《平成26年に乳がんと診断、治療が開始された》
抗がん剤治療で髪の毛が抜けるのに備え、あらかじめベリーショートのヘアスタイルにしてウィッグ生活開始です。職場では限られた上司だけに病気を伝えていましたが、なにせ海辺にある水族館。風や作業でウィッグがずれます。顔を上げたらウィッグが90度くらいずれていたことも。たぶんみんな知っていたと思いますが、温かく見守っていただきました。
病院は自宅の近くだったので、手術や初回の投薬以外はチャリ(自転車)で通院し治療を受けました。放射線治療は30日ほど受けましたが、朝の予約を入れておくと早めに受けられ、1回10分くらいで終わります。
3つの標準治療が終了し、少しホッとしましたが、1年もたたずに肺への転移が見つかりました。このときはショックが大きかった。でも、さまざまな治療法があると教えてくださる先生を紹介してもらうなど、周りの協力で前を向くことができました。
転移が見つかった後は高濃度ビタミンC点滴、温熱療法の力も借りながら先進的な「凍結療法」を選択しました。肺の病巣に直接針を刺して液体窒素で病巣を凍結するという治療でした。子供たちは「免疫力アップには笑いがいい」と、ザ・ドリフターズのDVDを送ってくれたりしました。
幸いにも無治療となって7年目を迎えることができています。最初の診断でがん保険が下りたので新車を買いました。こういうときは、何か楽しみを持つのが大切です。
《乳がんの治療中、セイウチの骨格標本作りを始める》
命に限りがあると悟ったときに、まだやり残したことは何だろうと考えました。最初に頭に浮かんだのはセイウチの「ムック」でした。まったく、ヒトではなく動物だったことには自分でも驚きました。
最愛の動物が亡くなると、大好きな飼い主が迎えに来るのを「虹の橋」で待ち、飼い主が亡くなって再会すると、一緒にお空に向かうという犬好きに知られた逸話があります。私は、ムックだけは(他の動物たちが素通りしても!)絶対に「虹の橋」で待っていると確信しています。
年齢を重ね飼育現場を離れて時間ができたらムックの骨を研究しようと思い、15年に亡くなったムックの全身の骨をパーツごとに冷凍保管していました。「毒を食らわば〝骨〟まで」です。「今こそやらねば」と骨についた肉をきれいに落としていく作業から始めました。ところが右側の肋骨(ろっこつ)パーツが見当たりません。全身骨格を作る夢は挫折です。ムックの骨はその後、国立科学博物館生命史研究部長の甲能直樹先生にお願いしてきれいな骨格標本としていただき、研究に役立ててもらっています。
《セイウチの牙でも新しい挑戦を》
甲能先生の奥さまの甲能純子先生は、人の歯科医で、また東京大学大学院新領域創成科学研究科の客員共同研究員として動物の歯を研究されています。当館の動物が好きだとよく訪れてくださっているご縁から、セイウチの牙の先端にかぶせ物を付けて牙の削れを防止する試みに協力していただきました。
令和2年におたる水族館(北海道小樽市)からやってきたメスの「しずく」は、ムックと同様に牙を削るくせがありました。ムックは牙の感染症にかかり、牙を抜くことで命を守りましたが、抜かずに済むならばその方が動物にとって負担がかかりません。海外でもセイウチの「牙削り」の予防として、健康なうちに「銀歯」をかぶせる事例が出ています。これも始まったばかりの「謎解き」です。(聞き手 金谷かおり)