書評者と著者と読者の本屋「松原商會」@PASSAGE by ALL REVIEWS のBlog

社会経済学者・松原隆一郎(放送大学教授、東京大学名誉教授)と丁稚が営む、書評と書評された本と読者をつなぐ一棚書店

#28 松原隆一郎會長の「イユウ」ノンフィクションライター野村進さんがSOLIDAにやってくる!

ノンフィクションライター野村進さん

松原隆一郎會長がキコキコ自転車で店にやってくると、丁稚が店の前をホウキでせっせと掃いてます。

會長 丁稚、ごくろうさん。はりきって掃除してるね。どうしたの?

丁稚 會長、おはようございます。今日は會長のお客さんがいらっしゃる日ですよね。「僕のイユウが来る」っておっしゃってました。

會長 そうそう。今日は野村進さんが店に来るんだった。今夜、一緒に食事をすることになってね。会うのは20数年ぶりだなぁ。食事の前に松原商會に寄ってくれるんだ。

丁稚 イユウって何ですか?

會長 辞書をひいてごらん。

尊敬している友人。また、友人に対する敬称。(デジタル大辞泉より)

丁稚 自分以外の全世界を敵に回している會長にも尊敬しているお友達がいたんですね!

會長 うん。読売新聞の書評委員会で一緒だったんだ。同い年でね。書評委員会のあとの懇親会の帰り、家が同じ方向の僕と野村さんと作家の川上弘美さんがいつも同じ車だったの。この3人で阿佐ヶ谷あたりで飲んだりカラオケに行ったりしてたんだ。

丁稚 會長のイユウがどんな人かお会いしてみたいです!

會長 じゃあ食事にお伴させてあげよう。

丁稚 わーい。ところでイユウさんは何をしてる方なんですか。

會長 ノンフィクションの第一人者だ。いま一番のノンフィクションライターといえば野村さんだろう。

野村さんが書いたもので僕にとってもっとも衝撃だったのは『コリアン世界の旅』だ。タイトルもすばらしい。日本国内の韓国・朝鮮系の人々と日本人の関係を、アメリカの在米コリアンやベトナムで生きる韓国人や韓国系ベトナム人の人たちと比較しながら、世界の中で位置づけてとらえた作品だ。

フィリピンのゲリラに従軍取材したデビュー作『フィリピン新人民軍従軍記』以降、アジアを長く取材してきた方だよ。そのほか、脳研究、精神病棟、老舗企業、認知症、最近では出雲世界や、俳優の丹波哲郎について取材して書いておられる。

丁稚 幅広いですね。イユウさんのどんなところを尊敬しているんですか。

會長 事実に徹しているところ。

丁稚 會長、よく「この世のノンフィクションの大半はフィクションだ」って怒ってますよね。「会話を再現したみたいに書いてるけどお前見てないだろ!」とか、いつもプンスカしてます。

會長 僕は社会科学の人間だからそういうの許せないの。

野村さんを尊敬してるところはさらにある。彼が扱う対象は決して人目をひくようなものや流行のテーマではない。地味なテーマを実直に取材し続けながらずっとノンフィクションの第一線を走り続けている。本当に尊敬するイユウだ。

(夕方。こんにちはー、という声)

丁稚 あ、イユウさんがいらっしゃったみたいです。

野村進さん(以下、野村さん) やぁ、お久しぶりです。ここが松原さんがやってる本屋さん?

會長 いらっしゃい。うん、ここが松原商會。僕の祖父・頼介が起業した会社の名前を店名にしました。(頼介さんが戦争に巻き込まれたり人にだまされたりしながら何度失敗してもすぐ立ち上がって起業し続けた人生については會長の著書『頼介伝』をお読みください)

野村さん ふぅん。どれどれ、どんな本売ってるの? 松原さんの蔵書?

會長 僕は蔵書は基本的に売ってないんです。詳しいことは食事しながら話しましょう。うちの丁稚も連れていっていい?

丁稚 はじめまして!會長のイユウさんとお会いできて光栄です!

野村さん ? 

會長 野村さんといえばアジアだから、ベトナム料理の店を予約しておきましたよ。

(一同、高円寺のベトナム料理屋さんにトコトコ移動)

野村さん・會長・丁稚 20数年ぶりの再会を祝してかんぱーい!

會長 ハフハフ。ベトナムハーブ鍋、おいちー。丁稚は気が利かないから僕が鍋奉行をしよう。

丁稚 お願いします!ハフハフ、おいちー。

野村さん ハフハフ、おいしいですねぇ。ところで本屋さんの話ですけど…

會長 うん。僕の本屋「松原商會」は「シェア型書店」っていわれるところの中にあってね。個人が本棚の棚を借りて本屋さんを営むことができるんです。蔵書を売ってる人が多いですね。僕は売ってないけど。

丁稚 會長は「僕、いらない本なんて持ってない」とか言って、蔵書を売らないんです。(詳しくは「#5 「本は敵」と思ってる人がシェア型書店に棚を持つ場合」をお読みください)

會長 いらない本あるよ。献本の山。

丁稚 とか言って、いつも某出版社から献本されてきた某レーベルの新刊ラインアップをまるごと売ろうとするんで止めてます。

野村さん ちょうど僕も蔵書を売りたいんですよ。この3月で大学の教職を終えるので、研究室に置いてる本をどうするか困ってて。僕もここで本屋さんになれるかしら。

會長 まさにぴったりですよ。僕たちがいるシェア型書店「PASSAGE」には書評家棚というのがあって、僕もその一人なんだけど、野村さんも書評を書いてきたわけだから。なんで書評家棚があるかというと、ここPASSAGEはもともと、フランス文学者の鹿島茂さんが始めた書評アーカイブサイトALL REVIEWSが母体なんです。書評をする人たちが、自分が読んできた本を棚で売っているのがここPASSAGEの特徴です。

野村さん 僕もぜひここで蔵書を売りたいな。

會長 じゃあ詳しい話はこのあとのバーで。まずは鍋に集中しよう。

丁稚 會長、鍋奉行お願いします!

會長 はい。

(一同、「ベトナムハーブ鍋」をハフハフ堪能し、バーに移動)

會長 僕はリンゴのウイスキーにしよう。カルヴァドスじゃなくてウイスキーなんてめずらしいよね。

野村さん 僕もそれを。

丁稚 イチゴミルクください!

會長 野村さんが棚を持つ件、PASSAGEにおつなぎしよう。

丁稚 イユウさんとウチの會長は書評委員会で仲良くなった書評友達だったんですね。

野村さん いつも何軒も飲み歩いて、朝までカラオケで歌ってたなぁ。松原さんはいつもブルーハーツを歌ってキックしてましたよ。

會長 当時の読売新聞の書評委員会には評論家の川村二郎さんがいてね。舌鋒鋭くて、それはおもしろかったんだよ。僕はずいぶん学ばされたなぁ。

丁稚 イユウさんは現在も書評を書かれているんですか。

野村さん ちょうど日経新聞で、『遥かなる山に向かって 日系アメリカ人二世たちの第二次世界大戦』(著:ダニエル・ジェイムズ・ブラウン、訳:森内薫、みすず書房)という本の書評を書いたところです。

www.nikkei.com

 

大学の仕事が終わるので、これから積極的に書いていきたいなと思ってます。埋もれてしまったノンフィクションの良作を紹介していきたいなぁ。

丁稚 わぁ。じゃあぜひ、いつかウチの會長とノンフィクション書評対談とかしていただきたいです。おふたりの確かな目で事実に徹したノンフィクションの秀作を楽しく評しながら、事実を書いてないノンフィクションをニコニコぶった斬っていただけると楽しそうです!

會長 ぜひやりたいなぁ。

野村さん いいですねぇ。

會長 丁稚、野村さんの本屋開業にあたりお助けするのだよ。まずは野村さんが書かれた本をしっかり読みなさい。

丁稚 はいっ!

野村さん よろしく。ところで丁稚さんは松原さんのところで何をしているの?さきほどから見ていると丁稚さんが松原さんを働かせているように見えるんだけど…。気のせいかしら。

丁稚 気のせいです!

というわけで、ウチの會長の「イユウ」であるノンフィクションライターの野村進さんが「野村進の本棚」を持つことになりました。場所は神保町駅からすぐ、靖国通り沿いにあるPASSAGEの仲間「SOLIDA」の2階です。

野村さんはX(旧Twitter)をなさっていないということなので、丁稚が宣伝のお手伝いをさせていただくことになりました。

野村さんの蔵書がもうすぐSOLIDAに並びます。みなさまぜひお楽しみに!

【3人でベトナム料理屋さんとバーに行って実際にお話したことを書いてる部分はノンフィクションです!ただし野村さんの書評は本日掲載されたのでバーで話題にしたところはフィクションです!】

#27 吉川祐介さん夫婦は千葉の限界ニュータウンでどんな生活をしているのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【最終回:12/全12回】

吉川祐介さんとうちの松原隆一郎會長の対談も今回がいよいよ最終回!

限界ニュータウンで暮らす吉川さん夫妻のプライベートについてお聞きしました。

吉川祐介さん(左)と松原隆一郎會長(右)

會長 『限界ニュータウン』を読んで、吉川さんともう一人、謎の存在がいる。吉川さんの奥さんです。どんな人なんだろう。動画に登場なさってたんでしたっけ。

吉川 ちょこちょこ映ってるとは思うんですけども、妻として紹介はしてないですね。あまり出たがらないですし。

會長 江東区に住んでおられて、千葉に移ろうってことになって。そういうお二人の物語からこの本は始まってる。

吉川 私の妻は福島の富岡町出身なんですけども、お母さんの実家が墨田区だったので、震災のときに避難してきて、それで都内で私と知り合いました。私もそうですけども、妻も、東京で暮らしたくて上京してきたわけじゃないので、東京にあんまり馴染めなかったみたいなのです。

というのも、都内で交際していた頃、いろいろなところに遊びに行きましたけども、妻は都心にあるようなおしゃれなお店にほとんど興味がないんです。例えば靴を買いに行くにしても、都心ではなく、葛西辺りにある靴流通センターみたいなところのほうが喜ぶんですよ。イオンとか。だから私は妻に、こんな店が良いんだったら、東京じゃなくても千葉でもどこでもあるよ、とよく言っていました。

妻は現在33歳(対談が行われた2023年当時)で、私の8歳下になります。私はもともと商店の多い城下町で育ったということもあり、子供のころはまだ商店街や百貨店が機能していましたけど、地方の田舎町で育った妻は、青春時代の懐かしい思い出が、すでにロードサイド店での体験なんです。

妻が語るお出かけや買い物に関する思い出話は、イオンとか大型量販店の話ばかりなんですよ。そういう世代なんで。大人になって突然、東京に来ても、都心にある、ちゃんと店の独自色を打ち出したようなしっかりしたお店が、かえってピンとこないみたいでした。それだったら、東京は家賃も高いし、俺たちの収入じゃ絶対に家も買えないし、もう千葉でいいじゃないか、千葉に行こうよ、ということになりました。

會長 それで、今住んでいる場所に苦痛がないわけだ。

吉川 はい。妻は慣れていますね。

イオンの入り口の自販機で待ち合わせるつもりだったのに

會長 吉川さんご自身はたまに東京に出て来られるのだったら、一緒に行こうってならないんですか?

吉川 東京だけでなく、どこに行くのも基本的に二人一緒に行きます。

會長 それはいいですね。そういえば、新宿のホテルの喫茶が滅茶苦茶高くてびっくりした、って話を書いておられた。

吉川 新宿の京王プラザホテルですね。別荘の所有者さんに、そこの別荘を買おうと思って。問い合わせたところ、一度会いましょうということになって。私はそこらへんのコンビニの駐車場などで待ち合せするつもりだったのですけど、相手の方に「京王プラザホテルの喫茶店で待ち合せましょう」と言われて、まじか…って。

會長・丁稚 笑

吉川 今日着ているこの服もそのときのために買ったんですよ。そんなホテルの喫茶店に着ていけるような服なんて持ってなくて。あわてて買って行ったら、喫茶店の値段もびっくりでした。

その方は、亡くなられたお父さんから別荘を相続して、使い道もなく、売ることもできず持て余している方だったんですが、やっぱり別荘を持ってるような都会の人は、待ち合わせっていっても発想が違うなって思いましたね。

私は、待ち合わせ場所を決めましょって言われて、そんな場所、思いつきもしないので。私だったら、イオンの入り口のところに自販機ありますからその前で、って、そんなかんじになっちゃう。

私もすでに千葉に来て長くなりましたから、今の自宅の近所には、そもそも待ち合わせに使えるようなホテルもないですし、そんな発想は完全に欠落していました。

會長 わはは。さすが限界ニュータウン居住者です。住んでる実感がないとよくわからない話題もあるので、先日私は30年ぶりに八街に行ってみたんです。行ったって住む感覚はもちろんわからないけど…。

丁稚 歩いてみたんですか?

會長 タクシーで回ってもらいました。駅前の南口の商店街のさびれてるかんじとか、八街幼稚園の巨大さにびっくりしたり。すごくでかい。なんでこんな大きいんだろう、って感じ。園庭が小学校の校庭くらいある。さっき吉川さんが話された、80年代にたくさん越してきたってエピソードが腑に落ちました。(「#24  小学校である日突然いなくなる同級生が続出!「〇〇くんはどこ行ったの?」と先生に聞いても教えてくれない…千葉県八街で何が起きていたのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【9/全12回】」参照)

會長が撮ってきた八街の幼稚園

そういう、持っていた夢がしぼんじゃった跡って、行ってみないとわからない。夢の中身は当時の広告に書いてあるけど。

吉川 でも、私も周囲の人も、毎日毎日、悲壮感抱えて生きてるわけじゃないです(笑)。

會長 吉川さんの文体は悟ってる感じで良いんです(笑)。悲観的になることはありますか?

吉川 まぁ、こんなもんだろうっててかんじで暮らしています。

2023年春、『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さんと、本書を毎日新聞で書評したうちの松原隆一郎會長が神保町で初めて会って交わした対談を12回にわたってご紹介してきました。

その後の吉川さんはさまざまなメディアやイベントに登場、2作目『限界分譲地』も上梓なさって、ますます活躍の場を広げていらっしゃいます。

この対談で吉川さんに実際お会いした會長と丁稚は、吉川さんのお人柄と才能に衝撃を受けました。吉川さんのすごい文章力の著作の魅力はもちろんですが、吉川さんには、ぜひ、イベントなどで直接お会いすることをおすすめします。きっと「こんな人、いままで会ったことない…」と、初めての感覚に浸るはずです。

うちの松原會長の書評が縁で吉川さんと出会えて、松原商會は幸せです。

これからも吉川さんの予測不可能な活動に注目してまいります!

#26 温泉地のホテル1棟に共有者1000人?…高度成長期の企業が実施していたヘンな福利厚生/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【11/全12回】

温泉街のホテルが大変な廃墟になっているそうです。どうして手がつけられずに残っているのか?

ウチの松原隆一郎會長と吉川さんの話題は高度成長期の社会にまで広がりました。

吉川祐介さん(左)と松原隆一郎會長(右)

企業の福利厚生としてホテルの共有持ち分を買っていた

吉川 僕の動画でも紹介したことがあるんですが、廃墟になったホテルで不法侵入が相次いでいる問題がよくニュースで紹介されています。その際、権利関係が複雑すぎて解体できない、と解説されることがあるんです。あれは、抵当権が残っていたりということもあるのでしょうけど、一室ごとに区分所有権が設定されているケースがあるんですね。その一室ごとの区分所有権が、さらに10人くらいで共有されているホテルがあったりするんですよ。

會長 いつ頃に建てられたものですか。

吉川 やはり70~80年代が多いですね。

丁稚 なんでそんな所有の仕方を?

吉川 ホテルを建てた事業者が、ゴルフ会員権を売るようなかんじで、不動産の共有持分を会員権にして売っていたんです。そうなると1棟のホテルに共有者が1000人くらいいたりするんです。個人で買っていた人もいますが、多くは企業の福利厚生として買われたものなので、法人名義で買われている区分も結構あるんですよ。法人で買って、従業員の宿泊施設として使っていたけれど、その後、その法人が倒産しまい、放置されてしまったとか。そんなふうに共有されている施設なんです。

會長 「白樺」でしたっけ、磯村建設は。

吉川 はい、磯村建設の別荘地にもありますね。群馬県嬬恋村の「ビラ軽井沢」です。あんなのも絶対解体できないですね。数百人の共有者の合意を取り付けて解体するなんて絶対無理ですし、それをやろうと考える人もいないと思います。

會長 経済学では、価値が負になってしまったものをどうするのか、って問題は関心が持たれにくい。経済が成長するのが議論の前提になっている。新陳代謝は当然だから、それを見込んで経済学も再編しなきゃいけないのに、いまだに投機は善って主張している。投機が失敗して起きる問題を考えてこなかった。

鬼怒川温泉なんか全部のホテルが崩壊しつつある。動物も入りこんるでしょう。

吉川 鬼怒川温泉の鬼怒川沿いのホテルが建っている崖地には、今では建物を建てられません。ホテルを壊しても崖が残るだけで、解体費がでていくだけだから、誰も手をつけないですよね。

會長 自然に還るのを待つしかない。でも温泉は出てるのでしょう?

吉川 宿泊施設が多すぎるんだと思います。

會長 どれも崩壊してるから手の付けようがないのか。

不思議だな、この前、城崎温泉に行ったら、一つ一つの宿泊施設じゃなくて、温泉郷全体がうまくいっていた。宿ごとに丹前をデザインして競い合ったりして、外を歩いてるほうがおもしろいくらい。温泉は今でも人気だから、うまく運営できていたら今でも人が来るだろうに。昔みたいにバスで団体でというやり方に固執するところはダメなんでしょう。

吉川 熱海もいっときは全然だめでしたが、最近少し盛り返してますね。熱海は新幹線で行けますが、鬼怒川は特急のみなのでアクセスが弱いのかもしれません。特急も浅草からですし。

吉川さんの衝撃的デビュー作『限界ニュータウン

會長 神戸に有馬温泉っていう古い温泉があって、奥まった場所にある。ちなみに「芦有ドライブウェイ」っていう私の同級生の個人所有の道で行くんですが、ホテルは一棟一室みたいな富裕層対応にしてから、うまくいってるみたいなんですよ。

吉川 旅行のスタイルも変わってきてますからね。時代の変化に対応できない施設は淘汰されてしまいました。

会社の団体旅行で行って宴会開いて芸者を呼ぶとか、そんな時代じゃなくなったので。今の若い人はそんなの行きたがらないでしょうし、そんな余裕がある会社もあまりないでしょうし。

団体バスの慰安旅行、会社の運動会…高度成長期の会社員はなぜ休日も団体行動?

會長 高度成長期って、なんでまた土日まで使って、団体バスで慰安旅行なんか行ってたのかなぁ?会社の運動会とかもね。毎日会社で会ってるのに。

吉川 今ほど娯楽もなかったですから。

會長 それにしてもやってたことがクレイジー。まったく休まないわけだから。

僕の本『頼介伝』に、私の祖父が経営していた会社で働いていた前川さんという方に伺った話を書いています。僕のじいさん、明治大学を出てる彼を姪っ子と結婚させて逃げられなくして、とりこんじゃった。で、結婚式当日は、「今日、有馬温泉に行ってこい」って新婚旅行に行かせて、翌日帰って挨拶にきたら今から出社してこいって。昭和40年頃の話ですが、私生活もない時代。会社帰りに居酒屋にいても祖父から呼び出されたって。

吉川 どこかでお話したんですけど、昔のほうが団体の管理が強いっていうか、集団論理が優先される時代だったと思うんです。

私が住んでいる旧光町の広報の縮刷版を古本屋で見つけたので、買って読んでみたんです。昭和30年くらいからの広報なんですが、読んでいたら、とにかくいろんな組合があるんですよ。なんとか衛生組合、なんとか婦人組合……と、組合の記事ばかり。なにかというと、住民主体のそういう組合とか組織を作って、集団になって動くのがあたりまえの時代だったんですね。

だからよく70年代って、ドロップアウトした人たちがカウンターカルチャーを作ってた。今は、そんな、社会に反発するスタイルなんて流行らないですよね。70年代は、がっちりした集団の論理みたいなのがあって、そこから離れようと思ったら、それに正面から反発するくらいの勢いを持たないと、なかなか多数派の論理から離れられないような空気があったんじゃないかなあと考えています。

現代は、そんな多数派の論理が最優先っていう雰囲気じゃないから、むやみに社会に反発しなくても、集団から離れようと思ったら離れられる。それだけ社会の力が弱まっているのかもしれないですけども。

會長 僕のじいさんが会社を経営していた頃は、右肩上がりだったから。前川さんは、ボーナスが年4回出たことがあるって言ってた。そういうので帳尻を合わせてたんでしょう。でも会社がうまくいかなくなると、反発する人もでてくる。

吉川 高度成長期であれば、組織側の論理に立てば定年まで生活が保障されますから、それから離れるにはそれなりの理由付けが必要になります。組織から離れるための、語弊がありますが「言い訳」として機能するような文化も発展したんじゃないかなぁって思います。今は、勤めていても定年まで安泰なんて時代ではなくなりましたしね。

*

【次回はいよいよ最終回です!】

#25 買い物はどうしてるの?通学は?…限界ニュータウンでの暮らしについて聞いてみました/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【10/全12回】

「限界ニュータウン」(放棄された住宅地)で生活している吉川さんはどんな日常生活をしているんだろう…。都内に住む松原隆一郎會長と丁稚には想像できないので聞いてみました。

吉川祐介さん(左)と松原隆一郎會長(右)

車は一家に2台は必須

會長 駅前に食事するお店とかないでしょう?

吉川 全然ないですね。

會長 八街、この前行ってみたら、さびれちゃって。昔は古い商店街があったけど、店がほとんど閉まってた。

吉川 大網などは駅の場所が変わりましたし、新しくできた駅も、駅前は駐車場しかないです。

丁稚 ちょっと遊ぼうというときは、どの都市に行くんですか?

吉川 私自身は東京にはあんまり遊びに行かないんですけども、東京に行く人はたぶん駅前に車を停めて行くんだと思います。

丁稚 車は一家に何台か必須なんですね。

會長 阿佐ヶ谷だとうちは一台も持っていませんが。

吉川 両親が勤めている家庭で一家に一台というところは少ないと思います。一家に2台以上ですね。子供が高校生くらいになると電車通学になるので、親が駅まで車で送り迎えをするんですよ。それが親にとってはものすごい負担で、それで、子供が高校に進学したときに、不便な分譲地から出て行っちゃう人が多いんです。でも、みんながみんな自由に引っ越せるわけではないですから。引っ越せない人は、駅まで送って…。

會長 車ではなく自転車ではダメなんですか?

吉川 東京みたいに歩道が整ってないので、自転車に乗るのは怖いと思います。歩道がないところがほとんどなので車道を走らざるをえないうえ、一車線のところが多いので。それは都内も一緒かもしれませんけども。

「土地を買いたい人から相談がくるものだと思ってたんですが…」

會長 いま「負動産」って言葉があるように、遺産相続した土地をうまくさばけない、土地を持ってるだけで赤字になっちゃう、どう処分すればいいか、って悩んでいる人が多いようです。そういう人たちは吉川さんのテーマに関心を持っていますよね。

吉川 そうなんです。ブログを始めて、もし相談がくるとしたら、土地を買う人から相談が来るものだと思ってたんですが、手放したい、って相談ばかりなんですよ。親から相続しちゃったとか、昔買ってしまったんだけど…とか。中には、うちの土地もらってくれ、なんて方もいました。お断りしましたけど。

會長 土地をもらってくれ?近所だからですか?

吉川 そうです。近所の分譲地の一画なんですけど、近所と言っても歩いて行くほど近くもないですし、自宅から離れたところにぽつんと一区画持ってもしょうがないので。そうやって、持ち主さんが手放したがる土地はだいたい固定資産税がかかる土地ですし。年に数千円ですが。あと、草刈もしなくてはいけなくなります。

草刈り問題

會長 固定資産税は織り込み済みでしょうが、草刈って、やらないとどうなっちゃうのだろう。

吉川 近所の方から、役所を通じてクレームがくると思います。

會長 火事が起きたり面倒があるからですか?

吉川 不法投棄もありますし、虫もでますし。蔓が伸びて雨樋にからんできたりもしますし。冬は不審火が起きたりしたら延焼してしまいますし。

會長 なるほど…。夏はどれくらいの頻度で草刈するんですか?

吉川 きれいに管理しようとしたら2カ月に1回くらいは必要ですが、そんなにやってられないでしょうから。業者に頼んでいる方は年に2回刈ってます。でも、無駄なお金ですよ。

吉川さんのデビュー作『限界ニュータウン

會長 お墓の管理もそうですね。僕は年に2回くらい神戸に墓参りに行ってるんですけど、草むしりしてるだけだもんね。親や親戚がいるエリアなら年に2回でもいいけど、知り合いがいないなら頻繁には行けない。墓を引っ越すかもしれないです。

吉川 草刈りをやめてしまった区画も増えています。

會長 区画単位でやめちゃうんだ。個人なら、やめるとどれくらいクレームがくるんでしょう?

吉川 必ずクレームがくるわけではないですが、隣に家があったら来ると思います。ですが、周りなんにも家がないのに一区画だけ草刈してるところがありますね。意味ないよなって思って見ています。

たぶん草刈業者も、周りに住民がいないのだから、本音では草刈なんて必要ないと思ってても、そこは商売ですから、土地の所有者さんにはそのようには伝えていないと思います。なので、現状を知らない所有者さんは、本当はその必要もないのに律儀にずっと草を刈っていたりします。

草刈をやめるタイミングは、相続した人が、なんでこんなとこの草刈を、と言ってやめちゃったりとか、売れるのを期待して草刈を続けていた人がいつまでたっても買い手がつかないからやめちゃったりとか、そういうケースだと思います。

會長 いま日本中に放棄された家ってあるわけでしょう。解体費を払いたくないという理由で。家だけじゃなくて土地も同じように放棄されている。

吉川 相当あると思いますよ。私は分譲地に特化して調べてきましたけども、よくよく調べてみると、投機目的で買われたのは分譲地に限った話じゃないんですよ。山も投機目的で買われたものがいっぱいあって、そうなってくると調べるのも雲をつかむような話で。

會長 九州全土くらい所有者不明土地があるという説もあります。行政は関心を持ってるから、吉川さんに問い合わせがあるんじゃないかな。家は放っとけるなら崩れるのにまかせたい、できれば売りたい、じゃあどう管理するのか、どう処分するのか…。

【つづきもお楽しみに!】

#24  小学校である日突然いなくなる同級生が続出!「〇〇くんはどこ行ったの?」と先生に聞いても教えてくれない…千葉県八街で何が起きていたのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【9/全12回】

前回から半年近くたってしまい申し訳ありません。このブログを更新している松原商會丁稚がぼーっとしてる間に、吉川祐介さんは2作目『限界分譲地』を上梓されました。

 

 

そして、うちの松原隆一郎會長がさっそく毎日新聞で書評を書きました。(2月24日掲載)

mainichi.jp

イベントでTofubeatsさんとトークしたり、高円寺で主催イベントを始めるなど、活躍の場をどんどん広げている吉川さん。もう松原商會なんて相手にされなくなりつつあります。「松原商會?え、どちらさまでしたっけ?」と言われないうちに、吉川さんの原点であるデビュー作『限界ニュータウン』を毎日新聞で書評したうちの會長と吉川さんのおしゃべりのつづきをご紹介します!(前回はこちら

* * *

會長 吉川さんがどんなふうに思われるか、直観でいいんですが、お聞きしたいことがあります。僕が今書いている本の参考にさせていただきたくて。

ヨーロッパは、日本と同様、戦争からの復興で経済成長しました。ある時期から人が郊外にどんどん移動していったのも同じです。その頃にアメリカ資本が入ってきて、郊外が無秩序に拡がる気配が出てきた。

けれどもそこからは日欧で対応が違って、ヨーロッパの行政は資本を積極的に都心に誘致し、古い建物を使わせた。いまは有名ブランドが低層の古い建物にたくさん入っています。ローマもその一つで、計画は成功したと言われています。少なくとも建物を残すのには成功している。

一方、日本は「大規模小売店舗法」いわゆる大店法を作って、駅前の商店街に大型スーパーが入ってこないようにしました。けれどもそれは都市計画ではなく経済的な保護で、商店街をつぶさないよう大型店舗を締め出した。大資本の駅前からの締め出しですね。その結果、スーパーは郊外に出ていった。大店法でも大丈夫な小さい店舗を商店街に作ったのがコンビニです。

で、結局、駅前の商店街はコンビニだけが生き延びて、競争力を持たない個人店は廃れていった。それと閉め出され資本が国道沿いで開いたロードサイドショップは隆盛を誇っている。

日本は都市計画が弱すぎたのですね。もうちょっと何かできたんじゃないかと思う。もちろん当時、こんなふうになるなんて誰も予想できなかったかもしれないけど、ヨーロッパはそれでも都市計画を作って実行したんだし。

吉川さんの衝撃的デビュー作『限界ニュータウン

今、限界ニュータウンで起きていることは、結局は都市計画がなかった帰結です。千葉の「限界ニュータウン」は虫食い状態になってるのに、東京の港区や江東区はますます高層ビルを建て、人口をスポイトで吸い上げてる状態。

僕はやっぱり、都市計画を施行して、東京の都心は高さを制限して、人が投機しないようにすべきだと思います。それでもなおっていう人は、それなりに高いお金払って湾岸に住めばいい。千葉周辺の限界ニュータウンにも上下水道がちゃんとした機能を持つ街を増やしていく。都市計画をたてることはもともと必要だったし、これからも必要。このまま放置すれば結局、どんどん人が東京に集まってしまう。

それでいまだに都市計画が機能していない。都市計画って、50年か100年のスパンで成功か失敗かが分かるもので、日本は無責任な行政がマーケットにすべて任せてきた。それでも行政はしっかり都市計画すべきだと僕は思います。自民党政府は、不動産業者の「投機好き」に押し流され過ぎました。吉川さんはどんなふうに感じますか?

吉川 私が住んでいるエリアに関しては、まず大前提として、都市計画を主導するには、自治体の財政規模があまりに小さいところが多いです。民間資本の開発をコントロールできる予算も人員もない、そういうところが狙われてきた乱開発だと思うんです。小規模自治体は総じて、開発行為に関わる規制も緩いですし。

會長 都市計画のしようもなくて規制から外れちゃってる 。

吉川 都市計画区域外のほうが開発許認可の基準が緩いので、その分安く開発できる。その結果、千葉が狙われた…。

私、今日、神保町まで来るのに2時間かかりましたから、実質的には「地方都市」なんですけども、いちおう「一都三県」の一つ、ってことで売りやすかったんでしょうね。ほんとに安い土地や山林を買って、売っていた。

行政は、関心がないのも確かなんですが、どうにもしようがないんですよね、結局。開発許可の制度って、申請の要件さえ満たされていれば、基本的に行政は拒否できないからです。申請を出されれば行政は認可することしかできないんですよ。だから、そもそも制度に問題があったんです。その結果、分譲地にいっきに人口が増えてきたら、あとを追うようにインフラ整備、っていう状態が続いたんです。

會長 で、その後、また人がいなくなった。

吉川 はい。大変です…。

これは八街の地元の方から聞いた話なんですが、バブルの頃は短期間で一気に人が増えたために、地元の小学校に大量の転入生が押し寄せて教室が足りなくなってしまい、体育館で授業をやっていたりしたそうです。

それで住民から激しい批判を浴びて、新しく小学校を作ったんですけど、その後、波が引いたように子供がいなくなって、現在はもう休校になってしまいました。学校を作ってたった20数年で休校ですよ。こんな無駄な話はありません。

會長 バブルの時期に八街で人口が増えたんですか?

吉川 はい。急増しました。

會長 僕、まさにその頃、「八街音楽祭」ってイベントに行ったんですよ。豪雨になったので大きな幼稚園を借りて三上寛が歌った。その頃の八街は、まだ全然さびれるかんじじゃなかった。だから、最近行ってみてすごく違和感を持ちました。

會長が『限界ニュータウン』の書評を書くにあたり実際に八街を見に行った時に撮った写真

吉川 八街とか富里は、バブルの頃に人口は倍くらいになったと思います。

會長 土地投機の影響ですか?

吉川 バブルの頃は家も高くなっちゃったんで、八街くらいまで都心から離れたエリアでしか家を買えない層が出ていたんです。都心のサラリーマンというより、千葉県内で働いてる人たちですね。都心まで通うのは大変だとしても、例えば千葉市だったら八街から充分通勤できるので。その頃は千葉市も不動産は高かったですから、千葉市では高すぎて買えないような人たちが八街あたりに家を買ったのでしょう。

地元の人の話では、新学期になると、始業式に講堂の壇上に転校生がずらーっと並ぶ状態だったそうです。でも、無理して家を買った人が多かったから、子供たちがいつのまにかいなくなっちゃう。昨日まで学校に来ていたのに、ある日突然いなくなる同級生が何人もいたそうです。

會長 なるほど、バブル崩壊で。

吉川 はい。親が住宅ローンが払えなくなって、前触れもなく突然姿を消してしまうのだそうです。先生に「〇〇くんはなんでいなくなったの?」って聞いても、言えない、って、教えてくれなかったそうです。

會長 その前に人口が増えたタイミングで都市計画区域に繰り込めばよかったのに、って考えるのは結果論ですかねえ。

吉川 はい。八街は2010年頃に競売物件数が全国一位になったことがあります。その年の全国一位が八街で、二位がその隣の山武市でしたから、あのエリアだけでもどれだけ多くの方が無理して家を買っていたか、このエピソードだけでもよくわかると思います。

會長 千葉市が近いっていう売り文句で、買う人がいたんですね。

吉川 はい。直線距離だと確かに近いんですよ。でも実際には全然近くない。

會長 千葉市で働いているのだったら八街あたりに住もうって人は今でも少なくない。

吉川 車を持っていることが前提になりますが、普通に住むぶんには十分だと思います。八街は、街の規模のわりには地価が安いですから。

會長 東京に通勤するとしても、電車が東京から1時間に何本かあるから便利です(笑)。

吉川 土地だけの値段でいえば私が今住んでいる横芝光町でも八街でもそんなに変わらないですけども、人口規模が違いますから、店の数は全然違います。そういう点では八街のほうがずっと便利ですね。

會長 八街の駅の北側も大きな駐車場になっていますね。車を置く需要があれだけあるということは、駅の遠くに住んで車を置いておきたい人が結構いるのですね。

吉川 駅まで車で行って電車に乗る、というのは普通です。私も今日、総武本線成東駅の近くのコインパーキングに車を停めて、そこから電車に乗って神保町に来ました。

***

【つづきの10回もお楽しみに!】

#23 2023年の松原商會をふりかえる

今日は大晦日松原隆一郎會長が店の様子を見に自転車でキコキコやってくると、丁稚がせっせと棚の本を一冊一冊拭いています。

會長:大掃除がんばってるね。僕の地元、阿佐ヶ谷の「うさぎや」でどら焼き買ってきたよ。一息いれよう。

丁稚:わーい。コーヒー淹れてきます。

會長:お茶じゃなくて?

丁稚:このまえ新宿のベルクで買ってきたコーヒーがおいしいんです。どら焼きと合うと思いますよ。

コポコポ

會長:モグモグ。クピクピ。たしかにどら焼きとあうね。

丁稚:モグモグ。どら焼き、おいちー。

會長、今年もおつかれさまでした。2022年3月に創業した松原商會が2年目に入った今年は、基本的に安定して売れなかったけど、飛躍の年だった気がします。

會長:うむ。松原商會の今年を振り返ってみよう。

まず、丁稚がこのブログを始めたね。

(1回目がこちら)

matsubaraandco.hatenablog.com丁稚:はい。そもそもブログを始めたきっかけは、會長が毎日新聞書評欄「2022年 この3冊」に選んだ本の著者の方々と會長との対談を公開する場にするためでした。

會長:なんでこんなふうに、架空の店舗での僕と丁稚の架空のおしゃべりがいっぱい載ってるの?

丁稚アフィリエイトで収益を得るには30記事くらい必要ってどこかで読んだんです。で、対談を載せる前に、まずとにかく何か30くらい記事を載せようと思って。何も考えずに書いてたらこの設定の記事ができてました。

會長:回数稼ぎだったのね。

丁稚:設定もおしゃべりも架空ですけど、會長の発言は會長が言いそうなことを書いてますよ。會長に事前に確認して修正も入れてもらったうえで公開してますし。

回数稼ぎの記事だけじゃありません。最初は松原商會の自己紹介的な記事を載せてました。あと、だいじなのが、松原商會のお客さまとの交流をこのブログでご紹介できたことです。

會長:「小日向さん」とのご縁だね。

matsubaraandco.hatenablog.com丁稚:はい。最初は「謎の客」だった小日向さんと會長の間に時空を超えたドラマが生まれて感動しました。

會長:うれしい出会いだね。

丁稚:松原商會で販売してきた本のほとんどを小日向さんが買ってくださっています。

會長:ありがたいことです。

『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、登場

丁稚:そして、いよいよ、會長が毎日新聞で書評した本の著者の方と會長の対談をブログに載せ始めました。『限界ニュータウン』著者、吉川祐介さんとの対談です。

matsubaraandco.hatenablog.co會長:うん。楽しい対談だった。

丁稚:松原商會でお売りする『限界ニュータウン』の付録用に描いていただいたイラストが予想をはるかに上回る人気で、あっという間に完売。追加で仕入れて補充してもすぐ完売でした。「売れない本屋」という松原商會のアイデンティティーが崩壊した数日間でした。

大人気だった吉川さん手描きイラストと書評へのコメント返し

丁稚:このカードは、「書評者と、書評した本の著者と、読者を双方向でつなげる本屋」である松原商會の定番付録「會長の書評への、著者からの手書きコメント返しカード」です。吉川さんももちろん、イラストとともにコメント返しを書いてくださってます。會長の書評のコピーとセットで本にお付けして販売しました。

毎日新聞書評欄に掲載された、會長による『限界ニュータウン』書評

會長:買ってくれた人たちは、僕の書評も読んでくれたのかなぁ。

丁稚:吉川さんが描いてくださったイラストは、かつて吉川さんがマンガ家をめざしていた頃に描いた作品の登場人物なんですよね。この付録の大評判で、作品があらためて注目されたかも。ぜひ新作を描いていただきたいです。

會長:新作といえば、吉川さんの新刊がもうすぐ発売されるね。

丁稚:『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)が1月12日に発売だそうです!


會長:帯を書いている原武史さんとこのまえ放送大学の教授会で隣の席だったんだけど、吉川さんのことを「傑物です」と大絶賛してたよ。

丁稚:吉川さんとの対談記事はまだ途中までしか公開してないので、残りはこの本の発売にあわせて記念公開したいと思ってます。

『東京の創発的アーバニズム』著者 ホルヘ・アルマザンさん、登場!

會長:松原商會の今年の飛躍といえば、松原商會が雑誌デビューしたことだね。

丁稚:はい。対談のお二人目、『東京の創発的アーバニズム』著者・ホルヘ・アルマザンさんとの対談を、雑誌「建築ジャーナル」に3回連載で載せていただく機会に恵まれました。アルマザンさん、建築ジャーナルさん、ありがとうございます!

『東京の創発的アーバニズム』著者のホルヘ・アルマザンさん(左)と、會長。(松原商會の前にて)

1回目(2023年12月号掲載)では、『東京の創発的アーバニズム』とともに、松原商會の活動についてもご紹介させていただきました。

2回目(1月号掲載)では、會長が、阿佐ヶ谷で創業して銀座の有名店になった焼き鳥屋さんを例に、東京の経済的繁栄を担うのは個人が冒険や試行錯誤ができるような賃料の安い「揺籃の場」から生まれるエコシステムだ、と語っています。

1回目掲載の、2023年12月号

2回目掲載の、2024年1月号

會長:焼き鳥屋さんは、名店「バードランド」のことなんだ。

アルマザンさんは、西荻窪のような「創発的アーバニズム」(住民のボトムアップによる都市システム)が街の経済的サステナビリティを生む一方、企業主導の画一的な再開発は街をつまらなくするだけでなく利益にもつながっていない、と語っている。

丁稚:3回目(2月号掲載)では、ハイエク理論と再開発についてのお二人の語らいをご紹介する予定です。

會長:アルマザンさんと松原商會は、あることを相談中なんだよね。

丁稚:はい。楽しみです!

松原商會の2024年

丁稚:「2022年この3冊」のもうお一人、『生きつづける民家』著者・中村琢巳さんとの対談はまだご紹介できていません。棚のラインナップも入れ替えできてなくて。會長の共著の新刊『アントニオ猪木とは何だったのか』(集英社新書)もまだお売りできておらず…。

會長:丁稚のトロさは壮大だね。

丁稚:2024年の展望は年が明けてから話し合いましょう。

みなさま、今年も一年お世話になりました。

松原商會の2024年は新たな活動も計画しております。どうかこれからも松原商會をよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

#22 「限界ニュータウン」問題はほっとけば解決できるのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【8/全12回】

限界ニュータウン』(太郎次郎社エディタス)

 

ほったらかしにされて出現した限界ニュータウン。荒廃し、ぽつりぽつりとしか使われていないこの土地は、どうにもしようがないまま今に至ります。どうにもしようがないままでいいのでは、という意見について吉川さんはどう考えているのでしょうか。

會長 吉川さんは、ご著書『限界ニュータウン』で、所有者不明の放置された土地は自然に還ると言う人がいるが、そうはいかないだろうと、お書きになっています。自然に還るには、整理をしないままだったら、ものすごく長い年月がかかる。短期的には簡単にはいかないよ、と。

吉川 はい、そうです。そういう土地が生まれてしまう仕組みそのものが今も昔も変わってないので、そのまま放置すれば解決するというのは楽観的に過ぎると思います。

吉川祐介さん(右)とウチの會長(左)

私、いつも言っているんですが、人口が減ったからといって、街はきれいに外側から収縮していくわけじゃないんですよ。私がそうなんですけど、安ければ必ず住む人がいるので、ぽつぽつと家が建っていて、一方でぽつぽつと空き家が増えていって、外側からだんだん虫食い状になっていく。そういう虫食い状のエリアが、だんだん都市部に近づいていく。

會長 地方の場合だと、『限界ニュータウン』でお書きになっているのとは異なる、もともと「限界集落」と言われてきた土地があります。人口が減って集落が機能しなくなっても、おじいちゃんおばあちゃんたちは住み続けている。最終的に困るのが、その人たちのケアをどうするのかという問題です。

電気も、事業者はたった数人のためだけに通電したくない。事業コストから言って割に合わないから。将来的には、住む人たちが自腹で負担しなさい、という方針になるかもしれない。でも、それは新入住民についてであって、生まれてからずっと住んでいる高齢者に対してはそうは言えない。だから、結局、その人たちがいなくなるまで待ってる、っていう状況。

開発から約50年が経過した分譲地(千葉県富里市)(吉川さん撮影)

吉川 昔、70年代に過疎が最初に問題になったときは、行政が過疎集落の住民を町に移住させたりしていましたね。特に東北などの豪雪地帯で多かったと思います。だいたい、移住先でも元の集落の人はそのまま集まって住んでいたりするんですが。

あと、集落が自主的に解散したケースが信州でありました。山奥過ぎて、炭焼きなんかをやっていても全然生計がたてられないってことで、そこの住民みずからの判断で集落を解散して、市街地に移り住んだ。ですが、たぶん現在の限界集落ってそんなことをやる体力が残っていないと思うんです。昔はまだ若い人がいて、その人たちが先導したからこそできたことであって。

www2.nhk.or.jp

會長 1960年代に炭鉱が閉山になったとき、行政は炭鉱夫のお世話をしていますよね。50歳くらいで自力での再就職が難しくなっちゃった人たちに仕事の斡旋とか。今はそんなに面倒見はよくないでしょう。

吉川 分譲地の場合だと、区画ごとに持ち主がばらばらで、区画所有者間の人的交流も全くないので、結局それぞれ個人の意思で行く末がバラバラになっていくだけなんです。そのまま自然に還るかなあと思っていた土地が、突然資材置き場になったりとか。

會長 ますます、その土地の水道・下水は困ることになる……。

吉川 はい。人が減ってきた土地は不便になるので、ますます安くなる。そうすると、そこに住む人が必ず出てきます。山奥の限界集落や閉山した炭鉱町と異なり、私が調べているような分譲地は自然消滅を待つには街から近すぎるんです。

會長 車があると街に行けちゃう。

吉川 はい。私が住むエリアなんて、駅前に住んでる人だって車に乗って出かけるんですよ。

會長 各駅に巨大な駐車場があります(笑)。ご著書『限界ニュータウン』の書評を毎日新聞で書くとき、電車に乗って八街を見に出かけたのですが、印象に残っています。

八街駅前(吉川さん撮影)

吉川 駅前の建物なんてどんどん壊して駐車場にしている状態ですから。私の自宅のある千葉県横芝光町横芝駅も、昔は駅前にビルがあったんですけど、ほとんど壊して今は駐車場になっています。

駅の近くに住もうが、商業施設の近くに住もうが、結局車に乗る生活をしている。だったら、駅から離れていても安い不動産のほうがいいや、って選択肢がどうしてもでてきてしまうんですよ。

會長 市場の成り行き任せだから、限界ニュータウンは短期的にはなくならない。いや、人生の長さからしたら「いつまでも」かな。

吉川 そうです。いつまでもなくならないんですよ、ほんと。よく、コメントなどでも「需要がなければだんだん廃れていくんだからそのままでいいんじゃないの」という声があるんですが、いやいや、そんなにきれいに外側から収縮していくことはありえない、と私は考えています。むしろその結果が、今私が追いかけている限界ニュータウンの現状なのだと思います。

起きているのは単なる「衰退」ではなく、都市の「荒廃」なのだと強く主張していきたいです。

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吉川さんと會長のおしゃべり、まだまだ続きます。