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Vol.030|道具としての哲学

『MONOLOGUE』は、エッセイのようでいてコラムのようでもある、そんな型に囚われない備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を、毎回3本まとめてお届けするマガジンです。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。

そんな哲学で大丈夫か

数ある学問の中でも、わざわざ哲学に手を伸ばそうとする人なんてのは、だいたいにおいて人生が膿んでいるもので。ご多分に漏れず、自分もまた人生が膿んでいる時期に、『外にはまだ正しい世界がある』ことを背中で示してくださった恩師を通じて、哲学との出合いがもたらされた。

それまで一切勉学に縁がないような人生を歩んでいたので、哲学という学問が存在することすら知らなかった。というか、そもそも学問が何かすらよくわかっていなかった。そんな自分にとって、はじめてまともに向き合った学問が哲学だった。もちろん正規のアカデミアルートを辿っていないので、すべて独学である。

あれから十数年の時が経ち、今になって強く思うのは、哲学に触れて本当によかったということ。フランスの作家アルベール・カミュは、この世界を理解したいと願うわれわれ人間の理性と、沈黙する世界との対立関係こそが不条理であると喝破したが、そうした不条理を乗り越えていく上で、哲学は大きな武器となった。哲学は間違いなく自分の人生を豊かにしたのだと、自信をもってそう言い切れる。

にもかかわらず、世を見渡してみると、哲学を学んでいる人間のその大半が、まるで不幸のどん底にいるかのような面構えで、今日という日を生きている。物理的にも精神的にもひきこもり、その必然として社会的にも孤立し、ようやく話し始めたかと思えば、わけのわからんただただ難解なだけの持論を並べ立て、自己憐憫に浸っている。

そんな哲学で大丈夫か。大丈夫だ、問題ない。いや、いちばんいいの頼む。というわけで、ここでは哲学と向き合うコツのようなものを伝えようと思う。

結論から言えば、哲学研究者でもなんでもないわれわれパンピーが、哲学と向き合う最大のコツは「道具としての哲学」を理解することにある。

二十世紀最大の哲学者と評されるハイデガーを例にとろう。ハイデガー哲学の研究者は、当然ながらハイデガー哲学にとんでもなく詳しい。彼ら哲学研究者は、われわれパンピーには想像もつかないレベルで、一文一文を丁寧に追いかけて、ハイデガー哲学の全体像とその奥底に垣間見える真髄を理解しようとする。

ただでさえ難解で知られるハイデガー哲学。その研究成果はごくごく少数の人にしか理解されないだろう。もはや誰にも理解されないと言い切っても差し支えないほどだ。とはいえ、それが当人の心からやりたいことなのであれば、たとえ誰からも理解されなかったとしても、それはそれで価値ある生である。

けれども、パンピーであるわれわれはそうではない。哲学になんとなく惹かれるものはあれど、特定の哲学者が打ち立てた思想に人生をフルベットなんて、とてもじゃないができやしない。それが自分を含めた多くの人にとっての本音であるはずだ。

それではこの資本主義社会で食っていけないというのもあるが、もっと根本的な問題として、そもそもまずそこまで没頭できない。長期にわたってある一つのことに没頭できるというのは、天与の才であって真似しようと思ってできるものではないのである。

道具としての哲学

そこで重要になってくるのが「道具としての哲学」と割り切ることだ。何のための道具かというと、自分だけの家を建てるための道具である。

ハイデガーは『形而上学の根本諸概念』の冒頭で、詩人ノヴァーリスの次の一文を引いている。

「哲学とはほんらい郷愁であり、いたるところで家にいたいと思う一つの衝動である」

『形而上学の根本諸概念』

このノヴァーリスの一文などは、まさに箴言オブ箴言だなと思う。これまでずっと折に触れて哲学とはなんであるかを考え続けているが、いまだこの一文を超えられていない。その気配すら漂ってこない。そう、まさにそう。哲学とは本来は郷愁、つまり「自分が立ち返るべき場所を追い求める衝動」なのだ。その自分が立ち返るべき場所のことを、ここでは〝家〟とそう表現しているわけである。

あくまでプラグマティックに、いかに自分の人生に活かすかの視点で哲学と向き合う、それこそが「道具としての哲学」のスタンスである。

ただし、こうした「道具としての哲学」のスタンスは、どうしても正確性に欠けるきらいがある。もちろん正確に理解できるのならば、それに越したことはないのだけれど、そうはいってもわれわれのこの生は、他者が建てた家の間取りや家具の配置を正確に把握するためにあるのではない。あくまで自分だけの家を建てるためにある。そのためには多少正確性が犠牲になろうとしかたない。優先されるべきは目的であり、手段ではないのだから。正確に把握する努力を怠ってはならないが、どこかでそう割り切るのもまた「道具としての哲学」のスタンスである。

もっと突っ込んだ話をすれば、そもそも正確な把握なんて可能なのか、と問うのもまた哲学である。し、哲学には現象学と呼ばれる分野があって、ここでは深くは立ち入らないが、現象学を学べば学ぶほどに「自分のこの解釈こそが唯一の真実であって、それを否定することは誰にもできない」ことがわかるようになる。

以前、とある現象学に関する書籍のAmazonレビューで「そんなことを著者は一言も述べていません。あなたの勝手な解釈です」と怒り散らかしていた人を見かけて、それはひょっとしてギャグで言っているのかと、ツッコミを抑えきれなかった。少なくとも現象学を題材にした書籍でそのレビューは、的外れとしかいいようがない。確信をもって言うが、この人はだいぶ生きづらいと思う。孤独で偏屈な食えない自称哲学研究者の像が容易に浮かび上がってくる。

このあたりもまた何かと正解を求めたがる現代人の処方箋として、いずれは話しておきたいテーマの一つではある。

それから関連して本マガジン『MONOLOGUE』についても、あらためてここで述べておきたい。本マガジンでは、自分が打ち立てた哲学であるところの成善主義(nariyoshism)を発信している。イメージしているのはモンテーニュの『エセー』で、断片的で試行的なエッセイを積み重ねることによって、成善主義とは何なのかを表現しようとしている。

自分の中では、はっきりと体系立てられているのだけど、体系立てて発信しているわけではないので、読解するためには一定の知的タフさが要求される。これは昨今隆盛を極めるファスト消費に耽溺し、暇さえあればショート動画を見ているような人たちには、絶対に受け入れられない様式だろう。

けれども、それでいいのである。それもわかってあえてそうしている。これも過去に何度か同じようなことを述べているが、自分が想定している読者層は「自己が確立された知性ある大人」なのであって、そうじゃない人が読んだとしても、お互いのためにならないことは、これまでの経験からわかりきっている。つまりペイウォールならぬエセーウォールの意図で、このスタイルをとっている面もあるわけだ。

とはいえ、不親切な様式であることには変わりはないので、いずれどこかで成善主義に広く深く共鳴してくれている人たちに向けて、体系立てて伝える機会を設けたいなとは思っている。

そんな愛すべき成善主義者(nariyoshist)であれば、今回述べた「道具としての哲学」についてもすぐに理解できることだろうし、できるかぎり普遍性を追い求めているとはいえ、成善主義もまた所詮は不完全な人間による道具の一つにすぎないことを理解してくれているだろうから。

やりたい企画あれこれ

どこまで実現できるかはわからないけれど、来年やりたいなと思っている企画がいくつかある。

ここまで述べてきた「道具としての哲学」もその一つで、では実際にどうやって自分の家を建てていくのかを、歴史にその名を刻んだ哲学者のいろんな道具を紹介する形で見せていければ、よりイメージしやすいんじゃないかと思う。

本マガジン『MONOLOGUE』においても、実際にやってみせているつもりではあるのだけど、いかんせん散発的でそれこそ体系立てられていないので、いまいちそれが伝わりにくいんじゃないかと。

いろんな道具を紹介していく過程で、特に気に入る道具も見つかるだろうし、そうなったらその道具により精通していけばいいのであって、その入り口の役目を果たせないだろうかと考えたりしている。

それから音声。何かしらの形で音声配信もやりたい。他ならぬ自分自身が、四六時中イヤホンをつけて何かしらのコンテンツを聴いていて、耳から何もインプットされていないと落ち着かないある種の中毒者なので、役に立って、面白くて、それでいて人生がよりよくなるような、そんな音声配信がやりたい。掲げるハードルは高く、それがラジオ形式なのか、それとも音声コラム形式なのか、どんな形式なのかもまだ全然定まっていないけれど。

あとは共同マガジンかな。これは電子と紙の両方でやりたい。仮タイトル案としては『OUTSIDERZ』(※複数形のS→Zは意図したもの)を考えていて、まだ世に知られていない辺境に住まう優れた書き手たちと共同し、社会から逸脱してもこんなに堂々とかっこよく生きられるんだぜということを伝えて、読者が勇気づけられるようなマガジン作りがしたい。

もちろん協力してくれる書き手には、自分から幾ばくかの原稿料を渡すつもりでいるし、これに関しては採算度外視でいいと思っている。持続可能な範囲で収益をだしつつ、可能なかぎり書き手に還元して、やっていければそれでいい。

ただ、問題は執筆をお願いしたい書き手があまりにも少ないことで。今のところ、ぜひともこの人には書いてもらいたいと思うのが、せいぜい一人か二人しかいない。自分を含めても最大で三人。当然ながら断られる可能性もあるわけで、心許ないにもほどがある。暇を見つけてはここnote街を散策しているのだけど、なかなかこの人はと思える書き手に出会えないでいる。

なので、『OUTSIDERZ』企画に興味をもってくれて、なおかつ我こそはという人は、このアカウントをフォローしておいてもらえればと思う。パッと見てちゃんと自我がありそうであれば、少なくとも拝見はさせていただくので。その上でコンセプトに合いそうであれば、今後どこかのタイミングでお声をかけさせてもらうかもしれない。

なお、ここで言うところの「自我がない」とは、たとえばAIで副業フォロバ100%みたいなアカウントを指している。そういうゴミカスみたいなダサいムーヴへのアンチテーゼとしての『OUTSIDERZ』でもある。

最後に年末のご挨拶をば。『MONOLOGUE』の年内更新は、今回で最後となります。このようなまるで一般ウケしないであろうややこしい文筆に、暖かい目をもってお付き合い頂いたことに感謝いたします。何か一つでも感じ入るものがあったならば、書き手冥利に尽きるというものです。来年もまたより一層善く生きられるよう精進してまいりますので、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。それではまた来年お会いしましょう。良いお年を。

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