「ああ、左様。ハリー・ポッター。我らがお馴染みの――御曹司だ」
薄暗がりのようにじっとりとした声がハリーの名を呼んだ。まるで愛した女と大嫌いな男の間に生まれた唯一の子どもで、その親が二人とも自分のせいで死んでおり、その事実を子どものほうは知らないのに一人で勝手に複雑な感情を抱いているかのようだった。
「このクラスでは、原作者の微妙なセンスと、厳密な設定を学ぶ。ここでは夢設定を振り回すような馬鹿げたことはやらん。これでも二次創作かと思う諸君が多いかもしれん。ふつふつと沸く翻訳への苛立ち、ゆらゆらと立ち昇るポッターモアの情報、魔法界を這い巡る物語の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……」
褒めているのか貶しているのかわからない。ハリーとロンはハーマイオニーにちらりと目をやった。ハーマイオニーはロックハートの作品を真に受けるほど本を信じているのだ。
「諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名案を原稿にし、傑作を出版し、教会にさえ禁書指定をさせる方法である。――ただし、我輩がこれまで職場としてきたこのホグワーツ城について諸君らが少しでも理解していればの話だが」
大演説のあとはクラス中が一層静まり返った。ホグワーツ城の竣工から今に至るまで、英国魔法界の混沌とした歴史の多くがその内外に詰め込まれている。統一感のなさがかえってホグワーツらしさを醸し出していると言ってもいい。そして、ほとんどの生徒たちはその一端を知ることすらなく卒業していくのだ。つまり、ハリーたちにとっては興味のない話だった。
「ポッター! ホグワーツ城に下水管を加えると何になるか?」
10世紀末イギリスの建築物に近世以降の技術を加えると何になるって?
ハリーはロンにちらりと目をやったが、ロンはロックハートを殴った返り血を拭っているところだった。ハーマイオニーは歴女なので空中に高々と手を挙げた。
「わかりません」
スネイプは口元でせせら笑った。唇をめくりあげたりはしなかった。
「旧家の生まれなだけではどうにもならんらしい。ポッター、もう一つ訊こう。スリザリン出身の最も偉大な魔法使いの肖像画を探してこいと言われたら、どこを探すかね?」
ハーマイオニーが思いっきり高く、椅子に座ったままで挙げられる限界まで高く手を伸ばした。ハリーにはスリザリン出身のもっとも偉大な魔法使いが一体誰なのか見当もつかない。長い間、ハリーにとってスリザリンとはマルフォイ、スネイプ、ヴォルデモートであり、性格の終わった人間が隔離される寮としか思っていなかったのだ。
マルフォイ、クラッブ、ゴイルが身をよじって笑っているのを、ハリーはなるべく見ないようにした。後に落ち着きのある仲間として成長するマルフォイにとっては黒歴史になる振る舞いだし、クラッブは死ぬ。
「わかりません」
「クラスに来る前に学校探検しようとは思わなかったわけだな、ポッター?」
ハリーは頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた。ダーズリーの家にいたころ、肝試しと称して廃墟に突入したまま帰ってこないダドリー軍団を迎えに行ったことならある。スネイプはハリーが歴史ある建物に趣を感じられない風情のない男だとでも思っているのだろうか。
スネイプはハーマイオニーの手がぷるぷる震えているのをまだ無視していた。
「ポッター、廊下と隠し通路の違いは何だね?」
この質問でとうとう廃墟系インスタグラマーのハーマイオニーは椅子から立ち上がり、地下牢の天井に届かんばかりに手を伸ばした。
「わかりません。ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」
生徒が数人笑い声をあげた。ハリーとシェーマスの目が合い、シェーマスがウィンクした。ホグワーツを守るためにホグワーツ爆破を任された男だ。
しかし、スネイプは不快そうだった。
「座りなさい。……教えてやろう、ポッター。993年成立のホグワーツ城は建築様式から見て幾度となく改増築を繰り返しており、その過程に18世紀の配管工事があった。工事によって危うく秘密の部屋が暴かれかけたが、ゴーント家のコルヴィヌス・ゴーントが封印を施した。結果としてサラザール・スリザリンは女子トイレの下水管でしかアクセスできない地下室を持つことになったが、これは完全なる風評被害である。スリザリン出身のもっとも偉大な魔法使いはマーリンであると断言してよく、彼の肖像画は校内に飾られている。廊下と隠し通路はどちらも知っていて然るべき道だが、隠し通路はコネがないと場所すらわからない。どうだ? 諸君、なぜ今のを全部ノートに書きとらんのだ?」
一斉に羽根ペンと羊皮紙を取り出す音がした。その音に被せるように、スネイプが言った。
「ポッター、君の無礼な態度で、グリフィンドールは1点減点」
たまらずロンが叫んだ。
「でも先生! こういう授業をしてくれないから魔法史の授業がめちゃくちゃ退屈なんだと思います!」
「だまらっしゃい!」