桔梗塚 伝明智光秀公の墓
ブルーナイトでモーニングを味わい、戻りはR256へ。
道中目に入った看板に惹かれる。
桔梗塚(ききょうづか)

山県(やまがた)市中洞(なかほら)にあり、R256からすぐのところにある。
”ときは今 あめが下知る 師走かな” よっし~
ここには明智光秀公の墓があるとされる。

通説では天下分け目の山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、坂本城を目指して敗走する際に、京都小栗栖(おぐるす)付近で落ち武者狩りにより落命したとされるが、討ち死にしたのは影武者(荒木山城守行信)で、生き延びて故郷とされる中洞で生きながらえたとする説がある。
R256の下をくぐって進んでいくと、鳥居が見えてきた。

駐車場は手前のコンテナのある場所。

ブース前には、織田信長様🄿、豊臣秀吉様🄿などと記されている。

光秀公に討たれてしまったが、やはり織田信長様🄿をチョイス(笑)
他にも帰蝶、斎藤道三、細川藤孝など光秀公にゆかりの深い人物は分かるが、

落合博満やバラク・オバマはなぜ?(笑)
少々物騒な注意書き。

桔梗塚の説明板。

一般的には明智光秀公は美濃国明智荘(現在の可児市)で、土岐氏支族で明智城主の明智光綱(光圀)の長子として生まれたとされるが、稿本美濃誌(土岐琴川著)では土岐四郎元頼(基頼)と中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、中洞で育った後、明智光綱の養子となったとされる。
光秀公ゆかりのうぶ湯の井戸跡

光秀公の生母がこの井戸で産湯を汲んだとされる。
現在は封鎖されている。

中洞に落ち延び、影武者荒木行信の忠誠に深く感銘し、荒深小五郎と改名。

1600(慶長5)年の関ヶ原合戦に東軍として参陣しようとするも、道中増水した藪川(根尾川)で馬共々流され、落命したとされる。
その後、荒深一族により光秀公を祀る桔梗塚が造られたとされる。

桔梗塚は土岐氏や明智氏の家紋、桔梗紋に因む。
余談だが、我が家の家紋も桔梗紋(中陰桔梗)

桔梗は「更に吉(さらによし)」と読めることから、吉祥紋とされる。
なお光秀公の血脈は第121代孝明天皇(明治天皇の父)以降の皇室にも受け継がれており、実は私もやんごとなき血筋なんです(大ウソ)
桔梗橋を渡って桔梗塚へ。

橋といっても小さなU字溝を渡るだけですが(笑)
檜林の中の疑木の階段を登っていく。

石玉垣には桔梗塚を守ってきた荒深氏の方々の芳名が連なる。

桔梗塚

荒深小五郎(≒光秀)の遺骸を荒木山城守の子、吉兵衛が村に持ち帰り、この地に葬ったとされる。
惟任将軍日向守光秀公之墓と彫られた墓名標。

1575(天正3)年7月、信長より惟任(これとう)の名字を与えられ、従五位下日向守を任官。以後は惟任日向守光秀と名乗り、本能寺の変の際には明智姓ではなかったともされる。
光秀公のものと伝わる五輪塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)

毎年4月第2日曜日、12月第1日曜日には供養祭が行われる。
光秀公の墓所は他に谷性寺(亀岡市)、西教寺(大津市)、高野山奥の院などにもある。
桔梗橋に戻り、麓の神社に参詣。

阿弥陀堂

光秀公の母が土岐氏先祖の菩提を弔うために建立したと伝わる。
(中洞)白山神社

祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)
阿弥陀堂と白山神社の間にある学問の社の杜の案内板。

50mとあるので行ってみることにする。

うぇっ、結構登っていくぞ(-_-;)

途中にある白山神社の御神木。

木の根と土で滑りやすいので、下りは特に注意。

学問の社の杜

光秀公が幼少期から利発聡明だったとされることから、学問と出世祈願の神社とも言われる。
記念に光秀公の絵馬を購入しようとしたが、阿弥陀堂は鍵がかかっていた(涙)

桔梗塚

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桔梗塚(ききょうづか)
山県(やまがた)市中洞(なかほら)にあり、R256からすぐのところにある。
”ときは今 あめが下知る 師走かな” よっし~
ここには明智光秀公の墓があるとされる。
通説では天下分け目の山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、坂本城を目指して敗走する際に、京都小栗栖(おぐるす)付近で落ち武者狩りにより落命したとされるが、討ち死にしたのは影武者(荒木山城守行信)で、生き延びて故郷とされる中洞で生きながらえたとする説がある。
R256の下をくぐって進んでいくと、鳥居が見えてきた。
駐車場は手前のコンテナのある場所。
ブース前には、織田信長様🄿、豊臣秀吉様🄿などと記されている。
光秀公に討たれてしまったが、やはり織田信長様🄿をチョイス(笑)
他にも帰蝶、斎藤道三、細川藤孝など光秀公にゆかりの深い人物は分かるが、
落合博満やバラク・オバマはなぜ?(笑)
少々物騒な注意書き。
桔梗塚の説明板。
一般的には明智光秀公は美濃国明智荘(現在の可児市)で、土岐氏支族で明智城主の明智光綱(光圀)の長子として生まれたとされるが、稿本美濃誌(土岐琴川著)では土岐四郎元頼(基頼)と中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、中洞で育った後、明智光綱の養子となったとされる。
光秀公ゆかりのうぶ湯の井戸跡
光秀公の生母がこの井戸で産湯を汲んだとされる。
現在は封鎖されている。
中洞に落ち延び、影武者荒木行信の忠誠に深く感銘し、荒深小五郎と改名。
1600(慶長5)年の関ヶ原合戦に東軍として参陣しようとするも、道中増水した藪川(根尾川)で馬共々流され、落命したとされる。
その後、荒深一族により光秀公を祀る桔梗塚が造られたとされる。
桔梗塚は土岐氏や明智氏の家紋、桔梗紋に因む。
余談だが、我が家の家紋も桔梗紋(中陰桔梗)
桔梗は「更に吉(さらによし)」と読めることから、吉祥紋とされる。
なお光秀公の血脈は第121代孝明天皇(明治天皇の父)以降の皇室にも受け継がれており、実は私もやんごとなき血筋なんです(大ウソ)
桔梗橋を渡って桔梗塚へ。
橋といっても小さなU字溝を渡るだけですが(笑)
檜林の中の疑木の階段を登っていく。
石玉垣には桔梗塚を守ってきた荒深氏の方々の芳名が連なる。
桔梗塚
荒深小五郎(≒光秀)の遺骸を荒木山城守の子、吉兵衛が村に持ち帰り、この地に葬ったとされる。
惟任将軍日向守光秀公之墓と彫られた墓名標。
1575(天正3)年7月、信長より惟任(これとう)の名字を与えられ、従五位下日向守を任官。以後は惟任日向守光秀と名乗り、本能寺の変の際には明智姓ではなかったともされる。
光秀公のものと伝わる五輪塔と宝篋印塔(ほうきょういんとう)
毎年4月第2日曜日、12月第1日曜日には供養祭が行われる。
光秀公の墓所は他に谷性寺(亀岡市)、西教寺(大津市)、高野山奥の院などにもある。
桔梗橋に戻り、麓の神社に参詣。
阿弥陀堂
光秀公の母が土岐氏先祖の菩提を弔うために建立したと伝わる。
(中洞)白山神社
祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)
阿弥陀堂と白山神社の間にある学問の社の杜の案内板。
50mとあるので行ってみることにする。
うぇっ、結構登っていくぞ(-_-;)
途中にある白山神社の御神木。
木の根と土で滑りやすいので、下りは特に注意。
学問の社の杜
光秀公が幼少期から利発聡明だったとされることから、学問と出世祈願の神社とも言われる。
記念に光秀公の絵馬を購入しようとしたが、阿弥陀堂は鍵がかかっていた(涙)
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