「ああ、左様。ハリー・ポッター。我らがお馴染みの――家事のできる男だ」
薄暗がりのようにじっとりとした声がハリーの名を呼んだ。まるで愛した女と大嫌いな男の間に生まれた唯一の子どもで、その親が二人とも自分のせいで死んでおり、その事実を子どものほうは知らないのに一人で勝手に複雑な感情を抱いているかのようだった。
「このクラスでは、イギリス飯の絶望的なまずさと、意外な魅力を学ぶ。ここでは食に力を入れるような馬鹿げたことはやらん。これでも料理かと思う諸君が多いかもしれん。ふつふつと沸く茹で汁、ゆらゆらと立ち昇る焦げ臭さ、マーマイトの繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……」
褒めているのか貶しているのかわからない。ハリーとロンはハーマイオニーにちらりと目をやった。ハーマイオニーはロックハートの作品を真に受けるほど本を信じているのだ。
「諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、ウナギをゼリー寄せにし、パン粉を液体化し、腎臓さえ煮込んでパイにする方法である。――ただし、屋台のサンドイッチのような外れだと決まりきった料理を掴んで騒ぐウスノロどもより諸君らがまだましであればの話だが」
大演説のあとはクラス中が一層静まり返った。イギリス料理がまずかったのも今は昔。ハリーたちにとってはモダン・ブリティッシュと呼ばれるおしゃれでおいしいアレンジ伝統料理のほうが当たり前だし、生野菜だって食卓に上がるようになったのだ。
「ポッター! スパゲッティにイギリスの流儀を加えると何になるか?」
誰でも作れて誰でもおいしいイタリアの宝に何でも過熱して何でもまずくするイギリスの調理法を加えると何になるって?
ハリーはロンにちらりと目をやったが、ロンはウィーズリーおばさんのおいしい食事で育ったのでいまいちピンときていないようだった。ハーマイオニーは自分を演じた俳優がパリ出身なので空中に高々と手を挙げた。
「わかりません」
スネイプは口元でせせら笑った。唇をめくりあげたりはしなかった。
「家庭的なだけではどうにもならんらしい。ポッター、もう一つ訊こう。まともなレストランを探してこいと言われたら、どこを探すかね?」
ハーマイオニーが思いっきり高く、椅子に座ったままで挙げられる限界まで高く手を伸ばした。ハリーにはまともなレストランが一体何なのか見当もつかない。ロンドンではとりあえずファストフードチェーンか中華に入っておくのが安定なのだ。それでも時々ハズレを掴まされる場合はあるが。
マルフォイ、クラッブ、ゴイルが身をよじって笑っているのを、ハリーはなるべく見ないようにした。後に落ち着きのある仲間として成長するマルフォイにとっては黒歴史になる振る舞いだし、クラッブは死ぬ。
「わかりません」
「クラスに来る前にグルメ探訪しようとは思わなかったわけだな、ポッター?」
ハリーは頑張って、冷たい目をまっすぐに見つめ続けた。ダーズリーの家にいたころ、ダドリーと食い倒れをして交通費が足りなくなりバーノンに迎えを頼んだことならある。スネイプは美食だけが外食の楽しみだとでも思っているのだろうか。
スネイプはハーマイオニーの手がぷるぷる震えているのをまだ無視していた。
「ポッター、ハギスとソーセージの違いは何だね?」
この質問でとうとう美食セレブのハーマイオニーは椅子から立ち上がり、地下牢の天井に届かんばかりに手を伸ばした。
「わかりません。ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」
生徒が数人笑い声をあげた。ハリーとシェーマスの目が合い、シェーマスがウィンクした。シェーマスの故郷はジャガイモ飢饉で有名なアイルランドだ。
しかし、スネイプは不快そうだった。
「座りなさい。……教えてやろう、ポッター。イギリス料理の流儀は『とにかく火を通せば食べられる』であり、スパゲッティも無限に茹でて小麦の塊にしてしまう。まともなレストランだと聞いて訪問するとイギリス人基準だったりするから全くあてにならないし、チェーン店ですら外れを引くことがある。ハギスとソーセージはどちらも腸詰めだが、ハギスはスコットランドの郷土料理で何とか食べられないこともない内臓や香草を詰め込んだ塊であり、ソーセージは肉をパン粉とネギで水増しした塊だ。どうだ? 諸君、なぜ今のを全部ノートに書きとらんのだ?」
一斉に羽根ペンと羊皮紙を取り出す音がした。その音に被せるように、ドビーがハリーの前にどんぶりを置いた。
「チャーシュー麺、固め濃いめの青菜増し、お待ち」
「ありがとう、いただきます」
背脂ちゃっちゃの豚骨醤油、麺は短めの太麺。おいしそうだ。しかし、ハリーがレンゲを手に取ってスープを掬うと、ドビーは指を鳴らしてラーメンを消してしまった。
「帰ってくれ」
「えっ」
「うちは麺から食べる客以外取ってねえんだ。帰ってくれ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすドビーに文句を言うこともできず、ハリーはホグワーツ特急に乗車した。