无名
无名
その壊れたシャワーがいつごろからあったのかは誰も知らない。
私がその存在を初めて知ったのは、ついこの春のはじめ、水泳部に入部したての頃だった。
部活後は皆温水の出るシャワーで体を流すのだが、1つだけ使われないものがある。先輩曰く、水は出るけど冷水しか出ない、そして水の勢いも節水中の温泉くらいに弱いとか。
悪戯にそれを頭からぶっかけられて絶叫していた友人はいたが、それは毎年のお約束の様なものらしく、先輩達もそれを笑って見ていた。幸いなことに私はまだその洗礼を浴びていない。間違えて先輩に浴びせたことはあったが。
今日の部活終わり、水音と会話の反響で騒々しいシャワー室を横目に、私は水着のままでため息をついた。
ひんやりとした寒気が背中を駆け下りていくような気がしたが、それはきっと濡れた水着のせいではない。その原因はきっと、私が深いため息をつくのと同じ理由だ。
「失敗したかな……」
「何が?」
思わず口をついた独り言に反応され、驚いて振り向いた先には2年生の海野先輩がいた。彼女の短い黒髪から水がポタポタと滴っている様を見て自分の髪のことを考える。こんな風に短い方が楽なのだろうか。
「ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「あ、いや……」
私が言葉を濁すと先輩はそれ以上追及せずに「ああ」と何か思い出したように呟いた。
「もしかしてアレ? 呼び出された?」
「……はい」
ぽつりと返事をすると、彼女は私と肩を組むように体重を乗せてきた。突然の加重にバランスを崩しそうになる私を支え、先輩は心底楽しそうな表情を浮かべた。
「そっかそっかぁ、安藤にもデビューの日が来たかぁ」
「けど理由が分からないんです。部活はちゃんとやってたし……」
「やってたねぇ、でも呼び出されたんだよねぇ」
肩を落とす私に彼女はカラカラと笑う。深刻な状況にある私にしてみれば、笑いごとではないことこの上ないのだが、本人にそんなつもりはないらしい。
「そんな落ち込むなよ」
「落ち込みますよ」
「ま、気持ちはわかるけどサ。さっさと行かないと余計に怒られるよ」
先輩は少し声を潜めるように言ったあと、肩を組んでいた腕をそっと離した。
「井口ちゃん今日はご機嫌ナナメだったし、ふふふ、ご愁傷様」
「あぁぁ……」
「ま、怒られてらっしゃい。音は漏れないからご心配なく」
茶化すように聞こえたそれは、きっと励ましだったのだろう。その先輩の表情を見て思ったが、私は自分が思うよりも気落ちしているように見えたのかもしれない。
「最初はみんな手抜き下手なもんだよ」
先輩は私の肩に手を置いて、耳元でそう囁いたあとにシャワーを浴びに行った。
言葉の意味がよくわからなかったが、彼女の背中を見送りつつ、アドバイスにだけは素直に従っておくことにした。
その扉を開けると、顧問の井口先生が少し怖い顔で待っていた。
普段の優しそうな表情とのギャップのせいか、より一層怖く見える。
部活の時と同じ服装で、水着にジャージの上着を羽織っている。着替える前に用事を済ませようという腹積もりなのだろう。
カギを締めると先生と2人きりの空間になる。温度は暖かい。ここで自分が今から何をされるのかということに意識が向き始めた。そのことに気付いた瞬間から心臓の音が耳の奥にまで聞こえてくる
単なるお小言やお説教ならその場でチクリと注意して終わりにする人だ。
わざわざ人目につかない場所を用意したということは、いつもと違う気構えなのだろう。
長椅子に腰掛けた先生が、私を目の前に来るように呼んだ。
「なんで呼び出されたかはわかる?」
先生がそう問いかけるが、私は答えられなかった。眼鏡越しに厳しい視線が向けられているのがわかる。
記憶をたどるが理由が分からない。部活に無断で遅刻したことは無いし、怠けていたつもりもない。何が先生を怒らせてしまったのか見当がつかない。私は冷や汗をかきながらただ沈黙していた。
「分からないかな?」
「……すみません、分かりません」
ようやくそう返事をすると、先生は小さなため息をついてから言った。
「君は私の授業があるか、私が職員室にいるかどうかで、随分生活態度が変わるんだね」
心当たりがありすぎて思わず息を吞む。先生は続けて言った。
「顧問に睨まれないよう取り繕うのは、別にどの部活もやっていることだから、必要以上に咎めるつもりはないよ。顧問の先生がいたら慌てて服装を整える陸上部の子とかもそうだし。けど、ここ数週間の君は少し度が過ぎていたんじゃないかな」
先生は小さな子を諭すような表情で言った。その目は真剣そのもので、私を責めているわけではないことはわかる。しかしだからこそ私は余計に不安になるのだ。正直激しく怒られるより怖い。
「別に取り繕うのを責めているわけじゃないんだ。私が注意するのも君だけを特別扱いしているからじゃない。少し他の先生方が心配していてね。何かあったんじゃないかって」
困ったような表情でそう言うが、その声はどこか冷たく感じる。普段優しい先生に叱られるとひどく不安になる。私は自分の鼓動が大きくなっていくのを感じていた。
先生は私のそんな様子を見て薄く笑うと言った。
「遅刻がないのはよろしい。ただ宿題は忘れるし、授業中はおねむのようだし、違反物もたいぶ持ち込んだねぇ。ああ、小テストもそこそこ駄目だったみたいだね、追試なんて無いから適当にやっちゃったかな」
「……はい」
図星を突かれて私の視線が無意識に落ちてゆく。先生はそこで小さく笑った。それはいつもの優し気な笑みだった。そして少し口調を和らげてから言う。
「何も君だけが悪い子ってわけじゃない。顧問がいない日は気を抜いて過ごす、それは大いに結構」
ガミガミと言われるよりも、むしろ私を気遣うような口調だ。それが余計に私の心を締め付ける。
「けど君の場合、気を抜くことが毎日の習慣になりかけてるんじゃないかな?」
「それは……」
「別に追加で怒ったりはしないから、言ってみ?」
私が返事を躊躇っていると、井口先生は仕方なさそうに笑った。そして優しい声で続ける。
「自覚はあるんだね」
私は正直に頷いた。そして言葉を続ける。
「友達も同じことしてるし、先生にも注意されてなかったので……すみませんでした」
先生は少し意外そうな顔をした後で小さく笑って言った。
「よし。じゃあお説教はこのへんで終わり」
その言葉の意味をすぐには理解できなかった。だが直後に気が付いた。
お説教「は」終わり。なら次は。
先生は近くにあったバスタオルを自分の太ももに敷いた。その動作がこれから行われることを暗に伝えていた。先生は眼鏡を外し、背後に置いてから言った。
「おいで。分かってると思うけど、お尻叩くからね」
両手を差し出しながらの、その声に逆らうことはできなかった。私がおとなしく其々の手を先生の手に乗せると、牽引されるように先生の太ももを覆うようにうつ伏せにされた。長椅子に肘がつき、お腹の下にさっき先生が敷いたバスタオルがある。
「ちょっとお尻あげて」
腰を軽く叩かれて、顔が熱くなり、たまらず目を閉じる。だが言われるがままに腕を突っ張り、お尻をぐっと突き出した。恥ずかしい気持ちは当然あるが、それ以上にみっともなく騒いでこれ以上自分を惨めにしたくないという気持ちの方が強かった。子供のような諭され方をしたせいだろうか。
このまま叩かれるのかと思っていた矢先、水着のお尻の部分、湾曲する左右の端っこに先生の指が差し込まれ、そのまま水着がぎゅっと上に引き上げられた。極端な形状にされているためか、生地が食い込んで身体が締め付けられる。
「せ、先生!?」
想定外の事態に驚いて振り返る。先生は小さく首を傾げた。
「どうかした?」
「えっと……その、水着が……」
「ああごめんね。でもこっちの方がお尻叩きやすいから」
先生が淡々とした口調で答えた。その態度には羞恥心というものは微塵も感じられない。私のお尻をむき出しにするその手際の良さと併せて、いつもやっていることだということを伝えてくるようだった。
それを察した瞬間、私は顔がかあっと熱くなるのを感じた。羞恥に耐えきれなくなったのか、あるいはただ単に気まずくなったのか。制服に着替えるときにこんな動作はしない。ありえない状況に私は混乱していた。
水着に守られていた部分が外気に晒される。お尻の表面に残った水滴が温度が下げ、鳥肌が立つような思いだった。
「じっとしててね、始めるよ」
「ま、待って、心の準備が」
まだ終わっていないと告げようとした私の言葉を遮り、先生は裸に剥かれた私のお尻に掌を被せた。味わったことのない不思議な感覚で声が喉の奥に引っ込む。
「頑張れるかな?」
予防接種を怖がる子供を励ますような声だなと思った直後、お尻から手が離れた。
ぱぁん!と乾いた音が響きわたると同時に強烈な痛みが走った。お尻の表面が痺れるように痛み、熱を帯びてくるのが分かる。思わず顔をしかめるがすぐにまた次の一撃が襲いかかり、痛みが頭の中に飛び込んでくる。
お尻で炸裂する音に合わせて口から悲鳴が漏れるが、それはすぐにかき消された。
乾いた音が部屋中に響き、急に頭が周りの音を気にし始めた。こんなところを誰かに見られたらどうしよう。そんな考えが浮かぶと、私は奥歯を噛みしめ、両手を合わせて強く握る。そんな私を見て先生は言った。
「大丈夫だよ。カギは閉めてるし、外には聞こえないから」
先生の声は優しかったが、直後にお尻を襲う力には全くの容赦がない。
手が鞭のようにしなり、叩きつけられる度にお尻の表面が波打ち痛みが広がっていく。
「んあっ……いたっ!」
自分の喉から漏れた声に私は思わず口を押さえる。痛みを堪えようと全身に力が入ってしまい、足がピンと伸びた。
そうしている間にも次の一撃がやってくる。乾いた音と同時に鋭い痛みが襲いかかり、体の芯に響くような衝撃。
そして痛みを味わっている間にも次が。身体に力が入らず、備えることができない。
次第に回数が増えてくると、背中を反らさずには痛みを逃がせなくなってしまった。
「ひ……ぅ……」
声にならない声が喉から出てゆく。痛みから逃げるように身体をよじるが、力のないその動きでは先生の太ももの上で揺れるくらいしかできない。私の口から溢れる悲鳴はどんどん大きくなっていく。
頭が真っ白になって何も考えられなくなってゆき、ついに耐えきれず目から雫がこぼれた。
「う、あ…グスッ…うぅ……」
一度出てしまえばそれを遮る枷はない。子供のように泣きじゃくりながら痛みに耐える。お尻のじんじんとした痛みの上に、先生は容赦なく痛みを重ね、同時に私は悲鳴をあげる。
「空美、空美。まだ終わっていないよ、手を戻しなさい」
もう限界だと感じたその時、先生の声で名前を呼ばれた。
我に返ると、私の手がいつの間にか自分のお尻に回っていたことに気が付く。あまりの痛さに無意識のうちに庇ってしまったのだ。
「エッ…せ、せんせ…あと、いくつ…ヒック……」
「もう少しだよ、頑張れ」
「や…いや…も、無理……無理です……」
もう少し。その少しがもう耐えられない。
嗚咽しながら懇願すると、先生の掌がお尻に置かれた。痺れるような感覚の肌の上を掌が滑る。
「そっか。もう無理か。ならしょうがないね」
助かったと思った途端、お尻に回した手の手首が掴まれた。手首は先生によって背中の方に引っ張られ、肘を支点に押さえつけられた。同時に私の下半身が長椅子からズレ、つま先が床に付いた私の両足が、先生の片足の下にすっぽり抑え込まれる。
身動きが取れない。
「せ、せんせ……?」
先生はただ黙って私の手首を離さない。不安になってそう呼びかけると先生は優しい声で言った。
「もうお尻は我慢しなくていいから、最後まで頑張るように」
血の気が引き、強烈な衝撃が走った。体を仰け反らせ悲鳴を上げるが、全く身体が動かせない。
もう無理だと必死に訴えかけるように首を左右に振るが、先生の手は止まらない。それどころか次第に早くなっているような気がする。痛みから逃げようと無意識に腕や足を振ろうとするが、先生がそれを許さない。
私は唯一残された自由な片手で長椅子を叩きながら、自分の内側にあるものが全て吐き出されてしまうのではないかという程に涙と泣き声を吐き出し続けた。
お尻を突き出したまま私は泣きじゃくっていた。
打たれ打たれ、その上からまた打たれたお尻は真っ赤に腫れ上がり、もうどこが痛いのかすら分からなくなっていた。引っ張り上げられた水着を戻す余裕などなく、目からは涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
先生は何回叩いたのかという私の涙交じりの問いに「50回だよ」と答えていたが絶対に嘘だと思う。500回の間違いだろうと言いたかった。けれど時計は私がこの部屋に入ってから10分と経っていない。壊れているに違いない。
先生は私の顔の横に腰を下ろした。私は先生を見ることができず長椅子に伏せたままで涙を零す。
「君はきっと痛みに弱いんだね。50回でこんなになる子は久方ぶりだよ」
手を取られてそう言われた。ぐずぐずと鼻をすすりながら黙って聞くしかない。
「ま、高い授業料だったと思って。やるなとは言わないから、これからは程々にするんだよ」
「ヒック…はい……」
「それから、𠮟られてるときに目を逸らす癖はやめた方がいいかな。気持ちは分かるけどね」
慌てて顔を上げ、視線を合わせようとすると、先生は私の頭を軽く小突いた。
「今はいいよ。お説教じゃないし、そんな余裕はないでしょ」
私が返事をできずにいると、先生は小さく笑う。
その表情を見て私はとてつもない安堵を覚えていた。これ以上お尻を痛くされることは無い。そう思うと一気に心が楽になる。
しばらくするとお尻の痛みはだいぶ和らいだが、入れ替わるように痛みで麻痺していた恥ずかしさが蘇ってきた。
「せ、先生……タオル借りてもいいですか?」
泣き腫らした私の顔はきっと酷いものだろう。
「ああ、気が利かなくてごめんね」
先生はすぐに立ち上がってタオルを取ってきてくれた。顔をうずめながら、息を整える。
「あぁ、まぁその……顔もいいが、先にお尻を直した方がいいんじゃないかな。そうした私が言うのもなんだけどさ」
顔をタオルに押し付け、私は急いで水着のお尻の部分を引っ張って元に戻した。鈍痛が響くが、背に腹は代えられない。
水着に残った水分が熟れたお尻を少し冷やしてくれた気がした。
・・・・・・・
部屋を後にした私はバスタオルを腰に巻き、シャワー室に向かっていた。
お尻の赤みが水着をはみ出していたので先生が貸してくれたのだ。
腫れは明日の部活までには引くから大丈夫だと言われた。理由を聞くとこれまでの経験ゆえだという。
友人にも先に帰るよう頼んだし、シャワー室には誰もいないだろう。でなければ困る。流石に部員の前で真っ赤なお尻を晒してシャワーを浴びる度胸は私にはない。
「おつー」
私は文字通りその場で跳ねた。声の主は体操着姿の海野先輩だった。髪を整えもしていないのかボサボサだ。驚いた私を見て派手に笑っている。
「せ、先輩……何してるんですか……」
「理由なんだった? 部活関係なかったでしょ?」
「……はい。なんか、色々怠けてたのがバレたみたいで」
「やっぱりねぇ。だから言ったろ、最初は下手だって。これから上手くならないと」
「いえ、もうサボるのは控えようかなって……」
「ふーん。よっぽどお仕置きキツかったんだ」
だんだんと声のトーンが落ちてゆく私をからかうように彼女はにぃと笑った。
一瞬答えに詰まったが、そのまま素直に返事をした。
「……はい」
「だよねぇ。井口ちゃん見た目あんな感じなのに容赦ないから」
言うと、海野先輩は私の腕を掴んで引っ張った。
「よっし、行こっか。シャワー室」
「え、えぇ!? いやちょっと! はぁ!?」
私の抵抗も空しく、半ば引きずられるようにしてシャワー室に連れていかれる。
「ああ、そっちじゃないよ。こっち」
手招きするように誘導されたのは、例の壊れたシャワーの前だった。
何もこんな時に冷水の洗礼をしなくてもいいじゃないか。状況を考えろと心の中で先輩に罵声を浴びせる。彼女はそんな私の内心を見透かすように笑うと、スキをついて私からバスタオルを剝ぎ取った。
「ほあああああ!!!」
「ほらほら、冷やしてあげるから。お尻こっち向けな」
絶叫してお尻を隠す私に噴き出しつつ、口元を抑えて先輩は言う。その手にはシャワーヘッドが握られていた。
そこで私ははっとした。
「もしかして、これ……」
「あー気付いた? そうそう、これ壊れてるんだけど、お尻冷やすのに丁度いいんだよ。温度も水の勢いもね。壊れた物も再利用する、これぞSDGsってね」
「ただの遊び道具なのかと……」
「最初はそうだったんだけど、誰かが使って広めて、今に至るわけさ」
理由は分かった。けどそれは先輩に赤いお尻を見せて良しということにはならない。
「なら自分でやります」
「無理だと思うよ。この水流だと冷水を頭や背中に被ることになる。その上お尻には当たらない」
「なんで言い切れるんですか」
「私が何回も試したんだ。1年生の時にね」
事もなげに先輩は言った。この人はそれが何を意味するのか理解できているのだろうか。
「えっと、つまり……」
「ああ、そうだよ。私はよく呼び出されてた、てか今でもされるけど。それが何か?」
「普通隠すもんじゃないんですか、そういうの」
「隠したところでみんな知ってるし、体験もするし。だから隠しても意味ないんだよねぇ。空美ちゃんが呼び出された時点で、お尻叩かれて大泣きしただろうなぁって経験ある子は皆察してるよ。痛いもんアレ」
「大泣きなんてしてな……」
「その顔で?」
何も言い返せなかった。ショックを受ける私を見て、先輩は心底楽しそうに笑う。
「ほらほら壁に手ぇついてお尻こっち、先輩めーれーだぞ」
ゴネても逃げられそうにない。もうどうにでもなれと、私は個室の壁タイルに手をつくと、ぐっとお尻を突き出した。ヤケクソで破れかぶれの行動である。
冷たい感触がお尻を覆った。一瞬冷たすぎると思ったが、すぐに心地よくなった。火照っていた熱が洗い流されてゆくように感じる。
「あの、井口先生ってそんなに厳しいんですか?」
何か喋らないとやってられない。問いかけると、先輩は悩むような声を漏らしながら答えた。
「うーん、よくわかんないんだよねぇ……記録残せなかったときも、嫌になって練習サボったときも、ゲーム没収されたときもそんな怒られなかったし」
「えぇ……」
「あ、でも、風邪の書類偽造バレたときとか、わざと水着忘れて来たときはヤバかったな」
「それは当たり前では……」
この先輩は大丈夫なのだろうか。短い髪がよく似合うカッコイイ先輩だったはずなのだが、頭の中のイメージが爆破解体されつつある。
「なんか失礼なこと考えてない?」
「いや、全然。厳しいときってどんな感じだったんですか」
「グイグイ来るな。あんま思い出したくないけど、みんな帰った後で飛び込み台に手ぇつかされてさ……」
「うわ……」
「別の時は、お仕置きの後で反省しなよって立たされてたんだけど、井口ちゃんいなくなったからさ、タオル濡らして寝てお尻冷やしてたらバレて、最初からだってマジで1回目からやり直された――と、もういいかな」
そこまで言ったところで、お尻に当たっていた冷たい水流が止まった。
「んじゃ普通のシャワー浴びて着替えて来て、表で待ってるから」
「先に帰ってもいいですよ」
「私をぼっちで帰らせるつもりか」
先輩は笑って言い残しシャワー室から出ていった。
私は手早く体を流し制服に着替えた。塩素の香りがする更衣室の中でため息をつく。
(お尻痛い……)
スカートの下に隠れたお尻がひりひりする。着替えたところで痛みが引くわけがないのだが、自分の立ち位置が「叱られた部員」から「お尻を叩かれて泣いた中学生」に変わってしまったようで恥ずかしい。
表に出てくると既に着替えを終えた海野先輩が壁に寄りかかって待っていた。
彼女は私を見るとにやりと笑う。そしてそのまま自然な動きで私の横にくっついてきた。
「口空けて」
「はい?」
「あーんってして」
言われるままに口を開くと、硬いものが口の中に放り込まれた。
ヒヤリとした感覚と同時に甘みが広がる。飴だろうか。とても甘くて美味しい。食べたことのない味だ。
「おいしい?」
そう聞かれると素直に頷いてしまう。それを聞くと彼女は嬉しそうに笑った。
「これ何ですか」
「氷砂糖」
彼女は荷物に手を突っ込むと、氷砂糖とプリントされた透明な固い袋をガサガサと取り出した。
「部活の後に食べると最高なんだ、普段は全然美味しくないのに」
「……それ、お菓子じゃ」
「砂糖は調味料だからセーフだろ」
「アウトですよ」
この人がよく𠮟られる理由が少しわかったような気がする。
先輩の指先が私の髪をなでる感触がする。視線が合うと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「お疲れさま」
ぽんと軽く頭を撫でられる。手の動きは優しく丁寧で、まるで不安をそっと撫で去るようだった。
たった一言だったが、それは不思議と私の中に染み渡った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。ついでに上手いサボり方も教えてあげよう」
「それは考えておきます」
氷砂糖を舌で転がすと、甘味にまた甘味が重なる。
日が傾く中でお尻の痛みが薄れていったのは、きっとその味のせいだろう。