扱われています。その結果、多くの本来守られるべき権利や価値、基準が弱められ、軽視されてきました。
この不均衡で不公正な価値観のもとにおいて、女性は自分自身を経済的に支える責任を負わされているのが現状です。
それが未婚の娘であろうと、夫のいる妻であろうと同じです。
このような価値基準は、現代の女性の心に次のような考えを植え付けました。
すなわち――
「男女を問わず、すべての人が、より多くの富を得るために必死に走り続けなければならない」
「より多くの快楽と物質的充足を得ることが人生の成功である」
この価値観のもとでは、男女ともに自分のことだけを急いで考え、他者より多くの富や機会を得るために競争し続けることを強いられます。
その結果、娘は、そして女性は、毎朝家を出て、生活のため、または物欲を満たすために自分で働くように追い立てられているのです。
しかもそれは、あたかも家族の一員として当然の義務であるかのように扱われます。
さらに悪いことに、父親が娘を思いやり、結婚するまで生活の面倒を見ることすら『恥』とされる風潮が生まれ、夫が妻の全て(衣食住)を養い、守ることさえも『時代遅れ』のように扱われるようになっています。
つまり日本含め多くの現代社会は、
「夫が家族を養うこと」
「女性が守られる存在であること」
を否定し、すべてを経済競争の中に投げ込んでしまったのです。
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