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You're My Princesses

生活のために好きでもない男に身体を明け渡すのはこれで何度目になるだろう。
「はぁ、はぁ、ミサキちゃんの可愛い声もっと聞かせて?」
うっ... んっ...
嬌声というより呻きのような声を漏らすミサキに男が言った。
「恥ずかしがらなくていいんだよ?」
死ね。死ね。死ね。死ねばいいのに。気持ち悪い。誰がおまえなんかに恥ずかしがるもんか。そんな、恥ずかしいなんて感情が自分にあるとして、それを見せるのはあの人の前だけだとミサキは思う。
(...先生に会いたい)
いつも思っていることだけど"仕事"の時は余計にそう思う。先生以外の男に身体をまさぐられるほど頭の中は先生でいっぱいになる。
行為を終えて隣で寝ている醜悪な男をよそに下着を着け、服を着る。そうして先生のモモトークを開くのだけど、言葉が紡げない。
汚れきった自分が先生にメッセージを送るなんて汚物を送り付けるようなものだ。
私なんかよりずっと大人な先生。ずっと綺麗な先生。だから私は先生のものにはなれない。
そんな煩悶を繰り返す度に手首の傷は増えて、そうしてますます汚くなっていく。
この頃は脚も切るようになった。本当は先生の前で可愛い服が着たい。可愛いねって、ミサキも女の子なんだねって言ってほしい。なのにそう願うほどそこから遠ざかる行動ばかり繰り返して、もうスカートだってショートパンツだって履けやしない。ガラス張りのホテルの内装に映る自分の脚はそれを物語っていた。
(もうこのダメージジーンズだって履けない...新しいズボンを買わないと...)

ミサキはふらふらとお風呂場に行ってアメニティのI字カミソリを握りしめた。
傷だらけの左手首を睨み、カミソリを近づける。呼吸が荒くなる。また先生から遠ざかる。
その時だった。先生からのメッセージでスマホが鳴ったのは。
「ミサキ、大丈夫?」
こんな時にメッセージしてくるなんて。なんて返したらいいの?どう言ったら嫌いにならないでくれるの?こんな短いメッセージ一つ返信するのに何分も思案して、結局いつも無愛想な返事をしてしまう。
「何が?」
「whoo見たらたまたま近くにいるみたいだったから、最近ご飯食べれてるかな?と思って」
なっ。ホテルに入る時はいつも位置情報共有をオフにしているのだが今日は切り忘れていた。よりにもよって先生が近くにいるなんて。
真っ赤になって、文面から焦りを悟られないよう平静を装った返信をする。
「食べれてるよ、大丈夫」
「ほんと?心配だな、ミサキは辛いこと隠す子だから」
うるさい、うるさいよ。先生はどうしてそんなに私のことがわかるの。これ以上好きにさせないで。
「今ちょっと出れる?ご馳走するよ」
こんな汚い身体で先生に会いたくない。でも断ったらまた後悔するに決まってる。ミサキは震える指で返信を打った。
「わかった」
先生が待ち合わせ場所を入力している間ミサキは両手できゅっとスマホを握りしめる。
本当にバカみたいな話だけど、先生と話してる間のスマホは先生の分身になっているような気がする。熱を帯びたスマホを胸に押し当てて、これが先生の熱、なんて思ってみたりして、自分の気持ち悪さに嫌気が差す。
ミサキは男に「ちょっと出かけてきます、すぐ戻ります」とだけ告げてホテルを出た。
当然、戻る気なんてない。ちょっと待ってよ、とかなんとか言う男の声はもう自分には関係がないことのように遠くに聞こえる。
先生に会える。先生に会っちゃう。会いたくない。会いたい。
待ち合わせ場所の駅前で先生を待っている間ずっと頭がぐるぐるして、緊張を打ち消すためにますます強くスマホを握る。
「ミサキ!」
振り返ると先生が笑顔で手を振っていた。この瞬間さっきまでの反芻思考は先生のかっこよさへの感激と動揺に上書きされるが、どちらにしたって頭が変であることには変わりない。
「...先生、遅い」
「ごめんごめん、お店予約してたら遅くなっちゃった。じゃ、行こうか」
予約?先生が私のためにお店を予約してくれたの?ファミレスでいいのに、どうして私を大事にするの?
一緒に歩いている間、先生は「最近どうしてるの?」とか、「アリウスのみんなは元気?」とか当たり障りのないことしか聞かなかった。
ホテルで何をしてたかわかってるくせにそれには触れないでいてくれること、わかっていたからわざと外に連れ出してくれたこと。
そういう優しさ全部に私ちゃんと気付いてるよ。先生は私が気付いてることもわかってるの?それともミサキは子どもだから気付かないだろうなって思ってるの?教えてよ、ねえ、先生。

先生が予約したのはお高そうなレッドウィンター料理のお店だった。
「行こうか」先生はいちいちミサキのほうを向いて優しく微笑みかける。それがあたたかい刃物みたいにミサキの心臓に突き刺さる。
店内に入り席に着くとミサキは自分の場違いさに萎縮してしまう。傷だらけの女子高生と綺麗なスーツを着込んだ成人男性。これじゃまるでパパ活だ。自分がそう思われるのはまだしも先生がそんな汚い大人だと勘違いされるのは癪だった。
「レッドウィンター料理なんて珍しいでしょ。食べたことある?」
「ううん、初めて」
「それはよかった、ミサキには初めてのこといろいろ教えてあげたいんだ」
「なにそれ、変態みたい」
「なっ!そんなんじゃないよ、ひどいなあ」
そう言って笑う先生が愛おしい。"そんなん"でもいいよ。先生なら。先生に教えてもらったいくつもの初めてがミサキを劣情の深い沼に引きずり込んでいく。
「先生のおすすめは?」
「うーん、私はシャリアピンステーキが好きなんだけど、女の子にはちょっと量が多いかな?」
先生にとって私は女の子なんだ。教師が女子生徒を女子として扱っただけの話、別に当たり前のことだとわかっていてもやっぱり嬉しいとミサキは思う。
「じゃあ私はこれにする」
ミサキはメニューのボルシチを指さした。本当はもっとガッツリしたものが食べたい気分だったけど、そんなことして女らしくないと思われたら嫌なのでスープを選んだのだ。
「それまだ頼んだことないなあ。じゃ料理が来たら一口ずつ交換しよっか?」
大人はそんなこと簡単に言えてずるいよ。そんなの、まるで恋人じゃん。先生のバカ。
「...先生がそうしたいなら、好きにすれば」
やがて運ばれてきた料理を見て先生は子どもみたいにはしゃいだ。
「うわあ〜!やっぱ何度見てもおいしそうだなあ!」
可愛い。先生。可愛い。可愛い。可愛い。男の子なんだね、先生。大人なのに子どもみたいにはしゃいで、可愛い。でも"何度見ても"って何?他の女の子とも来たことあるの?嫌だよ。私だけ見てほしい。でもそんなの傲慢だよね、ごめん、ごめんなさい、嫌いにならないで。
「一口食べてごらん」
そう言って差し出された先生のシャリアピンステーキにミサキはナイフとフォークをあてがうが、使い慣れていなくて上手く切ることができない。
「はは、しょうがないなあ。貸してごらん?」
先生はミサキの手からナイフとフォークを取ってステーキを切り分けた。また子ども扱いされちゃったな。手と手が少し掠ったその感触が消えない。私は子どもだからこれだけのことでドキドキしちゃうの?先生は大人だから平気なの?先生も私でドキドキしてくれてたらどんなに幸せだろう。
「はい、召し上がれ」
「うん、ありがと」
ミサキは先生からフォークを受け取ってステーキを一切れ頬張った。
「...おいしい」
本当に美味しかった。いつもコンビニで買ったものばかり食べているミサキには刺激が過ぎるほどだ。勿論、先生と食べるから実際以上においしく感じるのだけど。
「よかった。ミサキのも一口もらうよ」
先生はミサキのボルシチをスプーンで掬うと一口啜った。
「うわ、これもおいしいなあ!」
顔をほころばせる先生にミサキは焦がれる少女のような、それでいて慈母のような眼差しを向ける。愛する男性の食事姿を眺める女の子はいつだってそうだ。ところがとんでもない事に気付く。ミサキは先生のフォークを使った。先生はミサキのスプーンを使った。じゃあ今からするのって...
真っ赤になって固まってしまったミサキに先生が優しく声をかける。
「どうしたの?ミサキ。料理が冷めちゃうよ」
「そ、そうだね先生、早く食べよ」
ミサキは平静を装って料理に手をつける。間接キスなんかに動じちゃだめだ。また子どもだと思われちゃう。先生は大人だからこんなの気にしないんだ。
スプーンを口に運ぶ手が震える。先生の唇も触れたそのスプーンを自分の口にあてがった瞬間、温もりを持った電気のような異様な快感が全身に迸る。先生、好きだよ、大好き、先生。
恐る恐る先生の方を見ると、目が合った先生がにこりと微笑む。
「おいしい?」
「うん、こんなおいしい料理って久しぶり」
「そう言ってもらえてなによりだよ」
こんな幸せな時間がずっと続けばいいのに。自分にはそんなことを願う資格はないとわかっていてもそう願ってしまう。
それがミサキの使ったフォークであることなんて気にする様子もなく食事に夢中になっている先生を憎いと思う。可愛いと思う。かっこいいと思う。

料理を食べ終えてお会計をする先生をミサキは一歩下がって見つめていた。カードで支払うその姿をやっぱり大人だと思う。食事を奢られてかっこいいと思うなんて如何にも"女"であるようで、自分にはそんな女らしさは許されていないのに、と唇を噛む。
店から出ると外はもう暗くなっていた。
「先生、その、ごちそうさま」
「気にしないで!またご馳走させてよ、ミサキ」
「先生はこれからどうするの?」
「シャーレに戻って残業。辛いよ〜」
「そう、今日の当番って誰?」
先生は一瞬答えたくなさそうな反応をした。答えを聞いてその理由はすぐにわかった。
「今日は聖園ミカちゃんだよ」
はあ。途端にミサキの心にどす黒い雲が立ち込める。あの女が先生のことを好きってことくらい見ればわかるし、先生だって気付いてるはずだ。あの女は先生を騙して個室に連れ込んだこともあるらしいじゃないか。その時中で何があったかなんて考えたくもないけど、大人の先生は何もしてないって信じたいけど、とにかくあの女を先生に近付けたくない。
それになによりミサキはミカのあの女らしさが恐ろしいのだ。好きな男性の前で躊躇なく"女"を剥き出しにできるその精神の構造が。
ミサキはあんなふうに髪を伸ばすことはできないしあんなフリフリの服だって着られない。いつだったか外で倒れて先生がホテルに運んでくれた時も、買い出しに行こうとする先生に「行かないで」の五文字さえ伝えられなかった自分が、あの女に勝てるわけがない。
「そっか...」
ミサキは暗い顔で呟いた。
ここで別れたら先生はあの女のところに行ってしまい、ミサキはあの醜い男のホテルに戻ることになる。大人で綺麗な先生と子どもで汚れたミサキが対照を成しているようで心底嫌な気持ちになる。
こんな時、自分もあの女みたいに振る舞えたら。あの時言えなかった言葉が言えたら。
先生、ねえ、
「行かないで」
「え?」
言っちゃった。
「まだ、一緒にいたい」
もうどうにでもなれ。子どもの特権を使わせて。先生の前くらい女の子でいさせて。
「ははは...しょうがないな。少しだけだよ?」
「うん、それでもいいから」
「じゃあこの近くの公園まで散歩しよっか」
「...うん」
暗い夜道を二人で歩く。本当はホテルに行きたかった。抱いてほしい。先生の身体で他の男を掻き出してほしい。手足の傷も全部愛すよって言ってほしい。でも高望みしたって仕方ないんだ。こうして少しの間でも一緒にいられるだけで十分だと思わなくちゃ。

公園のベンチに隣合って座る。夜の空気が肺を内側から冷やす。
わがままを言ってしまったことへの申し訳なさが急に込み上げて、つい謝ってしまう。
「先生ごめん、迷惑だって思ってるよね」
「迷惑なんかじゃないよ。そんなこと気にするなんて、ミサキは優しい子なんだね」
私って優しい?あの女と違っていい子?いい子だから好きになってくれる?それとも先生は振り回してくれる子が好きなの?
「先生はこんなふうに生徒に振り回されるの、慣れてるんでしょ」
「はは、そうかもしれないなあ。ミサキは聡いからわかっちゃうよね」
否定しないんだ。そうだよね。先生の周りには私より女の子らしい子がたくさんいて、私なんかよりずっと上手に先生にアタックしてるんだ。私は無数にいる女子生徒の一人に過ぎない。
先生の前で"女"になれない自分への苛立ちがつい、こんな言葉を口走らせた。
「先生は、私がこのまま知らない大人のホテルに帰っても気にしないんだ」
まずいことを言ったと即座に思う。これではわかっていて何も言わないでくれた先生の優しさを台無しにしてしまう。
「それは...うーん、教師としてはいそうですとは言えない」
「じゃあどうするの?先生。泊まる場所、ないんだけど」
先生は大人なんでしょ。助けてよ。
「全く敵わないなあ...わかったよ、今日は私がホテルを取ってあげる 」
「......ありがとう」
本当はその場で叫んで跳ね回りたいくらい嬉しかった。と同時にこんなやり方でお泊まりを勝ち取ってしまったことに罪悪感でいっぱいになる。あの女ならこんなことをしても平気でいられるんだろうか?だったら、私はあの女みたいにはなれない。

先生とホテル街に向かう間、ミサキはどうしたって昂揚しながら今日の出来事を振り返っていた。
高級店でディナーした後ホテルに行くなんてまるで大人の男女がするデートじゃないか。先生は私を特別だと思ってるからこんなふうに扱ってくれるの?そうだったらいいな。

ホテルに着いてフロントのパネルから部屋を選ぶ時、先生はちょっと高い部屋を取ってくれた。嬉しかったけど気付かないふりをした。こんな時もあの女ならわざとらしく声を作って「スイートルーム選んでくれるんだ〜!ありがとう先生!」なんて言えるんだろうな。
部屋に入ると先生はジャケットを脱いで椅子にかけ、ネクタイを緩めた。
やめてよ。そんなのかっこいいに決まってる。
ミサキはベッドに座って枕を抱きしめながら、先生の手つき一つ一つまで食い入るように見つめて情事を夢想する。
このままワイシャツを脱いで私を押し倒してくれたら。いつでも受け入れる準備はできてるのに。"抱いて" その一言が言えない。
「今日はゆっくり休みなよ、ミサキ」
「先生もいてくれるの?」
「私は少し休んだら行くよ、ミカも待ってるし」
「そう...」
そう、じゃないでしょ、私。行かないで、抱いてって、今日こそは言うんだ。
「シャワー浴びてきたら?温かくて気持ちいいよ」
「...後でいい」
どうせすぐ先生はいなくなっちゃうんだ、だったら一秒でも長く一緒にいたい。
「そう?じゃあ私はここでシャワーを浴びていっちゃおうかな」
まってよ。行かないで。また一人にするの?先生は私と一緒にいたいって思ってくれないの?嫌。寂しい。ムカつく。
ミサキのそんな気持ちを知ってか知らずか席を立ってお風呂場に向かう先生の背中を見ていると嵐みたいな感情が湧き起こる。
だめ。もう、耐えられない。
「え?」
先生とミサキは同時に声を出した。ミサキ自身にも予想外の行動だったのだ。
ミサキは後ろから先生に抱きついていた。
「行かないで、寂しい」
もう無理、一人は嫌。もう前みたいに寂しくさせないで。あの女のところになんか行っちゃだめ。
感情が昂ったミサキは全身が震えていた。
「仕方ないな。じゃあ少しの間だけこうしていよっか」
先生の優しい声が痛い。子ども扱いしないで。私を大人として見て。でも子どもみたいに甘やかしてもほしいの。
先生は自分に絡みついたミサキの、震える手にそっと手を重ねる。先生の一回り大きい手に包まれて震えが鎮まっていく。
大人の、大好きな先生の温かさがますます情欲を掻き立てる。
ミサキは女子の中では背の高いほうだが、それでも大人の男性はやっぱり大きい。ミサキは先生の背に顔を埋め、大人の香りに包まれる。
先生、好きなの、大好き。
黙って背中にミサキを受け止めている先生が口を開くのが怖かった。
まさか「えっちしよう」なんて言ってくれるはずがない。「私たちは教師と生徒だから」とかなんとか言って拒絶するに決まってるんだ。だったら何も言わないで。ずっとこうしているほうがまし。
でも、でも、ミサキだって人の子だ。こんなことをしたらその先もしたくなるのは仕方ない。先生が何か言う前に行動しなくては。
「来て、先生」
ミサキは意を決して先生のワイシャツの袖を引っ張り、ベッドの方へ連れていこうとする。
「ちょっとちょっと、ミサキ?」
「いいから」
ミサキは掛け布団を捲ってベッドの中に潜り込み、隣に寝てと暗に促す。
でも先生は隣に寝てはくれず、ベッドの縁に腰掛けて困ったような顔でミサキを見つめる。
どうして?なんで来てくれないの?私だからだめなの?
最早後に退けなくなっていたミサキは先生の体を強引に抱き寄せ、寝返りを打って先生が自分の上に来るようにした。「駄目だよ、ミサキ!」
「うるさい!」
ミサキはおもいっきり先生を抱きしめた。ぎゅーっと。ぎゅーーっと。
「ぷはっ」
先生はベッドに両手をついて身体を起こし、腕立てのような姿勢でミサキに覆い被さる形になった。
二人は荒く息をしながら見つめ合う。先生の熱い息が顔にかかる。困ったような、怒ったような先生の表情が愛おしくて、怖くて、苦しい。
先生の匂い、ワイシャツから伸びる首の筋、布団の中で絡み合う脚、大人の男性の熱。
そういう全部がミサキの心をぐちゃぐちゃにして、わけがわからなくなって泣いてしまう。
「先生、もうわかってるんでしょ。私のしてほしいこと」
涙声で言うミサキの潤んだ瞳は十分すぎるほど女性らしいことに彼女は気付いていない。
「わかってる。ミサキがこんなに私を想ってくれて嬉しい。でも私は男である前にミサキの先生なんだ。だから、駄目だよ」
そんな、そんな月並みなセリフなんていらない。
「駄目なことくらいさせてよ!!」
ミサキは大声で叫んだ。
「先生はいつも私のこと子ども扱いするんだ!私は、私は、私だって...」
私だって女の子なんだ。ボロボロと涙が溢れて止まってくれない。
うう、ぐすん、ぐすん。だめだ、こんなんじゃまた子どもだと思われちゃう、
先生は濡れたミサキの頬を大きな手で優しく拭った。
「よく言えたね、ミサキ」
「え?」
「ミサキがこんなふうに感情をぶつけてくれるの、初めてだよね。それがミサキにとってすごく難しいことなんだって私にはわかるよ」
何、急にそんな優しいこと言わないで。
「そうだね、確かに私はミサキのことを子ども扱いしすぎたかもしれない。この際だから少し真面目なことを話そう」
先生?
「なにも私はミサキが本当に子どもだなんて思っていないよ。というのは幼稚とか未熟って意味での話。ミサキは人一倍、そうだな、同い年の他の子たちよりずっと優しくて、気配りが出来て、いろんなことを一人でやり切ろうとする子だ。私はミサキのそんなところがすごく素敵だと思ってる。でもそれは育った環境のせいで身につけざるを得なかった成熟なんだ。それでミサキは人に頼れなかったり、苦しい気持ちを誰にも伝えられないまま溜め込んでしまったりする」
言いながら先生はミサキの傷ついた左手首を親指でさする。
「だからね、私はミサキに普通の子ども時代を取り戻してあげたかったんだ。子どもらしく扱われる経験をさせてあげたかった。そうしていつかはそのことに反発して、大人として扱ってほしいって思う時が来る。それが本当の成熟への合図なんだ。ミサキは今ちゃんと大人への階段を登ってる」
やめてよ。先生、これ以上泣かせないで。
「うっ、うっ、」
泣かないようにと思うほど涙が込み上げる。
「ミサキ、よしよし」
先生の大きな手がミサキの小さな頭を優しく包む。
「先生、私、私、ミカや他のみんなみたいに女の子らしくなくて、感情だってどうやって表に出したらいいのかわかんなくて、あの子みたいに上手くやれなくて、それで、それで、」
「ミサキが女の子らしくないって?」
先生は苦笑した。
「どうしてそう思うの?確かにミサキはミカとは違う。あの子みたいな子を女の子らしいって言うなら、ミサキは女の子らしくないということになるかもしれないね。でも私はそうは思わない」
「どういうこと?」
「男の人に上手にアピールできるとか、みんなにちやほやされる振る舞いができるとか、髪が長いとか、スカートを履いてるとか、身体に傷がないとか、そんなことが女の子らしさの条件ではないよ。
確かにミサキは上手に人と関われないところがあるし、いわゆる意味で女の子らしい格好もしていない。ミサキをわかってくれない人たちはそういう上辺だけを見て、ミサキのことを怖いやつだとか、男みたいだとかって言うかもしれない」
ミサキは嗚咽しながら先生の話に耳を傾ける。
「でもねミサキ。君はただ自分に自信が持てないから、不安でいっぱいだからそうしてしまうだけなんだ。感情を表に出して嫌われたり相手を傷つけたりするのが怖い。可愛いお洋服を着てバカにされるのが怖い。溜め込んだ辛さを人にぶつけるくらいなら自分の身体を傷つけたい。そんなふうに悩みながら心の底では誰よりも可愛くいたいと願ってるミサキが、世界で一番女の子らしいと私は思うよ」
女の子らしい。一番言われたかった言葉。
ミサキはもう限界だった。
「うわあああああ!!」泣き叫んでおもいっきり先生に抱きつく。
先生は泣きじゃくるミサキをきゅっと抱きしめる。
「ミサキは素敵な子だから、感情を出したってきっと誰もミサキを嫌わないし誰かを傷つけてしまうこともない。そういうことも少しずつ、一緒に学んでいこう」
「うるさい、うるさいよ先生」
先生の言葉が温かい。温かさが痛い。痛くて、心地良い。
ミサキが落ち着くまで先生はいつまでも抱きしめていてくれた。そうしてちょっと泣き止んだのを見計らって、ミサキの頬に手を重ね、前髪をかきあげて額を優しく撫でた。
「それにミサキはすごく可愛いよ。顔だって本当に整ってるし髪もこんなに綺麗じゃないか。いつもの服装だってよく似合ってるし、きっとどんな服も似合うと思う。だからいつかいろんなミサキを見せてね。そんな自信持てないよって言うなら、自信がつくまで私が何度でも可愛いって伝えてあげる」
「何言ってるの?恥ずかしい..」
「恥ずかしがってるミサキも可愛いよ。やっぱり女の子だね」
言われたことのない言葉の数々にミサキの心はすっかり溶かされてしまう。泣き疲れたのと嬉しいのとで身も心もとろとろになったミサキの左手首を先生はそっと握った。
「それから、これ」
「...傷のこと?」
「いつかミサキがこんなことしなくていいようにしてあげる!それが今の私の先生としての目標かな!」
そう言って先生は爽やかに笑った。その笑顔につられて思わずミサキも笑ってしまう。
「あ!ミサキが笑ってくれた!こんなに可愛い顔で笑うんだなあ」
「ちょっと先生!可愛いって言わないで!」ミサキの頬が、耳が、紅潮する。
「どうして?たくさん言うよ。可愛い、可愛い、可愛い!」
「もおおおお!先生のクズ!ヤリチン!女ったらし!!」
そんな先生のことが大好きなんだからね、とミサキは思う。それも言葉に出せたらもっと可愛いのかもしれないけど、今すぐにはできなくったっていい。ゆっくりできるようになっていけばいいんだし、言葉にできない私のことも女の子らしいと先生は言ってくれた。
「よし、そろそろ行かないと!」
起き上がってネクタイを結び直し、ジャケットを羽織る先生をもう無理矢理引き留めようとは思わない。そんなことしなくたって私は先生に愛されてるし、セックスよりずっと素敵な時間をくれた。
「そうだ、最後にこれも言っておかなくちゃ。あのねミサキ。ミカは君が思ってるほど完璧な女の子じゃないよ。あの子にはあの子の問題があって、たくさん失敗もしてる。あの子もそれを乗り越えて少しづつ大人になろうと頑張ってる途中なんだ」
「ミカの話?」ミサキは少し不機嫌な声色になる。
「まあまあ、怒らずに聞いてよ。二人の間にあったことは私も知ってる。でもね、それでもミカはミサキのことを気にかけてたよ。謝りたいこともたくさんあるみたいだった。ここ最近私の嬉しかったことと言ったら、ミカがそんな態度を見せたこととさっきミサキが笑ってくれたこと」
「ふーん...先生、今からミカに会うんでしょ?」
「そうだけど?」
「私も行く」
「ええ?」
驚く先生の腕を取ってミサキは早く行こうと促した。「ほら、早くして。私の気が変わる前に」
「まいったな、また嬉しいことが増えちゃったよ」
ミサキの思わぬ成長に先生は喜びを噛み締める。全く今日はミサキに振り回されっぱなしだ。さっきまで泣いていたかと思えばあっという間に元気になる。昨日まで険悪だった子同士が次の日には親友になる。子どもはそんなふうに周囲を振り回しながら、いつの間にか大人になってしまう。この歳の女の子には敵わないな、と先生は苦笑する。
恋人ではない、あくまで教師と生徒、でも普通の教師と生徒よりはちょっと近い距離感で、ふたりはホテルを後にした。

きっとこれからも少女たちはたくさん泣いて、傷ついて傷つけて、何度も何度も間違える。そうやって少しづつ成長していく。
幸せになるのは簡単じゃないけど、大丈夫。大人はちゃんと見守っているよ。いっぱい迷惑をかけながら進んでいけばいい。ミサキもミカも、それができる強い女の子。
今、二人のプリンセスは幸せへの道を歩み出したばかりだ。



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You're My Princesses|駒木螢
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